28-1.それは嫌かな



 前門の幼馴染み、後門の幼馴染みの親友。

 面倒なことに巻き込まれたくなくて逃走するのはいつものことだけど、このパターンは初めてだ。執念を感じる。



「おちおち身辺整理もできないわね……」



 もともと秋人単体、もしくは二人揃って文句を言いに来ることは想定していた。むしろそうなる状況を作ることも、たくさんある目的の一つだ。

 説明せずに済むのが一番いいと思っていたけれど、さすがにそこまで思い通りにはなってくれないらしい。

 とっ捕まってしまった以上、言える範囲のことを説明する方が今後のためになるかなぁ。



「わかった、わかりました。ええ、そうよ、確かに今回の件は、ウワサを消すことだけが目的ではありませんでした」


「その前に、僕らをああいう状況にしたことに対して何か言うことは?」


「……ご自分の客観的価値を理解していなかった結果ですね。連日お疲れ様です」


「言うに事欠いてそれかよ」



 説明と謝罪は別問題である。

 しかし両肩に乗った手が重みを増したのは気のせいではないだろう。無言という名の圧力に背中に冷や汗をにじませつつ、私はずっと手に持ったままだったスマホを素早く操作した。

 最近大活躍のボイスレコーダーアプリを開き、録音日時が最新のそれを再生すれば、



『今さらなのだけど、二人とも、ウワサを消してしまってよかったの?』


『いいに決まってんだろ』


『消してくれてありがたく思ってるよ』



 先日のプロパガンダ後の会話が、ノイズなどない、まるで今この場で話しているかのような声色で響いた。

 そしてこの紋所が目に……じゃなくて、この音声が耳に入らぬかとばかりにスマホを掲げる。



「合意の上の行為!」



 ウワサを消し、二大巨頭がフリーだとすれば、肉食女子が目指せイケメン彼氏ゲットと色めき立つのは必然。

 しかし良くも悪くも周りの目を気にしない当人達が、そのことに気づいていない可能性に私は気がついていた。────いつまでそれでは困るのだ、これから起きるであろう少女漫画の展開的に。

 


「自分の立場と周りの状況を把握しろと言った私の忠告を聞き入れなかった己のミス!合意の上の行為!」


「二回も言わんでいい!言質まで取りやがって!」


「こうなることも、ぜんぶ手のひらの上ってことか……」



 後ろから大きな溜め息が聞こえ、肩にかかった圧が弱くなる。



「負けたよ。確かに合意したし、客観的価値ってやつを理解していなかった僕らの落ち度だ。宝生寺さんを責める資格はない」


「透也、こんな時に甘やかすな。こいつはこうなるって分かってて、わざと言わなかったんだぞ」


「どういうやり方でも、ウワサが嘘だと知られたら少なからずこうなっていたはずだ。それにあの日、一人で表に立たせて、僕らは裏で聞き耳を立てる以外何もできなかった。少しは苦労するべきだ」


「だから…………あーもういい、分かった、そこは不問にしてやる」



 二対一の図式が変わり、今度は秋人が脱力した。しかし「でもな」と続ける。



「他に目的があって俺らを利用したって言うなら、説明してもらうぞ」


「そうしたいけれど、えっと、まずはこの体勢を……。近いです」



 いつまでも両肩に乗ったままの手。痛くはないけどびくともしない相変わらずの綺麗な顔をしたゴリラっぷりに意を唱えれば、雪城くんは思い出したように両手を上げて、すぐさま一歩離れた。



「あなたって時々こういう事をしますよね」


「ついね」


「だいたいどうしてあなたは毎回毎回背後に立つんですか。心臓に悪いのでやめてください」


「逃げる人を追えばこうなるよ」


「追わなければいいでしょう」


「それは嫌かな」



 あーハイハイ、ひとりで秋人のお守りをするのが嫌で私を引きずり込んでいるんですよね。知ってる。

 普段より五割増しで胡散臭い笑みに、口からは呪いのような溜め息が出てくるだけだ。



「まあ、いいですよ。こういったことは今日で終わりですから」


「──え?」


「場所を変えましょう。誰かに見聞きされてはまずいわ」



 どうやって肉食女子達をまいてきたかは知らないけれど、ここは女子更衣室が近い。長居していればいずれ誰かが来てしまう。

 表向き、彼らは第三談話室での出来事は知らない……というか、私の独断でウワサを否定したということになっている。その熱が冷めていない今、三人揃って、しかもその件について話しているのを聞かれるわけにはいかない。

