Crime.0:正義の執行、密やかに

Episode.1:艶やかなスティンガー


 海浜地区、この国の貿易の拠点として急速に発達を遂げた地域だ。

 今や貿易において最重要港となりつつある場所────だが、現実はそう純粋な物ではない。

 工場立ち並ぶ沿岸部から徒歩十分。この時代には珍しい、木造建築が立ち並ぶエリアに俺はいた。

 この辺りは昔から、軽工業を主たる収入に据えた人間が住んでいる。“青人間”と揶揄されるくらいには社会的な地位も、年収も低い。銀行や大企業に食い物にされやすい人や物が集まるのが、このエリアだった。


「さて……どこかにいい家はあるだろうか……」


 俺はゆったりとタバコをふかしながら、辺りを見回す。少し甘ったるい煙を口に含みながら探しているのは、ただの空き部屋だ。

 職業柄、足取りを掴まれたり探られることはしたくない。そうなると、少しめんどくさいからだ。


「だが、コイツのおかげで楽できてるっていうのもあるからな……」


 俺は、そっと懐から名刺サイズのカードを取り出した。


『国家執行資格所持者 ER00001A』


 その裏にはICチップが入っている。無論個人を認識するためのものだ。

 簡単に言うと、あらかたの法規制はこのカード一枚で免除されるといういわば“免罪符”のようなものだ。


 ────国家執行資格。

 五年前の悲劇を繰り返さない、と言う大義名分のもとに発布された法案“国民防衛法”。第一項は従来の警察を“憲兵”に創り変え、より治安当局の権限を拡大した。

 第二項では、正当防衛についてここで再定義し“自分の身は自分で守る”事を義務付けたもの。


 国民に公開されているのはその二つのみだ。


「ここが良さそうだな」


 周囲に紛れる、木造のアパート。一階の一番奥の鍵に特殊な針金を差し入れる。

 手に伝わる引っかかるような感覚。ああ、やっぱり古い鍵だ。

 カチャ、と音がしてドアの鍵がいとも簡単に開く。俺は、懐からグロックを取り出して右手に握る。慣れ親しんだグリップの感覚がむしろ気持ちよく思えた。

 ライトを口に咥え、そっと扉を開ける。音を立てずに中に入ると、ライトを左に手に持ち変えた。


 1Kの部屋に人の呼吸の気配はない。血の匂いもなく、ただただ古臭い木の匂いがする。

 キッチンはクリア。部屋に入るが、何もいない。

 押入れ、バスルーム、どこもとしていた。


「オールクリア、か」


 銃を下げ、電気のブレーカーをあげる。スイッチを見つけると、部屋の電気をつけた。


「Здравствуйтこんにちはе.いつから、ここが空き家だと思っていたの?」


 甘くも棘のある声が、俺の背筋を駆け上る。俺はこの瞬間察していた。

 ────武器では抵抗できない。

 グロックを畳の上に置き、そっと手を上げる。


「素直でいいわね、そういう男嫌いじゃないわ」


 首筋を熱い吐息と冷たい何かが同時に撫でる。冷たいものは明らかに指ではない。


「大丈夫よ、少し身体を調べるだけ。たたで強盗さんを返すわけには行かないでしょ?」


 コートのボタンが外され、冷たい指が懐をまさぐる。まだ、まだ動いてはいけない。

 鍵開けの道具やナイフ、予備のマガジンを全て畳に落とされる。久しぶりにこのコートが軽くなった。


Stay down.伏せて今度は、もっとちゃんと調べないと……」


 女の言う通りに、ゆっくりと身体を畳に伏せる。全くもって隙のない女のやり方に正直なところ感服していた。

 身体を仰向けにさせられて初めて女の姿を目にした。電気の影になって顔は見えないが、血のような赤毛と透き通るような白い肌がミスマッチな女だった。


「さて……私を楽しませてくれるのかし────」


 女の顔が歪む。だが、あくまでマウントを取っているのは彼女だ。俺の命の主導権は向こうにある。


「そんなに抵抗されるのが嫌?」

「いや、ここにいると少し痛くなるぞ」


 俺はニヤリと笑って、手元にあるナイフの柄を

