6月22日 雨雲はまだ去らない
セリはここ何日か、城を留守にしている。
敵国兵で捕虜でペットで下働きのオレには、あまり
おかげで、オレはまだ彼女に、ブレスレットの礼を言えていない。
セリの御用聞きが無い状態では、魔法も使えず家事炊事も不慣れなオレには、城での仕事があまり回ってこない。
少しずつやれることを増やしていっているつもりだけれど、それでも手伝えることには限度がある。
だから自然と暇な時間ができるが、城の外に出ることは許可されていない。
今の状態ならば、城の者の目を盗んで逃げ出すことも出来そうではあるけれど、何となく気が引けた。
城の人達は、オレがニーザンヴァルトの人間であることなど気にも止めないといった風で、オレにとてもよく接してくれる。
マーゴットさんは、仕事となると相変わらず厳しいけれど。
それは教育係として、オレのことを大人として、この城の使用人として恥ずかしくないように、みっちり指導してくれているようにも思える。
この数日で、オレはここでの生活に、少しずつ居心地の良さを感じていた。
オレが育った故郷での環境は、今よりもっと自由がなくて、息苦しいものだったから。
それでもまだ、このままベガンダの民に馴染んでいくことには、どこか抵抗もあった。
ベガンダは敵だと。
ここに居場所を求めてはならないと。
ちっぽけなくだらないプライドが、彼らと打ち解けることに、オレの心に、頑なに鍵をかけていた。
― ― ― ― ― ―
雨がしとしとと降り続いている中庭。
「せいっ!はっ!やあっ!」
そこに続く廊下、誰もいない片隅で、オレは有り余った時間に箒を振り回していた。
箒を剣に見立て、ひたすら素振りを繰り返す。
「そこで、何をしている?」
よく通る低い声に、箒を降ろし額の汗を拭いながら振り返る。
年の頃は、50前後といったところか。
服装からすると、おそらく警備中の兵士だ。この城の使用人は女だらけだが、騎士団には男も大勢居るようだった。
「なにって……剣の稽古だけど」
「そんな箒と、へっぴり腰でか?」
再び素振りを始めようとした所で、飛んできた一言に思わず「ぐ」と言葉が詰まる。
「……どうせ、オレは弱いよ。単なる暇つぶしだ、放っておいてくれ」
男の視線を避けるように顔を逸らす。
おそらく彼ら兵士にも、『首輪付きの飼い犬』の話は広まっているだろう。
戦に負けて、こうして生き恥を晒している姿は、騎士たる彼らの目にはどう映っていることか。
考えるだけで惨めになってきて、頭を振って嫌な考えを追い出し、素振りに集中しようとする。
くそ、いつまでそこで眺めてるつもりだ。とっとと行ってくれ。
「強くなりたいか」
「え?」
手を止めて、男の顔を見つめ返す。
そこには、オレを馬鹿にしたような雰囲気は、微塵も感じられなかった。
「強くなりたいか、と聞いている」
「別に、オレが強くなったって、剣の腕を振るう機会があるわけでもないし……」
拗ねた態度で愚痴をこぼすオレを見据えたまま、男はオレに問い続ける。
「なりたいのか、なりたくないのか、どっちなんだ」
真面目なその言葉に、相手の視線を真っ直ぐ受け止めて、オレも真剣に返答する。
「なりたい。強くなりたい!」
「ならば、ついてこい。ああ、いやその前に」
男が、箒を握りしめたままの、オレの手元に視線を送る。
「帰ってくるまで待っててやる。その箒は、元あった場所に戻してこい」
― ― ― ― ― ―
男が向かった先は、どうやら騎士団の寄宿舎らしかった。
「あれ、団長。えらいお早いお帰りで」
「ダメッスよー、団長さんが見回りサボったりしちゃあ」
入口の側にいた連中が、男を茶化すように声をかけた。
「団長?」
「挨拶がまだだったな。ここの王宮騎士団長なんてモンをやらせてもらってる、ギナゼッドだ」
男は笑ってそう名乗ると、部下たちの方に向き直る。
「お前らと一緒にするな。この坊主をここに案内しに来ただけだ」
「そのボーヤ誰ッスか?新入り?」
「あー!その首輪!」
騎士の一人、ひょろりと背の高い男が、目ざとくオレの首輪に気づいて指を差す。
