Episode.38:心壊すパニッシュメント




「もう少し早く来ると思ったけど、買いかぶりすぎたかしらね?」


 女は礼拝堂の正面、講壇の机の上に座っていた。百人は優に入りそうな広い作りの礼拝堂、その周りには七メートル強ありそうな背丈のステンドガラスが規則正しく並んでいた。


「ああ、俺も少し遅くなったと思っている。なにせ、十年かかってしまった」


 そうだ、今日は二月十四日。忘れもしない空が殺された日だ。彼女のバッグには手作りと思われるチョコレートが入っていたそうだ。

 事実は小説よりも奇なり、というがまさしくその通りだ。ようやく、全てに終止符を打つ時がやってきた。


「それで、貴方なりに真実とやらには辿り着けたのかしら?」

「ああ、そうだな、だからここに来た」


 真実、そう言われるほどのものはないが、彼女が最後のピースを持っていることには間違いない。彼女が持っているそのピースの故に、空は殺されて俺は今からこの女を殺そうとしている。


「そうね、じゃあ、まずは話を聞きましょうかね」

「お前は、十年前、そろそろ十一年経つあのテロに何かしら関係しているのだろう。それを知ってしまった空の口を、お前は封じた。十年前のアレは、そういう事だろう?」


 俺の周りにある情報をかき集めて組み上げられた、一つの可能性。無理があるのを知ってもなお、この可能性しか組み立てられなかった。

 この女が現れたのは十年前と言われている。テロが起きたのはその半年後。何も関係がない、そう信じて来た筈だった。それなのに、“男”は──


『ああ……彼女は、善人ではない。寧ろ、私よりも悪人だ…………』


 そう言い放った。あたかも、空があのテロに関係があるように、むしろ中心を知っているかのように話したのだ。

 それならば、俺の仮説には筋が通る。何か根幹を知るからこそ空は殺された。


「貴方は、そう考えるのね」


 否定するでもなく、肯定するでもなく、彼女は自分が持つ杖をゆっくりと手ぬぐいで拭いている。月明かりに照らされた白銀の杖は、彼女の身なりと相まって神秘的な何かを纏っているような気がした。

 しばらく、女が押し黙る時間が続く。静けさが礼拝堂にもたげられて、聞こえるのは外の草が風に揺られる音のみ。


「その逆は、何も考えなかったの?」


 ふと投げかけられる問いかけ、その意味が全く読み取れなかった。

 その逆、つまり空がテロの根幹にいて、この女が極刑を執行した……?

 そんなことはあり得ない。国家執行法が制定されたのは五年前の話だ。師匠の手回しもあって初めての国家執行資格を俺が手に入れた筈だ。

 もしもそれよりも先に、極刑を執行したつもりなのならば、それは────ただの殺人だ。


「もう少し、まともな嘘をついてくれ。今時子供ですら、分かりやすい嘘はつかないぞ」


 タバコに火をつける。彼女は机の中で何かを漁っていた。何か手帳のようなものを取り出すと、こちらに投げてくる。

 それは見覚えのある手帳だった。俺は持っていないが、“シュピンネ”──長束壮司が持っている手帳だ。


「それ、私の」


 その手帳に恐ろしくて、手がつけられなかった。持っていたタバコを落としていたのに気づいたが、もう一本火をつける気も起きなかった。

 革張りの使い込まれた手帳が、重厚感のある木の床に映える。まるで、悪魔の教本のような雰囲気すら醸し出していた。


「そんな、そんなわけ、なぜお前がを持っている──!」

「そんなの、私が憲兵だからに決まっているでしょう?」


 事もなげに彼女は言い捨てた。実際当たり前の事実の筈なのに、全く理解ができない。理解を身体が拒んでいるという方が正しいのだろう。

 俺の目の前にいる女が正義なのならば、間違いなく空は悪だという事になる。そんなことはあり得ない、そんな事はあってはならない……!


