28-3.終わりにしましょう




「理由……」



 そう小さく言ったら最後、雪城くんは二、三回うっすらと口を開けるが、すぐに閉じるを繰り返すだけ。出かかった何かは飲み込まれ、ついには視線もすいっとそらされた。

 やっぱりこうなったか、と冷静に思う。



「…………」



 そういう顔を見たくないから、私はこれまで他人に踏み込まなかった。

 言ってしまえば楽になれるかもという期待と、それをすぐに上塗りする言った後への不安。それから土足で踏み込まれたことへの困惑と不快感。

 自分が踏み込まれたくない人間だから、その表情の意味が拒絶だとよく分かる。

 そんな私が今、そんな表情になるぐらい言いたくないことを、言わせようとしている。

 聞けない私に、聞かないことが優しさだと言ってくれた人に。



「わかりました。もう、けっこうです」



 軽く目を伏せて、ため息とは違う単なる気持ちの切り替えとして浅く呼吸をしてから引き下がった。

 いつも通り。これまで通り。引き際はわきまえている。



「待て桜子、一回ちゃんと聞いてやれ」



 逃げる機会を失ったような顔色で黙っていた秋人が、引き留めようとしてきた。



「他人に言いたくないことの一つや二つ、誰にだってあるわ」



 待てと言うけれど、もう待ったじゃないか。

 言えるようになるのを待つことも優しさと言う声が耳に残っていた。だから待ってみたけれど、待てば必ず答えが返ってくるわけではないのだ。



「それを強引に言わせるのは、私、好きではないの」


「……知ってる」



 教えた覚えはないけれど、長い付き合いだ、私の人付き合いの方法をいつの間にか見抜いていたのだろう。

 秋人は一度私と雪城くんを見比べると、好きにしろとばかりに視線を遠くの花壇へと逸らし、



「見てる立場からすれば、言わないヤツと聞かないヤツがうまくいくわけがないからな」



 いつまでも平行線だと低く言った。



「私は……」



 肯定も否定もしない。いや、できなかった。

 その「うまくいく」が人付き合いという意味なら、平行線はうまくいっていないと称されるのだろう。でも私達はうまくいっていないわけではない。

 だって、本来なら宝生寺桜子わたしは今頃、雪城透也と腹の探り合いの冷戦状態だったのだから。それと比べれば、同じテーブルを囲んでいる今はずいぶんとうまくいっている。

 腹を探り合ってもうまくいかない場合がある。うまくいくいかないは、ケースバイケースだろう。



「あなたが何かを隠していることは、以前から感じ取ってはいました」



 なんでもない様に向き直れば、雪城くんは無言でこちらを見ていた。



「それがなんなのか、聞いていれば、きっと『今』は変わっていたでしょう。でも聞かなかった。その結果がこれなのですから、自業自得と言われて当然です」



 不用意に踏み込んで今の関係が壊れるぐらいなら、聞かない。

 そんな生き方をしていなければ、もっと早くにウワサの存在を知ったり、そもそも外部生がウワサするような事態にならなかったりしていたかもしれない。たられば話をしたって意味なんてないけど、そういう未来を潰したのは他でもない私だ。

 自業自得なんて、言われなくても分かっている。

 だからこそ同じ失敗をしないために。

 今を逃せば聞く機会はもう二度とないと、もしかしたら何か聞けるかも。そんな期待のような淡いものを持って、踏み込んだ。



「でも、やっぱり聞きません。先ほどの質問には、答えてくださらなくてけっこうです」



 聞かないことが優しさだと言ってくれたのは、他でもないあなただから。



「言いたくないことを聞いてしまってごめんなさい」


「……言いたくないわけじゃないよ。タイミングとか、まあ、いろいろとね」


「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね。だからこそ、今は聞きません」



 言いかけて飲み込んだのだから、そういうことだろう。

 だったらなおさら、タイミングを間違えた私が引き下がらなければいけない。

 言いたいことはあっても、うまく言葉になってくれないってことがある。言えるようになるのを待つのは優しさで、それが救いとなる人もいると言ってくれたのもまた、彼なのだから。



