第一章 首輪に繋がれた外国生活
6月15日 オレの心のようにどしゃ降り
小生意気なご主人様に引き連れられて、兵士らと共にベガンダ城へ到着したのは、あの初陣の日から3日後の夕刻だった。
その間、何度か隙をみて逃走を図ったが、どうもあの服従の首輪とやらは飼い主に居場所が伝わるらしく、その都度姫と兵士に追われて無駄に身体を痛めつけるだけに終わった。
「お姉様、おかえりなさい。今回もご無事で何よりです」
「ナズナあ~~~~っ!!!」
城で出迎えた幼い少女の姿を見るや、セリナ姫はその小さな身体に飛びついてぎゅっと抱きしめた。
「よしよし、今日もお疲れ様。大丈夫だよー、お城は安全だからもう怖くないよー」
そう囁いて姫を抱き返し、少女はまるであやすように優しくトントンと背を叩く。
「ホント疲れたぁ、着替えたいお風呂入りたいお腹空いたー」
そう言いながら少女にじゃれつく姫の姿は、とてもこの三日間オレをいたぶり続けた極悪女とは思えない。ちょっと態度違いすぎだろ、流石に。
「はいはい、全部支度しておりますので、まずお風呂に向かってくださいませ」
傍らに控えていたメイドが二人を引き剥がし、姫をどこかへ連れて行こうとした時。
「ところでお姉様。そちらの殿方はどなた?」
ようやく三人の意識が、後ろで放置されていたオレの方に向く。
「新しいペットのポチよ」
「オレはポチでもペットでもないっ!ラドだって何度も言ってるだろ!」
あまりに雑な紹介にオレが噛みつくと、姫をお姉様と呼んだ少女が、オレに同情的な視線を送る。
「可哀想……ごめんなさいお兄さん、お姉様の無茶振りに付き合うことになって」
そしてドレスのスカートを摘まみ、ふわりと優雅に一礼してみせる。
「初めまして。ベガンダ第二王女、ナズナ・ペーリア・リリ・アカージャと申します。セリお姉様共々、よろしくお願い致します、ポチさん」
「……まあよく出来た妹君で。誰かさんと違ギャンッ!」
ナズナ姫の癒やされる笑顔にぽろっとこぼれた本音は、耳ざとく聞きつけたセリナ姫の合図で中断を余儀なくされた。
「ポチさん!もう、お姉様!ポチさんにあまり酷い事しないであげて!」
「だってぇ」
電撃のショックで思わず膝をつくオレを、ナズナ姫がその小さな身体で抱きしめてくれた。
久々の優しさが心に染みる。オレの唯一の癒やしは、ここにあったか。
「お姉様に捨てられたら、わたしのペットにしてあげるね。お庭にうーんと立派な犬小屋を作ってあげるから」
……うん、やっぱりこの子も姫の妹だ。
ちっちゃな手がよしよしと頭を撫でるのを、オレは複雑な心境のまま甘んじて受け入れた。
― ― ― ― ― ―
「ポチ様には、本日よりこちらで生活をして頂きます」
マーゴットと名乗った先ほどのメイドに連れられて、案内された一室は一見した所、使用人用の個室といった感じか。
あの女のペットというから、それこそ庭に鎖で繋がれるとか、檻で飼われるのかと思っていたのだが、どうやら一応人間としては扱ってくれるつもりらしい。
思わずそう漏らした感想に、マーゴットさんは当然のようにこう答えた。
「セリ姫様の大切なペットですもの。いくら何でもそこまでの杜撰な扱いは致しませんわ。……姫様のご命令が無い限りは」
……ここではあまりお姫様のご機嫌を損ねない方がよさそうだ。オレのプライドのためにも。
「ところでポチ様、このベガンダについてはどの程度ご存じですか?」
着替えにと渡された使用人服に身を包んだ(着替えも手伝おうとしてくれていたが、丁重に断った)所で、タイミングを見計らったかのように部屋に戻ってきたマーゴットさんが訊ねる。
「どの程度って……ニーザンヴァルトの隣の国で、ずっと戦争やってて……」
「そうではなく、この国の文化や生活様式についてです」
生活様式?わざわざそう聞いてくるということは、オレの国とは随分異なるんだろうか?
