Episode.29:背徳のコンフェス




 男の死によって、次の部屋への扉が開かれる。次の部屋には、丸い球体が五つ置かれていた。


『手形が書いてある……ここに触れって事かしら』


 主婦が何の疑いなしに、手を置いていた。それに従うように四人も手形に合わせて置いている。その瞬間。


『へっ?アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!』


 主婦が手をつけたまま身体を震わせて絶叫している。高画質のカメラは、苦悶の表情すら上げさせない、彼女の死に様をハッキリと映し出していた。

 彼女は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。口からは泡を吹き、床は様々な液体で汚されていた。よく見ると、彼女の体からは煙が出ているような気もした。


「…………人は明らかな困難を乗り越えた後に、達成が簡単な物を見せられると、達成に至るまでの考証やプロセスを疎かにしてしまうものだ。そう、銃の引き金を引く行為は普遍的に悪とされるが、球に触ることは悪でも何でもない、造作もない事だからな」

「……人間を観察する為に、これをやっているのか」


 懐からタバコを取り出し火をつける。俺がタバコを吸おうが酒を飲もうが、“男”にとっては瑣末な事のようだ。


「ああ、そうだとも。私は人間が大好きだ。欲のままに歩む者、欲をひた隠しにして生きる者、欲に気付かぬ者。人間の本質は欲の上に成り立っているというのに、その本質に抗い、呑まれ、流され、千差万別の受け取り方をする、そういう存在だからこそ私は好むのだ」


 男は葉巻の煙を味わうように口に含んでいた。その煙が吐き出され、虚空に霧散していく。

 俺は“男”の本質を読み取ろうと、観察してきた。何故このような異常行動を取るのか、何故嬉々として人が死ぬ様を見るのか。

 ────“男”には、裏が無い。

 最初から簡単な話だった。自分の思いに忠実だからこそ、何の気なしに冷酷なことをやってのける。自分の欲のままに動くにせよ、建前を作るのが普通だと俺は思っていた。だがこの“男”は違った。


「……外道、だな」

「そうか、確かに外道と言われれば当てはまるな。私も反駁する気はない」


 呵呵かかと笑いながら、“男”はウィスキーの残りをあおる。

 ────全ての行動が彼にとっての善である、というのが一番“男”を表すに相応しいだろう。

 まだ、まだ殺す時ではない。今殺してしまえば、彼らを助ける術はない。だが、今殺さなかったら?

 “男”の欲のままに命が一つずつ消されるだけだ。どのみち間に合わないだろう。

 様々な仕事をしてきたが、これ程までにやりづらい仕事は初めてだ。


「君は、私を殺しにきた、そうだろう?」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃、いや実際に殴られてはいない。感じたことの無い衝撃に俺はたじろぐしかなかった。

 この感情が「驚愕」だと知ったのは、“男”の冷酷な笑みを見返してからだった。


「なぜだ、なぜその結論に至った」

「君は、人間の欲の有様を見て、。無論、その事に異を唱える気は微塵もない。だが、私の元で働く人間はこの様を見て、二つに一つの反応を示す」


 モニターの中では、相変わらず口論が繰り広げられている。今度は四つのエレベーターのような扉が用意されていた。


「一つは、このような行いを残虐だと断罪し嘆く者。一つは、共感すること無く淡々と観察する者。そう、逆に言えばこれしか集まらないのだが……君は違った」


 “男”は、白い手袋をした手でゆっくりと顎を撫でていた。まるで、研究者が大きな発見をしたかのような、そんな期待の眼差しをしながら見ていた。

 彼はどこまで知っているのだろうか。俺はこの男の、底知れぬ不気味さの片鱗をようやく見れたのかもしれない。


「そう、君は私にこの行いの義がどこにあるかを問うた。それを知ろうとするのは、私に少なからず相対する感情を持つ者だけだ」

「違う、それは思い違いだろう」

「思い違い、見解の相違とはまた違った主張。その答えは実に……無聊ぶりょうな物だ。私の目から見たら、君は悪を討つ事以外に何ら希望を抱けぬ、希薄したさがを持つ者だと思ったのだが……」


