Episode.10:緻密なゼロイン
「お姉ちゃん、もしもアカリがちゃんとできたら、お父さんは許される?」
インカム越しに聞こえる、妹の声に私は笑みを隠せなかった。その手にはヴィントレス、服装は憲兵の服を着ている。
「そうかもね、だからがんばろうね?」
決行二時間前、お互いに良いポイントを探していた。公園周辺のビルこそ警戒が強いが、公園内となると盲点は多い。
今回は空港の時と同じように、私も武器を持つ。水平射撃に近いシチュエーションにおいて、観測手の存在は狙撃手を暴露させてしまいかねない。
私は、倉庫に細工し終えるとそっと立ち去った。
「お姉ちゃん、さっすが〜!」
「ほら、鍵かけるからね、何があっても出てきちゃダメだよ」
「お姉ちゃん……」
俯く妹の姿を、私はじっと見ていた。
いつもみたいに肩を震わせて、唇をプルプルとさせている。
────アカリったら、いつもこうなんだから。
私は決して手を差し伸べず、次に来る言葉を待っていた。
「ぎゅ…………ぎゅってして…………こわいよ…………」
まだ年端もいかない彼女、それなのにあの時、
『おとうさんは悪くない、だから悪いやつをたおすんだ!』
って叫んだ彼女の顔を思い出す。まだ、ランドセルを背負ってた筈なのに、アカリは必死に頑張ってきた。
アカリはどうしてここまで頑張れたのだろう。やっと今年で十三歳になったんだから、怖くなってやめてもおかしくない。
────もしも、私のせいだったら。
私が、戦い続けるのを見て、引くに引けなくなっていたのならば。
そしたら私は、地獄に落ちる資格すらもない重罪人だ。
震える小さな体を、覚束ない意識で包み込む。腕の中の震えは治まっていた。
「お姉ちゃんは悪い奴になんか負けないから、私だってアカリと美味しいご飯を食べたいもん」
「えへへ、今日はハンバーグが食べたいなぁ」
人一倍朗らかな声が、私の胸の鼓動を落ち着かせてくれる。私は、ここで死ぬわけにはいかない。ここまで悪い事をしてきたんだ、最期までアカリを守るんだ……
「じゃあ、今日は大きなハンバーグにしよっか!」
「やったー、ハンバーグ〜!」
少し嬉しそうにアカリは離れて────いつもの銃を手に取る。その姿を見るたびに心が痛くて、苦しくて────後には引き返せない事を悟ってしまう。
「時間まで、静かにしててね?」
「うん!」
私は、アカリが入った倉庫を施錠してその場を離れる。物音一つ聞こえない夜の公園を歩く。
公園には特設ステージがある。そこに立つターゲットの姿を思い浮かべる
「ごめんなさい。でもみんなの為に、死んで下さい」
***
イベント開始まで残り二時間、俺とクラリスは手分けして不審人物を探していた。普段通りの格好で、暗闇に隠れながら公園内を探す。
「今回、高所射撃ではなさそうね」
「ああ、ビルというビルに警戒網が張られている。いくら撹乱が得意でもあれは乗り越えられまい」
アンタレスの事件を警戒してか、高所に関してはアリの子一匹生かさないかのようなレベルで厳しい。だが、公園内は通常通りの要人警護だった。
「もしかしたら、まだ着いてないかもしれないわね」
「ああ、そうだな」
わざとライトは切ったまま、ハンドガンを持ちゆっくりと辺りを見回す。
今日は確か新月だった筈だ、懐かしい話を俺は思い出した。
「なぁ、この国で一番最初に執行者になった人間が誰か、知ってるか?」
「そんなの、知ってるわけないでしょ」
剣呑とした声がインカムから聞こえる。俺は、緊張をほぐしてから話し始めた。
「名前性別年齢住居全て不詳、通称“バルバロッサ”。何人たりとも裁くことのできない極悪人に対し正義を執行する。それも、新月の夜にな」
「へぇ、そうなんだ。今日はそのバルバロッサとやらが動いてるかもしれないって事?」
「後ろにいるかもしれないぞ」
バカじゃないの、と一蹴されてしばらく沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのは彼女だった。
