休日の午後を図書館で
綺麗な髪だな、と思った。
少し高い位置で無造作にひとつに纏められたその黒髪は艶やかで、結び目から真っ直ぐに垂れた様子はまるで、墨をいっぱいに含んだ筆のようで、不自然なのは理解していながら、私は視線を外すことが出来なかった。
応援している作家の、待ち望んでいた新刊を借りに図書館までやってきて、待ちきれずに館内で読み始めていた訳だけれど、その本もそのままに、彼女の髪に見入っていた。
あまりに長く見詰めすぎたからか、彼女はこちらの様子を窺うように一瞬視線を寄越し、フードを被った。
「あっ……」
あまりに滑らかな動作で、残念な気持ちが思わずそのまま声に出てしまう。
まずい、とも思ったが、一縷の期待がない訳でもなかった。
迷惑そうに書物から顔を上げ振り返った彼女が、小さく口を開ける。
「……何なんですか」
困惑した声色で、通報してやるぞと言わんばかりにスマホを握りしめている彼女に、「いや……」と口ごもる。
「あの、通報しますよ?」
やっぱり。
「違うんです! その、綺麗だなと思って」
「は?」
不審そうに眉根を寄せた彼女に、ハッとする。
……確かに、私の言ったことじゃ、何も違くはない。
「……髪が」
フォローになっているのかなっていないのか分からないような付け足しをしてみる。
「……髪ですか」
心なしか残念そうに肩を落とした彼女は、よく見ると、中性的で整った顔立ちをしている。
「あっ、いや、顔も」
「うるさいです。顔のことはいいんです!」
怒ったように言い放った彼女は、「で、私の髪に見惚れてたってことですか?」と話を戻す。
くそ、私のペースに持ち込めそうだったのに。惜しい。
「……はい」
「はぁ」と小さく息を吐いた彼女は、読んでいた本と荷物を持って近寄ってきた。
「髪ならどうぞ。いくらでも見て、触ってください」
「ふぇ?! い、良いんですか?」
「どーぞ」
不貞腐れたように隣に座った彼女の髪を、そっと手にかける。
「柔らか……っ」
「そうですか? 普通ですけど」
何を言っても無表情のままの彼女に、しかし気にせず質問する。
「何のシャンプー使ってるんですか?」
「こだわりとかは特にないです。特売品ばっかりです」
「ほぇぇ……すごい」
だとしたら、私との違いは何なんだろう? 性格? 関係あるのかな?
しばらく彼女の髪を手で梳いたり弄んだりして、時間を過ごす。……それにしても。
「さっき、言わされたみたいになっちゃいましたけど、本当、何ていうか、綺麗ですよね」
「髪ですか」
「いや、お顔です。あと、指も長くて綺麗だし、スタイル良いし、いい香りもするし……」
他にも、と続けようとすると、彼女が突然読んでいた本を閉じ、不服そうにこっちを振り返った。
「あの、自分から近づいといて何ですけど、あんまり褒めないでください。……慣れてないんです」
淡く紅色に染まった頬を少し膨らませ、彼女が文句を言う。
「……っ、そ、そうなんですね」
照れからか、迷うように視線を彷徨わせた彼女が、「まぁ、」と口を開く。
「ありがとうございます」
「い、いえ、私こそすみません」
「……あの、これから時間とか、あります?」
「へ?」
突飛な質問に変な声が出る。
「……言い方を変えます。あなたの素性が知りたいので、近くのカフェででも話しません?」
「えっ、でも」
「……こんだけ触られて、相手の何も知らないままなんて気持ち悪いんですけど」
無表情のまま畳みかけてくる彼女に、思わず怯む。
「あ、そ、そうですよね、大丈夫です! お願いします!」
「では、行きますか」
読みかけの本を大事そうに抱え、「貸出カウンター寄ってもいいですか」と言う彼女に、「わ、私も行きます!」と慌てて席を立つ。
鞄を肩に掛け、読みかけの本を胸に抱き、彼女の隣に並んだ。
「慌てすぎですよ。置いてなんて行かないんで、安心してください」
無表情な瞳が、一瞬、嬉しそうに笑んだ気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます