26-3.なにも変えられないわ



「女の子の会話を盗み聞くなんて、ずいぶんといいご趣味をお持ちだこと」



 はあ、と吐き出された溜め息は重く刺々しい。

 隣の第四談話室から移動してきた盗み聞き野郎共の顔を見れば、良家の令嬢とてげんなりするだろう。

 中身が良家の令嬢ではない私ならなおのこと。許されるならそのお綺麗な顔に、すぐそこのキャビネットの上でインテリアと化している分厚い洋書をぶん投げたいぐらいだ。

 でも外見が良家の令嬢である私がそれをするわけにはいかないし、投げたところでコイツらは苦もなくかわしやがるから労力の無駄である。



「俺らにも聞く権利ぐらいあるだろ」


「でもまさか、ここが満席になるぐらい集まるなんて……」


「それだけウワサが浸透してたってことだろ」


「ぞっとしないな」


「その状況でプロパガンダをやった私に、労いの言葉一つないのね、あなた達」



 企画、脚本、演出、主演。私が一人で四役をこなしたウワサ払拭劇改めプロパガンダの舞台裏は、いたってシンプル。

 協力者は、親友達だけではなかったのだ。



「こんなことだったら、女の子達に二人が恋人募集中という情報を吹き込んでおけばよかったわ。明日にまた人を集めて……」


「やめろ!」


「絶対にやめて」



 雪城くんはともかく、秋人には千夏ちゃんがいるんだからそんなことするわけないでしょうが。

 声を揃えて止めてくる二人に、もう一度溜め息を吐いた。







 時を遡り、昼休み。

 事の始まりである南原さん達との会話のあと、私はメッセージアプリで秋人に連絡を入れ、昼休みになり次第すぐに自習室に来るよう告げた。

 自習室なのは、放課後以外は利用者が一人もいなくて、昼休みに生徒が集まるカフェテリアや購買とは棟すら違うから。誰かに会って話しているのを見聞きされる心配がないからである。

 何も知らない秋人は、誰にも後をつけられていないことを確認しながら入ってくる。



「緊急事態ってなんだよ。誰かに聞かれるのがまずいなら、そのままスマホで……」


「直接言わないと意味がないのよ、これは」



 そうして待ち構えていた私は、スマホのボイスレコーダー機能を作動させて言ったのだ。私達、恋愛関係だとウワサされたみたいよ、と。

 録音されていた通り、秋人は驚愕。その慌てふためき憤慨する素の声が、私が録音したかったもの。

 録りたいものが録れたら種明かし。私は喋りながら録音中のスマホを見せ、事前に用意していたメモと心理学の本を渡した。



「ウワサの出所は分からないわ。でもまったく、私達のどこをどう見たらそんな話が出てくるのでしょうね」



 メモは『女子の間でウワサが流れてる。消すために動く。プロパガンダ』という簡潔さ。さらに本には反動形成やウィンザー効果、同調圧力といった、ウワサの払拭に使えるページに付箋が貼ってあるのみ。

 長い付き合いなので言葉少なくとも通じると分かっていたからこそ、最低限かつ最もシンプルに状況を説明した。

 すると案の定秋人はすぐに察し、



「どうせ、幼馴染みって肩書きから妄想膨らまして、現実との区別がつかなくなったんだろ」



 と言いながら私の手からペンを抜き取り、渡したメモ用紙に『方向性は?』と走り書いた。



「妄想ね。ふふっ」


 ────『アンダードッグ効果』


「なんだよ」


 ────『勝算』


「あなたらしい意見だと思って」


 ────『録音次第で九』


「他に答えあるか?こんな根も葉もない話に」


 ────『十にする』



 こんな感じで当たり障りない会話をしながら、筆談で会話の流れを決めて、ウワサする女子生徒達の同情心を煽る色眼鏡発言に繋げたわけだ。

 ここまでは順調だった。ここまでは。



「二人ともここにいたのか」



 録音を止めようと、スマホに指を伸ばした時、のほほんと、これまた何も知らない雪城くんが現れたのである。

 赤ん坊の頃からの付き合いで、お互いの考える事はだいたい分かる秋人だから。良くも悪くも馬鹿正直で、事情を知った上で驚いた演技ができない秋人だから。あらゆる事情を考えて私は、ぶっつけ本番で録音した。

