25-3.ファンほど怖いものはない
「え?秋人と雪城くんの機嫌?」
休み時間を利用したお土産配り行脚の最中。とある女子生徒の問いかけに、前にも似たようなことを聞かれたなと思った。
「はい。なんだかお二人とも、ずいぶんと機嫌がよろしいようで」
「わたくしもそう感じましたわ」
「連休前のご様子が嘘のようでしたわね」
一人が言えば、他の子も「ねぇ〜」とうなずき合う。行脚に付き合ってくれた南原さん達四人組も同じようにうなづくのだから、どうやら誰が見ても彼らの機嫌はいいらしい。
「桜子様、なにかご存知ありませんか?」
「二人の機嫌ねぇ……」
秋人の機嫌がいい理由は分かっている。千夏ちゃんと水族館デートをしたからだ。
おまけに今朝教室で見かけた千夏ちゃんのカバンには、昨日買ったのであろうイルカのマスコットがついていた。それを秋人が見たとすれば、機嫌は最高潮になるはず。
図書室で会った雪城くんも、秋人の機嫌がいいと言っていたから間違いないだろう。
──が、二人の交際はもちろん秘密なので、その事実を言えるわけがない。
「秋人は分からないわ。今日はまだ一度も見かけていないから」
「では、休暇はどちらへ行かれたかなどは?」
秋人ファンである北園さんが食い下がる。
くっ、ファン手強い!どうにかして誤魔化さなければ……!
「ええっと、確か休暇前にオーストラリアがどうとか言っていたから、もしかしたらオーストラリアへ行ったのかもしれないわね」
嘘ではない。
秋人は千夏ちゃんとの旅行先をオーストリアでいいかと言っていたし、あくまで「かも」と予防線を張り断言はしていない。
だからこれは断じて嘘ではない。
「雪城様の休暇先は?上機嫌になられた理由はご存知ですか?」
今度は雪城ファンの傘崎さんが、食い気味に聞いてくる。
「雪城くんは……」
これはこれで答えに困るなぁ。図書室での様子を思い出せば、機嫌がいいとは真逆。うんざりと疲れたような顔をしていたはずだけど、あの後に機嫌が良くなるようなことがあったのか?
素直に朝会った時はそうではなかったと言えたらいいけれど、そんなことを言ったらなぜ朝の図書室で会っていたのか、お土産の件を話さなければならなくなる。
同じクラスなので見かけていないという言い訳は通用しないし、うーん、どう切り抜けるべきか……。
「たしか、ご家族でフランスへ行くと言っていた気がするわ」
嘘ではない。
実際私は休暇前にそう聞いていたし、お土産を渡されたのだから本当に家族で行ったのだろう。だがお土産云々を隠すためにまたも断言はせず、私は「休暇先でいいことがあったのかもしれないわね」とすっとぼけた。
瞬間、周りの空気がどよんと澱んだ。
「ああ、そんな……」
「やっぱりそうなんですね」
「嘘よ……いくら桜子様のお言葉でも、それだけは絶対に……」
周囲にいた何人かが、暗い顔でぶつぶつ言い始める。
「えっ、私、なにか良くないことを言ってしまったのかしら?」
「ご安心ください。雪城様のファンの間では、よくあることですわ」
「よくあること?これが?」
「はい」
横から南原さんがにっこり笑い、当たり前のように言う。
しかしそんな彼女の奥では、傘崎さんが青ざめ放心状態。どうにか立っているようだけど、北園さんが「茜さんしっかりして!」とその肩を叩いても反応がなかった。完全に魂が抜けている。
「どういうことなの……?」
「壱之宮様と雪城様の上機嫌のわけは、休暇の過ごし方にある。そうそれぞれのファンは予想したそうなのですが、フランスは受け入れられない休暇先なのです」
「それで私に休暇先を聞いたのね。でも……」
ちらりと、周りを見る。すると周りの子の表情は三つのパターンに分かれていた。
暗い顔でやだやだと首を振る子、呆然とする子、泣き出しそうな子。負の感情の子達は、南原さん曰く雪城ファンらしい。
一方でキャアキャアと「オーストラリアですって」「マリンスポーツをされたのではない?」と楽しそうにおしゃべりをするのは、おそらく秋人ファンだ。
残りは特に表情は変えていない、世間話としか思っていなさそうな雰囲気。二大巨頭のどちらかを推しているわけではなさそうだ。
私はそのどちら派でもない風の子代表、南原さんと棟方さんにそっと声をかけた。
「あの子達の間では、オーストラリアはよくて、フランスはダメなの?」
雪城くんの母方の親戚はフランスにいる。それはファンなら知っていることのはずで、おかしいことなんて何一つない。
それなのにどうして、雪城ファンは落ち込んでいるんだろう?
訳がわからずそう問いかけると──、
「桜子様、こちらへ」
「向こうでご説明いたします」
南原さんと棟方さんを中心とした、二大巨頭のどちらでもない派の子達に、そっと背中を押され集団から離された。
誘導されたのは廊下の角を曲がった、階段前。秋人ファンと雪城ファンからは見えない物陰だった。
あれ?私カツアゲでもされるのかな?ぴょんぴょん跳ねてチャリンチャリン鳴らさないと死ぬやつかな?