「ただし。これだけは、きちんと答えてください」



 この答え次第で、すべてが決まる。

 そう思うとつい体が前のめりになって、膝の上の手はスカートを握りしめてしまう。



「もし私が、秋人と朝倉さんの関係について『これで良いわけがない』と一度でも答えていたら。あなたは、秋人への協力をやめてくれましたか?」



 真っ直ぐ見据えて問えば、同じように向けられていた目が大きく見開かれた。

 秋人ですら、ぎょっとして見てくる。けれど私は構わず続けた。



「あなたは以前、確認することについて後味の悪いことは嫌だからと言いました。だったら私が秋人を好いていて、朝倉さんのことを諦めさせたいと言ったら、私の味方になってくれましたか?」


「桜子、お前なに言ってんだ。そんなこと……」


「私は雪城くんに聞いているの。秋人は黙っていて」



 一瞥もくれずに威圧し黙らせる。

 すると雪城くんは一瞬言葉を探すように視線を彷徨わせてから、



「君がそれを望むなら、そうしていたんじゃないかな。秋人の立場だけを考えると、朝倉さんとの関係には障害しかないのに比べて、君を選べば全部が丸くおさまる」



 ああ、そうか。

 この状況で、目をそらしたまま、そういう答えを選ぶのか。

 だったら、もう────、



「──ごめん。やっぱりダメだ、そんなの」



 私が声を発するのを遮るように、彼にしては珍しい、強い否定の声が耳に届いた。

 再び視線がぶつかる。緩みかけていたスカートを握る手が、意図せずぴくりとかすかに跳ねた。



「味方なんてしなかった。今さら遅いから諦めるように言うし、忘れさせるために僕が……っ、別の誰か、相性の良さそうな人を紹介する」



 出だしは切実とすら思える勢いがあったのに、途中で突っかえる。

 普段は女の子から王子様ともてはやされている人なのに。今この瞬間、なぜかそれがとても彼らしいと思え、同時にこれまでずっと私との間にあった薄い膜が、一瞬だけ消えたように感じた。