「そのご様子ですと、ご存じなさそうですね」
「はい、恥ずかしながら。ニーザンヴァルトとは何か違うんですか?」
メイドとはいえ年上のお姉さんなのと、自分が姫の愛玩動物という低い身分に成り下がっているという卑屈さから、無意識にマーゴットさんには言葉遣いが丁寧になってしまう。
「では、その辺りのご説明も兼ねて、城内のご案内と諸注意などをご説明致しましょう」
「あの、その前に」
廊下に出ようと歩き出したマーゴットさんを、おずおずと呼び止める。
「何でしょうか、ポチ様?」
「そのポチっての、やめてもらえませんか?あのおん……姫は、まず言ってもやめてくれないでしょうけど、流石に使用人さん達にまでそう呼ばれるのは……」
ゆっくり振り返ったマーゴットさんは、オレの遠慮がちなお願いに美しい微笑みを返す。
オレもつられて笑いを浮かべた所で、彼女から慈悲のないお言葉が飛んできた。
「姫様があなた様に『ポチ』と名付けられた以上、あなた様にどのようなご立派なお名前があろうとも、この城ではポチ様として扱われます。観念なさいませ」
「そ、そんなあ!せめてマーゴットさん、貴女だけでも!丁重に扱ってくれなくてもいいです!呼び方くらいはオレで居させてください!」
「なりません。さ、グズグズしているととっぷり日が暮れてしまいます。ちゃっちゃと参りましょう」
きびすを返してスタスタ部屋を出て行く冷酷メイドの背に、オレは情けなくすがりついた。
「もうこうなったら犬小屋生活でも構いません!お願いします!せめてラドと呼んでくださいマーゴットさあん!!」
「往生際の悪い殿方はモテませんわよ、ポチ様」
諦めが悪いオレをあしらいつつも、マーゴットさんは城中の案内と一緒に、この国についてオレが知ってること、知らないこと、様々なことを教えてくれた。
「ベガンダで一番特徴的なのは、何と言っても国民の9割を占める人種、アカシャーンです。ポチ様には
「確か、女神の末裔って言われてるんでしたっけ?」
「ええ」
ニーザンヴァルトの約半数を占めるオレ達ロクターム人は、黒髪と少し褐色がかった濃いめの肌、黒や青、茶と言った落ち着いた色合いの瞳が特徴だ。
それに比べ、ベガンダンは淡くカラフルで幻想的な髪と、抜けるような白い肌、夕焼けのように鮮やかな朱の瞳を持って生まれる。
セリナ姫は若草色、ナズナ姫は薄いスミレ色。マーゴットさんは、根元から毛先に沿って徐々に濃くグラデーションがかかった、青い髪をしていた。
「ご存じですか?アカシャーンは他の人種と異なり、親から髪色を受け継がないんですよ」
「へえ、そうなんですか」
「時折、親に近しい色を持つ者もいますが、普通は異なった色合いで生まれます。それもまた、わたくしどもが女神アカシュ様の末裔と言われる一因となっておりまして。女神様が一人一人、民をお作りになられるのだと」
真偽の程は定かでないにしろ、他の人種には見られないその要素は、伝承に説得力を持たせているように思える。
そして自分たちの呼び方に、女神アカシュの名が当たり前のように含まれるほど、この国は女神への信仰が厚いのだということも。
「もうひとつ、アカシャーンは全般的に魔法適性が高いことでも知られております」
そう言いながら、マーゴットさんは手のひらに淡い光を生み出し、日暮れて薄暗くなり出した廊下に次々明かりを灯していく。
「おおぅ……」
今、目の前で凄く贅沢なことが行われている気がする。一般的によく照明に使われているのは、ロウソクやランタンといった炎だ。
「庶民でも簡単な魔法くらいは扱えますので、ベガンダでは便利な道具の一つとして、ごく日常的に魔法が用いられています。あら?」
不意に彼女が立ち止まり、窓に鋭い目線を向ける。
「ガラスが汚れていますね。今日のここの掃除係は誰だったかしら」
マーゴットさんの手がうっすら白く輝き、すっと撫でるように動かすと、あっという間に窓ガラスが綺麗になっていく。
「うん、こんなものでしょうか」
「気がするどころじゃなく、本当に贅沢だ!」
「ふふ、このくらいはメイドとして、初歩の初歩ですのよ」
これで初歩だとすれば、王宮メイドを務めるような彼女たちは、一体どれほど高度な魔法が使えるんだろう……。
「もっとも、わたくしどもが用いるような家事・日常魔法などとは異なり、魔術師と呼ばれるレベルの魔法はそれだけ複雑ですので、やはり修行が必要となります。物ではなく生物に作用する魔法は、相手も意思や魔力を持つ分、抵抗されやすくもなりますし」
ふと、魔術師見習いだった古い幼馴染みを思い出す。
彼は随分と魔法でオレを楽しませたり、逆に驚かせたりしていたけれど。あれはかなり凄いことだったんじゃなかろうか。
今となっては、彼がどこでどうしているのかも、オレには知る
「城のご説明は、こんなところでしょうか。お勉強の方はまた追々と」
ようやく彼女の勉強会から解放されてほっとする。世間知らずのオレが、この国について覚えなければならないことは、まだまだ多い。
「それはそうと、ポチ様。お歳はおいくつで?」
「はい?17ですが」
「左様ですか。姫様はあなた様をペットにすると申されましたが。正直に申しまして、この国は大の大人を城でぐうたら三昧させておくほど、国庫が潤沢なわけではございません」
「大の大人って……オレまだ未成年ですが」
「ニーザンヴァルトは18で成人ですので、まだ子どもでいられましたでしょう。ですが、この国では成人年齢は15です。ポチ様は立派な大人として扱われます」
あ、そうなのか。やった、オレもう大人扱いなんだ!
「ですからして、大人であるポチ様には、大人として労働の義務がございます」
「……え?」
「まだお気づきになりませんか?」
唖然とした顔をするオレに、マーゴットさんは部屋を出る前にも見せた美しい笑顔を浮かべた。
「あなた様に与えられた、その服と私室が示す、この城での役割に」
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