 私達は人気のないルートを使い、誰かに会話を聞かれる心配のない場所へと向かった。



「こんなところあったのか」



 昼休みに親友達と利用している東屋。校舎や体育館、各部の活動場所とも離れていて、手入れの行き届いた庭園の一番奥にあるここは私が知る限りで最も安全だ。

 少し前までサクラが舞っていたのに、今では新緑の中でチューリップやマリーゴールドが花壇の中で艶やかに咲いている。

 そこへ着くなり感心したように周囲を見回す秋人に、私は驚いた。



「知らなかったの?」


「こんな奥にまでは来たことないな」


「そう……」



 変だなぁ。ここは少女漫画で第一部の頃からたびたび登場していて、秋人と千夏ちゃんがこっそりと会って愛を育むランデブースポットだった。

 宝生寺桜子もその取り巻きもこの東屋に近づく描写はないと記憶していたから、安全だと知っているここに来たのに……。

 秋人が知らないなんて、これも私の生み出した歪みなんだろうか?



「宝生寺さん。さっきのはどういうこと?」



 思わず黙って考え込む私に対して、そう口火を切ったのは、ここに来るまで一言も発さなかった雪城くんだった。



「終わりって?」


「言葉の通りです。解決したウワサについて話さなければいけないのは、これで終わりです」


「あ、そういう……」


「そういう?」


「なんでもない。続けて」



 言われなくて続けるけれど……なんだったんだ、今のやり取り。

 お気になさらず、とばかりにゆるく首を振って座る雪城くんを見ても答えは分からない。

 私も人のこと言える立場ではないが、この人も大概何を考えているか分からない人だ。彼の横に座る幼馴染みが分かりやすいからか、その対比で余計にそう思う。

 ともあれ捕まった以上はサクッと説明して帰ろうではないか。



「今回の件について、私の目的を一言で言い表すのなら『投資』。今現在考えられる中で、最も避けたい状況を作り出されないように動いたの」


「最も避けたい……。ああ、うちのババアとお前の母親にウワサを知られたら、間違いなく面倒なことになるな」


「喜んで食事会の計画を立てるでしょうね」


「最悪だな。で、理由はそれだけじゃねぇんだろ?」


「ええ。それだけのために、あんな手の込んだことはしないわ」



 前提として、私が最も避けたいのは少女漫画の通りの展開になること。つまり秋人との婚約だ。

 だからその仕切り役である私と秋人それぞれの母親の耳に、私達の間に恋愛感情があるなどというウワサが入るのを阻止するのは必然。とは言えど、ウワサを消すのにあそこまで派手なことをする必要はなかった。

 南原さんや棟方さんといった、私の周りにいる数名に否定情報を流して、彼女達が緩やかに広めてくれる策だってあった。

 ではなぜ放課後に人を集めるという派手なことをしたか。



「まず、二度とあんなウワサが生まれないようしたかったの」



 私は右の人差し指をピンと立てた。



「私達がウワサを不快に感じている知れば、これまで好き勝手に吹聴していた人達が『権力者の逆鱗に触れてしまった』と怯える姿は想像に容易いわ。でもそれだけでは少し不安だから、次に同じことをすれば謝罪では済まないと印象付けておきたかったの」