しかし今私のポケットには香水の香りを確かめるのに使ったティッシュが一枚入ってるだけ。ぴょんぴょん跳ねてもフランス産香水のいい香りを振りまくことしかできない。
「桜子様は、雪城様についてのウワサをご存知でしょうか?」
「え?」
「実は女子生徒の間では、雪城様にはフランスに交際されている方、もしくはそれ以上の関係……婚約者がいらっしゃるともっぱらのウワサなのです」
あ、いや、それ知ってるやつ。
なんだか私が知らない前提の言い方をされているけど、胸の大きい金髪フランス美女の話なら知ってるし、なんだったら本人に直接聞いて「はあ?」って言われたぐらいだ。
だがそれを言ったらややこしくなりそうだ。ここはとりあえず空気を読んで、初耳を装っておこう。
「あらまあ、そんなウワサがあったの」
「品位に欠ける話でしたので、これまで桜子様のお耳には入らないようにしておりましたが、こうなっては仕方がありませんわね」
「ええ、すべての事情をお話しいたしましょう」
「そのウワサの始まりは、雪城様が外国人女性と腕を組んで街を歩いていたとの目撃情報が、雪城様のファンクラブ本部に届いたことです」
だから知ってたからね?!その美女について情報提供求められたぐらいだからね?!
そしてそれを聞いて、「美女ってどのレベルの美女なんだろう」とか「ツバメ姿がしっくりくる」とか品位が欠けてるどころか低俗なこと考えてたぐらいだからね?!
っていうか、ファンクラブ本部って何?!支部があるの?!
──そう内心ツッコミつつ大人しく話を聞いていけば、どうやらそのフランス美女のウワサが今の雪城ファンの落ち込み方に繋がっているらしい。
「もともとあのウワサは、雪城様の身持ちの堅さが信ぴょう性を高めています」
「これまで月に二度は告白されながらも、すべてを一瞬の迷いもなく断られる。その理由は、すでに心に決めた方がいらっしゃるから」
「そうファンの皆さんは考え、ではその人物はどこの誰かと考え始めました」
「そしてその候補者が数名に絞られた頃、例の目撃情報により、その女性の存在が急浮上したのです」
南原さん、棟方さんが言い、連休前に野点に誘ってくれた茶道部女子……岩下さんと前野さんがそれに続いて言った。
なんだか童話の読み聞かせをされている気分だ。
桃太郎や浦島太郎。すでに知っている話を聞かされるのは、時間の無駄としか思えない。
私はさっさと話を終わらせるため、身持ちが堅い発言に笑いそうになるのを耐えながらふむと考えた。
「つまり雪城くんが休暇明けに上機嫌になった理由は、休暇中にフランスでその女性と会ったから。ウワサの信ぴょう性がさらに高まってしまい、あの子達はショックを受けているということかしら」
「まあ、おっしゃる通りですわ!」
「たったこれだけの説明で正確に答えを導き出すなんて、さすがは桜子様!」
「フランスや親しげな女性というキーワードと、あの子達の落ち込み方を見れば見当がつくわ」
やんややんやとよく分からない持ち上げ方をする南原さん達を受け流し、壁からひょっこり顔を出して向こうの様子をうかがう。
雪城ファンは相変わらず落ち込んでいて、秋人ファンはいつの間にかそんな彼女達を慰めていた。
雪城家と違い、壱之宮家はオーストラリアに親戚や知人はいない。秋人が上機嫌のわけは、単純に休暇を満喫できたからと思える。
どちらのファンかによって反応が違った理由はそれか。
「私が休暇先はフランスかもだなんて言ってしまったばっかりに……。悪いことをしてしまったわね」
「とんでもありません。桜子様は聞かれたことにお答えになっただけですわ」
「でも、これはちょっと見ていられないわ。どうにかできないものかしら」
落ち込んでいるのも、慰めているのも、説明をしてくれたのも、全員お土産を渡した子。つまりは誕生日プレゼントをくれた子ばかりだ。
そんな子達へ恩を仇で返すような事をしてしまい、罪悪感を覚えるなというほうが無理である。
「どうにかできるとすれば、やはり……」
困ったように眉を寄せ、棟方さんは私を見る。
「桜子様の発言が、最も効果的ではないでしょうか」
まあ、スクールカースト第二位ですからね……。
良くも悪くも影響力はあるだろう。
「そうよね。私が原因でこうなったのなら、おさめるのも私の役目よね」
あまりの落ち込みっぷりにどうにかしたい気持ちもあるし、なによりこのままでは情報が拡散され、学園中の雪城ファンがああなって被害が拡大してしまう。
そしてその情報源、元凶が私ということも広まってしまう。事なかれ主義者的にそれはNGだ。
「んー、どうしましょう……」
雪城家がゴールデンウィークにフランスへ行ったのは事実。本人に聞けばすぐにわかる事なので、ここで私が「フランスへ言ったとは限らないわ」と言っても意味がない。
むしろぬか喜びをさせてしまう行為なので、絶対に言わないほうがいい。
フランス美女の件、つまりは根本的な問題を解決させるっていう手もあるけど……うん、ダメだな。どうシミュレーションしても、失敗する。
そもそもな話し、ファンの間で身持ちが堅いと評されている男が、公衆の面前で美女と腕を組んでいたのを目撃されたのがすべての始まりだ。その情報がある限り、何をしたってその場しのぎにしかならない。
────いや、むしろ逆なのか?
