26-1.近づきたくなかったわ



 敵役というのは、ざっくり二種類に分けられる。


 主人公と対等、もしくは少し上の力を持つライバル。

 物語の序盤から登場し、主人公とは時にぶつかり時に協力する。少年漫画などでは主人公以上の人気キャラになってしまうことが多いタイプだ。


 もう一方は圧倒的な力を持ち、主人公の前に立ちふさがるラスボス。

 主人公と分かり合えることはなく、絶対的な悪であるその存在に主人公が勝利することで物語が完結する。RPGの魔王などがこのタイプ。

 そしてこのタイプの敵には、ある一定の層にはカリスマ的な魅力を発揮する。志を同じくしたものが多く集まり、崇拝と言っていいぐらいの高い忠誠心を誓う部下を抱えているパターンがある。

 悪のカリスマというやつだ。




 さて、少女漫画『ひまわりを君に』にはかませ犬を含めて敵役は何人かいるのだが、宝生寺桜子はどちらに該当するのか。

 答えは後者。主人公である千夏ちゃんと分かり合えることはなく、彼女が退場することで物語が完結する典型的なラスボスである。

 それも大勢から崇拝されるカリスマタイプだ。

 容姿端麗、頭脳明晰、家柄の良さもプラチナ級。おまけに気に入ったものには甘く優しく寛容。時には畏怖させるが、何かあれば逆に守ることすらある宝生寺桜子には、手足となって動いてくれる取り巻きが多くいた。

 悪のカリスマ要素の一つ。アメとムチを完璧に使いこなし、人心掌握に長けていたのである。


 本来の宝生寺桜子は、穏やかで希望あふれる春を象徴する花の名を持っているが、その本性は真逆。

 卒業式の終わった人気のない体育館裏で一世一代の告白をする甘く切ない青春の一ページを演出する花でもなければ。

 縁側で「ほら、おじいさん。今年もきれいに咲きましたよ」「そうだなぁばあさん」などとミケ猫を撫でながらお茶を飲む老夫婦の日常に小さな幸せを運ぶ花でもない。

 月のない晩にぼんやりと妖しく光り、根元に植えられた死体を養分に咲き乱れる。そして見た人を狂わせる。


 ────そう。花は花でも、悪の華なのだ!


 だからそういう意味では、以前言われたあの例え……、



「……誘蛾灯は、なかなかに的を射ていたわね」


「んぅ?さくら?」


「なんか言ったぁ?」



 左右を歩く諸星姉妹に、私はなんでもないわと微笑んだ。



「そんなことより二人とも、急なお願いだったのに手伝ってくれてありがとう。助かったわ」


「ホントだよ〜。いきなり、壱之宮くんとのウワサを消すから手伝ってなんて言ってさぁ」


「さくらがウワサされてんの知って怒ってる〜とか、放課後に談話室に連れてくから謝ったほうがいいかも〜とか、クラスの子に言えなんてめちゃくちゃなこと言うしさぁ」



 南原さん達から、秋人との関係についてのウワサ……それも彼女達は真実だと信じ切ってる状態と知った私の行動は早かった。


 やっぱり修正力はあるのか?!

 とにかく一刻も早くこのウワサを消さねば!

 もしこれが修正力のせいなら、このままでは私の人生は、漫画の通り婚約者に祭り上げられてからの交通事故により強制退場エンドになりかねん!


 そう焦りつつも、脳みそをフル回転。一瞬でプランニングを終えた私は「私達がね。へぇ、そう」と冷たく呟き、次には「お土産を渡し終えたいから、私は失礼するわ」とにっこり微笑みその場を離れた。ついて来ようとした南原さん達を穏やかな口調ながらもはっきりと拒絶した時点で、計画は始まってた。

 その足で瑠美、璃美、真琴の元を順に訪れて事情を説明。ウワサを消すための計画への協力を仰ぎ、放課後の今に繋がる。



「そんなこと言って、二人もノリノリだったじゃないの。目薬なんて使って涙目のフリをして」



 さすがにやり過ぎよ、とため息をつく。

 すると双子は私を挟みながら顔を見合わせ、笑った。



「だって、さくらがめちゃくちゃなこと言い出した後って、絶対に面白いことが起きるんだもん」



 なんの合図もなく声を揃えることができるのは、一卵性の双子だからなのか。ダブルの満面の笑みが可愛いこと可愛いこと。

 ともかく、この双子と、部活があるので今は一緒にいないけれど同じく協力してくれた真琴のお陰で、仕込みは済んでいる。台本も小道具も用意ができているのだから、あとは舞台で一芝居うてば計画終了だ。



「でもさぁ、さくら。なんで談話室なの?」


「談話室は入りたくないって言ってたじゃん。特に第三はヤダって」


「……ええ、できることなら近づきたくなかったわ。でも──」



 高等部の校舎には、四つの談話室がある。

 少子化により生徒数が減り空き教室となってしまったため、生徒用のフリースペースに改装した部屋だ。

 その中の第三談話室。飾られた絵画から取られて『春の間』と呼ばれているそこは、私は絶対に近づかないようにしていた。誰かに誘われても、適当な理由をつけて断っていたぐらいだ。



