Episode.39:逃れ得ぬクルセイド




「違う、違う違う、そんなはずがない、お前こそ、お前こそ偽物だ────!!」


 心が必死に叫ぶ。心の叫びは、確かに声になっていた。目の前にいるその女性は、少し年はとっていたとしても、紛れもなくその人だった。

 だが、偽物だと疑いたい気持ちがそこにあった。目の前の女は母親に似た誰かで、全てが狂言だった────そう言ってくれれば、大人しく俺はその女を殺せばいいだけだ。

 それなのに、何故誰も嘘だと言ってくれないんだ、何故これを本当だと肯定するんだ。


「はい、これ」


 IDカードがこちらに投げられる。今度は、冷酷な敵としてではなく、家族にパスするような感覚で。

 それを俺は受け取るしかなかった。プラスチックの無機質な感覚が、自分の感情を現実に引き戻す。

 何があろうと、IDカードには本名を表示しなければいけない。それを嫌って、俺はわざわざフリーランスの執行者になったのだ。

 その名前の所には……『四ノ宮 真帆』と確かに表示されていた。


「そんな、いや、そんなはずはない──!」

「そうね、貴方が隠してるその肩の傷は、派遣先でついたものでも、任務中についたものでもない。中学時代にいじめられていた親友を助ける為に庇った時についた傷、懐かしいわね……」


 ここまで確証を作られてもなお、否定することはできなかった。

 昔、まだ手が一切汚れていなかった頃の話だ。本が大好きな親友が上級生に虐められていたのを、それこそ身を呈して庇った。

 その時の傷が一番大きな傷となっているのだが、その傷は両親しか知らない事だ。


「で、もう、諦めた?」

「なんでだよ、なんで十年前、俺の前からいなくなったんだよ!!」


 本当に突然の話だった。テロの三日後に、母さんは家から忽然と姿を消した。職場の弁当屋も、お気に入りの図書館にも姿を見せずに十年が経った。

 そんな母親が、目の前で俺のフィアンセを殺し、敵として認識するような存在になっていた。そんな事になっているとは思わなかった。


「…………私だって、私だって貴方の前からいなくなりたくなかったっ、尚久さんがいなくなって、貴方を寂しくさせるのは間違いなかった。でも、でも、貴方と一緒にいる彼女が犯罪者だって知ったら、もうどうすることもできないじゃない!!」

「だったら、それこそ他に頼めばよかっただろ──!!」


 悲痛な叫びが、懺悔が礼拝堂に木霊する。主、唯一の神がこの罪を、懺悔を許すとしても俺は、その罪を受け入れることはできなかった。


「私がこの仕事をやるしかなかった、まだ認められていない“個人執行”を唯一許可されているのが私だけだったの! だったら、私しか殺す事ができないのっ! でも、その犯罪者は、自分が一番愛した息子の大切な人だって、そんなの無理に決まってるじゃない!!」


 母さんは、苦しそうに嗚咽しながら心中を零していた。本当に────子の心親知らず、という事なのだろう。


「…………母さん、俺は確かに空が好きだった。でも、言ってくれれば、俺はそれを受け入れたと────」

「嘘をつかないで、貴方は私を恨んだ。恨んで憎んで、殺したいとまで思ったはず。だからこそ私は他人のまま殺して欲しかった。でも……でも……私だって寂しかったのよ…………」


 真紅の絨毯に涙が落ちる。杖を持つ手は震えて、昔の面影を残す相貌は苦痛に歪んでいた。


「他人としてあなたの憎しみを受けて、それでも他人のままここに辿り着いて欲しくてあなたの手助けをした。どっかのビルのカメラを弄ったり、犯人自身にギークを紹介したり、どっかのアジト襲撃の助けをしたり、そうね、あとはあの“男”に貴方を紹介したり。だから、貴方はここまで辿り着いてきた。私を殺しにきた。そうでしょう?」