 しかしそうではない彼には、あとで説明をしてから協力してもらうつもりだったのに。

 止め損なった録音。入ってしまった第一声。説明には時間がかかる。視線は筆談に使われたメモに。



「ん?なにこのメ──」



 瞬間、秋人が心理学の本をぶん投げた。

 広辞苑並みに分厚いハードカバー本を、王子と称される親友の顔面めがけて、大きく振りかぶって。

 アーッやめて可哀想!本が!……そう思ったあの時の私はたぶんかなり混乱していた。投げた本人も混乱していた。

 しかし殺気に敏感なのか、はたまたイケメンのプライドか。顔を狙われた雪城くんはさっと避け、本は憐れにも壁に激突。ドゴンッと派手な物音が録音されてしまった。


 こうなってしまっては続けるしかない。泥舟だろうと、三人とも泳げるのだから死にはしないだろう。

 あと緊急時とはいえど本を雑に扱った件については後日説教します。


 私は白々しく「おいおい大丈夫か」などとのたまう秋人に口では合わせつつ、メモ用紙に『詳しくはあとで。話を合わせて』と追加。いきなりなんの真似だと言いたげな冷たい目をした雪城くんに渡した。

 するとメモ、録音画面のスマホ、疲れた顔の私と秋人、さらに拾い上げた本を見て、ふむと少し考え合点がいったらしい。



「大丈夫、少しよそ見をしていただけだから」



 口調は穏やかだが、秋人を見る目は冷ややかだった。本を投げられた件は別らしい。

 一方私は、予定は狂ったが小道具を完成させてしまおうと決めた。



「でもちょうど良かったわ。私、雪城くんにお聞きしたいことがあったんです」


「僕に?珍しいね。いいよ、なに?」


「フランスにいらっしゃる婚約者さんについてなんですが」



 脈略のない発言に、当然雪城くんは驚愕。秋人すらギョッとしていた。

 想定以上の慌てふためきっぷりに逆に驚きつつも、私はメモ用紙を裏返し走り書いた。そのウワサも消す、と。

 するとピタリと動きを止め、秋人と同じように私からペンを取って『どうすればいい?』と書く。



「そういうお話を耳にしたもので。水臭いですね、言ってくださればお祝いいたしましたのに」


 ────『ウワサを知らなかったフリを』


「宝生寺さん、その話はどこで聞いたの?」


 ────『あとは?』


「この成瑛の中でですよ」


 ────『真実を。春休みと同じ流れで』


「楽しそうなところ悪いけど、僕にそんな人はいないよ。世界中のどこにも。断じていない」


 ────『本当に違うから』


「あら、でもあなたが女性と仲睦まじげに歩いていたと」



 そういうのはいいから続けろという意を込めて睨めば、ペン先でトントンとメモ用紙を突き、念押しされる。

 仕方がないので会話を続けながら本を開き、付箋の貼ってある反動形成のページを見せた。しつこい否定は肯定になるという意だ。

 するとようやく引き下がり、ウワサする女子生徒達の同情心を煽る味方が少ない発言が出たので、ようやく録音を止めた。



「もぉー!どうしてあのタイミングで来ちゃうんですか。あとで話して頼むつもりだったのに!」


「ウワサってなんなんだよ!いつからあった?!つーか透也!婚約者ってなんだ!?」


「二人でコソコソしてるから心配して来てみれば、なんなんだこれ……」



 決壊したダムのように三人同時に喚く。そして数秒間黙り込んでから同時に息を吐いて、秋人の「桜子、説明」との言葉で仕切り直された。



「放課後に第三談話室に人を集めて、ウワサを消すために一芝居うつの。諸々の準備はもう済んでいるわ」


「じゃあその録音は…………おい待て、第三談話室って確か……」


「仕方がないわよ。スマホの音声を再生できるオーディオは、あそこにしかないそうだから。ここで逃げたらなにも変えられないわ」


「……録音は集まった奴に聞かせるってことか?」


「ええ、そう。権威への服従原理と、確証バイアス。憧れの的であるあなた達について、女の子達はウワサする一方で、心のどこかでは嘘であってほしいと願っていたはず」



 私は心理学の本の、認知的不協和のページを開いて見せながら続けた。



「そんな時に聞かされた学内序列上位三人の言葉。しかもウワサが嘘という好都合な情報であれば、疑うことなく受け入れ、嬉々として学園中に広めてくれるわ。あなた達の人気と、女の子のウワサ好きの習性を逆手に取るの」


