27-2.好きな人を見る目ではない



 お弁当の残りと、諸星姉妹が持ってきたお菓子を食べながらおしゃべりを楽しんで、昼休み終了のチャイムが聞こえたら校舎まで小走りで戻って解散。五限と六限の授業をそつなくこなして、帰りのホームルームが終わった瞬間────、


 私は教室を飛び出した。


 しかし宝生寺桜子として、体育の授業以外で公衆の面前で疾走はできず、長年の猫かぶりによって習得した優雅に見える競歩で教室から離れる。

 だって早く逃げないと!また面倒くさいことに巻き込まれるもん!!

 というか今回の呼び出しの理由は分かっている。分かっているからこそ逃げるのだ!全力で!



「あの、桜子様っ、三組はもうホームルームが」


「ええ終わっているわ雪城くんならまだ教室にいるはずよそれではごきげんよう」



 名も知れぬ女子生徒の言葉に歩調を緩めずノンブレスで答え、人の間を縫うようにして教室から離れる。そしてあっという間に階段を降り、今はまだ人気のない体育館方面へと広い校舎内を移動しながらスマホの電源を入れた。


 秋人の呼び出しで厄介なのが雪城くんの存在だ。これまでも面倒くさがって連絡を無視して帰ろうとしても、三回に一回ぐらい奴に待ち伏せされてとっ捕まってドナドナされていた。

 そこに加えて今年は同じクラス。ドナドナの確率が高くなる。

 だがしかし連日の状況から察するに今回それは不可能。二人とお近づきになり狩るために、放課後になると肉食女子が一組と三組の教室に大挙して押し寄せるのだ。

 あの年末バーゲンのような状況から逃げられる獲物はいない。

 今回は始まる前から私の勝ちが決まっている。スマホが起動次第すぐに迎えの車を呼び、その到着まで女子更衣室に避難していれば私の完全勝利だ。アーハッハッハッハッ──



「あ、宝生寺!」


「ハッハァン?!?!」



 久しぶりに拝聴するその爽やかボイス。この私が最推しの声を聞き間違えるわけがない。



「春原くんっ!」



 不意打ちにビャッと飛び上がってしまったけれど、足を止め声の方に顔を向ければ春原くんがそこにいた。

 ひゃーっ久しぶりの推しー!いつ見ても顔が良いー!心が洗われるぅー!

 これで一ヶ月は生きられます。本当にありがとうございます。



「よかったぁ。宝生寺に聞きたいことがあったんだよ」



 前言撤回。たぶん私はもうじき死にます。

 だってあの春原駿が、周りに誰もいないのを確認してから、なぜかちょっと嬉しそうな表情で歩み寄ってくるのだから。

 妖精と女神からお土産をもらったのを同じ週に推しの笑み。幸せのオーバードーズでもうじき死ぬ。幸せと不幸せは量が等しいってどこかで聞いたことがあるし、これだけ幸せが重なればあとでドンと不幸せが押し寄せるはずだ。

 なんてことを考えつつ好みのど真ん中の顔を見上げれば、「あのさ」といつぞやと同じフレーズだけどちょっと困ったような声で切り出された。



「俺、どうしたらいいのかなーって思って」


「はい?」


「宝生寺と壱之宮のウワサ。嘘ならチャンスがあるとかなんとかって言ってる人がけっこういるだろ?でも壱之宮は……な?」



 言葉を濁す春原くんに、なるほどと言いたいことを察した。



「本当のことを話した方がいいのか、ということですね」


「そういうこと。言わない方がいいってことぐらいなんとなく分かってるけど、一応宝生寺に聞いとこうと思ってさ」



 春原くんは、秋人と千夏ちゃんが付き合っていると知っている。

 ウワサが消えて秋人がフリーだからチャンスだと思い行動する肉食女子達を見て、本当のことを言うべきか、でも言ったら千夏ちゃんが攻撃の対象になる危険性が高い。

 真っ直ぐで、嘘がつけなくて。そして今も好意の向かう先が変わっていない彼らしい行動だ。



「本当のことは今まで同様、誰にも言わないでください。理由はお察しの通りですね」


「やっぱ黙ってて正解だったか。あ、じゃあもう一つ。なんで今さらウワサが嘘って言ったんだ?」


「あー……えっと、実は私、ウワサされているなんて知らなかったんです。あと秋人も」


「えっマジで?!」



 頷く私に、春原くんは目を見開き「そうだったんだ」と呟いた。



「知っていたらもっと早くに手を打っていました。まさかこれまでずっと朝……彼女に不快な思いをさせていたなんて、本当に申し訳ないことです」



 秋人と付き合っているのだから、ウワサが嘘ということは分かっているだろう。少女漫画でも千夏ちゃんは、秋人との距離が縮まるにつれて嘘だと分かっていった。

 でも、そうだとしてもだ。自分の彼氏が違う女とウワサになっているなんて不愉快極まりないだろう。

 あ、もしかして時々私に話しかけたそうにしていたのって、このウワサの件についてだったのか……?



