7月2日(朝)すっきりしない曇り空

 ベガンダでは、この世界に広く普及している『ダイニルム歴』ではなく、『アカシュリア』という、これまた女神の名を冠した独自の暦が用いられている。


 といっても周辺諸国との兼ね合いもあって、現在ではかなりの部分をダイニルム歴に準拠する形になっていた。

 すなわち、一年は13ヶ月、一ヶ月は25日で構成されるわけだ。


 もはやアカシュリア独自の部分は、暦が制定されてからの年数と、その時期の季候を思わせる色合いや情景から取られた、月の呼び方くらいしかない。

 雨期の6月は『雨の月』、そして草木がより青々と茂る7月は、『深緑の月』といった具合に。


 この国でもすっかり形骸化してしまっているこの暦だが、ただ数字を数えるだけのダイニルム歴よりも、風情がある気がして悪くないと思う。

 ……ただ一点、まだちょっとその呼び方に馴染めてなくて、聞いてもすぐピンとこないのだけが難点だが。


― ― ― ― ― ―


「どう、ポチ!仕立屋に頼んで、大急ぎで作らせたのよ!」


 ドヤ顔のセリが自慢げに見せびらかすのは、薄紅色のやっぱりどこか乙女チックなネグリジェ。

 日頃彼女がお召しの品とは異なり、薄布一枚ではあっても、身につけた彼女の肌は透けて見えることはない。


「これなら、もう貴方に毎朝肌を晒すこともないわ!」

「お前さぁ……」


 調子に乗ってくるくる回ってみせるお姫様。

 ネグリジェの裾とトレードマークのポニーテールが、楽しげにワルツを舞うその様子を、オレは真顔で眺めていた。


「寝間着が透けなきゃ、下着なしで寝てもいいとか思ってるだろ」


「え?」


 間抜けた声を合図に、ワルツが終了する。

 張り倒したい、このすっとぼけ娘。


「お前、毎朝オレが起こしに行くたび、自分がどんな格好してるか理解できてないんじゃないか!?着てる意味が全くないくらい、そこら中はだけまくってるんだぞ!」


「え、嘘!?だって最近は、起きるとちゃんと布団も被ってるもの。だいぶ寝相はよくなってるはずよ」

「オレが!お前を起こす前に!毎回かけ直してるの!」


 毎朝毎朝、こっちがなるべく乙女の柔肌を見ないで済まそうと、どれだけ苦労してると思ってるんだ。


 寝室に入る前にまた一騒動あるだろう覚悟と、起こす際の対処、そして首輪から発される電撃にはじわじわ耐性がつきつつあるが、彼女の裸体にだけはどうにも慣れない。


「だいたい見られたくないんなら、いい加減下着くらいつけて寝ろよ!」


 彼女の下着姿なら、拝んでも平常心を保てるかと聞かれると、全く自信はないが。


「だって、締め付けがあると気になって眠れないんだもん!」


 ぶーたれるセリに、更に文句を言ってやろうと口を開きかけたところで、部屋の扉がノックされる。


「賑やかな所、失礼するよ。ただいま、セリナ」


 部屋に入ってきたローブ姿の若者を見て、オレは言葉を失った。


 輝くような明るいオレンジ色の髪は、腰どころか尻に届きそうなほど長く、ゆるい三つ編みにして束ねられていた。

 まるで糸のように細い目元から、わずかに覗く黒い瞳は、彼がアカシャーン以外の血を引いていることを示している。


 背丈も雰囲気も随分大人びたけれど、その顔立ちには、記憶にある幼馴染みの面影が見て取れた。


「あら、お帰りなさい。首尾はどうだった?」


 やけに親しげに、セリが男に言葉を返す。

 オレが間の抜けた顔を晒していることには、さっぱり気づいてないようだ。


「うーん、いいとも悪いとも言いづらいなぁ……。ところで、彼が例のポチくんかい?」


 男がオレの方に、その細い目を向ける。


「ええ、そうよ。ポチ、紹介するわね。彼はうちの宮廷魔術師で……」


「ファウス!!」


 セリの説明が終わらないうちに、オレは懐かしい友の元へ駆けよっていった。


「ファウスだ!なあ、ファウスだろ!まさか、また逢えるなんて思ってなかったよ!お前ベガンダに居たんだな!」

「え、ごめん、キミ誰?僕にロクタームの知り合いなんて……」


 突然抱きつかれて困惑していたファウスの表情が、違う方面で驚きに変わっていく。


「まさか、キミ、ラド!?」


 正体に気づいた魔術師が、オレの顔をしっかり確認しようと、あわててオレの身体を引き剥がす。


「そうだよ!いやあ、本当に久しぶりだなぁ」

「いやいやいやいや、再会喜んでる状況じゃないでしょ。なんでキミ、ここにいるの!?一体何があったわけ!?」


「ファウス、ポチと知り合いなの?」


 状況がさっぱりわかっていなくて、頭の上に「?」が飛び交っていそうなセリに、ファウスが説明をする。


「彼は、ゲイン家がまだニーザンヴァルトに住んでた頃の、僕の幼馴染みなんだ」

「まあ、そうだったの。それでポチが、そんなに大はしゃぎしてるのね」