「理解はできたけど、僕らも関わっていることを宝生寺さん一人には任せられないよ。なあ、秋人」


「好きにやらせとけ。他にいい案も浮かばねぇし」


「秋人!」



 止めろよと言いたげな声に秋人は溜息を吐き、本とメモを片付ける私を指差した。



「コイツは普段はアホでも、本気になった時は絶対に失敗しねぇ。下手に俺らが首突っ込む方が、コイツの負担をでかくなるだけだ」



 これにはさすがの私も驚いた。

 お互いの物の好みや得意不得意は把握していて、特に何と言わなくても考えていることだってだいたい分かる、生まれた時からの幼馴染み。

 両親の次ぐらいに一緒にいる時間が長いかもしれない腐れ縁。おまけにお互いに母親の恋愛観に苦労していて、なんとかしようという協力関係でもあった。


 そりゃあ私だって、普段あれこれ心配しつつも、最終的には「まあ秋人なら大丈夫か」と思うだけの信頼と信用があったけど……。


 でもまさか、あのプライドがエベレスト級に高い俺様何様秋人様なお坊ちゃんの口から、他人のことを高く評価し任せておけば大丈夫なんて言葉が出るなんて。アホと言われた怒りが吹き飛ぶぐらいの衝撃だった。

 しかし驚いたのは私だけではなかった。

 雪城くんも、かすかに見開いた目で秋人を見て、次いで私を見る。ついとっさに「大丈夫です。うまくやります」と言ったけど、眉をひそめられ目もそらされてしまった。



「……分かった」



 それ以上反対されることはなかったけれど、明らかに納得していない声と態度だった。

 もともと彼は、秋人と千夏ちゃん絡みの件が解決するたびに「これでよかったの?」と聞いてきたのだ。何度も何度もイエスと答えて、最近ようやく質問されなくなった。

 ……たぶん、彼の中では、私の言葉は一度や二度では信用できないものなのだろう。

 何を考えているか分からないと言われてしまうぐらいだから、仕方のないことだった。


 反対意見が出なければ、これ以上の話し合いは無意味。一緒にいるのを誰かに見られる前に解散するべきという空気になるのは自然なことで、「先に来てたんだから先に行ってろ」という秋人に頷いて、私は一足先に自習室を出た。

 そして昼休み、五限、六限をいつも通りに過ごし、さて諸星姉妹と合流して談話室に行くかと思った時。スマホが秋人からのメッセージを受け取った。


『第四にいるから聞こえるように窓開けとけ』


 決定事項かよ。女の子の会話を盗み聞きするって趣味悪いし、そんなことしなくても終わったら結果を伝えるつもりだったのに。

 まあ、自分が関係していることなら成り行きが気になるに決まってるか。

 私は『わかった』とだけ返して、諸星姉妹と第三談話室へと向かったのであった。


 ────以上、回想終了。




「ともあれ種はまいたわ。あとは私達が何かしなくても、勝手に芽吹いて増殖していくでしょう」


「プロパガンダなぁ……。お前、よくこんなやり方思いついたな」



 不思議そうな秋人に「まあね」と答えて、もうすっかり冷たくなった紅茶を飲み干す。



「こういう情報操作や心理誘導が得意な人を知っていたから。その人のやり口を真似ただけよ」



 プロパガンダは、少女漫画の宝生寺桜子の十八番だった。

 この春の間に内部生を集めて、情報を流して、情報が正しいと刷り込まれた人を影から操って、自分に優位な状況を作り上げる。なんともラスボス系悪役令嬢にふさわしいやり口で、壱之宮秋人を自分のものにしようとしていた。

