346年10月3日 お外のおてんきはよくわかりません

 父上がいなくなって、もう半年がたちました。


 あれからおじ上は、ぼくにお部屋から出てはいけないといいます。

 ぼくはおねがいして、母上のお部屋にだけは、遊びに行ってもよくなりました。


 父上のお部屋は、いつの間にかおじ上のお部屋になったから、もうぼくは入れません。

 あのお部屋には、大人になったらよんでみたい、むずかしいご本がたくさんあったのになぁ。


 きがついたら、ぼくのお世話をしてくれる人たちは、みんな新しい人にかわっていました。

 みんな男の人ばかりで、女の人はぜんぜん見ません。


 ファウスもひっこしてしまったから、お城にはぼくと遊んでくれる人が、もういません。

 いとこのセズあに上は、ぼくにやさしくしてくれるけど、大人だからぼくとは遊んでくれません。


 お城の中はたいくつです。


 ぼくのお部屋のご本は、なんどもなんどもよんだから、すっかりボロボロになってしまいました。

 母上に新しいご本がほしいといったら、母上はごめんなさいといって、泣いてしまいました。


 母上を泣かせたくないから、ぼくはもうわがままはいいません。

 おじ上のいいつけを守って、ぼくはぼくのお部屋にいることにします。


 ファウスはげんきかな。

 また遊びにきてくれないかな。

 前みたいに、こっそりぼくをお城の外に、つれだしてくれないかな。


― ― ― ― ― ―


「騎士団長、ですか?」

「そうだ」


 珍しくベック伯父上――ゼングラム・ヴェンヌ・バルドン国王代行から呼びだされたは、その真意を測りかねていた。

 玉座から鋭い緑の瞳が、オレを睨むように見据える。


もあと半年足らずで成人を迎える。戴冠前に、少し箔をつけておいた方がよかろう」


 この城の者は、王族をセカンドネームから取られた呼び名で言い表す。


 元々は、何代か前の王が自分の名を気に入らなかったとかで、使用人たちが失礼に当たらぬようと始めた行いだそうだが、現在では相手への敬意として、王族同士でも普通に広まっている。


 だが、ロブ父上が亡くなられてから、伯父上がオレのことを、ラドとも、王子とも呼んだことは、一度たりとてない。


「そこでだ。お前には次の戦いで、部隊の旗頭はたじるしとなってもらう」

「そう申されましても、伯父上。は今まで指揮官どころか、戦場に出たことすらもありませんが」


 無駄だとはわかっているが、一応拒否の意を見せる。


 この方がオレの反抗を受け入れないことは、この6年間で嫌というほど思い知らされている。

 そしてオレに、この方に刃向かえるだけの権力も、実力も、何も与えられていないことも。


 今まで、執拗に言い寄る伯父上から、子供のオレが母上を守ってこれたことすら、奇跡のようなものだ。

 母上は今でも、父上ただ一人を愛しておられるというのに。


「心配無用だよ、ラド。君に加わって貰うのは、私の部隊だからね」

「セズ従兄上あにうえ


 隣に居た伯父上の息子、ガダム・ゼファード・バルドンが、優しげな笑みをオレに向ける。


 従兄上は、伯父上と同じく、ロクターム人より祖母のデンファーザン人の血が、より色濃く出ている。

 ロクタームは他人種よりも魔術適性が低いからか、他の血が混じると人種の特徴である黒髪や、瞳の色があまり遺伝しない。


 緩やかにウェーブした、豊かな金糸の髪をかき上げながら、従兄上は言葉を続けた。


「ベガンダとの戦は、今暫く終わりそうにはないからね。君がこのまま国王の座に就いても、本当に国を任せていいか、民は不安がるだろう」


「それは、そうかもしれませんが」


 事実を知らない国民は、国の祭事にも顔を出さない王子のことを、未だに病弱な頼りないお坊ちゃんだと思っていることだろう。

 幼少期はともかく、身体なんて成長するにつれて、すっかり健康になっているというのに。


「だから私が、父に頼んだのだよ。君が戦場にも顔を出せるような、勇敢な王子であることを示すためにね」


 よほど不安そうな顔をしていたのだろうか。従兄上の碧眼へきがんが、オレを安心させるかのように、穏やかな視線で見つめる。


「なに、私の部隊は歴戦の兵ばかりだ。ラド、君は部隊の後ろで構えているだけでいいのさ。何も危ないことなどないよ」


「そう、ですよね。従兄上が居てくださるんですから、大丈夫ですよね」


 従兄上は、いつもオレに優しい。

 彼がついていてくれるのならば、きっとオレのことも守ってくれるだろう。


「従兄上が居れば、心強いです」


― ― ― ― ― ―


 状況の理解が追いつかないまま、目の前で、次々とニーザンヴァルトの兵士が倒れていく。


「従兄上は!?従兄上はどうなされたのだ!!」


 荒れ狂う海のように襲い来るベガンダ兵から、必死に馬を駆り、逃げ惑う。


 まさか従兄上も、既に敵の手に倒れたのだろうか。一気に不安が押し寄せる。

 実質の部隊長である従兄上が居なくなっては、オレなんかに兵を取りまとめることなどできない。


 突き出された槍をかわそうと抜いた剣は、あっさりと弾かれて宙を舞った。


 横合いから飛んできた矢が、見事に馬を射止め、共にもんどり打って地面に転がり込む。


 落馬の衝撃で全身が痛い。


 何とか身を起こそうとするオレの周囲を、素早くベガンダの兵士たちが取り囲んだ。


「お前がこの部隊の指揮官だな?ここでは殺さん。大人しく姫様の元まで来て貰おうか」


 騎士の一人がそう言うと、あっという間に組み伏せられ、そのままいずこかへと連行される。


――ああ、オレはここで死ぬのか。

――何も為せぬまま。

――母上一人救えぬまま。

――ただただ無力な、情けない子供のままで――


「……申し訳ございません、母上……」


 もうあの人を泣かすまいと誓ったのに。またこうして、母上を悲しませてしまう。


 いっそ世をはかなんで、自ら命を断てるような、弱く、強いお人であったならば。この先、伯父上の魔の手から逃れることもできように。


 先に一人、地獄から逃亡する、親不孝な息子をお許しください、母上。

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