28-2.自業自得だ



 黒々している私や秋人のものとは違う。母親譲りの明るい色の目を細め、ゆるりと口角を上げるだけの笑み。

 それはきっと年頃の乙女であれば、彼のファンでなくともポッと頬を染めて見惚れてしまうのだろう。

 だが何故だろうか。ぞわぞわする。私は今とても背中がぞわぞわしている。



「もしも、あんな根も葉もないウワサのせいで秋人と朝倉さんが別れることになれば、今までの苦労が水の泡だからね」


「あ……ああ、そういえば以前にもそういったことを仰っていましたね」



 確か春休みになってすぐの、秋人が千夏ちゃんに初デートのお誘いを受けた時だっただろうか。

 呼び出しに応じたはいいが腑抜けモードのお坊ちゃんが面倒になり逃走をはかった私に対して、雪城くんは同じようなことを言っていた記憶がある。



「僕としても、もう一度ウワサされるといろいろと都合が悪いし不愉快なんだ。利害が一致した協力関係なら、宝生寺さんも後腐れなくていいんじゃないかな」


「誰にも損はないなら、これで決まりだな」


「え、ちょっと」



 なんで秋人が判断を……って、秋人が肉食女子の対応ができるようになることが重要なのだから、決定権を持っていてもいいのか。

 勝手に話を終えられ、二人はとりあえず成瑛内の肉食女子をどうするかと首をひねり始めてしまった。

 こりゃあ私がなにを言っても決定は覆らないな。釣り合い合戦はこっちが折れるしかないようだ。



「まあ、二人が構わないと言うのならいいのだけれど……」



 丸め込まれた感に不満を抱きながらボソボソと言った声は、果たして聞こえたかどうか。

 しかし、なんとも雪城透也らしいことだ。漫画でも親友の恋路に協力的で、悪役令嬢と腹を探り合い冷戦状態だっただけある。

 現実でも私に定期的に「これでよかったの?」と尋ねていたんだ。よっぽど秋人と千夏ちゃんの間に誰かが割り込むのは許し難いのだろう。親友の恋路絶対守るマンかよ。



「つーか桜子、そういう企みなら最初から言え。なんでお前は昔そうやって、聞かなきゃなんも言わねぇんだよ」


「じゃあ言わせていただくけれど、先にすべてを説明してあなたは協力した?まどろっこしいだの何だのと文句を言ったでしょう」



 朝倉はウワサを信じていない。選民派なんて胸糞悪い連中は上にいる俺らが怖くて動けない。家のブランドにつられて寄ってくる連中に興味ないからほっとけ。

 そんな感じのことを言っていたに違いない。

 長い付き合いだから分かるそれを指摘すれば、秋人はぐっと口を閉ざした。



「言わなかったのは、あなたに自分の立場と状況を自分で気が付いて、自ら行動してほしかったからよ。他人にやれと言われてやるのと、自らの意思でやるのでは違うでしょう」



 勉強をしようと思っていたのに、親に「勉強しろ」と言われた途端にやる気がなくなるのと同じ心理である。



「だとしても僕には言ってくれても良かったのに」


「そのつもりだったのに、説明前に首を突っ込んだのはあなたでしょう」


「あーうん、ごめんね」



 でも本はないんじゃないかな、と秋人を見るあたり、どうやら顔面を狙われた件はいまだに許していないらしい。けっこう根に持つタイプだな、この人。

 一方で私は自他共に認める切り替えの早さが売りというか、終わった事をズルズルと引きずるタイプではない。そうかと言って無かったことにするわけでもないのであって、後回しにしていた宿題もきちんと手を抜かずにやるタイプであるからして……。



「あの瞬間、私がどれだけ焦ったことか。おまけに個人的に確認しておきたいこともありましたのに、予定が狂いました」


「そこは反省して……ん?確認したいこと?」


「その、そうなのではないかなと、以前から薄々思っていたことなのですが」



 大事なことだから、ちゃんと聞いておかないといけない。

 本当は秋人のいない時で聞こうと思っていた。だけど言いたくないことを聞かれるのも聞くのも苦手な私じゃ、このタイミングを逃したら二の足を踏み続けて、結局聞けずに終わってしまうだろうから。