「春原くん。ご迷惑でなければ、彼女に謝罪を伝えておいていただけませんか?」


「俺が?」


「ダメですか?」


「ダメっていうか、あいつもウワサなんて信じてなかったし、周りが勝手に言い出したことを宝生寺が謝る必要ないだろ」



 不思議そうな顔で首をかしげるのは可愛いけれど、女心とはそういうものなんだよ。なんて、彼氏もいなければ好きな人もいない私が言っていい言葉じゃないけど。



「ていうか、宝生寺と壱之宮のウワサって信じてる人けっこういたんだな」



 嘘って分かった途端にああだもんなぁ、と苦笑する。

 あれ、この言い方って……もしかして……?



「もしかして春原くんは、最初からウワサが嘘だと……?」


「いや、入学したばっかの頃は信じてたかな。ちょうど去年の今ぐらいに聞いて、そうなんだって感じで。でもすぐに違うなって分かったよ」


「どうしてですか?あれだけの人が今まで信じていたのに」


「ん〜……目かな」



 春原くんは首をひねるけれど、はっきりと言い切った。

 訳がわからずその目を見上げて「目?」と尋ねれば、これまた真っ直ぐに目を見て頷かれる。



「前にさ、宝生寺のことをちゃんと見たらイメージ変わったって言っただろ」


「え、ええ」


「それとおんなじで、宝生寺と壱之宮のことをちゃんと見たら、すげぇ仲良いけどお互いを見る目がそういう目じゃなかったから」


「そういう……。好きな人を見る目ではない、ということですか?」


「そうそう。特に宝生寺なんか、俺のこと見る姉ちゃんとおんなじ目でさ。壱之宮のこと弟だと思ってんだな、ウワサは嘘なんだなって分かったよ」



 ────あ、まって、これはちょっと……。



「壱之宮だって……まあ、ちょ〜っと気に入らないところもあるけど、周りがビビるほどの奴じゃないし、そういう意味で好きなのは一人だけで、でも宝生寺とか雪城とかのことも大事にしてるってことは、見てれば全部分かるしな」



 どうしよう。どうしよう。これはちょっと……ううん、すごく、すっごく嬉しい。

 彼は前に、私が外部生には平和に学生生活を送ってほしいと思っていると気づいていてくれた。宝生寺様と呼ばれて周囲と距離が開きがちな私に気軽に話しかけてくれる。

 それだけでもすごく嬉しいのに、それだけじゃなかった。

 私のことも、秋人のことも、ちゃんと見ていれくれていた。家のイメージから色眼鏡で見られがちなのに、そうじゃなかった。



「……あぁあ……あなたって方は……」



 んもぉ〜〜〜やっだ〜〜〜〜〜好き〜〜〜〜〜。

 そういうところが推せるんだよ〜〜〜〜〜。



「また?!前もこうなったよな?!」



 握りしめたままだったスマホを額に押し当て顔を隠せば、慌てふためく声が聞こえる。

 ああ、もうっ!私の推しがこんなにも真っ直ぐだなんて、こんなにも清らかだなんて……知ってた!前世から!



「春原くん」


「はい?!」


「あなたが気づいてくれた通りなんです。私も、秋人も、お互いのことを恋愛対象として見たことは一度もない。それなのに周りが勝手に……それがずっと嫌で、私達……」



 でも、気づいてくれる人がいた。

 嬉しく思わないわけがない。



「だから……ありがとうございます、春原くん」



 どうして彼が当て馬ポジションなのか。フラれ役だなんて、この世の七不思議にいれていいぐらいだ。

 今すぐだけじゃなくていい。今はまだ、千夏ちゃんを好きなままでいい。

 でもいつか、いつかそれと同じぐらい想える人と出会えた時は、今度こそ報われてほしい。

 ……というか、私の至高の推しが不幸になるなんぞ、絶対に許さねぇ!

 今の私は宝生寺桜子。金と権力がある旧家の令嬢なのだ。推しを害するものは、万札でビンタして権力バットでタコ殴りにしてくれるわ!

 嬉しさやら何やらでキエェェイと荒ぶる心を隠して、ようやく上げた顔には得意の猫被りで笑みを貼り付け誤魔化した。



「それと、春原くんも無関係ではないのですから、事前に説明をしておくべきでした。ごめんなさい」


「そこはいいよ。俺ら連絡先知らないし……って、今交換すればいいのか!」



 言いながら視線が下がり、私の右手に向かう。とっくに電源を入れたのでいつでも使える状態になっているスマホに目を止めて、春原くんはひとりで納得した。

 んえっ?今、なにか幻聴が……?



