Episode.9:切なるパシュート

「熱い……」

「今日の最高気温は14℃だぞ、風邪でも引いたか?」


 ダウンタウンとチャイナタウンの境目を、俺達は歩いていた。クリスは、普段のライダースーツの上に俺のコートを羽織っている。俺はベストだけで心もとない胴を、何で守ろうか思案していた。


「あら、かわいそうに」

「この辺は、こんなもんだな」


 道端には、腐りかけの人間の身体が横たわっていた。こめかみに空いた穴からは、汚らしい虫が湧いて出てきている。


「命とは……げに儚きものよ……」

「どこでそんな言葉覚えたんだ」

「故郷の教科書」


 相変わらずの気軽さを残しながら、彼女は目的のアパートにスキップしていった。今にも崩れそうなボロアパートの一階。

 四室ある内、二号室からは鉄の錆びた匂いと腐った肉の匂いがする。三号室からは得体の知れないお経のような声が聞こえてくる。

 上からは、よくカジノ街で売りさばかれている“スイーツパウダー”の匂いと、狂ったような男女の声が降りてくる。


Это как удобрениеまるで肥溜めみたいね……」

「まぁ、ここじゃこれが当たり前だ」


 四号室のドアをクラリスが開ける。万が一に備えて、右手にはハンドガンを用意して────


「ごめん、ノブ取れた」

「戻しとけ」


 カチャンと音をさせて、ドアノブを戻して────戻っていない。どうみても普通じゃない傾き方をしていた。


「私が開ける前だってこんなもんよ」

「そうか、裏に回るぞ」


 アパートの裏、勿論二号室と三号室の前を通らないように回り込む。四号室のベランダには特になにも無かった。

 物を壊しかねないクラリスに代わって、俺が窓を開ける。師匠から貰ったミニバーナーを使い焼き切る。鍵を解錠し、中に入る。部屋には特に何も置かれていない。


「金庫の開錠を頼む」

「はーい」


 部屋には大きな金庫が二つ、おそらく私物はこれで管理しているのだろう。

 俺はその間に、部屋を見て回ることにした。冷蔵庫の中には少し悪くなりかけた食品がいくつかと、何か浮いているお茶。

 シンクには、少し黒ずんだ皿が何枚か置いてある。

 間取り2Kのボロアパート、居間と思わしき部屋には作文が置いてあった。


『私のゆめ   日野 灯』


“ 私のゆめは、お姉ちゃんとずっとずっと一緒においしいご飯を食べることです。お姉ちゃんは、いつも悪い人をやっつけようとがんばっています。だから、お姉ちゃんはすごく忙しいです。でも、ご飯はいつも一緒に食べてくれます。たまごがふわっとしたオムライスや、外はカリッと、中はジューシーな唐揚げ、たくさんたくさん料理を作ってくれます。だからお姉ちゃんが大好きです。”