 ブツン、という音と共に天井の照明が落下する。落下先は彼女の背中だ。


「いっつ、もうい────」


 その隙を見逃さず、彼女の脇に手を差し入れてひっくり返す。その勢いでマウントを取り返してゆっくりと首元を撫でる。


「日本語は分かるな? 一切動くな」


 首元の鉛筆のような感触の物を、指先で撫でる。俺の指の動きに関わらず、彼女の息は静かになっていた。


「尋問はしたくない。簡単に答えてくれ」

「答えられる事ならばなんでも答えるわ、質問はなーに?」


 目の前の女はあくまでも態度を崩さず、俺の頰を撫でようとする。


「待って、答えるから指に力を入れないで。答えられなくなるでしょ?」


 彼女の自由奔放さについていくのは至難の技だが、ここで主導権は握って置きたい。俺は、畳に落とされたピッキング用の針金を鎖骨の付け根に突き刺す。


「ひぐぅ……質問してよ……」


 叫ばずに主張できるあたり、かなりの訓練を積んだ女なのだろう、と推測してみる。女の目には涙が浮かんでいた。


「痛いのなら叫べばいい」

「叫ぶ前に指に力を入れるんでしょう?」


 ああ、ここまでやりづらくて、でも進めやすい尋問相手は初めてかもしれない。

 久しぶりに感じる高揚を胸に収め、ナイフを抜いた。どろりとした赤黒い血が、畳に溢れ出る。ナイフでも良かったが、動脈を傷つけるかもしれないと考えてこれにした。


「お前は誰だ」

「この家の住人よ」


 指先に力を入れる。“鉛筆”が歪んで────


「傭兵よ、名前は……クラリス」

「何の為に来た」

「それは、言えないわ」


 歪んだ“鉛筆”をさらに歪ませて、折れる寸前まで追い込む。だが、彼女からの返答は何も無かった。

 それだけは死んでも言わない。そう眼が語っている。


「口が軽そうに見えたが、話すことはできないのか」

「まぁね、殺したいなら殺しなさい」


 女はこの状況でも微笑みを忘れていない。姿勢はこちらが圧倒的有利なのに、精神的には対等な立場に立っている。

 この女は、地獄を、凄惨な地獄を見てきたのだろう。

 だから、この程度の窮地は窮地ですらないだろう。


「殺しはしない」


 だが、立ち上がれない。立てばこの女からの反撃が必ず来るだろう。今度は躱し切れるか分からない。


「じゃあ、どうするの?」


 最善の策どころか、全くの策が思いつかない。

 殺すも悪手、生かすも悪手。退くも悪手。全くもって手詰まりだ。


「お、おい、アイツ、女襲ってるぞ!!!」


 横槍という名の天啓が降ってくるまでは、そう思っていた。


「すまないな、憲兵を呼ばれれば俺の────」


 突然抱き寄せられ、思わず言葉が出なくなる。その瞬間、鳩尾に鋭い痛みが走る。

 何が起きたかも分からず、堪えて女を組み伏せようとする。だが、女の様子は少しおかしかった。目の前にいる標的を無視して逃れようとしている目だ。


 まさか、犯罪者か?


「待て」


 力強く額を押さえつけ、グロックの銃口を彼女の口に突っ込む。女を静かにさせようとするが、彼女は必死に抵抗している。


「黙れ」

「きょうりょくしましょ?!」


 焦ったように喉から漏れる声に、俺は思わず耳を疑った。


「は?」

「いいから、私に協力して!!」


 叫ばれそうになるのをなんとか落ち着かせる。向こうからサイレンの音が聞こえ始める。


「私、事情があって憲兵に会いたくないの。でも、もし協力してくれないなら、私は貴方を強姦の犯人として突き出す。それくらいの覚悟はあるわ」


 国家執行者は“超法規的”な存在として任務に当たるわけだが、性犯罪に関しては免除されない。きちんと現行刑法通りの判決を下される。ちなみに、現行法で強姦罪は死刑になる。


「はぁ、どこまでも女だな」


 俺はグロックを抜いて女から降りた。サイレンの音がいよいよ大きくなったのに気づいたのも今だった。

 

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