 今ここで、はっきりさせておかないといけない。



「雪城くん。あなた、私のこと──」



 ────ずっと、疑問に思っていたことがある。

 秋人と千夏ちゃんの間に何かあったたび、どうして「これでよかったの?」と聞いてくるのか。

 どうして、私の好意の在り処を探してくるのか。

 実は私はその答えを、少し前から見当がついていた。でも確たる証拠もなしに追求するわけにはいかなくて、あと単純に私が一歩踏み込めなくて、口に出すことができなかった。

 でも今回の騒動と、今の会話。私と秋人の婚約は都合が悪いという言葉を聞いて、ようやく確信が持てた。



「私のこと、秋人を恋愛対象として見ている横恋慕女と思っていたでしょう?」


「……………………え……?」



 私にとっては、最大の侮辱と言っていいほどのそれ。

 苛立ちのあまりテーブルに拳を叩きつけたいが、ぐっと堪えて瞬きすら忘れたように固まるその人を見据える。



「どうして高等部にあがった途端に、秋人との関係について何度も確認されるのか。常々疑問に思っていましたが、今回の騒動で答えが見つかりました」



 秋人と千夏ちゃんの関係が進展するたびに「これでよかったの?」と確認されていた。私は自分が宝生寺桜子で、彼が雪城透也なら仕方がない。いくら疑われたって、二年に進級した第二部で秋人達の邪魔をしなければいいだけだと思い続けていた。しかし同時に、「どうしてそこまで疑うんだろう?」と疑問に思っていた。

 その疑問の答えを見つけ出すのも、今回の目的の一つだったのである。それがこの件に彼を引っ張り込んだ、たくさんある理由の一つだ。



「私と秋人についてのウワサは、去年の五月……ちょうど今頃に、宝生寺家と壱之宮家の共通点を知らない外部生が言い出したことだったそうです」



 彼に最初に確認されたのは、去年の六月。

 中間試験で秋人を抑えて首席だったから。そんな意味不明な理由で千夏ちゃんに嫌がらせをする秋人のファンを、秋人に止めさせた私に対して、「いったい何を企んでるのかな?」と疑いの目を向けられたのがすべての始まりだった。



「そしてウワサの真相を知りたいと思った人は、私達に近しく話しかけやすい人に、私の場合は真琴と諸星姉妹に尋ねたそうです。もちろん私の親友達はその場で否定してくれましたけどね」



 これは今年初めて同じクラスになったから分かったことだが、彼はその見た目と性格からか、私や秋人ほど周囲から距離を置かれていない。クラスでは内部生の男子といることが圧倒的に多いけれど、そこに外部生の男子が混ざっている光景を何度か見ていた。

 グループを作って、そのグループ内の人と常に団体行動する女子とは違う。男子らしい人付き合いは、最近では少し羨ましく思えていた。────まあ、それはいったん横に置いておこう。

 とどのつまり、時おり外部生とも交流する彼ならば、真琴や諸星姉妹のようにウワサについて尋ねられる機会はいくらでもあったはずだ。



「ウワサを知って信じていたとすれば、いろいろと納得ができます」



 南原さん達からウワサの存在を聞かされた時、私は雪城くんも知っている可能性に気がつき、それを確かめるために自習室で秋人と話した後に彼と話すつもりだった。

 ウワサがあるからそれを消すために動くこと、二度とウワサされないために秋人が自力で女の子の対応ができるように協力してほしいこと、もちろんそのお礼はすること。全部を話した後、知っていたんじゃありませんかと聞くつもりだったのだが……。


 秋人と話し中に、まさかのご本人登場で予定が狂った。


 しかし私はとっさに予定を変更し、ウワサを消すことが書かれたメモを渡すと、その様子をさりげなく確認。するとその内容を見た彼は特に驚くこともなく、それどころか「今さらこのことを」と呆れているようにすら見えたのだ。そのくせ自分の婚約者の話題を出されれば、これでもかと動揺していた。

