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やだなぁ、と思った。
「でさ、バイト先の人が、もうそのままここで働けばって言うんだけど、」
嫌だなぁ、と思った。
「やっぱ条件とか福利厚生ってやつ? とか大事じゃん」
もやもやどころじゃない何かが、私の中で大きく膨らんでいく。
「就活ってひとことで言ってもさ、もうほぼ合コンだよなーとか。だってただのアピール合戦だしさ」
何が不満? 表情? 口調? 距離感?
うーん、全部かな。
「大変、みたいね」
「そうだよー。はぁ、癒されたい」
連絡をくれた時は、あんなにも「絶対会いたい!」みたいな感じだったのに、どうして?
実際会ったら、なんだやっぱりこんな感じか、ってか?
「はは、そうだよね」
東京の大学に通い始めて、早3年。
地元の言葉なんて、とっくに失った。
まぁ、彼女もそんなに訛ってるような人じゃないから、何ら不都合はないんだけど。
幻滅するならしてくれれば良かった。
飽きたならそうと言ってくれれば良かった。
「シないの?」
薄暗いライトに照らされた彼女の肌は、私の知らない色に染まっていた。
効きすぎたクーラーのせいで、彼女の手のひらと、触れる自分の頬との境目が分からなくなる。
「な、にを?」
彼女は呆れたように笑う。
ホテル来といてそりゃないわ、ってか。
……そうだよ、どうせ私はいつだって中途半端。
「挿れるよ」
昔より遥かに慣れた素振りで、私の身体を嬲っていく。
耳を擽る舌も、腰を撫でる手も、私を「女」にするには十分過ぎた。それでも、
「だめ……っ」
力の入らない腕に鞭打って、必死に抵抗する。
昔の私なら、彼女と付き合っていた頃の私なら、どうしていただろう?
受け入れて、いた?
「なんで? **、そんなに純粋だっけ」
「っ、」
……答えは否だ。
昔から感じていた違和感が、今の言葉ではっきりと見えた気がした。
そうじゃない、と。
彼女が欲しているのは、身体の繋がりだ。
私自身を愛してくれている訳では、ないのだ。
「違くて、その……っ」
キスで唇を塞がれ、すぐに舌が挿入ってくる。
互いに都合が良い存在だった、それだけ。
そう思うと、無性に寂しくなった。
「じゃあ挿れてい?」
別れてから今に至るまで、全く別の時間を生きてきてしまったのだと、その時間を悔いた。
もっと一緒にいられれば違ったのかも知れない、そうも思った。
でもやっぱり、私には今の感情が全てなのだ。
昔が良かったとか悪かったとか、覚えていられないのだから。
全ての感情は、その瞬間に上書きされては消えていく。
彼女が何を考えているか、もう捉えようがなかった。
「だ、め」
「えー。せっかくお金払って部屋入ったのに。代金分は楽しまないと損だよ? お互いさ」
ふふふ、と笑う彼女は、もう私の知っている彼女ではなかった。
遠くに行ってしまったんだと悟った。
私は、どんなに経験を積んだところで変わらない。
私は永久に私、経験値は積み上がらずに更新されていくばかりだ。
「待って、」
檻に入れて、閉じ込めておけば良かったのか。
自分に縛り付けて、周りを見せなければ良かったのか。
考えるだけタダなんて言うけど、思考は想像でしかない。実行しなければ皆無と変わらない。
「待つの?」
背中をそっと撫でる右手に身体が反り、首筋を這う舌に嬌声が漏れる。
女の私は既に、彼女の下にあった。
待って欲しくない。早く、早くきて。
待って、嫌。来ないで。
2つの感情が入り交じる。
被害者面してされるがままになるのは簡単だった。
それが出来なくなったのは、愛を知ってしまったからかも知れない。
昔は飽きるほど浴びせられたキスも、好きという言葉も、今はもうほとんどない。
好きじゃ、ないんだろうな。
彼女の気持ちが離れていくのを黙って見ていたのは、紛れもなく自分自身なのだけれど。
「じゃあね」
「うん」
もう連絡は取らないだろうな。
直感的に、そう思った。
彼女はもう私を好きじゃないし、私も、きっと。
駅まで送った帰り、人込みに紛れながら、歯を食いしばった。
熱くなる目元を前髪で隠し、歩く。
今だけは、周りに無関心なこの空間が、いつになく心地よかった。
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