25-2.とりあえずは
修正無しが確定した喜びで五月病にはかからず、私は連休前と同じよう、登校時間のピーク前に図書室に到着した。
いつも通り司書の先生に挨拶をしてから、広すぎるほどに広い室内を当てもなく歩く。
しかしいつもと違うのは、荷物の多さ。スクールバッグの他に、同じぐらいの大きさの紙袋を持ってきていた。
中身は全部、金沢旅行のお土産。先月の私の誕生日に、プレゼントをくれた子達へのお返しだ。
けれど渡すのは全員ではない。あのバラのように、差出人不明により受け取りを拒否した人の分は残念ながらない。
机に置いてあっても、せめて名前を書いておいてくれればよかったのに。そうすればお返しができる。純粋な厚意であれ、宝生寺家へのポイント稼ぎであれ、それにある程度は報いることができるのに。
「今日中に渡しきれるかな……」
本棚の間の出窓に座り、荷物は足元に置く。紙袋の中をじっと見下ろせば、つい不安がこぼれた。
せっかく早く登校しているなら、その人の机の上に置いて回るのも手だろう。そうすれば確実に配り終えることができる。
でもそんなことをしたら私の誕生日と同じ空気になるに決まってる。しかも置いたのが前回の被害者となれば、なにをしているんだと職員室に呼び出されかねない。やめておこう。
なによりこの紙袋に入っている分の子達は、ちょっと近寄りがたい立場の私に直接手渡してくれたり、直接は無理でも自分からだと分かるようにしてくれたのだ。
もしかしたら、それは私が宝生寺の娘だからかもしれない。でも全員がそうではない、私個人へと贈ってくれた子もいるはずだから、それに報いたい。
同じように、直接手渡すのが礼儀だろう。
そんなことを思いながら、手が届く場所にあった本をパラパラと眺めたり、ただぼけっと外を眺めたりして、時間を潰す。
私はこの朝の静かな時間を、気に入っていた。
賑やかなのは大好きだけど、それと同じぐらいひとりでゆっくりとするのも好きだった。
だがしかし、その時間を終わらせる存在が、ひとつ。
「こんなに奥のほうにいたんだ」
「……雪城くん」
少し探したと言うその顔を見て、春原くんといいこの人といい、美形って朝から美形なんだなと驚きながら思った。
しかし春原くんの時とは違うのは、その顔の造形がストライクゾーンから外れているということ。
ほんの少し日本人離れした顔はめちゃめちゃきれいだとは思うけど、その造形なら女の子であってくれ。そうすればストライクゾーンのど真ん中だったのに、という私の守備範囲の問題だ。
「おはようございます。探したって、私を?」
「ほかに誰かいる?」
「秋人という可能性がなきにしもあらずですよね」
「ないよ」
なぜここにと疑問を抱くと同時に、連休前のことを思い出し、少しだけバツの悪さを感じてしまう。それを誤魔化したくて半分本気半分冗談で言えば、苦笑しながらもはっきりと否定されてしまった。
まあ、秋人なら朝は必ずカフェテリアの二階席でダラダラしてるから、わざわざ探すまでもないだろう。
「届け物があってね。教室で渡してもよかったんだけど、それだと少し厄介な事になりそうだから」
少し間を開けて隣に座られ、さらにその間にとんっと白い紙袋を置かれた。
「春休みにもらった京都土産のお返し」
「春休みって…………あっ」
はてと少し考えれば、思い出した瞬間にバツの悪さが急増した。
確かに私は、京都土産を渡した。春休みに。最強クラスに可愛い美幼女、お花の妖精さんこと澪ちゃんのバレエ発表会の日に。
つまりその日は、あの自動販売機ドンの日ということだ。
これってわざと?わざと気まずくなるようなこと思い出させてます??
「あれは、ご招待いただいたお礼でしたので、お気遣いいただかなくてけっこうでしたのに……」
顔が引きつりそうになるのを、いつもの猫被りで精いっぱい隠す。しかし耐えきれずに視線はスゥーと近くの本棚へと向かう。
めちゃくちゃ受け取りたくない。本能が拒否している。お土産を断るのは失礼にあたるってことは分かっているけど、どうにかしてお断りしたい。
「そう言うと思った。でも受け取ってもらわないとちょっと困るかな。僕が澪に怒られる」
「澪ちゃん?」
なぜここで妹の名前が出る?