「だったら、何故……」


 何故、自分の正体を暴露したのか。知らないまま戦えば、何事もなく終わったはずだ。どちらかが死んで終わり。それでよかったはずだ。

 それなのに、何故彼女は、母さんは全てを話したのか────


「貴方が、あの女を信じたままこれからの人生を過ごして欲しくなかった。これは母親としての矜持よ」


 その感覚は決して理解ができないのだろうと悟った。親にならないと、親として子供を愛さないと分からないその感情を、彼女はこの十年間持ち続けてきた。

 その自己矛盾を抱えながら、殺すべき標的を殺し、息を潜め続けてきた。自己破滅と自己保存という相対する願望を今、ここに両立させている。それが今の母さんだ。


「ええ、そうね。私もこの国の為に戦ってきた以上簡単には死ねない。だから────私は、私を殺しにきた貴方を殺す。だから、貴方も────私を殺しに来なさい」


 杖の持ち方を変えて────白刃を抜き出す。月明かりに照らされたその刃は非常に美しく見えた。

 母さん────ミズ・バルバロッサは、右手に細身の剣を持ち机から降りた。

 貴方を殺す────その意志が彼女の目に刻み込まれていた。俺の目は、どうなっているのか分からない。だからこそ、その想いには真摯に答えなければいけない。

 俺は、敢えて銃を取らなかった。師匠が初めて俺に渡した武器、一振りのナイフをコートから取り出す。

 およそ、七メートル。その先にはいる。



「じゃあ、始めましょ……!」



 その間合いが詰まるのは、ほんの一瞬のことだった──!



***



 一呼吸のうちに詰められる間合い、見えない位置から振るわれる長刃にコートの端が切られる。そのまま返す刃はさながら燕のような身軽さを纏って、俺の首を落とそうと迫ってくる。

 刃を止めるような事はしない。

 確かに彼女の得物は俺のよりもリーチがある分、接近戦には有利かもしれない。だが、その根元まで迫れば────CQC超近接戦闘の間合いまで入ればこちらの方が有利と変わる。

 持っていたナイフを彼女の心臓めがけて突き出す。だが、その狙いを穿つことは叶わなかった。彼女の足捌きに、身体の重心を崩される。突如落ちる視界の端に写る刃を受け止めざるを得なかった。


 背中が付いた状態で、反射的に転がって距離を取る。さっきまで頭のあった場所には、刃が突き立てられていた。

 首を守るように立ち上がろうとして、胴に衝撃を受ける。彼女はSAAの引き金を既に引いていた。

 防刃チョッキしか着ていない以上、腹に熱したを押し付けられたような感覚が襲う。そんなのは気にしてられない。起き上がりざまに足払いを試みるが躱されてしまう。

 ナイフを持ち直し、追撃に牽制をかける。グロックを抜いている暇はない。この礼拝堂の椅子を盾にする暇があるのならば、この女の攻撃を交わすしか他ない。


 女はゆっくりとこちらにやってくる。呼吸を乱さず、静かに歩いてきている。まるで、相手を壊すことが必定であるかのような、殺意すらも感じられない体の運びだった。

 きずが貫通していない以上、まだ動ける。急所も外れたのだろう、出る血の量がそこまで多くない。これならば、まだ戦えるはずだ。

 だが、どう劣勢を覆すのか。近接戦闘においてはこちらが圧倒的に不利。残る装備はグロックとこのナイフ、グレネードは全て使い切っている。


 女の刃が曲線を描いてこちらの首を狙う。さっきと同じでは何も変わらない、後ろに跳んでそれを躱した。そのまま追撃の銃弾が二発、俺の体をかすめる。残る相手の残弾は三発、どう消費させようか──

 胸に感じるその感触を思い出して、ようやく逆転の機を掴んだ。

 女の銃が、俺の眉間を正確に狙っている。狙っているのだろうが────一瞬彼女の顔が反応するところを見逃さなかった。

 左に飛んで椅子に隠れる。その隙をついてグロックを取り出し、彼女に向かって撃ち続けた。

 七発、先ほどの戦闘から差し引いた残りの弾を撃ち切って、もう一本のを取り出す。

 その柄にある取っ手、そのボタンをしっかり押し込む。

 彼女が、最後の一発を放つのとそれは同時だった。



「……………………っっ!!!!」



 どちらのものとも言えない、息を呑む声が礼拝堂に聞こえた。

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