宝生寺桜子わたしが人を集めて何かをするなら、やっぱり、春の間しかないわ」



 徹底的に避けていたのは、春の間は少女漫画第二部でも頻繁に登場していたから。宝生寺桜子が、取り巻き達とたむろする場所だったからだ。

 いわば悪の巣窟。あまりの使用頻度、登場頻度の高さに作者にすら『桜子の部屋』と揶揄され、たまに宝生寺桜子サイドのシーンがくると「今月は桜子の部屋回か」「ゲストは誰だ」「ルールル♪ ルルル♪」などネットに書かれていたぐらい、宝生寺桜子と春の間はイコールで繋がっていた。

 本来の宝生寺桜子とは違う人生を歩むことが目標の私が、自分から近づくわけがない。


 しかし今から私がやることは、これまでのポリシーとは正反対のことだ。


 本来の宝生寺桜子は、彼女が白といえばカラスは白と決まるぐらい完全に取り巻き達をコントロールしていた。同じ行動をすれば結末すら同じになってしまうため、私はお嬢様の皮を被りつつも本来の宝生寺桜子を反面教師として生きてきた。

 それを、あえて今だけはやめる。

 ウワサを消すために、なりたくなかった本来の宝生寺桜子を演じる。そしてウワサを信じ込んでいる子達に、私の言葉こそが正しいと信じ込ませる。



「瑠美」


「はいはーい」



 第三談話室の札が見えたので、事前の打ち合わせの通り瑠美を先に向かわせる。

 双子には『根も葉もないウワサされていると知り機嫌の悪くなった宝生寺桜子に、周囲の子が謝る機会と場を用意した』という設定のもとで動いてもらった。入室した瑠美は今頃、中にいる子に私がもうすぐ来ることを教えているはずだ。

 ……もう、後戻りも失敗もできない。



「さくらー!席空いてるよー!」



 瑠美は第三談話室の扉から顔を出して、手招きをする。



「人いっぱいいるけど、いいー?」


「ええ、談話室は誰でも使える場所だもの」


「じゃあ早く行こ!」



 璃美に手を引かれ、瑠美が開けてくれている扉から第三談話室へ……避け続けていた春の間へ、初めて足を踏み入れた。

 私は『放課後の優雅なティータイムを楽しむため双子に連れてこられた』という設定なので、いつも通りの態度でいなければならない。しかし集まった顔ぶれに、のどが引きつった。


 ────ヒィーッ!漫画に出た宝生寺桜子の取り巻きお嬢様が何人かいるー!


 さすがの私も、取り巻きキャラの全員を覚えているわけではない。でも作中で顔もしっかりと描かれ、名前とセリフがあり、宝生寺桜子の手駒として千夏ちゃんに嫌がらせなどをしたかませ犬的なキャラなら何人かうっすらと記憶にある。

 覚えていたからこそ、これまで接点を作らないようにしてきたのにぃ!なぜいるんだ?!



「初めて来たけれど、談話室を利用される方はたくさんいるのね」



 まぁいいわ。いるのはあくまでかませ犬キャラのみ。最も避けるべき側近キャラは一人もいない。

 そう不幸中の幸いを噛み締めながら、平静を装った。



「あそこのテーブルしか空いてないね。璃美ここー!」


「じゃあ瑠美ここー!」



 双子は唯一空いているというテーブルへとことこ向かい、楽しそうにイスに座った。そして「さくらはここね」と指差されたイスに、場所に、貼り付けた微笑みが引きつりそうになった。


 ────ンンンンッ!漫画で宝生寺桜子がいつも座ってた席ー!


 宝生寺桜子は、春の間ではいつも同じイスに座っていた。それが、この春の間の由来となったボッティチェリ作『プリマヴェーラ』の複製画前のアームチェアだ。


 吹奏楽部の演奏がかすかに聞こえる、人気の少ない放課後の校舎。レースカーテン越しに夕日の差し込む談話室。ヴィーナスやキューピットの描かれた絵画を背景に、ヨーロッパから空輸しましたと紹介されても頷けるイスに座り、優雅に紅茶を飲む長い黒髪の少女。

 これだけなら排他的な雰囲気で、深窓の令嬢というフレーズがぴったりだ。

 でもそこで話されているのは、どうやって一人の少女を陥れるか、どうやって一組のカップルを破局させるかなのだから、ゾッとする。まさに悪役令嬢とその仲間達の空間である。



「ちょうど空席があって良かったわね」



 ま、まぁいいわ。宝生寺桜子になりきるのなら、座る場所も同じ方がそれっぽくなる。あと絵の前しか空いていない。そこ以外に空いているテーブルもイスもないなのだから仕方がない。そう、仕方ないのだ。

 そう自分を納得させて、双子に勧められたアームチェアに腰かけた。

 ウヒィイ!これって、座ったらもれなく死ぬ系の呪われたイスじゃないよね?!やめて私まだマンチカンに転生できるほど徳積んでないの!



