24-3.他人事とは思えないわ



「……桜子」


「はぁい?」


「元カレ、すっごいいい奴なの」


「芽衣ちゃんが一度は好きになろうって思った相手だもの。いい人に決まっているわ」


「幼馴染み、高校に入ってからめちゃくちゃモテるの。腹立つぐらい」


「競争倍率高いのね。じゃあ頑張らないよ」


「桜子」


「なぁに?」


「ありがとう」


「どういたしまして」



 芽衣ちゃんは一度ゆっくりと深呼吸をすると、「ごめん、ちょっと電話してくる」と言って席を立った。

 その手にはスマートフォン。私はいってらっしゃいとだけ言って、お店を出る芽衣ちゃんを見送り、放置していたパフェを完食する作業に入る。

 ずいぶんと長い間放置していたせいで、窓から入る光に照らされていた器にはたくさんの水滴が付いていた。当然中身も、ちょっとぬるくなっている。

 けれど残すのはお店に申し訳ないから、ほとんど飲むようにすべて胃に収めた。胃に入ればすべて同じことである。それにちょっとぬるくても美味しいので問題はない。

 空になった器を前にふうと一息ついていると、芽衣ちゃんが戻ってきた。その顔は、ずいぶんとさっぱりとしていた。



「おかえりなさい」


「ん、ただいま」


「パフェ全部食べちゃったわよ?」


「あっホントだ!一番下のムース食べたかったのに!」


「じゃあ次の時に来た時は譲ってあげる」



 誰と電話をしたのか、何を話したのか。

 言うつもりがなさそうなので、私はいつも通り聞かないことにした。



「なんか甘いもの食べたら、しょっぱいもの欲しくなってきちゃった」


「時間もちょうどいいし、このままここでランチにしよ。前にここのナポリタン食べたけど、おいしかったからオススメ」


「あっ、いいわね。それにする」


「じゃあ私ハンバーグプレート」



 パフェの器を片付けてもらうついでに、ナポリタンとハンバーグプレートを注文する。



「そういえば私も、芽衣ちゃんの口が固いと信じて相談したいことがあるんだけど」


「なに?」


「まずは何も聞かずこれを見てほしい」



 私はカバンからスマートフォンを取り出し、ある画像を表示する。そしてコップの水を一気飲みする芽衣ちゃんに差し出した。



「は?このタイミングでカップルの写真見せてくるとか……あれ?これ雅女の制服?」



 私は無言で画面の指を滑らせて、カップル風に写る二人組の内、笑顔を浮かべるセミロングの女の子の顔を拡大する。

 瞬間、芽衣ちゃんは「えっ?!」と大きな声を出して、慌ててコップをテーブルに置いた。



上条彩葉かみじょう いろはじゃない?!」


「やっぱり上条さんなのね」


「なにこれ?どこでこんなのを?」


「この前、ちょっと水族館に行ってね。そこで見かけたの」



 見せた画像は、先日の水族館でこっそり撮影しておいた一枚。仲睦まじく水族館デートをする稲村穂高と上条さんを撮影したものだ。

 本当は盗撮なんてことはしたくなかったけれど、同じ雅が丘女学院である芽衣ちゃんに、本当に上条さんで間違いないか確認してもらうために撮影しておいた。



「それで、本題はここからなんだけど。一緒にいる男の方は、成瑛大の学生で私の二つ上の先輩なのよ」


「世間狭ッ!」


「ほんとそれ。でも問題はそこじゃないのよ。問題なのは、この男がちょっと前まで私にしつこく声をかけてきたクソ野郎ってことなの」


「ほほう。詳しく聞きましょう」



 ナポリタンとハンバーグプレートが運ばれてきたので、食べながら聞いてとフォークを手渡した。



「といっても、私にしつこかったのは去年だけ。その前は別の人の近くをうろついてた。つまり成瑛内でも頭一つ抜けた家柄の女の子に粉かけてくる男なの」


「はあ?なにそれ、クソ野郎じゃない」


「でしょう?だから私、見るからに箱入り娘な上条さんがそんなのと一緒にいて、ちょっと心配になっちゃって」



 私に来る前、稲村がしつこく声をかけていたのは遥先輩だったりする。

 けれど遥先輩には世良先輩がいた。官僚の息子が、格上である政治家一族の息子にケンカを売るのは損とでも思ったのか、奴は遥先輩の近くにいた私にターゲットを変えたのである。