 ……そこまで言うほど、はしゃいではない、と、思う、多分。


「ファウス、報告は後回しでいいわ。積もる話もあるでしょ?まずはお友達と語り合ってらっしゃいな」

「ありがとう、セリナ。それじゃあお言葉に甘えて、大事なペットをお借りしていくよ」


「……お前、妙に姫と気安くないか?」


 一国の姫君を、一介の宮廷魔術師が呼び捨てにするとか、よほどの仲でもなければありえないだろう。


「そりゃあね。ま、その辺もちゃんと教えてあげるよ」

「あっそう」


 何だろう。妙に面白くない。


 姫君の寝姿を見た時とはまた違った、どこかモヤモヤとした何かが、胸の奥底で騒ぐ。

 暫く会ってなかったとはいえ、オレの大事な親友を、セリに取られたようにでも感じているのだろうか、オレは。


「じゃあ、とりあえず僕の部屋にでもいこうか」


― ― ― ― ― ―


「僕はほら、ロクタームとアカシャーンのハーフなわけだけど。母さんがここの王家の一族出身でね。つまり僕とお姫様たちは、遠い親戚に当たるってこと」

「……あっそう」


 もの凄くくだらないことで、嫉妬していた自分が恥ずかしい。


 なんとも言えない顔で紅茶をすするオレを、ファウスがからかうように笑う。


「あれぇー、もしかしてラド、僕とセリナが恋人同士だとでも思った?」


 突然妙なことを訊ねられて、飲みかけた紅茶が変な所に入り、げほごほとむせる。


「おま、なん、なにバカなことを。べ、別に姫が誰と恋人でも関係ないし」

「ほんとにぃ?ま、安心してよ。僕の恋人はナズナの方だから」

「はぁ!?冗談だろ!?」


 ナズナ姫はまだ12才、この国でも未成年だ。一方ファウスはオレより2つ上で、確か先月誕生日を迎えたばかりだから、今年で20才になる。


「そりゃあ勿論、冗談に決まってるでしょ。ラドは本当にからかい甲斐があるなぁ」


 面白がってファウスがカラカラと笑う。

 そうだった、こいつはこういう奴だった。


「でまあ、サルファス前王崩御のあと、前王派の宰相で妻がアカシャーンの父さんは、ゼングラム王に厭われてね。一家で城を追放されたあと、母さんのツテでこの国に来たってわけ」


「ずっと心配してたんだ。突然、ファウスはもう居ないって聞かされて。オレには全然、事情とか教えて貰えなかったから」


 あの頃の幼い自分には、一番の宝物を奪われたかのようなつらさだった。今でも思い出すと、胸が締め付けられる。


「でも、お母上の縁とはいえ、この国も随分あっさりと、お前たちを受け入れたものだな」

「戦争してたといってもね、前王の頃までは、両国ともそこまでにらみ合ってたわけでもないんだよ。なんせほら、この百年戦争のきっかけが、すっごくくだらない流れからじゃない?」

「ああー……」


 戦の種火をつけたのは、セリから数えて三代前、曾祖母のオミナ・セオリア・ラシュニー・アカージャが原因だ。

 何でも、当時のニーザンヴァルト王子にプロポーズしたものの、こっぴどく振られた腹いせに侵略を始めたらしい。


「下の代は大おばあさまたちほど、お互い恨みはないからね。大おばあさまが亡くなるまでは、表向きはチンタラ国境沿いで小競り合いして、捕虜の賠償金とかで遠回しな交易もしたりしてたんだけど……まさか6年前、123才まで、大してボケもせずにピンシャンしてるとは思わなかったよねー」


「とことん傍迷惑なおばあさまだな……」


 なお、その年の4月、オミナ女王より4ヶ月前に、サルファス前ニーザンヴァルト王も亡くなっている。


 先日セリが政略結婚の話をしていたが、彼女の母、コグサ前女王がオミナ女王の死を待ってから、和平交渉を持ちだしたのだとすれば。

 その時には既に、ゼングラム国王代行がニーザンヴァルトを牛耳っていたのだから、話が通らないのも仕方なかったのかもしれない。


 そしてこの国の人々が、ニーザンヴァルトそのものに悪印象を抱いていないのなら、城でオレが妙に手厚く扱われていた理由がわかった気もする。


「因みに、父さんも母さんも元気だよ。もう二人とも城勤めではないけどね。二人にも、また顔を見せてやってくれると嬉しいかな」

「ああ、機会があればそうさせて貰うよ」


 ファウスのご両親に会いに行くのであれば、セリも城から出ることを許可してくれるだろう。


「さて、と。僕の話はとりあえずこれくらいにして。それじゃあ今度は、キミのことを詳しく話して貰えるかな」


 先ほどまでにこやかだった旧友の顔が、すっと真面目な表情になる。


「本当にどうして、キミがここベガンダに居るんだい?一体何があったのさ。はかなにさ?」


 彼のその雰囲気に、オレからも浮かれた気持ちが消え失せる。


「ニーザンヴァルト第一王位継承者、エイベル・ルディアノーツ・バルドン殿下」

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