防寒具って、邪魔だと思わない?


 「――行先番号40番、町田営業所行きでーす。お乗りのお客様はございませんかー? ……発車致しまーす」


 ぷーっ、と間の抜けたような音を出してバスのドアが閉まる。冷たい風になるべく触れたくないかのように、のろのろとバスが発進する。

 冬のくっきりとした冷たい月の輪郭が、少しだけ雲に隠れて、その冷たさを和らげている。


「脇山駅行き、なかなか来ないねー……」


「来ないねー……」


 弛く巻いたマフラーの隙間から、冷たい風が遠慮なく入ってくる。手に息を吐くと、息が薄暗い電灯に照らされて真っ白に見える。


「歩く?」


「ばっ……」


 バカじゃない? 何言ってんのよ全くもー……そう言いそうになって止まる。……ちょっと楽しそう。


「歩くか」


「嘘っ?!」


「……言い出しっぺが反対するとは」


「まさか賛成されるなんて思わないよ」


「ふふふ。たまには良いかな、とか」


 たまには、バスであっという間……とかじゃなくて、どうせ、歩いても30分くらいだし、ちょっと時間を掛けて2人きりで到着もありかな、なんて。って……


「何見てんのよ」


「何か考えてるなーって。それも、ちょっと嬉しめなことを」


「うるさいバカ」


 口に出してた訳じゃないはずなのに……。

 分かりやす過ぎるのも、最近のちょっとした悩み。


「ほら、バカなこと言ってないで行くよ」


 手を強引に掴み、ずんずんと前を歩く。


「ちょ、ちょっと……分かったから手離してよ」


「離すの?」


 ふーん、別に良いけど。

 そんな呟きと共に、未練なく手を離す。……訂正。未練なく見えるように。


「……嘘だよ」


 私の手を取ろうとする彼女の手。一瞬だけ躊躇って、それでも素早く逃げる。


「今更繋いでなんかやるもんかっ」


「けちー」


 大人気ない? 仕方ないじゃん。だって大人じゃないんだもん。


 人気のない住宅街は、小さな声でもよく響く。でも、人目にはつかない。……つかないはず。

 夕飯の良い香りが通りすがる。お腹空いた。


「ねぇー、相手しろよー」


 半ば駄々を捏ねるように後ろから言う彼女。

 かわ……かわ……かわいくなんかないもん!


「じゃあ外せし」


「ん? 何を?」


「…………ろ」


「え?」


「手袋! 外せって言ってんの!」


「手袋?!」


 なんでまた? と訊く彼女は、既に答えが分かっているのか、口角が上がりきっている。


「……没収する」


「ダメ! 何でか答えたら外したげる」


 手袋を没収しようとしたところ、あっさりと逃げられ、次は私が追い詰められる番になる。駅に向かっていた足を止めた。


「…………やだ」


「じゃあ外さないけど?」


 あっという間に、コンクリートの壁と彼女の間に挟まれる。彼女の、珍しく高圧的な態度が、私の中の何かを擽る。


「……けち」


「早く言いな? ほら」


「ねぇ、好き」


「……バカ。手繋ぐぞ」


 往生際の悪い私の態度を見かねてか、あっさりと手袋を外し、私の手を掴もうとする。

 嫌。その手を避け、そのまま彼女の手首を掴み返した。


「……なに?」


「……待って」


「何を?」


 ああもう。

 この口調が、彼女のこの態度が、私をどんどん煽っていく。


「……して」


「は?」


「分かるでしょ?!」


「分かんないけど?」


 ああもう、やだ。

 もっと攻めて。我慢できないの。恥ずかしくて言いたくないなんてワガママだけど、許してほしい。もっともっと刺激がほしいの。キスでも言葉でもなんだっていい、大好きな人からの刺激が――。


「……ったく、仕方ないな」


 ――ちゅ、と微かに触れた唇は、一旦離れて再びくっついた。

 後ろは壁。彼女の左手は壁に突いていて、右手は私の手をしっかりと握っている。


「――っ、はぁっ、な、長っ、」


「煽った美樹のせい。ほら、行くよ」


「……ん」


 日頃は強めな私が、彼女の前では犬っぽいなんて……そんなのは、誰にも知られちゃいけない秘密。

 私の大好きな、彼女だけが知っている秘密なの。


「駅でちょっと寄り道してく?」


「そだね~、何食べたい?」


「肉まん、とか」


「良いねー! よし、行くぞ!」


 夜空の下、私たちは手を繋いで歩き出す。

 もう一度、大好きだよ、って言う代わりに、彼女のほっぺたに小さくキスをして。


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