 “男”はあくまでも、自分の考えを曲げる気は無い。いや、曲げようとしている訳では無い。

 ────自分にとって嘘ではない事を話しているのだからそれは真実になる。そう信じてやまないのだから、こちらが話しづらいのは必定だった。

 それを察せない俺が甘かったのだろう。俺は男の目を見ることしか出来なかった。


「君にとって私は絶対的な悪なのだろう。ああ、知っている。だが、そのような事は瑣末なことなのだよ。私にとってはこの行いは善なのと同じで、人間の歩む道に悪はない。悪とは、他人の尺度で定められる抽象的な物なのだよ」

「なら、何が起ころうとお前は、お前は許すというのか……!」


 “男”の欲は果てしなきものだった。果てしない筈なのに至極単純に読み解ける。一言で片付く程度のものなのに意味が多い。

 この“男”は、壊れているとかそういうレベルで話すことが出来ない。元からこうなっているのだろう。


「ああ、そうだ。君が正義に殉じた狙撃手の姉妹を殺し、殺し屋と手を組んでは復讐という耽美に溺れた画伯を殺し、故郷の救済を願って他人に不利益を浴びせる侵略者を殺したその行為は、君にとっては善なのだろう。だが、それを善悪つけるのは決して君自身ではない。だからこそ、私は君を招いたのだ」

「……全て知っていたのか?」


 ここ最近の出来事を全て知っている。いや、誰かが漏らしたのだろうか。そんな事は無い。

 一体誰が、俺の情報を漏らすのだろうか。考えうる限りで全く見当たらない。


「ああ、私はだ。知りたい事は調べたくなるのだよ……」

「どこまで調べたんだ」

「まぁ、待て、この宴もそろそろ盛り上がる頃合だ。それを見てからにしようか……」


 モニターの向こう側では、四人がそれぞれ別のエレベーターに乗り込んでいる。それぞれ、何が起こるか分からない不安に押し潰されそうになりながら、扉が開くのを待っていた。

 やがて、扉が開く。開いた扉は──三つだった。一つは開くことなく、沈黙している。気の弱そうな若い男が乗ったエレベーターだった。


『なんで、まだ開かないのかよ……は?え、電気消えた、ちょっと待ってくれよ、おい、どういう事だよ、止まっちまったぞ、ななんだ、何を────ぐぇ、ぐぐ、ぐるじい、ぎぎ、ぐ、じにだぐぅ……なぁあぃ…………』


 次に電気がついた時には、緑がかった黄褐色に皮膚が染まった体が横たえられていた。そのまま扉、ではなく床が開き、その体すらもどこかへなくなってしまった。


「さて、宴も詰めだ、君の話を遡ってするとしようか……」


 瞳の不気味な輝きは何も変わらず、こちらを見る目は酷く恐ろしく感じた。恐ろしいという感情を抱いたのはいつ振りだろうか。


「俺の話は、特に面白いことはないぞ」

「最初に従軍したのはカジャール紛争。そこから世界各地の紛争地帯を転々とし、タタール内戦においては、当時の相棒だった六角ろっかく康政やすまさ、通称“アベル”を射殺。“死神”として名を馳せた君は、憲兵局長官の要請を受けて国家執行者の資格を得た。ここまでは君もあまり隠さない正史だろう」


 詳しいことを知りすぎている。ここまで開示されていないはずの情報をなぜ知っているのだろうか。

 過去に、俺に干渉したことがある。それ以外にないだろう。




「何故、私がここまで君に詳しいのか知りたいかね……そうだな、ああ、そうだ────────私が君のフィアンセを彼女に殺させたからだよ」



 声が出ない、何をしていいのかもわからない。ただただ、俺は銃を抜いていた。

 この“男”は何を言っているのだろうか、いやそんなはずはない。




「やはり、そこが弱点だったか。“死神”こと────四ノしのみや さとるよ……」

 

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