「澪が宝生寺さんにって選んだ物も入ってるんだよ」
「澪ちゃんが私に……」
そこで初めて、間に置かれた紙袋をきちんと見た。
持ち手は銀色のリボン。お店のロゴらしきマークがエンボス加工してあるだけの、シンプルなデザイン。だけどそのシンプルさは、かえって派手を好まないフランスらしい美意識の高いデザインだ。
そんなものの中に、私史上千年に一人の美幼女である澪ちゃんが選んでくれた品が入ってる……?
無言でジッと見れば、無言でスッと押してさらに近づけられた。
「ありがとうございます。澪ちゃんにもお礼を伝えていただけますか?」
私は言いながら紙袋を受け取り、流れるように膝に乗せた。
美幼女の魅力に勝てるわけがない。
「必ず伝えておくよ」
「澪ちゃんといえば、学校の方はどうですか?お友達と離れてしまうと不安がっていたので、ずっと気になっていたんです」
「大丈夫みたいだよ。毎日楽しそうに登校してるし、夜には学校で何があったか報告してきて、ちょっとしつこいぐらい」
「あらまあ」
入学したばかりの小学一年生らしい光景が、簡単に想像できた。
その愛くるしさに自然と笑みがこぼれる。
「それなら良かった」
年上相手に戸惑いながらも挨拶ができて、あんなにも人懐っこい子なんだ。友達なんてすぐに百人でも二百人でもできるだろう。
さてそんな最高に可愛い澪ちゃんは、いったい何を選んでくれたのか。
膝に乗せた紙袋の中を見下ろせば────おや?、と疑問符が浮かんだ。
「えっと、雪城くん?この中身についてなんですが……」
「ん?袋の方が澪からで、もう一つはカリソンって知ってる?」
「幸せのお菓子と言われている、南フランス伝統の!」
「さすが、詳しいね」
「日本ではなかなか手に入らないので……って、そうじゃないの。カリソンも嬉しいけど、聞きたいのはそこではなくてですね」
日本では売っているお店がほとんどないお菓子、しかも本場の味と聞いてつい意識がカリソンへいってしまう。
しかし私が気になったのはそこではない。
はっと我にかえり、話題を戻した。
「もう一つ入っていますよ、これ」
「もう一つ?」
「はい」
紙袋を膝から下ろし、元あった場所に置く。
紙袋と同じシンプルなデザインの白い缶は、たぶんカリソン。透明のビニール袋に詰まった、色も形もさまざまなアメという可愛らしさは澪ちゃんセレクトで間違いない。
しかしその二つの下に、水色の四角い物がまるで隠すよう入っているのである。
私は「ほら、二つの下にもう一つ」とそれを指差した。
「見覚えがないな……。確認させてもらっていい?」
「もちろん」
家族の誰かが別の人へ渡すものが、何かの手違いで入ってしまった可能性もある。当然ながら私はどうぞどうぞと促し、紙袋から距離を取った。
雪城くんはその水色の物を取り出すと、リボンの間に差し込まれていた小さな封筒を抜き取る。中身は二つ折りのメッセージカードのようだ。
つい好奇心でちらりと覗くけれど、書いてあるのは日本語ではなかった。
英語でもないようだから、フランス語かな?
残念ながら私は、フランス語は旅行中に使う程度の簡単な定型文しかわからない。おまけに流れるような筆記体なので、もはや暗号だ。
盗み見は早々に諦めて、本体の方に視線を移した。
片手で掴める程度の立方体。水色の包装紙も白いリボンも無地だ。でもリボンの結び目には、飾りが付いている。
この独特の形は……。
「すずらん?」
「え?」
「あ、ごめんなさい。リボンの飾り、すずらんなんて珍しいなぁと思って」
クリスマスプレゼントのラッピングには、リボンに柊やベルの飾りが付いていることがある。それと同じように、白いリボンには小さな飾りが付いていた。
銀色だけど、そのうつむく丸い花とそれを包み込むような葉は、どう見てもすずらんだ。
指摘すれば、雪城くんの目線はカードからリボンのすずらんへ。そして何度か左手のカードと右手の箱を見比べて──
「…………すずらん、だね」
聞こえたのは、独り言のような小さな声。もう少し距離が開いていたら「え?なんて?」と聞き返してしまいそうなほどだった。
「誰の仕業か分かったよ」
そういうことか、と一人で勝手に納得しながらカードをブレザーのポケットにしまい込む。胸でも脇でもなく、ご丁寧に内ポケットにだ。
というか仕業って、そんな、まるで犯罪行為のような言い方をしなくてもいいのではなかろうか。
「間違いで入ってたんじゃなくて、宝生寺さんに渡すために、わざと僕に黙って一番下に入れたんだと思う」
「はあ……」
あれ?もしかしてちょっと怒ってる?
