「ちょっ! 東雲さん!?」


 じっとりとした熱さから逃げ出すように、東雲さんは自分のワイシャツのボタンを一つ、また一つと外していく。


「私の家ってね、和菓子屋さんなんだけど」


 若草色の美しい刺繍が施されたブラジャーが露わになり、豊かな谷間が呼吸によって鼓動する。


「あ、一番おいしいのはお饅頭でね、これがもっちもちで、食べると中に入ってるこしあんのほんのりとした甘さが、じゅわぁっと口の中に広がるんだ」


 情欲を煽る艶美な姿とは対照的に、何故か日常会話を仕掛けてくる彼女の行動に頭が追い付いていかない。


「ちょっと! おいしいのはわかったけど、いったいどうしちゃったのさ!」


 ボタンを全て外してワイシャツを投げ捨てるだけではなく、そのまま両手を後ろに回してブラのフックを外そうとする彼女に、いてもたってもいられなくなる。


「どうしたもこうしたも、ないよ。……君が、私をこうさせたんだから」


 フックを外し、ブラジャーを押さえつけていた手をどかす。


「はい。このお饅頭が、当店自慢のおっぱい饅頭でございます」


 ブラジャーの上にはカップに嵌め込むような形でお饅頭が二つ鎮座していた。


 乙女の封印が解かれた禁断の果実を覗くと、どんな登山家でも匙を投げだす断崖絶壁に絆創膏が二つ貼り付けられている。


「これは、誰にも言ったことがないんだけど。……私、本当は胸が無いの。このお饅頭は、私のコンプレックスに思い悩む姿を見たパパが血反吐をまき散らしながら考案した、娘を思う愛の結晶なの」


 彼女はぷるぷると体を震わせて、喉の奥、体の芯の底から声を出した。


「……これでも、私を好きでいてくれる?」


 彼女の胸部が脱着可能だという衝撃の事実に、後ろからハンマーで頭を叩かれたかのような錯覚に陥った。


 ……でも、俺は、今わかった。


 人間誰しも、完璧な人なんていないのだと。


 あんなにキラキラしていた彼女にだって、大きな悩みを抱えている。


 それを、勇気を出して、こうやって素直に伝えてくれてたんだ。俺が彼女を嫌う理由なんて、何一つ無かった。


 本当はもの凄く残念だけど。やるせない気持ちを叫んでじたばたと転がりたいぐらいだったけど、いいんだ。


「もちろんだよ!」


 互いの欠点を包み隠さず教えあって助け合う。まさしく青春じゃないか。


 俺の言葉に、彼女の愛らしい瞼から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。


 長い睫が涙で光り、眩い姿は直視できないぐらい美しかった。


「ど、どうしたの、東雲さん?」


「ご、ごめんなさ……キシャ。こんな私でもいいんだって、本当に、嬉しくて……キシャシャ」


 キシャ? キシャって何だ?


 ……まぁいい。そんなことより、彼女が喜んでくれたみたいでよかった。


 無謀とも思われた告白だけど、終わってみれば大成功じゃないか。


「ねぇ。君のこと、『はるくん』って呼んでいい?」


「え、はい! もちろんいいですよ! 嬉しさで天高く舞い上がっちゃいます!」


「じゃあじゃあ! 私のことも、『ねこり』って、呼んで欲しいな」


 俺から名前で呼ばれることを期待してか、わくわくして待っている。


 超可愛い……この人が俺の彼女になるなんて、夢みたいだ。


 彼女を名前で呼ぶ記念すべき第一回目。俺は、慎重に息を吸って、吐き出した。


「ねこり」


 夏風と共に伝わる俺の声の振動は、彼女の耳元を震わせた。


――瞬間、ねこりは破顔し、俺の人生で見た中でも一番の笑顔で


「キシャアアアアアアアア! キシャッキシャッキシャアアアアアアアアアア!」


微笑んでくれることはなく、常軌を逸した笑みを浮かべながら、この世のものとは思えない魍魎の咆哮を轟かせて俺に襲い掛かってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る