Episode.27:静謐なるオブザーバー
「俺はどうすればいい、ああ、自分で死ぬっていうのは御免だ」
「そうね、このパーティーに潜入して欲しいの」
女に渡されたのは、見覚えのある封筒だった。開いてみると中には一通の手紙。“仮想通貨取引所の新規開設を祝う会”、そうだ、さっき頼まれた仕事じゃないか。
「生憎だが、この仕事はもう受けている」
「あら、参加するのかしら、それとも“特公本部”の差し金かしらねぇ」
退屈そうに頭巾を目元まで被り、仮面を“外す”。目元は暗く顔は判別できないが、艶やかな唇に両切りタバコを咥えて火をつけている。マッチでつける人間を初めて見たような気がした。
マッチの燃えかすを丁寧にゴミ箱に入れて、彼女は
「まぁ、その辺は勝手に想像しててくれ」
「でも、私がやって欲しいのはそういう仕事じゃない。運営側として貴方に入って欲しいのよ」
興味深い事を彼女はいいながら、ゆっくりゆっくり吸っていた。葉の詰まった両切りは、さぞかし吸いにくいのだろう。だが、それをも愛おしいのか知らないが、落ち着いた様子で吸っていた。
「運営側、なるほどそれは確かにこちらにも利点はある。だがお前の目的はなんだ」
「“探求者”の暗殺、それでいいかしら?」
かなり大きな条件を突きつけてきた。だが、飲まないという選択肢が提示されていない以上、飲むしかない。
彼女が装填し終えたのと同時に、俺は銃を下げた。
「そうか、方法はもちろんあるんだよな?」
「そうね、私が推薦してあげる。私の右腕として」
込み上げるイライラを抑えて、俺はゆっくりと立ち上がった。返事はあえてしたくない。だが、下手なことをして犠牲者を一人増やすこともしたくない。
普段通りの用意をして、俺は家を出て行った。しばらく歩くと、端末にメッセージが届く。
『新都の
南能町、新都に勤める上流階級の人間達がディープな娯楽を楽しむ歓楽街だ。その一角にある喫茶店という時点で曰く付きの人物なのだろう。
これから会うべき人間を少し思い浮かべながら、俺は車を走らせた。
***
指定された喫茶店に到着すると、店の中はがらんどうとしていた。老婦人がカウンターの中でコーヒーカップを拭いている。
席の指定は特にされていないが故に、出口に一番近いカウンター席に座る。しばらくすると、老婆がこちらにやってきた。
「んで、あの子と何話したんだ?」
お淑やかそうな老婦人が、しわがれた声で睨んできている。顔と性格が違う例はたくさん見てきたが、ここまで差があるのはレアケースだろう。
俺は、少し目を丸くしながらタバコに火をつけた。灰皿がスッと出てくるあたり、嫌われているわけではないようだ。
「あの子……あの子とは?」
「なに、あの子に何か頼まれてここにきたんだろう?」
道理で、この老婦人がこちらに突っかかってくるわけだ。あの女のマネージャーにあたる人物なのだろうか、首元には火傷の跡がチラチラと見える。
「ああ、頼まれたなぁ」
「で、何が必要だ、ダミーの戸籍、身分証、新しい指紋、なんでも用意できるよ」
「…………サンドイッチが欲しい」
「はん、物好きな殺し屋もいたもんだねぇ……」
出てきたサンドイッチを齧りながら、どう潜入するかを考える。いくら紹介といえど、バレないような工夫は必要だろう。
「…………君が、彼女が言っていた……件の彼かね?」
考える暇もなく、底を這うような重い声が俺の肩を掴んだ。ゆっくりと後ろを振り向くと、背丈のある外国人のような男が立っていた。
「そう呼ばれるのはあまり心地良くはないが、まぁ、そうだ。何か用か?」
「今度の“会”の補佐役に君を推薦する、と彼女から聞いたのだよ。私は、興味のある物はこの目で確かめたい
この男の言い草から推測すると、この男自身が“探求者”だと言うことになる。なるほど、確かにまともな性格ではないだろう。俺は二本目のタバコに火をつけつつ、コーヒーを頼んだ。
「して、君は何故私の補佐をしようと思ったのかね」
「…………頼まれたからだ」
特に理由はない、それが本当の話なのだがそれはそれで心証が悪くなるだろう。ご機嫌取りは嫌いだが時には我慢してやらなければいけない。
男は懐から葉巻を取り出すと、シガーカッターで吸い口を切り落とした。
「頼まれたから、自分は興味ないけど、誰々に言われたから。人は往々にしてこのような理由を述べる時がある。確かに、それは自分自身の心にある事だろう」
ガスライターでゆっくりと先を炙っている。男の表情が何故か窺えない、何を考えているか読み取れないようなタイプの男だった。
「だが、その受動的な心のうちには能動的な思考がある。自分自身に損がないから受け入れる、明確には発生していないはずの責任を自分で作り出し、背負って歩く。そういった類の人間が多数いるのが今の受動的な社会だ」
「言っている事がわからない。簡単に言ってくれ」
「そうだな、今の受動的な世界は、成るべくしてなった確定事象でも、偶然的な事象でもない。自分達で作り上げた集合的無意識の成れの果てなのだよ」
口に煙を含み、虚空に燻らせる。その動作は趣があり、どこか深みのある考えをしていた。
棘があるようでない、男の独特な話し方に上手く合わせられない。このままだとただただ神経を摩耗させていくだけな気がする。
「人間は実に面白い。全ての出来事は自分達が選択したものの上に立っているのはずなのに、都合が悪くなると超自然的な物に頼ろうとする。今自分が不幸なのは偶然だ、今の失敗は事故なんだ、と言った具合にだ」
「自分の手に負えないような場所で、自分に不利な状況になることもあるだろう。だから、あながちそうとも言えないのではないか?」
葉巻をゆっくりと灰皿に置き、男はこちらに向き直っていた。何事をも知り尽くしたような賢者の如き顔、その双眸は果たして子供のような輝きを得ていた。
つくづく、不気味な男だと思う。だがその不気味さがどこからやってきているのかは全くわからなかった。
「自分の手に負えない、確かにそのような状況になることもある。だが、その状況に至るまでに一つの選択肢しかなかったのかね。その状況に自分が陥ったのであれば、必ず回避できる地点があるはずだ。私はその地点での話をしている」
────ならば、空が殺された事は必然とでも言うのだろうか。
この男の本質を見抜くことはできないだろうが、一つ分かった事はある。
この男は、自分視点でしか物を見てこなかった。その事実だけは読み取れた。
「そうだな、君は昔、大事な人を殺されたのだろう。偶然的な事象に
何も言い返せない。空を
だが、それだけでもこの男は俺にとって脅威の対象だった。精神的に干渉する気がないのに、こちらは何かしらの傷を認識する。こういったタイプの人間と話すのは初めての様な気がする。
「まぁ、その事は追い追い話すとしよう。君の心のうちにある“不足”、私はそれをじっくりと見定めたいのだよ」
男はあくまでも表情を変えず、だが確実に獲物を見定めた目つきでこちらを見ていた。だが、死ぬようなことはないだろう。
烏が一匹鳴いて、今の時間をようやく俺は思い出した。
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