「お前が怒り狂ってるって情報を諸星達に流させたのはそのためか」


「そうだけど、怒り狂うという表現はやめてちょうだい。あくまでブラフ。パフォーマンスよ」


「ハイハイ」



 秋人はひらひらと手を振り話の続きを促してくる。

 誰がどう見たって反省していない。だが単語のチョイスに可愛げがなく、お互いに遠慮がないのは今更なことだ。



「だいたいね、今回の件はあなたと朝倉さんのためでもあったのよ?」



 ため息混じりに言えば、最愛の恋人の名前を出された可愛げなさ男は興味を示す。

 私は中指もピンと立て、「第二に、朝倉さんへの償い」と言って話を続けた。



「ただでさえ関係を隠さなければならないのに、自分の恋人が他の人とウワサになるなんて不快でしょう。しかもそれが関係を隠すように言った私だなんて……」


「そもそもアイツは信じてなかったし、周りが勝手に言ってただけだ。お前が気にする必要ねぇだろ」


「ウワサを信じていたとしたら、彼女が秋人と付き合うわけないよ」


「男性のあなた達に、女の感情を理解しろというのが愚かだったわ」



 男女で脳や心の動きが違うとはよく言ったものである。

 春原くんも同じことを言っていたし、ウワサはウワサときっぱり言い切るのは個人的にはとても好ましい。でもこれはそういう問題ではないのだ。



「女は感情で動く生き物なの。頭では嘘だと分かっていても、ウワサを何度も何度も耳にすれば精神的に堪えるわ」



 現状を見て、秋人との交際を隠した方がいいと千夏ちゃんも充分理解しているだろう。

 だから真実を知らない周りの子が「壱之宮様と宝生寺様って〜」と言うたびに、話を合わせなければいけない。本当は、自分の恋人なのに。

 自分の感情を押し殺して、自分の恋人が違う女と親しいなんて話をしなければならないなんて。そんな残酷で非情なことがあっていいわけがない。



「彼女の立場になって考えみてちょうだい。朝倉さんが春原くんと交際しているとウワサが流れたら、あなたどうする?」


「春原に一発叩き込む」


「その前に私があなたに三発叩き込むわ」



 一発でも二発でもない。三発である。



「秋人、ここは自分の好きな人が誰かとウワサになるのは不愉快ですねっていうのが模範解答だよ。物理に走るな」


「雪城くんはご理解が早くて助かります」


「まぁね」



 これで二人揃って理解不能とでも言われたら、私は立てた二本の指で目潰しをお見舞いするところだった。



「三つ目の理由は、選民派の力を削ぐこと。交友関係に紫瑛会や内部生、外部生は関係ないという空気を作りたかったの」



 薬指も立てると、今度は雪城くんが「どういうこと?」と興味深げに首をかしげる。



「成瑛は昔から紫瑛会の生徒を頂点に据え、外部生は下層と扱うピラミッド構造ではないですか」


「据え置かれた僕らの感情はどうであれ、そういう伝統……いや因習だね」



 雪城くんは抑揚のない声色で言い、秋人もまた顔をしかめてそっぽを向いた。

 現在のスクールカースト上位三人が因習だと罵り嫌っているのに、学園の空気は変わらない。それぐらい紫瑛会を敬い、外部生は蔑視するのが当然だと思っている生徒が多いのだ。

 原因は、内部生の親には成瑛学園出身が多いから。

 幼い頃から選民的な親を見て育てば、その子どもも同じようになりやすい。蛙の子は蛙というやつで、初等部の頃から成瑛に入学できる家柄の子は思考がとても貴族的だ。それ故に選民派という派閥が存在する。



「私は今回のことをきっかけに、その因習が断たれてくれたらいいと思っています」


「それと今回のことの繋がりが分からないよ」


「繋がりますよ。だって雪城くんは婚約者、秋人は私、それぞれ抑止力となっている存在がなくなった途端に言い寄られているではありませんか」



 誰にとは言わずとも分かっているのだろう。二人は思い出したように、揃ってげんなりと重く深く息を吐き出した。



「紫瑛会の肩書きのせいでこれまで遠巻きにされていたのが嘘みたい。ピラミッドが崩れ始めた証拠ですよ」


「つまり俺らは、お前の革命に利用されたってわけか」


「革命ではなく投資。これがうまくいけば、内部生と外部生の垣根が消えて、外部生を蔑視する選民派は異端となる。つまり朝倉さんを害する人は消え、関係を公表できるようになるかもしれないのだから、多少の不便さは我慢してちょうだい」