「前に会った時に聞いとけばよかったんだよな。そうすれば志村に、宝生寺が朝どこにいるか聞かなくても済んだし。教えてもらってもいい?」



 地味に不便なんだよな、なんて言葉と共に差し出されたのはスマホ。

 爽やかなライムグリーンのカバーを付けている以外は何って特徴のない、普通の男子高校生らしいそれ。己の右手に握られたもの、ブランド物のピンクのカバーに親友達とお揃いのキーホルダーがついた対極のような見てくれのスマホと見比べて、



「そうですね!次に何かあった際には、事前のご説明が可能になりますものね!」



 私は大きく頷いた。

 提案されるがままにメッセージアプリを開いて操作を始めれば、一分もしないうちに登録される人数が増える。

 いや、あの、違うから。そういうあれじゃないから。これは情報の共有のためだからね。

 外部生との距離感のせいで厄介なウワサが流れてしまったから、これを皮切りに外部生とも親しくなろうという心境の変化と今後への投資だからね。

 別にアイコンの画像なんだろうとか、タイムラインを更新してくれれば推しのオフショットが合法的に拝めるとか、そういう邪なことはこれっぽっちも思ってないんだからね。

 自分で自分にそう言い訳をして、アプリを閉じた。



「これでなんかあった時は、すぐに話しができるな」


「そうですね」



 口では同意するけれど、そんな時は来なければいいと願った。

 私達が連絡を取るのは、きっと今回のように秋人と千夏ちゃんに関係する話題だろう。少女漫画の今後の展開を考えれば、千夏ちゃんの立場が危うくなった時か、二人の交際を邪魔するものが現れた時ということ。

 そんな時は来なくていい。そう強く願い、私は部活に向かう春原くんと別れて、改めて女子更衣室を目指して廊下を進んだ。

 さっきまでの優雅な競歩ではなくて、正真正銘のお嬢様らしくゆったりと。でも軽やかな足取りで。



「ムフ〜ン」



 すれ違う人はいないけど、ニマニマと勝手に上がってしまう口角を手で押さえる。でももう一方の手に持ったスマホを見てしまえば、押さえる手なんて一瞬で無意味になった。


 芽衣ちゃんの名前が加わった時も嬉しかったけど、春原くんは喜びの種類が違うなぁ。


 だって私は宝生寺桜子で、彼は春原駿。本来だったら天と地の当て馬として、お互いに嫌っていた関係だ。

 それなのについに連絡先の交換までしてしまって、私が宝生寺桜子だけど悪役令嬢ではない証拠のようじゃないか。

 修正力という超特大の不安要素はあるけれど、設定だけを考えればどんどん少女漫画と離れているんだ。勝率は高いぞー!──などと油断しているのがいけなかったのであろう。


 スマホの画面を眺めながら鼻歌交じりに角を曲がった時、ドンッと何かとぶつかってしまった。

 目に入るのは制服のネクタイ。

 やっば!宝生寺桜子が歩きスマホで男子生徒と正面衝突してしまうなんて!ただでさえ高くない鼻がさらに……ってそんなことを考えてる場合じゃない!



「ごめんなさ……い……」



 慌てて後ろへ下がりぶつかってしまった人の顔を見れば、さあっと血の気が引いた。



「あ、秋人、どうやって……!」



 そこのいたのは秋人。

 あの飢えた肉食女子達を撒くことなんて不可能なはずなのに。なぜここにいるんだと驚く私を見て、秋人は鼻先で笑った。



「どうしてじゃなくて、どうやって、か。やっぱりお前、ウワサを消せばこうなるって最初から分かってやがったな」


「アッ」


「そのくせ自分はのうのうと外野を決め込みやがって。どういう魂胆か説明してもらおうじゃねぇか」


「せ、説明って……」



 じりじりと後ろへ下がりつつ、周りに人気がないのを確認する。

 長距離走なら負けるけれど瞬発力なら私の方が上だ。後ろの角を曲がることさえできれば、別ルートで女子更衣室まで余裕で逃げ切れる。イケるぞ、諦めるな私。



「説明なんて、そんなの、あのウワサがお母様と泉おば様の耳に入ったら面倒なことになるからよ。あなただってそれを承知で協力したのでしょう?」


「ああ。でもな、俺の経験上、面倒ごと以上に目立つのが嫌いなお前が、それだけのためにあんな派手なことするわけねぇんだよ」


「……私の経験上、あなたがそういう顔をしている時はろくな目に遭わないわ」



 後退する私を追い詰めるように、一歩一歩近づいてくる幼馴染みの顔には余裕の笑み。これは絶対に捕まるわけにはいかない。

 もうちょっとで曲がり角だ。そこまで下がれれば……と考えつつ下がり続けると、秋人がその歩みを止め、私を指差した。



「桜子。お前が俺の考えが解るように、俺もお前の考えそうなことぐらいだいたい解るんだぞ」


「え?急になにを──」


「こういうことだよ」



 両肩に手が乗った。背後から添えるようでいて、がっちりと掴まれる。



「ほんっと、ありえないぐらい逃げ足が速くて、毎回毎回苦労させてくれるよね」



 恐る恐る後方を仰ぎ見た瞬間、心の中で飼っているの血統書付き美猫達が、今日も今日とて一目散に逃げ出した。どんくさいマンチカンを残して。


 ……この男、先祖にムッシュ・ド・パリでもいるのではなかろうか。



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