 原稿用紙の半分弱で止まっている。それでも、妹の純粋さが────


「待って、妹は不登校じゃないの?」

「…………ああ、そうだ」


 それぞれのハンドガンを抜き、警戒しながら周りを見る。


「ねえ、分かってるよね?」

「ああ、“声”が聞こえない」

「この家は一体何だと思う?」

「旧アジトだろう」


 静かに、問答を続けていく。俺はそっと金庫の部屋を覗いた。


「なるほど、彼女達は既に特定されていたということか」

「ええ、そうでしょう────お兄さん?」


 サイレンサー付きの銃口が、台所に向けられる。そこには髭の長い男がぬらっと立っていた。その手にはナイフが持たれている。


「んひひ……どーして分かったんだい、ねーちゃーん?」

「この男、貴方の仲間でしょ。そこのテレビの裏、壁に穴空いてるし」


 畳には変色した、男のような亡骸が金庫から横たえられている。

 俺はゆっくりと目を向ける。確かに画面のひび割れたテレビの後ろには、小さな小さな穴が開いていた。

 そこからは、カメラが覗いている。


「あー、そうだよ、アマネちゃんに殺されちゃった愉快な仲間ですよ〜ん」

「という事は、ここの家で行われていたことを知ってるって事?」


 クラリスに声かける間もなく、彼女は男を組み伏せていた。変態的な嗜好を持っているようだが、現に殺されそうになるシチュエーションには慣れていないようだ。

 男は口をわなわな震わせながら、クラリスの太ももを掴んでいた。クラリスとて、今すぐ男の命を摘み取ってしまいたいとは思っているようだ。


「そ、そうだぞ、つ、次のターゲットだって知ってるんだ!」

「言え」


 彼女は男の手首中央と畳をナイフで接続した。男の叫び声は────タオルで防がれている。


「言え」

「いだいいだいだいっ、だったら離せぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 叫び声と同時に、もう片手の手首も貫かれる。男の眼には恐怖しかなかった。

 叫びたくなるのも当たり前だ。手首の中央には正中神経という太い神経が通っている。それをナイフで無造作に貫かれているのだから…………常人では耐えられないほどの激痛が走る。


「言ったら助けてくれるか……?」

「言えば、痛くはしない」


 彼女の澄んだ碧い眼が、より男を凍りつかせる。もはや震えが止まらない男の、今度は鎖骨を銃座で砕いた。男は悲鳴にすらならない叫び声をあげている。


「次は反対、その次は肩甲骨、その次は反対、その次は……この辺りかしら」

「あっ、あっ、わかっ、新都行政区長官だ!」

「ふーん、な────」

「ああ、確かに、あの長官は確か市民税の増税政策を推進してたな」


 俺は、これ以上行くとさらに残酷になりかねない彼女を止める為、茶々を入れた。

 彼女は、これまでに無いほど落ち着いた様子で男を見ている。


「な、なぁ、言ったんだから痛くしないでくれるんだろ、そうだ────」

「ええ、


 俺は、男の体を一瞥してから部屋を出た。クラリスは、いつもよりも憂いの帯びた顔で歩いている。

 彼女の琴線に何かが触れたのか、それとも、ただただ気に食わないだけなのか。残り一本のタバコを取り出し、口に咥える。

 特に、話すこともなく新都へ向かう。俺はタバコを吸って、彼女はいちごオレを飲んでいる。


「決行はいつだと思う」

「間違いなく、明日の夜でしょうね」


 背中の方で、冷静な彼女の返事が聞こえる。ふてくされているわけではなく、仕事中の真剣な口調が逆に不自然だった。


「とりあえず、戻るか」

「そうね、ここにはいたくない」


 どこか、嫌そうな顔をしながら彼女は歩を速める。彼女の後ろ姿は、いつものラフさがない仕事する女だった。


 ────明日の夜で、サソリを駆除しなければいけない。

 隠れ家に着いて、俺はゆっくりとソファに腰掛けた。今さっきまで真剣な眼差しで仕事に取り組んできた彼女は、ウトウトしながら外を見ている。


「行政区長官は、明日の夜に翡翠沼親水公園で行われる、フラワーライトアップパーティーに出席する。狙われるとしたらそこだろうな」

「親水公園、って言いながらビルが周りにあるのね。ここの警備状態は?」

「一キロ圏内のビルには憲兵が展開される。ビルからの狙撃は無理だろうな」


 経済効果などのやむを得ない理由により周辺区域立ち入り制限は出来なかったようだ。だが、今回はそれを補って余りある警備体制を取ったわけだ。


「ふーん、ここがこうしてこうなるのね〜」

「大して理解してないな」

「こんな地図なんてあてになるわけないでしょ。その場に起きた事を正確に対処するのが、警護と暗殺どちらともの要よ」


 信用できるようなオーラを纏いながら、彼女はボーッとしていた。

 今回あり得るパターンを、いくつも頭の中で試行する。

 その中から、彼女達がとり得るルートを模索する。


「とりあえず寝ましょ?」

「…………そうだな」


 彼女の提案を受け入れて、俺はゆっくりと自分のベッドに横たわる。

 窓の外には、星が一つだけ瞬いていた。

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