箱を見下ろす目は、仕込んだ誰かを咎めるように細められている。秋人への塩対応中の雰囲気とよく似ていた。
一方で私は完全に置いてけぼり状態だ。仕込んだのが誰か分かった途端にご機嫌ななめになる理由は、まったく分からない。
聞ける雰囲気でもなかった。
「ええっと……私は受け取らない方がいい、ということでしょうか?」
恐る恐る問えば、えっ、と驚かれながら目が合う。
「空気的にそういう流れかなと」
「あー……いや、これ自体は妙なものじゃないと思うから、問題ないはずだけど」
「けど?」
雪城くんの目は再び箱へと向かう。
そこまでためらうなら、そのまま持って帰ってくれていいんだけどなぁ。なにせ、澪ちゃんからもらえただけで大満足。美幼女セレクトのアメを貰えてウルトラハッピーなのだ。
なんてことを思いながら、少しの動作でもゆらゆらと揺れるすずらんを俯瞰していれば、
「宝生寺さんの迷惑にならないのなら」
箱を差し出された。
その動作にすずらんは一度大きく揺れ、止まる。
「迷惑とは思いませんが、受け取ってあなたの都合が悪くなるようであれば、私は……」
「君宛のものだから。僕にどうこうする権利はないよ」
嫌なら回収するし、受け取って後で処分してもかまわない。好きにしていいよ、と。
お土産一つに対してそこまで言われて、ましてや他の二つは受け取っておいて、「じゃあ回収で」と言える人は果たしてどれくらいいるんだろうか。少なくとも私の心は、そんなに強くはない。
「そういうことなら、受け取らせていただきます」
おずおずと両手を出す。するとそこに箱が乗せられ、想像よりも重たくてちょっと驚いた。
あまり大きくないけど、中身はなんだろう?
「ところで、どなたですか?これを入れたのは」
「気にしなくていいよ」
「そんな。頂いておいて、お礼を伝えないわけにはいきません」
「じゃあ僕からってことで」
「……」
これ絶対に誰からか言わないな。
見慣れたアルカイックスマイルにそう思った。
「カードは?あれも私宛でしょう?」
「春休みのお礼が書いてあっただけだよ」
「どうしてそれだけは回収を──」
「気にしなくていい」
「……」
これ絶対に内容は嘘だし、カードも絶対に渡さないな。
被せられた言葉と深められた笑みにそう思った。
「分かりました。雪城くんがそうおっしゃるのであれば、そういうことにしておきましょう。とりあえずは」
「とりあえず……」
「とりあえずですね」
とは言え、絶対に言いたくはないようなので、『とりあえず』を撤回して踏み込むつもりはない。
変える部分は……変えるべき部分はあるけれど、この相手にとって絶対に踏み越えられたくない最終ボーダーラインを見極めて引き下がる部分を変えるつもりはなかった。
「僕はそろそろ行くよ。実は妙に秋人の機嫌が良くて、なにか話したそうにしてたから逃げてきたんだよね」
「それはきっと昨日……いえ、なんでもありません」
「なにか知ってるの?」
「ええ。ですが、私が言うのは野暮でしょうから、本人から直接聞いてください」
「今ので察しがついたよ。長話になりそうだな……」
「一時間目の授業が始まる前には、終わると思いますよ」
それでも充分長いとため息混じりに立ち上がるので、今さらですよと返す。
あのお坊ちゃんのやってることは、その日学校で何があったか報告する澪ちゃんと同じだ。歳の離れた妹の話はまだしも、同い年の親友のノロケ話は苦痛でしかないだろう。心中お察しします。
だが私は立たず、また教室でと去るその背中を見送った。
再び無音になったそこで、なんとなく持ったままだった箱を見る。大きさの割にはしっかりとした重さがあるけれど、中身の予想が全くつかない。
うーん、私宛って言ってもらった物なんだから、私が開けてもいいんだよね。オーケー問題なし。
好奇心に負けた私は、自分にそう言い聞かせながらリボンに手をかけた。水色の包装紙を破らないように開くと、現れた箱はやっぱり水色で、中央にはすずらんの絵が描かれていた。
「オードパルファム?」
フランス語は簡単な挨拶や返事ぐらいしか話せないけれど、この程度の単語なら辞書を引かなくても分かる。絵を一緒に書かれたオードパルファムの、香水の文字に「うへぇあ……」と奇声が漏れた。
「こ、これ、絶対に母セレクトだ……!」
香水といえば、雪城母が思い浮かぶ。春休みにお会いした時、あの人はものすっごいいい香りがした。
アルデハイド系の甘いけど甘いだけではない、女性的だけどいやらしさなんて一切ない品のいい香りは、異次元のファビュラス美女をさらに美しくさせるもの。まとう香りすら美しいってなんだ、と思ったぐらいだ。
つまり私は、花の妖精さんからだけでなく美の女神からも頂いてしまったらしい。
私今日死ぬのかな?お迎えが近いのかな?すみやかに逝くべき?
