呼ばれたような気がして

猫椅子

うちの猫

また鳴いている。うちの猫だ。

飼い始めてから12年になる初老の猫、マメの助はいつも決まった時間に鳴くのだ。

「あおーん。あおーん」ともの悲しそうな声が夜寝静まった我が家に響く。

ちょうど大学のながい夏休みで帰ってきた息子が、どたどたと階段を降りて行く音が聞こえた。


「うるせーぞ マメ!」


わたしもベッドから降りた。夫は仕事で疲れているのか、それともいつもの事だと諦めているのか、自室から出てこようとはしなかった。


マメの助が鳴いている場所まで、わたしも重い足取りで向かう。

床の間にいくまでの間もずっと狂ったように猫は叫んでいた。


「あおーん。あおーん」と。


床の間には義母の仏壇がある。息子にとって優しく嫌みのないおばあちゃんだった。わたしにとってもそうだ。朗らかでなんでも聞けば教えてくれる。

それでいて領分というようなものをわきまえてくれる。

丁度良い距離感の人だった。


「マメのやつ。また鳴いてやがる」息子は鼻を押さえながら、つぶやく。

そういえば義母が亡くなる前はよく鼻の付近を押さえていたのを思い出した。


わたしは時計を見た。だいたい夜中の2時くらいか。眠たくぼやける目では細かい針など追う気になれない。それとも毎日のことだからか、気にしたくないのかも知れない。

いずれにしろ、いつもの時間だ。


「おばあちゃんが死んで悲しいのよ」わたしは適当なことをいった。


「でも仏壇を向いて鳴いてる訳ではなしに。それに……」


息子は猫を見つめながらそう言った。それにの後は検討がついた。


なぜかうちの猫は義母を好いていなかった。


息子もそれを知っているのだろう。


「マメのやつ。いつも窓をむいて鳴いているんだ」


義母の仏壇がある床の間は、大きな窓がある。磨りガラスで、竹の葉や幹が模様として彫り込まれている。


「年を取ってから、外の世界に興味を持ったのかしら」


マメの助はねっからの家猫だ。綺麗な毛並みのキジ虎猫。12歳とは言えしっかりとした体躯をもつ。太ってもいないし、ぼけてもいない。


この子はなにを見ているのだろうか。


「マメの助、もう寝ましょう」


「マメ! どこ見てる。 疲れて死ぬぞ」


猫はわたし達を見ない。ずっと啼いているばかりだ。

窓との間に立っても、猫は視線は合わせてくれない。


「あおーん。あおーん」「あおーん。あおーん」


「にゃーおーんん」息子が真似をした。わたしはやめなさいとすぐさま制した。


なんだか嫌な気持ちになったからだ。どこか不謹慎なような。心が粟立つ。


わたしは心霊や怪物を信じていなかった。けれどどこかでそういった類いに禁忌性を見出していた。


信じていないならば、真似事の降霊も、儀式も。なんとも思わないはずだからだ。


それなのに昔から心霊番組で祈祷師が行う儀式などを息子に見せるのを嫌った。

それを息子が真似するのを恐れたのだ。「不謹慎でしょ」とわたしはいつも言っていた。


マメの助はまだ、窓の外を見て啼いている。わたしたちを見ずに、目を真っ黒くさせて狂ったように。








朝。息子は大学の始まる一週間前には帰る、といいJR駅まで車で送っていくこととなった。


やはり寂しい気持ちもあったが、しょうがないことだ。


大きな黒いバックを肩に掛けながら、駅の改札の前で息子は言った。


「マメ。きっと家をパトロールしているんだよ。それをおばあちゃんに報告していたんだな」


あまり怒らないでくれよ、とも言った。


すこしだけ涙がでそうになった。子供だったあの子が気を遣うようなことをいってくれたからだ。



「あんたもマメの助のこと、怒鳴っていたでしょ」と笑いながらわたしは息子を見送った。


わたしは車を運転しながら、どこかぼんやりしていた。息子が戻り寂しいのもあったが、やはり猫のこともだ。


昔から神経質な性格だった。子供のころは見えない細菌に以上におびえ、いまでは添加物などの危険性をTVでみると冷蔵庫に確認しに行ってしまう。


マメの助がパトロールか。おうちを守ってくれている。おばあちゃんに報告しているなんて。まるでわたしを悟すようにいった息子に倣って、深く考えないことにしよう。

わたしがこんなんでは、ダメだ。


そう思い家路についた。



「あおーん。あおーん」「あおーん。あおーん」


今日も聞こえる。猫のくぐもった鳴き声。明日も続くだろう。

けれど明日を境にもう、様子を見に行くのはやめようと思った。

様子を見に行くのは今回で終わりにしよう。



息子はいないし、夫も起きてはこないけれど。わたしは平常心でマメの助のもとに向かったと思う。マメの助も大事な家族だ。


床の間に着いた。マメの助の声が部屋中に響く。


「あおーん。あおーん。」


わたしはキジトラ模様の背中に声をかけた。


「おばあちゃんに報告しているの?」


ふと、マメの助は鳴き止んだ。こちらをやおらふりかえりわたしを見た。


黒い大きな目だけ変わらず、しかし先ほどの叫びがうそのような沈黙を、この子は作った。


なに。急に。


わたしはたじろいだ。初めて「後ずさり」というものをしたと思う。


「だれか、いるの?」


わたしはなぜこんなことを言ったのだろう。猫が応えるわけが無いだろう。


マメの助はじっとわたしを見ている。


わたしは窓の外を確認できない。夜の闇があるだけだとわかっていても。


ふと義母が生前好きだった、白檀の甘い香りが匂った気がした。

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