7月17日 久しぶりの雨空

「あーあ、またこんなに散らかして」


 ため息をつきながら、部屋のあるじが不在のうちに、ごちゃごちゃになっているソファーの上を整理し始める。


 お姫様育ちだからなのか、セリには自ら部屋を片付けるという習慣は、ほぼない。自ら動かねばならない職務を除けば、何でもかんでも使用人まかせだ。

 だから、自室にせよ執務室にせよ、ちょっと放っておくと、すぐに本だの資料だの書類だので埋もれてしまう。


 よくもまあ、こんな乱雑らんざつな状態でくつろげるものだと、逆に感心する。

 もっとも、故郷でもこの国でも私物の少ないオレとしては、散らかせるほど物を持っているということは、少々うらやましくもあるが。


「あ、この本、母上も持ってたロマンス物だ。あれ、そういえば本棚ってどこだろ」


 セリの私室は、廊下に繋がる居室パーラーと、左手の寝室、そして右にもう一部屋ある。

 オレはまだその部屋を訪れたことがない。

 セリはいつも居室か寝室にいて、これまでオレはその部屋に別段用事もなかったからだ。


 けれども他の二部屋には、どうやらいくつもの書物を収めておけるようなところは見当たらない。

 ひとまず何冊かの本を手に、右の部屋へと足を踏み入れる。


「わぁ……」


 可愛らしい部屋の中を眺めた印象は、子供部屋といったところか。

 いくつかの本棚や家具に、ぬいぐるみや人形。

 他にも、女の子が好みそうなオモチャや調度品が、あちこちに置かれている。


 もしかしたら、幼い頃のセリやナズナ姫は、実際にここで遊んでいたのかもしれない。

 だとすれば、きっとここにある一つ一つが、思い出深い品なのだろう。

 そんな微笑ましい光景を想像しながら、本棚の扉を開いて、隙間に適当に本を詰めていく。


 ふと、視界のすみに気になる物が見えた。

 思わずそちらに目を留める。


 飾り棚に二体並べて置かれた、小さな人形。

 服装からすると、おそらく結婚式の衣装をしたものだろう。


 白い肌に若草色の髪と、夕日のようなあかい瞳の花嫁。


 その隣に寄り添う、薄褐色うすかっしょくの肌をした、黒髪に藍色のの花婿。


「これって……」

 そっと人形を手に取る。


 この髪と瞳からすると、花嫁はセリがモデルに違いない。


 問題は、ついとなる花婿の方だ。

 黒髪であることから、この人形の元となった相手は、純血のベガンダ人アカシャーンではないだろう。

 むしろこの外見特徴は、オレの国ニーザンヴァルトでよく見かけるものだ。



 セリの夫となる、ロクターム人の男。

 それに該当がいとうする人物を、オレはこの国に来てから、一人だけ知っている。



「あれれぇ?誰かそっちの部屋に居るですぅ?」


 不意に隣の部屋から、のんびりした声が聞こえてきた。


「うわあっ!?」


 開けっぱなしだった扉の影から、最近城で働き出した新米メイドのシャリンと、彼女と共に戻ってきたらしい部屋のあるじが、ひょっこり顔を覗かせる。


「何よ、ポチ。ちょっと声かけただけで、そんなに驚くなんて。まさか私の部屋でやましいこと、で、も……」


 憤慨ふんがいした姫君の視線が、オレの手にある人形に集まる。



 しばしの沈黙。



 固まってしまったセリの動向をおそるおそるうかがっていると、ボンッと音でも立てそうな勢いで、彼女の顔が一気にしゅに染まった。


「きゃわやうにゃひぇやあああああ!?」


 珍妙な悲鳴をあげながら、ひったくるようにオレの手から二体の人形を奪い取るセリ。

 それらを大切そうに、ぎゅうっと抱きしめた彼女の目には、じんわり涙が浮かんでいる。


「なあ、セリ。その人形」「王子様」


 それ以上聞きたくなかったのか、それともヤケクソになったのか。

 オレの声をおおい隠すように、セリの言葉が矢継やつばやに飛んでくる。


「そうよ、私とエイベル王子様よ!悪い!?別にいいでしょちっちゃい頃の事なんだからお嫁さんごっこして遊んでたって!!」

「いや、あの……えっと」


 予想外の剣幕に気圧けおされて、一歩たじろいでしまう。


「で、でもお前、政略結婚は嫌だったんじゃないのか!?」

「嫌よ。ったこともない、好きでもなんでもない人のところに、お嫁に行くなんて」


 言葉とは裏腹に、どこか愛おしそうに人形へと視線を落とすセリ。


「それでも、戦争を終わらせる為に、お母様が考えに考えたことだし。それに……エイベル様は優しい子だから、きっと私のことも大事にしてくれるって、ファウス達が言うから……」


 話を続けるうちに、彼女の頬だけでなく耳や首筋まで、どんどんと赤く色づいていく。


「それなら、わ、私が王子様を好きになっちゃえば、嫌じゃなくなるじゃない?」

「……セリ……」


 どう言葉を返せばいいか、と迷っていた時。

 真っ赤な頬をつたう水滴が目に入り、激しく動揺する。


「だ、だから、ファウスに詳しく王子様の事を教えて貰って、素敵な旦那様を想像して……ふえぇ……」


 ついに羞恥しゅうちが限界に達したらしい。夕日色の瞳から、大粒の涙が次々にあふれ出してきた。

 ヤバい。このままにしておいたら、とてもオレでは手がつけられなくなりそうだ。


「ご、ごめん。意地悪で聞いたわけじゃないんだ。泣かないでよ」


 どうしていいかわからなくて、泣きじゃくるセリをそっと抱き寄せ、頭を撫でた。

 腕の中から、花のような甘い香りがふわりとただよってきて、鼻腔びこうをくすぐる。


(セリって、いつもいい匂いするよな。香水でも使ってるのかな)