その土台となっている目撃情報さえ崩すことができれば、瓦解するはずだ。
「なんとかできるかもしれないわ」
「本当ですか?!」
「ええ、少し準備をする時間が必要だけど……」
「お待ちください!」
声をあげたのは、南原さんだった。
驚いて彼女を見れば、「桜子様がそこまでなさる必要はありませんわ」と真剣な表情で力強く言う。
「雪城様のファンの一部は、少々目に余ります。特に、例の女性の情報が出る前、彼女達が影で何をしていたか。皆さんも覚えているでしょう?」
「それはそうだけど……」
「でも、すべて未遂で終わったじゃない」
「あれ以来おとなしいものだし、ねぇ?」
強い言葉に、周りの子達は気まずそうに顔を見合わせる。
えっ、なにこの空気。一部の雪城ファンの子が、影で何をしたっていうの?
しかも、またもや状況が分かっていないのは私だけらしい。
「棟方さん、今度はいったいなぁに?」
「それが……実は、先ほどの雪城様の心に決めた方は誰か、ファンクラブで考えたという件に問題があって……」
「ああ、候補者を数名に絞ったという?」
「それです。その候補者の中で、最も有力視されていたのが、その……」
棟方さんは小声で教えてくれるけれど、急に口ごもってしまった。
言っていいのかなぁ、なんて空気がにじみ出ている。
言いにくいことなんだろうか。だったら別に──と思った時、またも南原さんが力強い口調で言った。
「桜子様」
「ぅえ?!な、なぁに?」
「桜子様を、最有力候補としたのです。彼女達は」
「は……」
はぁああああああああ?!?!??!
「な、ななん、なんで、どうして私なの?!」
「初等部の頃から最も親しい女子生徒は桜子様だから。そう彼女達は言い、一部は桜子様に対して…………まったく、思い出しただけでも忌々しい」
チッ!、としかめっ面で南原さんは舌打ちをした。
しかし次の瞬間には、にっこりと可愛らしい笑みを私に向ける。
「ですがその一部はもうおりません。芽はすべて摘み取りました」
んん〜?おっかしいなぁ〜??
たしかこの南原真理恵という女の子は、始業式の日に私に声をかけてグループに引き入れてくれた子。移動教室などの際は一緒に行きましょうと駆け寄ってきてくれる、人懐っこくて可愛らしい子だ。
それなのに今、一瞬だけドス黒いものが見えたぞ……?
私に対してってなんだ。もうおりませんって、摘み取りましたってなんだ。具体的な事を言ってほしい。
でも怖くて聞けない!だって私は小心者だもの!心の硬度は二だもの!
「ええっと、私のことを想って南原さんは怒ってくれているのね。どうもありがとう」
「そんな、当然のことをしたまでですわ。ねぇ皆さん」
南原さんの言葉に、今度は周りの子はうんうんとうなづく。
まさかその摘み取り作業とやらに、他の子も関わっているというのか。
「桜子様が最有力候補などありえませんもの」
「たしかに学内で最も親しいのは桜子様でしょう。ですが、親しいからこそありえません」
「ええ。百歩譲ってそうだとしても、あの雪城様がお二人の邪魔をなさるわけがありませんわ」
「それなのに略奪だの三角関係だのと、まったく何を考えていたのかしらね、当時の彼女達は」
「恋は盲目とは言えど、周りが見えなさすぎるのも困りものよね」
「本当よ。規律の欠けたファンほど怖いものはないわ」
ウフフ、オホホと笑うご令嬢達。
途中まで私も「そうだよね、ありえないよね」とうなずいていたけれど、三人目あたりから固まった。
……この子達、今なんつった?お二人の邪魔?略奪?三角関係?
「あの、少しよろしいかしら」
会話の流れ的に私と雪城くんが含まれているのは当然だけど、もう一人って……。
「二人の邪魔と言ったけれど、誰と誰の邪魔という意味なの?」
どうかお願いだから、その名前だけは出さないで!
「いやですわぁ。そんなの、桜子様と壱之宮様に決まっているではありませんか」
絶句。さも常識のように笑顔で告げられた内容に、ひたすら絶句である。
少女漫画の設定のひとつ、『成瑛学園内には、壱之宮秋人の側に最もふさわしいのは宝生寺桜子という空気が浸透している』。
私はこれまで、そうならないように努めてきた。それなのに……これは……。
修正力、やっぱりあるんじゃないの?!
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