サイレント・ジョーカー 〜闇が静かに舞おうとも〜

安東リュウ

Prologue:黒きプレリュード


 ────鼻歌が滲んで聞こえる。

 目の前には、俺が殺すべき相手がいる。この世から消すと誓った相手がいる。それなのに、俺は右手の人差し指に力を入れることができない。


「あら、ここまで聞いても殺せないの?」


 目の前の女は、実にアンバランスだった。慎ましやかな修道服を着ているのに、手には使い込まれたSAAが握られている。

 コイツは、邪悪だ。邪悪な癖に、正義の味方を気取っている。

 人間じゃないような所業を繰り返してきても、彼女は悪びれる様子は一切ない。

 俺は一つ息を吐いて、また狙いを合わせる。だが、その視界はやけにぼやけている。


「まぁ、しょうがないわね」


 コトン、と弾の切れたSAAが落ちる音。俺は、ますますぼやける視界を晴らして────彼女の顔を見た。


 彼女は、昔と変わらない笑顔で俺を見ていた。




***



 日曜の夜、俺は立川のメインストリートをゆっくりと歩いていた。五年前と比べて、この街も栄えたもんだ。立ち並ぶビルを見回しながら、俺はタバコに火をつけ──


「タバコ……無いか……」


 どうやら、さっきまでいた公園にタバコを置いてきたようだ。俺はもの寂しくなった口元を撫でながら、ゆっくりと店を探していた。


「ギャー?!」


 繁華街に男の醜い悲鳴が響く。ああ、今回は早かったな。

 後ろを振り返り、様子を伺う。公園には既に人だかりができていた。

 足を止める酔っ払いや、興味津々で向かう街の人間。俺は、それを気にしつつまた歩き始める。別に、騒ぎやら見世物に興味がないわけではない。

 見慣れた中華屋の引き戸を開ける。小汚い店内に、恰幅のいい中国人がいる。


「おお、ジュン、よく来たネ!!」

「いつものを頼む」


 あいよ〜、と気の抜けた返事が返ってきてやっと心が安らぐ。俺は、懐からスマートフォンを取り出す。画面を見なくても慣れた操作で、それを耳に当てる。


「もしもし、株式会社“安全企画”でございます」

「“鶴月つるつきさくら”と申しますが、取引担当の方はいらっしゃいますか?」


 名乗ってから聞き慣れた保留音が流れる。聞き慣れたとはいえど耳障りな曲だった。


「お待たせいたしました、“憲兵局執行部、個人執行取り扱い係”でございます」

「ああ、どうも、今日はお願いしたいことがあって」


 聞き慣れた無機質な男の声に、感情無く返す。私情は一切無い。


「柏木町公園のM、202203-M31-01AのDDSだ。よろしく」

「かしこまりました。EN願います」

「”SJ00001E“」


 いつも通りの流れで相手に簡潔な情報を与える。相手もそれを受け取ると、電話が切られる。

 とりあえず、今日の仕事はこれで終わった。これでゆっくりできる。


「青椒肉絲だヨ!!出来上がり!!」


 少しひび割れた皿に無造作に盛られた肉とピーマン。端がかけた茶碗に白飯が盛られている。

 付け合わせのスープは、程よくがついており卵の甘味が喉を通る。

 少し辛味の強い肉をつまみながら、俺はそばにある新聞を開いた。


『またしても…………高校の一クラスが失踪』

『愉快犯の犯行か、森林公園にて母娘が無残な死』

『“魔弾の射手” 今度は外務大臣を射殺』


 いつも通り、物騒な記事が書かれている。だが、どれも新聞の一面を飾っていない。一面にある記事は、むしろインパクトのない殺人事件の記事だった。


『正確無比な悪夢の連続殺人、今度は新都で』


 ここ最近、街を騒がせている“殺し屋”の犯行と思われる事件が起きたようだ。無駄のない手口、夜に行われる悪夢のようなやり方から…………名前を…………

 忘れた。正直、旨味が無いから食指も伸びない。


「アイヨー、今日もお疲れサン!」


 目の前にビールが置かれる。目の前の小粋な女は、確かここの主人の娘だった気がする。

 ここのビールはいつも美味い。料理も絶品だが、何故かビールが一番美味い。ジョッキをあおり、喉を通る炭酸の刺激を楽しむ。