 女の子を泣かせておきながら、状況にそぐわないそんな事を、一瞬とはいえ考えてしまうなんて。

 我ながら、自分のマイペースぶりには呆れかえる。


「ひや~、乙女ですねぇ青春ですねぇ~、いいですねぇ~」

「こら、シャリン」


 流れを読まず、頬に手を添えて大はしゃぎするメイドを、軽くたしなめる。


「すまないけど、お茶でも入れてきてくれないか。この調子じゃ、姫が落ち着くまでしばらくかかりそうだ」

「了解ですです。にゅひひ、ラブラブいいですねぇキュンキュンしますねぇ」


 ……本当にわかってるのかな、この子は。


― ― ― ― ― ―


「……急に取り乱して、ごめんなさい」

「いや、オレも、余計なこと聞いて悪かった……」


 われを取り戻し、先ほどまでとは違った意味で恥ずかしそうなセリが、シャリンの入れてくれた紅茶をすする。

 くだんのウェディングドールは、彼女の膝の上に仲睦なかむつまじく隣り合って置かれている。


 何故か姫君の隣に並んで座っているオレも、妙な気まずさからカップに口を付けた。


 芳醇ほうじゅんな茶の薫りを、良質の蜂蜜の甘さが更に引き立て、見事なハーモニーを奏でる。

 少々悔しいことに、年若い後輩メイドの腕前は見事なものだった。


 この城に来てひと月。マーゴットさんに厳しく指導されてはいるが、未だにセリはオレの入れたお茶を飲んで、ちょくちょく微妙な顔をする。


 もっともオレの方も、使用人としての技術を磨くよりも、他のメイドにこっそり頼んでティーポットやカップに保温魔法をかけて貰ったりと、要領良く仕事をするためのずる賢さばかり上手くなっているのだが。


 ――それにしても、最上級の紅茶なんて、何年ぶりに飲むだろうか。


 故郷での軟禁生活は、幸い食事だけはきちんと与えられてはいたけれど。やはり優雅にティータイムを楽しめるほどの自由はなかった。


「あのね、子供の頃の話だから。今はもうそんな風じゃないのよ」


 よほど恥ずかしかったのか、やけに言い訳じみた言葉が立て続けに飛んでくる。


「エイベル様のこと、全然何とも思ってない……とまでは、言わないけど。本当に違うのよ。そういうのじゃないの」

「わかった、わかったって」


 とはいえ、今でもセリが隣国の王子に、それなりの感情を抱いているのは間違いなさそうだ。


「別に笑ってくれてもいいわよ。正直、自分でもいつまでも幼稚だと思ってるし」

「茶化したりなんてしないよ。それはきみにとって大切な想い出だから、今でも人形を大事にしてるんだよね?」


 恋と呼んでいいのかもわからない、幼い少女の淡い気持ちは、それでも彼女にとっては真面目なものだったのだろう。


 素直にそう感じたからこそ、正直な言葉を告げたのに。

 それに対するセリの反応は、拗ねたようなうたがいの眼差しだった。


「嘘」

「なんでそこで疑うんだよう、信用ないなぁオレ」

「だって貴方、さっきからずーっとニヤニヤしてるんだもの」


「……………………え?」


 彼女の指摘をうけて、咄嗟とっさに口元をおおう。


「に、にやついてた?オレ」

「ええ。だからいいのよ、私に遠慮しないで思う存分どうぞ」


 そっぽを向く姫君の横顔に、オレの方こそ慌てて言い訳を並べ立てる。


「ちが、違うんだ。これはその、本当に馬鹿にするわけじゃなくて。微笑ましいっていうか、そういうのいいなっていうか」


 本当に、単純に嬉しかったのだ。

 父上が亡くなってから、ずっと孤独を感じていたオレに、異国でそんな風に想っていてくれた女の子がいたなんて。


 ……などとは、それこそ気恥ずかしくて、とてもセリには教えられないが。



(でも、セリの憧れの王子様は、だけど……じゃあないんだよな)



 もし、今ここで。セリにおのれの素性を明かしたら。

 彼女はいったいどう思うだろうか。


 ふとそんなことを考えて。浮かれた気持ちが吹き飛んだ。


 ファウスですら、未だにオレのことを、時折幼い頃のイメージで見ているふしがある。

 エイベル・ルディアノーツ・バルドンを、人づてにしか知らないセリならば、尚更なおさら『病弱な深窓しんそうの王子様』の印象があるだろう。


 少なくとも『深窓の王子様』が、事あるごとに反抗的な態度を見せ、電撃を喰らうようなふてぶてしい男だとは考えまい。


 オレが、長年憧れ続けた王子様だと知ったら。

 セリはショックを受けないだろうか。

 また泣いてしまわないだろうか。

 真実を知っても、大切な想い出を打ち砕かれても、変わらず愛してくれるだろうか。


(正体を話せない理由、また一つ増えちゃったかなぁ)


 けれどそれは、彼女をずっとだまし続けることにほかならない。

 なによりセリに、本当のオレを知って貰えないということでもあって。


 胸の奥にモヤモヤした気持ちを抱えて、両手で持ったままのティーカップに視線を落とす。

 そこに映った自分の顔には、もう微塵みじんも笑いなど浮かんでいなかった。

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