 そして視線は、最後までそらされなかった。



「ではもしも私が二人を別れさせるために、裏から手を回して、あれこれひどいことをするようになったら?」


「君はそんな人じゃないだろう」


「あら、わかりませんよ?なにせ私は、なにを考えているかわからない秘密主義の女なんですから」



 スカートを握りしめていた手を慎ましやかな胸に当て、わざとらしく踏ん反り返ってみせる。

 すると雪城くんはぱちぱちと瞬きをしてから、しょうがないものを見る目をして、小さく笑った。



「止めるよ。そんなことになったら、絶対に」


「そうですか」



 ほしい答えが聞くことができた。

 なぜ私のみならず秋人にまで確認していたのかという疑問は解決していない。でもこれで、もう満足だ。



「そういうことならけっこうです。この話は終わりにしましょう」



 悪いものを追い出して、良いものを呼び込むように。パンパンと柏手を打って「はいはい終わり終わり」と息をつく。



「まったくもうっ。秋人が話の邪魔をするから、なんだか妙な空気になってしまったじゃない」



 はあ〜やだやだ、とこれ見よがしに肩をすくめる。

 すると秋人は「なんで俺なんだよ」と吠えた。さっきまでの居心地悪げな顔はどこへやら。



「だいたい自分の味方にならねぇって言われて、なんで満足そうなんだよ」


「だって私が知っている雪城透也かれなら、宝生寺桜子わたしの味方にはならないと答えると初めから分かっていたもの」



 そう。もう一人の違う誰かの記憶がある私には、初めから彼の本音は分かっていた。

 でもそんなものがなくたって、十年という時間があれば、例え必要以上に踏み込まないの関係だろうと彼の人となりはある程度分かる。



「これまでずっと秋人に協力していて、さっきはウワサは聞いていて気分が悪くなるぐらい不愉快な内容とまで言った。そこに嘘はないことぐらい見ていれば分かるわ」



 ねえ、と雪城くんを見て同意を求める。



「それなのに、舌の根も乾かないうちに真逆のことを言うなんて、まるで結婚詐欺師か不倫夫のようではないかしら」


「さ?!」


「不倫……」



 結婚資金と言って金銭を出させておきながえあ、別の場所にそのお金をつぎ込む結婚詐欺師。

 妻とは離婚する予定だから、愛してるのは君だけだからと言っておきながら、家に帰ればうまいうまいと妻の手料理を食べる不倫夫。

 そして親友の恋路の協力をしておきながら、その幼馴染みに別れさせるのを手伝ってと言われて頷くお坊ちゃん。

 男二人は不名誉な例えに苦い顔をするが、その三つにどんな違いがあるのだろう。



「でも雪城くんはそんな不誠実な人ではないもの。いじわるな聞き方をしても、本音をきちんと言葉にすると確かめられたから、私はもう満足なの」


「つまり、僕を試したの?」



 言い換えればそういうことなので、素直に頷く。



「言い直さなかったらどうするつもりだった……?」


「え?うーんと、そうですねぇ」



 恐る恐るといった風の問いかけに、首をひねる。

 ノーと答えられると思っていなかったから、その場合、具体的にどんな行動を起こすかはまったく考えていなかった。二枚舌に失望して、そのあとは……。



「あ!週末に京都に行って、今度こそ安井金比羅宮で縁切りのお願いをしていました」



 結婚詐欺師や不倫夫と同じ二枚舌野郎とは、縁を切るに限る。

 たぶん私なら春休みと同様、新幹線に飛び乗り、女の敵を三枚おろしにしてくださいと崇徳院にお願いしていただろう。



「言い直して良かった……」


「透也。お前ちゃんと聞いてたか?今コイツ、今度こそって言ったぞ」


「あっ!え、京都って、まさか春休みに?!」


「いいえ。親戚との会話に上がっただけ、お参りはしていませんよ。今のところはその予定もありません」



 あそこは最終手段である。

 現状、三大怨霊の一角にお願いするほどに切りたい縁はない。



「まあ、そういうわけで。────雪城くん」



 遠くを見て「縁切り」と呟く雪城くんの意識を引っ張り戻して、にこやかな笑みを送る。



「もしもの時は、先ほどご自分で仰った言葉を思い出してくださいね」



 彼が秋人を裏切ることは、絶対にない。

 前世の記憶なんてなくたって、お互いに手の内を明かさなくたって、それは間違いない。

 だから彼に任せておけば大丈夫だ。

 私は何かを言われる前に、「それから」と秋人を見ながら続ける。



「二人のファンの子達についてだけど、何もいきなりあの人数の対応をしろとは言わないわ」



 校内のどこにいても、肉食女子に狙われ囲まれる。

 今日は金曜なので二日休めるが、週明けにまた同じ日々となってはさすがの二人も本当にノイローゼになってしまう。

 当然この私が、それを分かっていて放置するわけがない。



「月曜日の放課後に、茶道部のお茶会に招待されているの。二人も是非にと声をかけられたのではない?」


「ああ、一昨日ぐらいに誘われたな。断ったけど」


「僕は連休前に誘われて、ちょうど用事がある日だったから断ったけど……。宝生寺さん、参加するの?」


「はい。このお茶会は、影響力のある内部生が多く参加するようなので、その場で私が遠回しに『二人が迷惑している』と言えばすぐに広まり、騒ぎは沈静化しますから」



 連休明け初日、つまりはウワサ騒動が勃発する直前のこと。誕生日プレゼントのお礼としてお土産を渡しに、野点に誘ってくれた茶道部員である前野さんと岩下さんに会いにいくとお茶会の日程を教えてくれた。

 その際になんとなく他の参加者を尋ねると、どうやら私の他にも紫瑛会女子が数人と、その取り巻きのお嬢様方が集まるらしい。さながら大奥である。


 これまでなら私は御台所と認識されていた。しかし今回の騒動で違うと証明され、おそらく御年寄ポジションに変わった。

 将軍とお近づきになりたいのなら、大奥最高権力者である御年寄に気に入られるのは必須。その御年寄が「慎みのない行為に上様がお疲れだ。お労しい」と言ったとなれば、肉食女子も慎みある淑女に戻るだろう。



「ただし私が何を言ったところで、紫瑛会の、特に三年生は絶対にこの機を逃さないはずです」



 ただの内部生なら、特権階級集団の一人である私の言葉を、悔しく思いながらも聞き入れてくれる。けれど同じ特権階級の人はそうはいかない。



「学内のパワーバランスや、二度とウワサされないようにするためには、私が口出しすることはできません」



 ただでさえ、後輩である私が女子生徒のトップにいることを不快に思っている三年生がいるのだ。学園内のパワーバランスを考えると、いくら御年寄ポジションと言えど注意するのは危険すぎる。