「いい飲みっぷりだネ、もう一杯飲むか!」

「そうだな、貰うよ」


 娘に気に入られたのか、なみなみと注がれたジョッキがもう一杯出てくる。ジョッキを持ち上げると、カチンと鋭い音が聞こえる。


「カンパーイ!!」

「……乾杯」


 娘は、何かから解放されたかのように、ジョッキを空けている。子供らしい風貌だが、これでも三〇手前と店主が言っていた気がする。


你在工作吗まだ仕事だろ?!」

没关系別にいいだろ!!」


 案の定、店主と娘が喧嘩し始める。この店の風物詩となりつつあるこの光景は、正直俺も好きだった。

 人間味のない仕事をしている中で、こうした人間味に溢れた一コマを見ることができる。


「ごちそうさま、很好吃おいしかったよ

「謝謝、マタ来てネ〜!!」


 机にお代を置いて、夜の街にまた身を出していく。大通りを生暖かい風が吹き抜けていく。ビル街を何かが舞っているような気がした。


「あー、疲れてるな……今日は久しぶりに帰るか」


 ゆっくりと、駅の方に歩き始めた。


 立川から電車で三〇分。寂れた団地の一室に俺は住んでいる。電気が消えかけた正面玄関を通り、ギシギシと音のするエレベーターを……おっと、先客がいるようだ。

 君子危うきに近寄らず、という事で急いで自分の部屋に向かう。

 三つの鍵をそれぞれ解錠し、すぐにドアをそっと閉める。1Kのシンプルな部屋は、荷物がとても少ない。最低限の食料と毛布、衛生用品しかない。


「ここも、ダメか……」


 俺はカバンにそれらを詰め込むと、さっきと反対側の階段から団地を出た。その十分後、団地に嬌声が響き渡った。


「さて……次はどこにしようか……」


 この辺りは、団地が立ち並ぶ平和な場所だった。だが、五年前のあの日を境目に都心からの避難民が流れ込んできた。

 それ以来、弱者が住めない吹き溜まりに変わってしまった。


「海浜地区……行ってみるか……」


 新しい目的地を決め、ゆっくりと歩き始める。無論、家に置いていたタバコに火をつける事を忘れずにだ。



***



「閣下、目標は警戒心がかなり強く、非常に攻略困難かと」


 建物の上の上のさらに上、屋上に女がいた。

 艶のある赤い髪を一本の三つ編みに束ね、黒いライダースーツのような服を纏っている。

 口紅を塗り直しながら、誰かと通話を交わしている。


「はい、はい……えっ」


 女の表情は氷のようなモノから、どんどん驚きのものに変わっていく。通話相手に無理難題を振られているようだ。


「かしこまりました。では、失礼いたします。“祖国に栄光あれ”」


 通話を切って、彼女はゆっくりと縁に座った。胸元のジッパーを開けると溢れそうな程の物が見える。深い谷間に端末を挿して、彼女はゆっくりと月を見ている。


「とんだ任務を出してくるものね…………」


 ボケっと見下ろした先には、目標の男が歩いている。黒いコートに黒のハット。不気味そうに見えて今のこの国にはぴったりな格好。だが、顔をしっかり覚えることが何故かできない。

 彼女は端末を手に取ると、とあるフォルダを開いた。祖国の言葉で書かれたファイルには《секретнос機密ть》と銘打たれている。

 このファイルでようやく彼の顔を思い出した。


「本名不詳、“国家執行資格”取得者、推定第一号。生活パターンや家族背景、呼称すらも不詳の男。攻略しがいはありそうだけど……」


 男のファイルの最後の一文。


────この案件は大統領直轄の案件とし、“サイレントSジョーカーJ”案件と呼称する。


「ジョーカー、ジョーカー。そう……」


 男は、バス停に立っている。その立ち姿は隙があるように見えて隙がない。


道化ジョーカーか、それとも切り札ジョーカーか。楽しみにしましょ?」


 その場から彼女は忽然と姿を消している。それを見ていたのは一羽のふくろうだけだった。



 

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