「そういえば、この仕事の前は何をやってたの?」
「傭兵だ、師匠が傭兵だったもんでな」
ああ、そうだった。師匠と出会ったのも、新月の夜だった────────
────────あの日は雨が降っていた。そう、冷たい雨が降っていた。
それなのに、俺は傘を一切さしていなかった。いや、させなかった。
『そら……そらぁ……チクショウ……ああああああ!!!』
落ちている空き缶を蹴り飛ばして、近くにあるパンクした自転車をめちゃくちゃに踏みつけて、それでも怒りは収まらない。悲しみは消えない。胸に深く彫られた傷が、余計沁みるような感覚に落とし込まれる。
どうして空は殺された、彼女はただただ真面目に生きてきた。それなのに、アイツは簡単に殺しやがった…………
『いいさ、だったら────俺も死んでやる』
目の前には、復興の象徴として走る緑の通勤電車。アレに轢かれさえすれば、ここで終わりにできる。
俺は跨線橋の半ばで、下を見下ろした。
簡単な事じゃないか、ちょっと身体に力を入れればいい。柵に手をかけて、俺はゆっくりと息を吐いた。
『なぁ、そこで何してんだ、兄ちゃん?』
怪訝な、でも軽く小気味いい問いが投げかけられる。
────あの時、あんな答えを出さなかったら良かったのかもな。
────────昔のことを思い出すと、やはり胸が痛くなるもんだ。
「ふーん、それで、どこに派遣されてたの?」
「中東の砂漠やら、ジャングルの中やら、高山の集落にも行った。ああ、あの内戦もそういや行ったなぁ」
タバコに火をつけようと思って、思い留まった。何かを考えていると、どうもタバコを吸ってしまう癖がある。直さなきゃ行けないとは思っているが、タバコは好きなもんだからなかなか困っている。
「ねぇ、見えてる?」
クラリスの慎重に慎重を重ねた声。俺の視界にも入っていた。
警衛の憲兵が一人、武器を構えて巡回している。だが、何か違和感を感じる。
彼らと違って、凛々しさがない。いや、凛々しさというより毅然さが無い。
「警戒しろ、場合によっては殺せ」
憲兵は、フラフラとステージの方へ向かっていく。何かを探すようにキョロキョロと見回している。
警戒、ではなく探索をしている、と行った方が似合う憲兵だった。
「どうする、今なら組み伏せられるよ」
彼女の声は、仕事用のそれだ。憲兵らしき人影が、のそのそとステージに向かう。
「────行け」
草むらから、黒くしなやかな人影が飛び出す。憲兵らしき人影は怯みながら躱そうと試みる。だが、その人影に足元を払われて体勢を崩す。
その瞬間、握られている銃を俺は見つけた。発砲されては騒ぎになる。俺はすかさず手のひらサイズのナイフを投擲し、男の手に当てた。
「ま、待ってくりぇ、な、なん────」
「騒がないで、質問には正確に答えて」
ライトを取り出し、憲兵の顔を照らす。紛れも無い男の憲兵だった。
「あなた、ここで何をしてるの?」
「お前らこそ何者────」
「コシツだ、質問に答えてくれ」
男は、その意味を理解すると目を丸くして口を開こうとした。
「鎖骨、折るわよ」
「とりあえず、怪しい挙動を取っていた理由を教えて欲しい。それ次第では殺す」
脅しつつ、情報を引き出せればいいがそうは問屋が卸さないだろう。
「あ、あの、今日、珍しく嫁が弁当作ってくれたからそれ食べたら、腹の具合がおかしくて…………」
「────なにそれ、冗談は程々にして」
「トイレならあと三〇〇メートルだ、早く行け」
クラリスの方にそっと手を置く。彼女も男の無害さに気づいたようで、そっと男を解放した。
「さて、あと三十分しかないのだけども」
「もう、準備は終わってるだろうな」
イベント会場は、既に賑わい始めていた。
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