「そうかそうか、アンタが噂のセリナ姫様の『カエーヌ』かい」
「……カエーヌ?」
聞きなじみのない言葉にきょとんとする。ペットか何かを指す言葉だろうか。
「おやま、手首にまで姫様のお
明らかに冷やかしが混ざった視線に、思わず若草色のブレスレットを背に隠す。
「それで“首輪ちゃん”よ、騎士宿舎に何の用さ。愛しい姫様はここにはおいでじゃないぜ?」
「強くなりたいそうだ。しごいてやれ」
「「……は?」」
馴れ馴れしく肩を組んできた男と、オレの間抜けな声が見事にハモった。
そんなオレ達の様子など気にも止めず、ギナゼッドが言葉を続ける。
「これから毎日朝と夕、ここへ来い。坊主も騎士団の訓練に混ざれ、みっちり鍛えてやろう。姫様には俺から話をつけといてやる。」
「ちょちょちょ、待ってくださいよ団長。こんなヒヨッコのお坊ちゃんに、正規兵の地獄の特訓が務まるわきゃないでしょー?」
ヒヨッコのお坊ちゃん呼ばわりにムッとなるが、事実なので何も言えない。
「無理かどうかは、こいつがやってみて決めればいい」
オレより一回りは大きそうな手が、頭の上に置かれる。
何だかすごく久しぶりに、子供扱いをされている気がした。
「それに、城でセリナ姫様の一番傍にいるのは、この坊主だ。こいつに護衛ができるくらいの腕がある方が、俺らも楽ができるってモンだろう?」
「そりゃあまあ、そうですけど……おい、“首輪ちゃん”、逃げ帰るなら今のうちだぞ。団長ガチだぞこれ」
そんなにキツいのか、この人の訓練。
だが、さっきからいちいち“首輪ちゃん”だの子供扱いだの、妙に見下されてるように感じて、ここで尻尾を巻いて去るのもどうにも癪に障る。
何よりも、強くなりたい気持ちは本当だ。
「上等だ、やってやる。とことん鍛えてもらおうじゃないか!」
「いい返事だ」
オレの目を見て、団長殿がニヤリと笑う。
……この人の笑顔、マーゴットさんと違う意味で怖いなぁ。子どもが見たら泣きそうだ。
「やったー!新入りッスー!オイラにも後輩が出来たッスー!」
「あーあー、安請け合いしちゃって。あとで泣きべそかいても知らねえぞ、
小柄な騎士は飛び跳ねて喜び、もう一人の背が高い方は、面倒だといった具合に頭を抱えていた。
「あ、でも、この国の騎士ってことは、みんな魔法でも戦うんだろ?訓練するにも、オレ魔法は一切使えないけど……」
「ンな、みんな使えるモンで強くなったって、なーんも面白くねえっての。腕一本で強くなるから楽しいンじゃんか」
ノリが軽い方の騎士が、さも当然といわんばかりに、さらっととんでもないことをいう。
「この騎士団は、アカシャーンの血が薄い奴や、他の人種、魔術より剣術に惹かれた変わり者が多くてな。両方使いこなす器用な奴や、治癒魔法が主体の奴も居るには居るが、大半の連中はまともに火球を飛ばすどころか、かまどの火も起こせない、ショボい野郎どもばかりよ」
「魔法を使えない、騎士団……」
ギナゼッドの言葉に衝撃を受ける。魔法の国で、魔法が使えないというのは、途方もないデメリットではないのだろうか。
「だーかーらー、使えないんじゃなくて、必要ねえの。そういうのは魔術師に任せときゃあいいんだからさ」
「そうッスよ。それにオイラたちが前に立つから、魔術師たちも安心して魔法を使えるんスから。強い呪文は詠唱にも時間かかるッスからね」
なるほど。役割分担がはっきりしているから、魔法を使わない部隊にもちゃんと役目が回ってくるわけか。
「そういう事だ。だから心配は要らん。なあに、うちの騎士団は優秀だ、坊主もすぐに強くなれるさ」
わしわしと大きな手が、オレの頭を撫で回す。
やっぱりどこか、この男に子供扱いされている気がする。
頭を撫で続けながら、ギナゼッドが二人の騎士に命ずる。
「お前ら、他の暇な連中を集めてこい。こいつに基礎トレーニングのやり方を、徹底的に叩き込んでやれ」
訓練は、本当に、キツかった。
これでもまだ新兵向けの初級だとか。うっそだろ、おい。
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