「桜子様、なにか飲まれますか?」



 顔は微笑み、心で大号泣していると、横から控えめに声をかけられた。

 見ればそれは、少し緊張気味の南原さん。少し離れたところには棟方さんや北園さん、傘崎さんといった見慣れた子が集まっている。もともと彼女達と一緒にいる時に事が起きたのだから、いるのは当然のことか……。

 何はともあれ、もう舞台は始まっているんだ。宝生寺桜子を演じろ。常に宝生寺桜子らしい言動を取れ!



「では、あたたかい紅茶をいただけるかしら」



 いつもの私なら「あー大丈夫、大丈夫。自分の飲むものぐらい自分で淹れるから」的な感じで断るけれど、本来の宝生寺桜子は生粋のお嬢様。お茶とは淹れるものではなく飲むものだ。

 となれば、息をするように希望を言うのが最も宝生寺桜子っぽい!

 お茶汲みなんかさせてごめんね、と心の中で謝りつつ、備え付けのウォーターサーバーと電気ケトルを使って淹れられたら紅茶を受け取った。

 使い捨てのインサートカップはどこにでもある品だけど、ホルダーはデザイン性の高い金属製。漫画で宝生寺桜子が使っていたものと同じで、思わず笑う。

 周りがどんどん私を宝生寺桜子に近づけやがる。笑うしかない。



「ありがとう南原さん。あら、この色と香り。ダージリンのセカンドフラッシュね」



 ゆったりとした動きで、カップに口をつける。

 漫画では、宝生寺桜子はこんな感じの言動をちょくちょく取っていた。読者であった私は「ダージリンは分かるけどセカンドってなんやねん。二番だしみたいなもんか」と思っていたけれど、今では私とて名家の令嬢。そのあたりの知識がある。

 だがしかし、色と香りで銘柄を当てるなんて高尚なことができるわけがない。

 これは昼休みにカフェテリアの二階に行き、専属のコンシェルジュにどこの茶葉を仕入れているか、談話室にも置いているか下調べをしたからである。

 ぶっちゃけ私は、お茶なんてお菓子に合っていればなんだっていい。メインはスイーツだ。



「もう五月だものね。月末には試験もあるし、一月ひとつきなんてあっという間ね」


「うえぇ〜やめてよ、さくら〜」


「テストなんかの話しないでよ〜」


「でもすぐに試験期間になってしまうわよ。確か二人とも、次に試験の順位を下げたらご両親に怒られると言っていなかった?」


「そうなんだよぉ。もし下がったら夏休みの旅行はなしってママが言ってさ〜」


「そのくせ自分はセーシェルに行きたいって、パパに言ってるの。璃美達のこと置き去りにするつもりなんだよ、ひどくない?!」


「いい点を取ればいいだけじゃない」


「あ〜頭いいさくらには分かりっこないよねぇ〜」


「下から数えた方が早い順位の苦しみは分かんないよねぇ〜」


「そんな言い方をするなら試験勉強みてあげないからね」


「ヤーッ!ダメダメ!」


「さくらに教えてもらえないと、ホントに旅行いけなくなっちゃう!」



 ……さて、談話室らしく双子とくつろいで話しているけれど、周りに目立った動きはない。

 ここにいるのは、雰囲気からして内部生のみ。なかでも秋人ファンが圧倒的に多い。

 つまり成瑛内で浸透しているウワサの件について、私となんらかの話をしたい子や、なんらかの情報を盗み聞きしたい子のはず。

 チラチラと話しかけるタイミングをうかがっているようだけど、双子との会話を邪魔できなくてためらっている、といったところだろうか。

 であれば、ここはプランBだ。



「────ふふっ」



 ふいに小さく笑いをこぼせば、双子が「どうしたの?」と揃って首をかしげる。

 しかし私はそれに答えず、紅茶を飲んだ。コースターの上にカップを置く小さな音が、もともと騒がしくはなかった室内に響く。



「ごめんなさいね。実は私、なぜ皆さんがここに集まっていたのか知っているの」



 口元に手をあて、くすりと笑う。

 すると双子は「あ、はじめるんだ」と言いたげな表情を見せたが、すぐに素知らぬ顔でお茶を飲み始めた。

 一方で周囲の子達は、びくりと肩を揺らしたり、顔を青くしたり。双子によるやり過ぎな仕込みの効果で、完全に私が怒っていると思い込んでいるようだ。

 本当は知らぬ間にウワサされていた驚きと恐怖ばかりで、怒ってなんかいないけど……。でも、こうなっていた方が都合がいい。



「どうするつもりなのか様子を見させてもらったけれど、これ以上は時間の無駄のようね。でも、そうねぇ、せっかくこんなにもたくさんの方が集まっているのなら……」



 今日のこの場でウワサを消すことができれば、少女漫画の設定『成瑛学園内には壱之宮秋人の側に最もふさわしいのは宝生寺桜子という空気が浸透している』が崩壊する。

 だったら運命を変えるために、今日も今日とて、好き勝手に行動してやる!

 築き上げてきた今を守るために、全力で、悪役令嬢を演じきる!



「いい機会だから、少し、私の話を聞いていただけるかしら?」



 宝生寺桜子わたしは人の良さそうな笑みを浮かべながら、絶対的な強制力のある声色で春の間を支配した。


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