「それは……偽物だろ……?」

「なら、確かめてみなさいよ」


 至極当然な帰着だ。それが事実か偽かは見ればわかる。法改正前には、警察手帳が偽造されて様々な事件が発生したという。それを防ぐ為に、憲兵手帳には公表されていない、かつ政府機関でないと再現不可能な仕組みが採用されているようだ。

 ────そうだ、手にとって開けて見ればいい、それで分かるじゃないか……!


 手帳を手に取る。

 何もない、なんて事はない、偽物のはずだ、そう言い聞かせて手帳を開く。

 IDカードを入れるスペースには────何も入っていなかった。


「おい、カードは──」

「ここにあるわ」


 彼女の白手袋に摘まれた、青色のカードが反射して見える。あの位置にICチップがあるというのは間違いなく憲兵局のIDカードだ。

 あそこに女の全てが書かれている、という事になる。それを知ってさらに動揺しながら、ゆっくりとページをめくっていく。

 六枚目のページロゴに持っていたブラックライトを当てる──確かに光った。

 十二枚目のページロゴと、最高額の紙幣を半分に折った上部分を合わせる──一つの絵になった。

 最後のページを、指で激しくこすってから水で濡らす──確かに憲兵局の紋章が浮かび上がってきた。


「……そんなバカな、じゃあ、空は──!」

「……ストーリーテラー、って犯罪者。知ってる?」


 ────犯罪創作者ストーリーテラー

 探求者と違って、それはこの世全ての混沌を好んでいるという。それが起こした犯罪、その大きな物と言えば、“九・二アジア同時多発テロ”と言われている。

 そう、今から十年前の九月二日に起こった、この国が国家治安法、及び国家執行法を制定する契機となった大規模テロだ。

 そのテロの筋書きを描き、アジアを恐怖に陥れた国際犯罪者。そう師匠から話は聞いていた。無論、その行方は分かっていないという事もだ


「ああ、もちろん知っている。それがどうした────まさか……?」

「ええ、そうよ。“ストーリーテラー”の本名は、『鶴見空』。貴方の大事な大事なフィアンセにして、良き理解者ね」


 知りたくなかった、聞きたくなかった。“探求者”からその事実を匂わされてもなお、否定したかった仮説。それを簡単に証明してみせた。


『そうね、貴女達が何しようと、私の思い通りでしかないの。殺しても、無駄よ』


 聞き覚えのある声なはずなのに、聞き覚えのない口調。まるで別人のような、残忍な口調が礼拝堂に響く。この声は、間違いなく空の物だ。何度も聞いたはずの声に、自らの希望を打ち砕かれる。

 ────俺は、犯罪者の為に手を汚してきたのか……!


「ようやく、貴方のしてきたことがわかったのかしら? 貴方は自分の正義の基準で相手を測って、ただただ粛清してきただけの殺人機械。イリーナちゃんを追っている彼らと本質は同じなのよ」


 信じたくない、信じる事を拒否している。ああ、そうだ。この女はここまで残忍なんだ。だから俺の心を壊して、全てを諦めさせようとしている。

 そんなはずはない、空が犯罪者なんてそんなはずはない。だって、彼女は、あの時不器用だった俺を、心から愛してくれた。その事実があるじゃないか!

 なぜ最後まで彼女の事を信じてやらない、どうして────


、いい加減にして。もう、昔っから貴方は自分が信じた事しか本当だと思わないんだから……さんと一緒ね、本当に。だから、もういいでしょ?」



 ────背筋が、凍った。


 なぜ俺の名前を知っている、なぜ父さんの名前を知っている。俺は、俺は。“国家執行資格第一号”として、そのバッググラウンドを完璧に消してきたはずなのに────

 女は、髪の毛を覆っていた頭巾を取っていた。黒く長い髪を後ろで一本に束ねている。そして、その鉄仮面が外される。

 その顔を俺は知っている。その瞳を、その唇を全て俺は知っている。だからこそ俺は言える、これだけは言える────!!




「なんで……なんで貴女が…………!!!!」

 

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