 そんな経緯もあり、私は大好きな遥先輩に不快な思いをさせた奴が大嫌いなのだ。



「その発想大正解。あの子、雅女でも別格の箱入りなのよねぇ。温室育ちの純正栽培って感じ」


「やっぱり?でも彼女、けっこう楽しそうにしてたのよ。だから本当にこの男が好きなら、外野からとやかく言うつもりはなくて」


「だったら気にしなくていいんじゃない?この写真を見た感じも楽しそうだし、人の好みはそれぞれよ」



 あー、秋人と雪城くんも同じこと言ってたなぁ……。やっぱり私が稲村穂高を嫌うあまり、心配性になってるだけかな。

 相思相愛の可能性もあるし、ちゃちゃを入れるのは間違っているか。なにより他人様の恋路の邪魔をするなど、私の主義に反する。

 私はナポリタンを食べながら、スマートフォンを操作して二人の写真を削除した。



「ああっなんで消しちゃうのよ!」


「この話をするために撮ったんだもの。済んだから消しただけだけど?」


「あとで送ってって言うつもりだったのにぃ!」


「え?言われたって送らないし、最初から消すつもりだったわよ」



 盗撮は犯罪である。ましてやデート風景なんていう超デリケートな姿を撮ったものを、第三者に送るわけにはいかない。



「あーあ、あの上条彩葉のゴシップの証拠だったのに」


「まさかさっきの画像、学校の友達に見せるつもりだったの?」


「雅女ってちょっと閉鎖的だから、そういうのみんな好きなのよ。それに権力者のゴシップはおいしいネタでしょう?」


「女子的に気持ちは分かるけどぉ……」



 成瑛の二大巨頭のネタをエサに、女子生徒の人心掌握をしているので否定はできない。

 女と噂話は切っても切れない関係だ。



「誰が誰を好きとか、付き合ってるとか。そういう感情の問題を、勝手に憶測たてて言いふらすような下世話なことはしたくないわ」


「桜子もたまぁ〜に純正栽培っぽいところあるわよね。ちなみにバックアップは?」


「ない」



 仮にあったところで送りません。



「というか、さっきから『あの』とか『権力者』とか言ってるけど、上条さんはけっこうなお家のお嬢さんなの?」


「現雅女高等科二年の四横綱の一人」


「はい?」



 私いま、生粋のお嬢様が通う名門女子高の話題を出したよね?力士の話なんてしてないよね?