「あー……たしかに投資だな……」



 かなりの利益がある言い方をすれば、秋人は不服そうにしながらも頷いた。

 アグレッシブな肉食女子も困るけれど、千夏ちゃんと交際を大っぴらにできるかもしれないのは嬉しいらしい。



「選民派の連中は、朝倉にわけわかんねぇ理由吹っかけて突っかかりやがるからな。それがどうにかなるんなら、お前の投資話に乗ってやるよ」


「そうそう、それでいいのよ。私は自分の目的のためにあなた達の人気を利用した。だったらあなたも、朝倉さんとの未来のために私を利用してごらんなさい」


「ちょっと待った」



 と、雪城くんが軽く挙手までして待ったをかけた。

 なんで場がまとまりかけているんだと言う顔は、見るからに釈然としていない。



「婚約者なんていうウワサが消えてくれたのは嬉しいし、選民派がなくなるのもいいことだと思う。でも結局、どうして僕も巻き込まれたのかが謎なままだ」



 ちくしょう。流されなかったか。

 心の中でチッと舌打ちする私に対し、秋人まで「そういえばそうだな」と思い出したように言う。

 白状するまで終わらないぞと言う空気に変わってしまった。

 だがあいにく水族館の件を詳しく説明するつもりはない。ここは他の理由でやり過ごした方が良さそうだ。他にもいくつか理由はあって、彼を巻き込んだのだから。



「理由なら先日に言った通りイーブンにしたかったというのが大きい……けれど、実は雪城くんにお願いしたいことがあったんです。それが四つ目です」



 薬指に続いて、小指を立てながら私は言った。



「お願い?」


「わがままと言った方が正しいかもしれません」



 お返しと言っただけで訳がわからないのに、今度はお願いだのわがままだの言い出すなんて、疑問符が増えるだけだろう。

 困惑しているくせに整っている顔に、こっそり笑いつつ話を続ける。



「秋人の見本になっていただきたいんです。言い寄る女の子の、うまいかわし方の見本に」



 その一言で秋人はすべてが繋がったようだ。さすがは私と長い付き合いなだけはある。

 なるほどなと呟きながら椅子の背に深くもたれ、東屋の天井を見上げる。肩を使って吐き出された息は、ずいぶんとばつが悪そうなものだった。



「俺と桜子のウワサが生まれた原因は、お互いに群がる輩から庇ってたせいだ。俺ら自身はそこに……」


「恋愛感情はない。ただ腐れ縁で、利害が一致した協力関係ね」



 同意を求めるようにちらりと見られたので、迷いなく事実を淡々と述べる。



「でも色眼鏡をかけた周りが邪推して、今回のことに繋がった。だから今回ウワサを消したとしても、そこを変えねぇ限りは同じ事の繰り返しになるし、次に同じ手は使えねぇ」


「ああ、そういうことか」



 そこでようやく雪城くんも理解が追いついたらしい。



「今回強く否定したから消えたけど、次にまたウワサされた時はかえって照れ隠しの反動形成と取られて、ウワサが膨らむ材料になる。そうなれば二人にとって最悪の事態になる。だから秋人は自力で対応できなければならない、と」



 ところがどっこい、秋人は女心はまったく理解できない朴念仁。頭の回転は速いくせにに、不器用で、時々ものすごく要領が悪くなる。

 本人もたぶんそれを自覚していて、だからこそ群がる女の子の対処が下手くそなのだ。

 不快な気持ちを隠して愛想笑いなんてできず、うまい逃げの口実も思い浮かばない。思ったことを馬鹿正直に言うと、女の子を傷つけ失礼に当たると分かっているから、最低限の受け答えで対応して女の子から離れてくれるのを待つ。

 私の幼馴染みである壱之宮秋人は、そういう奴なのだ。

 けれどいつまでもそれでは困る。……私だって最善を尽くすけれど、いつまでこうしていられるか分からないのだから。



「そこで女慣れンンッ、経験豊富なお手本が必要となるわけでして。私が知る限りでは、それをお願いできるぐらい手慣れているのは雪城くんだけです」


「少しも言い直せてないぞ」


「君の中で、僕のイメージはいったいどうなっているのかな?」



 イメージ?

 年上の美女に可愛がられるツバメ。もしくはきれいな顔をした腹黒ゴリラ。さらにもしくはアルブレヒトですかね。

 そんな本音は微笑みの裏に隠せば、アルブレヒトは「まぁいいか」と息を吐いた。



「宝生寺さんの投資話、僕も乗らせてもらうよ」


「本当ですかっ!」


「ウワサを消してもらった借りがあるからね」


「あ、いいえ、ですからそれは……」


「君にとっては釣り合いが取れていても、僕はそうじゃないんだよ。だからこれで、今度こそ本当にイーブン」



 まさか釣り合いの件に納得していなかったとは。

 彼に頼まない方向での策は、あるにはあるが手間がかかるしリスクが伴う。だからもともと今回の件がすべてうまくいった暁には、巻き込んだお詫びをなんらかの形でするつもりではあった。

 しかし本人がこれで釣り合いが取れるときた。

 どちらかが折れなければ、この釣り合い合戦は永遠に終わらない。だったら私が折れて……うーん、でもなぁ、なんかちょっとモヤモヤするんだよなぁ。

 すると考え込む私を見てなにを思ったか、秋人が「利害の一致だ」と言った。



「俺らにとっての最悪は、透也にとっても最悪だ。こいつは俺らを利用するだけだから、お前も黙って利用しとけ」


「最悪って……私達の婚約話を蒸し返されることに、雪城くんにどんな損害があるの?」


「それは──」


「あるよ」



 言葉を遮られた秋人はそろりと横目で見る。つられて私も目線を動かせば、たいそう綺麗なアルカイックスマイルがそこにあった。


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