 そして私が二人に近づくなと必要以上に口を挟めば、深読みされ、また妙なウワサをされる危険性もある。



「だから僕と秋人は自分で対応しないといけない、と」


「結局はそれか」



 最初の話に戻り、秋人と雪城くんは気が重そうに息をついた。

 私がやったのはウワサを消して、最悪の状況から遠ざかる逃げ道を切り開いたに過ぎない。そこを進めるかどうかは、これからの行動にかかっている。

 終わったようで、何一つ終わっていないのだ。



「まあ、紫瑛会の三年だけならもともと声かけられてたし、あの人数の後ならそれぐらい……ん?」



 言いながら気がついたのか。秋人は眉を寄せて首をひねると、数秒後にはハッとした顔で私を見てきた。

 こういう時、私の言動の意図を真っ先に読み解くのは、昔から秋人と決まっている。



「俺らが客観的価値ってやつを理解したら、確実に騒ぎを終わらせる。そのためにわざと派手なことして、自分の影響力を強くしたのか」



 そんな「ごん、お前だったのか……」みたいなテンションで言われると、素直にハイと頷けるわけがない。

 そもそもハイと頷くつもりなど、最初から私にはない。



「なんのことかしら。私がやったのは、談話室に集まった子にウワサは嘘と言っただけよ」



 ウワサが嘘だと知って、秋人と雪城くんに群がるようになったのはファンの意思。

 群がられた彼らが、防波堤がなくなった自分達がどれくらい危険な立場か理解し、どうにかしなくてはと思い至るのは彼らの意思。

 私の思惑を聞こうと行動したのも、思惑を聞いてそれに乗っかろうと決めたのも、彼らの意思。



「それに教室に集まるファンの子が騒々しいから、たまたま招待されていたお茶会で、その子達と仲がいい子に注意するように言っておいてと頼もうと思っただけよ」



 私を絶対的権力者と祭り上げたのは、周りの勝手。

 絶対的権力者の発言を広めるのも、周りの勝手。

 聞いた発言によって行動を改める者と、そんなことは関係ないと自分を貫く者に別れるのも、周りの勝手。

 たくさんの意思と勝手がたまたま重なり合って、ウワサが消える前の『成瑛に二大巨頭はファンの女の子からちょっと遠くから熱い視線を向けられ、そんな彼らに近づいても文句を言われないのは同じ特権階級の者だけ』という日常に戻るのは、私一人でどうこうできるものではない。

 私は種をまいただけである。どんな花が咲くか、そもそも芽吹くかは、神のみぞ知るというやつだ。



「さてと、あなた達は女の子に囲まれるという現状に文句があって私を捕まえたのよね。解決すると分かれば用済みでしょうから、私は失礼させていただくわ」



 カバンを肩にかけ席を立てば、秋人はげんなりと息を吐き出し、雪城くんは苦笑する。



「あ〜ほんっと、これだから本気出したお前だけは敵にまわしたくねぇんだよ」


「可愛い顔して、とんでもなく手強いよね。一生勝てそうにないよ」



 あらまあ、まさかこの宝生寺桜子わたしが彼らからそんな発言を聞く日が来ようとは、想像もしていなかった。



「大丈夫よ。私はあなた達のこと、けっこう好きだもの。好きな人と敵対するつもりなんてなんてないわ」



 自分の運命を考えると、彼らとは一切関わらないのが最善なのは分かっている。でも神頼みまでして縁を切りたいと思ったことは、一度もない。

 それは彼らは死ぬほど面倒くさいし、バカなのかと呆れる事も多いけど、そういう面倒くさくてバカなところがどうしようもなく愛おしいから。だから何があっても最終的には「仕方がないか」と許せていた。


 こういう騒がしくて疲れる日常は、宝生寺桜子わたしが私だから得られたもの。

 その幸せを自分で壊すような愚かな真似を、本来の宝生寺桜子のようなことをするつもりは、私にはない。

 例え私の意思に関係なく修正されそうになっても、好き勝手に暴れてやると決めているのだ。



「それじゃあ、ごきげんよう」



 髪とスカートをふわっとひるがえし、軽やかに庭園を出て行く。

 途中でゴンッと硬いもの同士を打ち付ける音が聞こえたが、聞こえなかったことにした。





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