 戸惑う私を無視して、芽衣ちゃんはハンバーグを食べながら続けた。



「成瑛にもなんとか会っていうのがあるんでしょう?それと同じで、敵にしない方がいい生徒を危険度順にまとめた番付表があるのよ」


「番付表」


「しかも学年別に」


「学年別」


「上条彩葉は二年の番付表の横綱位。国会議員の上条大臣って分かる?あれの孫で超絶溺愛されてて、初等科の頃から、あの子に何かあるとすぐにおじいさんが出てくるわけ」


「どうしましょう。他人事とは思えないわ」



 私のお祖父様もそういうタイプだと言えば、芽衣ちゃんはあからさまに「うわぁ……」という顔をした。



「桜子のおじいさん、アポなしで学校に来て理事長室に突撃したことあるの?」


「そういうのは一回もない、親戚全員で阻止してる。ただ私が泣きつけば確実にやると思う」


「あの子のおじいさんはそれ五回やってる」


「それは横綱級な危険度ね……」


「でしょう?」



 お花見の時に少し話しただけだけど、上条さんは大人しくてぽわぽわしてる、典型的な温室育ちの令嬢タイプだった。

 それが悪い虫を一切近づけさせない溺愛の結果というなら、納得ができる。

 おまけに立場はちょっと違えど親族が国家公務員で、年も近いとなれば、稲村穂高との接点はゼロじゃないはずだ。ますます邪魔するようなことするべきじゃない。

 無用な心配をしてごめんなさい、上条さん。どうかお幸せに。

 すでに画像を消したスマートフォンに向かって合掌する。すると芽衣ちゃんがふと、何かを思い出したように「そういえば」と言った。



「あの子、この前のお花見の時に、桜子と仲がいいのか聞いてきたわね」


「ああ、私と挨拶してる途中にも呼ばれてたわね。その時?」


「そうそう。初対面ですわ〜って言って誤魔化したけどね」



 あの時はお互いに初対面で通したし、そう答えるしかないだろうね。



「……桜子さ、あの子に成瑛のこと質問されてたわよね」


「そうね」


「もしかしてなんだけど……」


「やめてそれ以上聞きたくない」


「桜子とその粉かけ野郎のこと知ってて、泥棒猫と思われて探り入れられたんじゃない?」


「怖いこと言わないで!」



 あの日の私、上条さんになにか余計なこと言ったっけ?!

 いや、でも稲村穂高の話題は絶対に出していない。詳しい会話の内容は覚えていないけれど、そこだけははっきりしている。

 だから大丈夫!泥棒猫疑惑をかけられていたとしても、きっと疑惑は晴れている!大丈夫、大丈夫……大丈夫、だよね?



「上条さんのお祖父様がうちに来たらどうしましょう」


「モンスタージジイにはモンスタージジイをぶつければいいんじゃない?」


「わあ〜大惨事になる予感しかしな〜い」



 お祖父様を出すのは危険すぎる。あの人はリーサルウェポンだ。

 今はとにかく泥棒猫疑惑が晴れていることを祈っておこう。



「まあ、言っておいてなんだけど、そんなに怯えなくて大丈夫よ。四横綱内の二人が、桜子の味方っぽいから」


「味方?」


「例の三角関係の噂。あれを否定っていうか、『しょせんは噂でしょう?そんなものに踊らされるなんて、はしたないこと。品位に欠けますわ。ホホホー』って感じのがいるのよ」


「本当?!そんな素晴らしいことを言ってくれる子、いったいどこの誰?!」


「綾崎姫乃と鳴神なるかみつゆりって言うんだけど、知ってる?」



 あ、綾崎さーーーーーーん!!!!

 あの春休みにマウンティングを仕掛けてきた元ワガママドリルプリンセスにして愛すべき癒し系おバカさんが、私の味方を!

 ということは脇に控える高宮さんと椎名さんが、私が頼んだ通りに、雪城くんにフラれたと思った彼女をフォロー。さらに噂が嘘だと広めるために動いているということだ。

 感謝、圧倒的感謝。嬉しすぎて涙が出てきたよ。



「ん?待って?綾崎さんは顔見知りだけど、鳴神つゆりさんってどなた?」


「あれ?知らない?華道の大家、鳴神流お家元の娘なんだけど」


「鳴神……えっ?!鳴神流?!」



 鳴神流なら私も知っている。

 私や芽衣ちゃん、つまりは先日のお花見で集まった面々は鳴神流ではないけれど、成瑛にも鳴神流やそこから派生した流派を師事している子は多い。展覧会を催せば大勢の人がその作品を観に集まる、歴史と知名度のある華道の名門だ。



「でも、その方とは面識がないわ」


「そうなの?あの子、噂が流れ始めた頃からあり得ないってスタンスだったのよ。だから私てっきり、大きい家同士で桜子とも知り合いで、噂が嘘って知ってるんだと思ったんだけど」



 首をかしげる芽衣ちゃんに、私は首を横に振った。

 鳴神流のお家元のお嬢さんなんて、会っていれば絶対に忘れない。それぐらいのネームバリューがあるのが、鳴神流だ。



「じゃあ単純に、噂は信じないってタイプなのかぁ」


「いい子ね、その鳴神つゆりさんって。最初から否定してくれていたなんて、会って直接お礼を言いたいぐらい」


「……それはやめた方がいいと思う」



 芽衣ちゃんの白い眉間に、縦じわがくっきりと浮かんだ。

 あれ?ダメ?もしかして上条さんみたいにやばい身内がいる?