 私はそれを参考にしただけ。例え求める結果が宝生寺桜子とは真逆だとしても、私が宝生寺桜子わたしなら、これでうまくいくはずだ。



「それに友人の言葉を借りれば、権力者のゴシップはおいしいそうだから。私達三人が関係するゴシップとなれば、誰もが面白がって、明日はこの話題で持ちきりになるはずよ」



 言いながら席を立ち、カップとコースターを片付けるため、テーブルから離れた所定の場所へと向かう。

 すると秋人だけでなく雪城くんまでなるほどと納得する声が後方から聞こえた。



「そういうことなら、僕らは誰かに何か聞かれたら答えるだけにしておいた方が良さそうだね」


「だから言っただろ。俺らが出る幕はねぇんだよ」


「秋人はその、何かあるたびに宝生寺さん頼みなところ、いいかげん直した方がいいと思う。そろそろ見限られるぞ」


「ちょいちょい見限られそうになってる奴が言うと重みが違うな。連休前は諦めるとかほざイッテェ!!」


「おいおい大丈夫か」


「……先に俺が見限ってやろうか」



 何をどったんばったんしてるか知らないけど、仲良いですね。でもホコリが舞うからやめていただきたい。

 そう心の中で文句を言いつつ、インサートカップは潰してゴミ箱。カップホルダーとコースターは、ウォーターサーバー横のカゴへ。

 談話室を使うのは初めてだけど、先に帰っていった子達と同じようにすれば間違いないはずだ。



「さてと。無事に終わったことだし、私は疲れたから失礼するわ。朝から疲れることばかりだったから。とても疲れたの、心身ともに」


「労わなかったこと根に持ってやがる」


「朝からね……ははっ……」



 カバンを持って談話室を出れば、二人もそれに続く。

 せっかくプロパガンダが終わったのに、直後に一緒にいるのを誰かに見られてはマズい気がする。これ以上私の精神力を削るのはやめていただきたい。



「労いの件だけど、僕は本当に何か考えた方がいいよね」



 少しでも距離を開けたくて、気持ち早足で廊下を進んでいると、そんな声が聞こえた。



「宝生寺さんが消したいのは秋人とのウワサ。僕のはついでに消してくれたわけだし」



 まあ、そういう発想になるのは当然のことだよね。でも──、



「けっこうです。ついでなどではなく、お返しとして、初めからあなたのウワサも消すのも計画の内でしたので」


「え?」


「お昼休みに言ったではありませんか。あとで話して頼むつもりだったのに、と」



 お気になさらず、と振り返って言えば、きょとんとしていた顔が二つ。

 まさかこの野郎ども、揃いも揃って私が何をするにも見返りのスイーツを要求する食い意地のはった女だとでも思っていたのか。なんと無礼な。実に心外である。



「お返しって……あ、今朝の?」


「ああ、それもありましたね。ではそれも込みということで」



 ちょっと何を言ってるか分かりません。

 そう言いたげな顔に、あの時私もそうだったんだ、ざまあみろとスカッとした気分になる。



「もともと春休みの件は、ご招待いただいたお礼でした。それのお礼なんておかしいでしょう?だからこれでイブーンです」


「釣り合いが取れてないよ」


「いいえ」



 すべての始まりは、私が休暇先について話してしまったばっかりに、雪城ファンを絶望させてしまったこと。

 誕生日を祝ってくれた子達にそんなことを、恩を仇で返してしまい、なんとかしようと思ったのが始まりだった。

 でも恩があったのは、彼女達だけではない。雪城くん本人にも、恩があったのだ。



「私は先に多めにもらっています。あなたが釣り合いが取れていないと言うのなら、釣り合いは取れているんです」



 連休前の水族館。あの日、私はこれまで見て見ぬ振りを……思い出さない様に心の奥の奥に押し込んでいた前世と向き合い、本当の意味で区切りをつけることができた。

 今を、宝生寺桜子わたしを私として生きることが、本当の意味でできるようになった。

 前世を思い出し十年以上経ってからそれができたのは、話を聞いてくれる存在がいたからだ。

 聞かないことが救いになる人間がいるのなら、私は聞いてくれることが救いとなる人間だったのだろう。


 そしてそれをしてくれたのが、なんの因果か、本来なら対立する関係となるはずの彼だった。


 その恩を、なにかの形で返したい。そう思っていたところに、今日の出来事が起きた。

 朝にお土産をもらった時は「またかよ!返す分が増えちゃうじゃん!」と思って受け取りたくはなかったけど、このプロパガンダで「お土産のお返しとしては釣り合いが取れていない」と言うのならちょうどいい。

 その多い分は、あの日の分になる。

 これでイーブン。天秤の針は水平に戻った。



「これでやっとギブアンドテイクが成立したんです。だからこの話は、もうおしまい」



 くるりと踵を返して、再び生徒用玄関を目指して歩き出す。

 後ろから秋人共々戸惑ったような声が聞こえたけど、いくら考えても答えが分かるわけがない。

 すべては前世の記憶があるという秘密が関係しているのだから。私がその秘密を打ち明けない限り、一生の謎だ。

 すでに何を考えているか分からない女と思われているのなら、今さら謎が一つ増えたくらい、たいして変わりないだろう。



「あっ、そうだったわ。今さらなのだけど、二人とも、ウワサを消してしまってよかったの?」



 スマホ片手に階段を下りながら問えば、今度は不可解そうな声が聞こえた。



「いいに決まってんだろ」


「消してくれてありがたく思ってるよ」


「そう、それならいいの」


「なんでそんなこと聞くんだよ」


「意思確認は大事だもの」



 一仕事終えて気分がいい私は、スマホをポケットの入れながら軽快に階段を下る。

 すると秋人は「さっきからなんなんだよ」と呟き、雪城くんは「楽しそうで何よりだよ」とついに考えるのを放置した。

 そんな二人に、私は気分良く笑う。



「しばらく賑やかになりそうねぇ」



 吹奏楽部の演奏が遠くから聞こえる、人気のない放課後の校舎内。

 私のコロコロとした笑い声がよく響いた。




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