 この違いを見て私は理解したのだ。この男、ウワサを知ってて黙ってた上に半分信じていやがったな。だから私に確認してきてたんだな、と。

 今の婚約は不愉快とすら言ってのける様を見れば、少しの不安要素も徹底的に潰しておこうという考え故の行動だったのだと、理解は確信に変わった。



「と言っても、あなたがウワサを信じていて隠していたことを責めるつもりはありません。私があなたに確認したいのは──」


「なあ」



 今度は私が言葉を遮られ、遮ったのは先ほど遮られた秋人。

 形のいい眉をひそめて、硬く鋭い声で「確認ってなんだ」と続けられる。



「えっと……ウワサを信じてしまうような言動が私にあったということだから、もう一度ウワサされないために、どこがよくないのか教えていただきたいという意味で……」


「お前には聞いてない」



 確認の内容について聞かれたから答えただけだ。それなのに理不尽にもぴしゃりと言われ、反射的に口を固く閉ざした。

 秋人は左隣を見るが、そこにいる人物もまたゆっくりと左を向いて顔を背け、白や黄色のチューリップの咲く花壇の方を見た。断固として秋人と目を合わせようとしない。



「透也。俺について、桜子に何を確認した」


「や、別に、大したことじゃ……」


「ほう」



 目どころか顔すら合わせないようとしない親友に、秋人は目を細め、テーブルに人差し指をトントンと打ち付け始めた。

 一定のリズムで、まるで何かのカウントダウンのような音。誰が聞いても居心地が悪くなるであろうそれに、私は耐えられずに固く閉じていた口を開いた。



「ええっとぉ、秋人?いま重要なのはそこではなくてね?」


「桜子」



 ハーイ黙りまーす。

 一瞥すらされずに出された再びのお口チャック命令。大人しく従うのが吉である。

 きゅっとしっかり口のチャックをしめ、呼吸する置物になることに徹した。



「透也。もう一回だけ聞いてやる。桜子に、何を、確認した?」



 ンンン?なにこれ?幼馴染みはいったい何をそんなに怒っているんだ?

 私の予想では、ウワサを知っていて黙っていたことに対して文句を言うと思っていた。だから最初の予定では、秋人抜きで話をするつもりだったのだ。

 ところが秋人が気にしているのは、雪城くんが私に何を確認したか。ウワサを知っていたことはどうでもいいらしい。……どういうこと?

 突然会話の主導権を奪われ混乱していると、ようやく雪城くんは観念したように口を開いた。



「朝倉さんと……というか誰かと、秋人が付き合うことになっても、問題ないのか的なことを……少し……」



 珍しくしどろもどろな返答に、驚くが、次にふぅんと思う。

 私には毎回スムーズに問いかけていたじゃないか。なんでそんな飼い主の留守中にビーズクッションを大破させ、全身にビーズをくっつけて一応怒られはするけど飼い主の顔を見ない知能指数の高い犬みたいな態度なんだ。

 少し前にテレビで見た海外の面白ペット動画を思い出しながらも、黙って事の成り行きを見守る。

 すると秋人は目を閉じ、溜まりに溜まった疲れを吐き出すように大きく息をすると、すうっと吸い込み、



「やっぱそういうことかッ!」



 吸った分を罵声に変え、己の親友に浴びせた。



「さすがにそこまでアホなわけがない、絶対にどっかに原因があると思ってが!めちゃくちゃ地雷踏み抜いてんじゃねーか!」


「地雷って……」


「地雷だドアホ!お前だって知ってるだろ。初等部の時、俺とのことをからかった奴が精神的に叩きのめされたこと!」



 初等部?からかった奴?

 なんだっけと記憶の引き出しをあされば、ああ、あれかと初等部の四年か五年の頃のことを思い出した。

 当時、私と秋人が少しでも一緒にいるとからかってくる、やたらとしつこいガキ大将気質の男の子がいた。好きだの結婚だの言ってからかう、あの年頃によくあるやつだ。


 でも叩きのめして覚えはない。黒板にデカデカと書かれた相合傘を消してから、ちょっとばかし大きめの声で「こんな幼稚なことしてるうちは、隣のクラスの後藤さんはあなたを好きにならないわよ」と適切なアドバイスをしただけである。

 彼が後藤さんから「桜子様に無礼な態度の人なんて、大嫌いに決まっているでしょ」と小学生にあるまじきゴミを見る目で本気の拒絶されたことは、私の指示でもなんでもない。自分のこれまでの行いの結果だ。