「そっか、それですずらんの飾りが……」
すずらんといえば、バラとジャスミンに並ぶ三大フローラルノートの一つだ。その香りは香水として再現され、世界中の人から愛されている。
納得しながら箱から瓶を出して、まじまじと見つめた。
すると丸みを帯びた瓶の首には、チェーンとカニカンが付いていたではないか。もしかしてと思い解いたリボンを見ると、すずらんの飾りは丸カンによってリボンに通されていた。
引き抜いてカニカンに繋げば、案の定、すずらんの飾りはそこが落ち着く場所だと言うのようにぶら下がる。瓶のデザインは、すずらんをチャームとして付けることで完成するように設計されていたようだ。
「うわっ、うわっ」
やばいやばいやばい。とんでもないもんもらっちゃったよ。これ絶対にお高いやつだよ。
京都の金平糖が、美幼女のボンボンと美女の香水になった。気分は完全にわらしべ長者だ。
いくら春休みお礼という名目のお土産でも、これはさすがに釣り合いが取れていない。何かお返しをしたほうがいい。
私は慌ててカバンからスマートフォンを出し、メッセージアプリを開く。連絡先は秋人。
『雪城家の方って、食べ物の好き嫌いあるか知ってる?』
返事が来るのを待つ間、ポケットティッシュに香水をシュッと一吹きして香りを確かめる。
「あ、けっこう好きなやつだ」
真っ先に感じるのはフローラル系の甘さだけど、石鹸のようなリネン系の香りもする。
すずらんの花を直接嗅いだことはないけれど、この淡く優しい甘さを色に例えるなら清潔感のある白。すずらんだと言われれば納得できる良い香りだ。しかも淡い香りなので普段使いもしやすそう。
美しいだけでなくセンスもいいなんてパーフェクト奥様だなぁと思っていれば、ポポンと着信音が響く。
『なんの話だ』
『お土産のお返しに、ふぐのこを渡そうかと思って』
『ふぐのこってまさか』
『ふぐの卵巣の糠漬け』
両親との金沢旅行では色々買ったけど、よそのお宅にお土産として渡せそうな物は、それぐらいしか思い浮かばない。あとは全部開封済みなのだ。
金沢土産なんだけど、と送れば返事はすぐにきた。
『やめろ。絶対に渡すな。ふぐだけはマジでやめろ』
『フリ?』
『違う!!』
おっと、これは本気で止めてきてるパターンだ。
まぁ私も、お菓子と香水のお返しにふぐの卵巣の糠漬けはおかしいし、フランス育ちの奥様と小一女児には食べられないものかなぁと思ってたけどね。
私は秋人に『わかった。やめておく』と返して、スマートフォンをカバンに戻した。
「お返しのお返しって押し付けがましいし、次に会えたらお礼を言うぐらいにした方が良さそうね」
香水を箱に入れ、紙袋に戻す。そこでハッと自分がどれだけ危機的状況か気づいて、血の気が引いた。
お土産もらったことを、雪城ファンの子達に知られたら……やばくない?
そこそこ長い付き合いだけど、長いが故にわざわざ休暇明けにお土産を渡すなんてことは一度もなかった。それなのになぜと思われ、追求されるに決まってる。そうなれば芋ずる式に春休みの件が明らかに……。
やっぱり私は今日死ぬ可能性があるらしい。しかし妖精さんと女神に安らかに連れていかれるのではなく、肉食獣達になぶり殺しにされるようだ。ヒエッ。
「そうだ!更衣室!」
放課後までロッカーに入れておけば生きのびられることに気づいた私は、ティッシュをブレザーのポケットに突っ込み、慌てて荷物をまとめて図書室を出る。
そして人気のないルートを使い、証拠隠滅に走ったのであった。
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