「私、あの子ちょっと苦手なのよ」


「反りが合わない感じ?」



 それ以前の問題、と今度は芽衣ちゃんが首を振った。



「受け取るイメージがね、人によって違うのよ。無邪気で可愛いって言う人もいれば、物静かでクールって言う人もいる。清純、苛烈、親しみやすい、近寄りがたい。昔からそんな感じで掴み所がなくて、何考えてるか分かんなくて薄気味悪いから、私は近づかないようにしてるの」



 芽衣ちゃんの顔は、本当に嫌なものを思い出している人の顔だ。

 それにこうやって話を聞いても、鳴神つゆりさんとやらの人物像が全く浮かばない。

 華道の名門のお嬢さんと聞いて、最初は和装の似合う品のいい黒髪美少女を想像したけれど、それも徐々にあやふやになってきた。



「芽衣ちゃん、実は私も何考えてるか分かんない秘密主義者って言われるの。似た者同士で仲良くなれそうじゃない?」


「あー……たしかにちょっと似てるかも。見た目もだけど、猫被ってる時の桜子の雰囲気はけっこう近い。あっ、特に似てたのはあの時!お花見の時に一人で藤棚の下に座ってたでしょう?」


「そうね」


「あの時の空気感はそっくりだった。先に会って猫被ってるって知らなかったら、私絶対に近づかなかったもん」



 でも、と言葉が続く。



「あの子を知ってる人が桜子と話せば、全然が違うってみんなが思うはず。例え猫被ってる状態でも、桜子は表情がコロコロ変わるし、わりと普通に冗談とかも言うじゃない」


「それは、まあ、猫の部分も私の一部だもの」



 二重人格ではないから、どれだけすっぽり猫を被っても中身は私。完全に別人になりきることはできない。



「だったら意外とその子も猫被ってるんじゃない?だからその時によって印象が変わるんじゃ……」


「会ったことがないからそう言えるのよ。あの子は猫被りなんて可愛いもんじゃない、狐が化けてるって感じなのよ」



 とにかく絶対に関わるべきじゃない。桜子との相性は最悪だと思う。

 そう真剣な目をした芽衣ちゃんに力説されてしまい、私は頷くしかなかった。

 猫被り同士で芽衣ちゃんとこんなにも仲良くなれたんだ。その鳴神つゆりさんとも仲良くなれそうって思ったけど、狐とまで言われたらなんだか怖くなってきた。



「四横綱とは、極力関わらないようにしておくわ」


「それがいい」



 その後私達は、ちょうどナポリタンとハンバーグプレートを食べ終えたので、気分を変えるためにすぐにお会計を済ませてカフェを出た。

 特に行き先を決めていないので、とりあえず駅前を目指して歩く。その時ふと、細道の入口脇に立てられた、水道管工事を報せる看板が目に入った。



「あれ?これ……」


「ああ、行きに私が通ろうとした道の反対側ね。あそこにも看板立ってたじゃない」


「でもこれ、よく見ると通れるみたいだけど」


「うそ?!」



 驚く芽衣ちゃんに、私は看板の文字を指差した。

 それは工事の日程。何日の何時から封鎖して、何日間工事をしますという内容だ。



「ここの工事、ゴールデンウィーク明けからみたいよ」


「ええ〜じゃあ私の疲労はなんだったのよ。桜子気付くの遅い!」


「芽衣ちゃんが腕引っ張ったせいで、看板見てる余裕なんてなかったわよ。っていうか作業員も誘導員もいないんだから、普通通れると思うでしょう」


「え〜」



 不満げな芽衣ちゃんに、細道を指差して「どうする?」と問う。

 すると芽衣ちゃんは、



「通るなら最短ルートに決まってるじゃない」



 当然でしょう、と。一瞬の迷いもなく、そしてなぜだかちょっと威張り気味に、言い切った。


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