 まあ、初恋は実らないというのはセオリーなのだから仕方がないわよね。おほほほっ。


 懐かしいことを思い出しつつ黙っていれば、秋人は片手で顔を覆い、またぐったりと息を吐き出した。



「はぁあ〜お前ってやつはよぉ……。そういうところだぞ。せっかく忠告してやったのに、桜子にまで聞くってなにしてんだ。見つめ合うと素直におしゃべりできない系かよ」


「その表現やめろって言ってるだろ!」



 そこでようやく雪城くんは秋人の方を向いた。

 さっきから何箇所か気になる部分があるけれど、せっかくの機会だ、もうしばらく置物に徹しておこう。



「だいたい初等部の頃はそうでも、ずっとそのままとは限らないじゃないか。なに考えてるか分からない人なんだ、もしかしたらってことがあるだろう」


「まだ言うか。ねぇよ。それだけは絶対に──アッ」


「昔から思ってたけど、二人とも距離感がおかしいんだよ。事情を知らなかったら誰だって勘違いするに決まってる。ウワサされたのも、僕からすれば二人の自業自得だ」


「ちょ、ばか、それ以上は……」


「まぁ聞かれた時は否定しておいたけどね、聞いてて気分が悪かったし。というかあれを見聞きしてもお前に告白した朝倉さんの強さは、正直かなり尊敬できるよ」


「透也!お前もうしゃべるな!桜子が能面みたいな顔してる!」


「え、アッ」



 目が合えば、ぴたりと動きを止めた。

 能面などと言われたが、あいにく私は心の中でなにを思っていても、顔だけはにっこり笑うことができる。

 柔軟な表情筋を動かして、いつも通りの良家の令嬢らしい微笑みを貼り付けた。



「もうおしまい?今日はずいぶんと饒舌なようで、まだまだ続けてくださってかまいませんよ」


「い、今のは、その……」


「ああ、言い訳でしたらけっこうです。自業自得という自覚はありますし、ウワサを知っていた件は責めるつもりなど最初からありませんので」



 漫画ではウワサの発生源は内部生だったからと、外部生に注意していなかった私の慢心の結果だよ。そこは私の自業自得だ。

 でも私は、漫画の通りならないよう秋人と距離を置く努力をしていた。それなのに何かあるたびに、私をとっ捕まえて、秋人と関わらせていたのはあんたじゃないか。


 距離感がおかしい?自業自得?ふざけんな、毎回毎回人の努力をぱあにしていたあんたに言われる筋合いないんですけど。



「ただ、『少し』と『桜子にまで』という二点については、説明していただけるかしら。私の記憶ではあなたに確認された回数は十九回ですし、秋人にまで確認していたと聞こえるのだけれど」


「じゅ?!……おい、透也」


「さ、さすがにそこまでは…………聞いたかも」


「終わったなお前」



 宝生寺桜子である私を疑うの仕方がないことだ。漫画の通りと片付けることができる。

 でも、これまであいさつすら交わしていなかった春原くんは、私が何か言わなくてもウワサが嘘と分かってくれていた。それなのにすべての事情を知っているのに何度も直接否定しても信じず、挙句の果ては十年来の幼馴染みなんて都合のいいことを言いやがって。

 十九回だぞ、十九回。長期休暇の期間を除けば月に二回ぐらいのペースで聞かれてたんだぞ。いったい何度そのお綺麗な顔をぶん殴ってやろうという本能を、宝生寺桜子と雪城透也の関係は本来こうだと理性で押さえつけてきたことか。


 そこにきて何?桜子にまで?までってなんだよ、人をおちょくるのも大概にしろ。



「誰がどう見ても朝倉さん相手に初恋をこじらせている秋人に、協力する一方で私への恋愛感情の有無の確認をするなんて。よほどの理由があるのでしょうね?」



 にっこり笑って「説明していただけます?」と重ねて問う私の視界の端で、秋人がどこか遠くを見ながら胃のあたりをさすり、



「……お前らって、なんでそんなピンポイントで地雷を踏み合えるんだろうな」



 逆にすげぇよ、と呟いた。



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