23-3.聞けない



「あ、きひと……」



 毒気を抜かれたとでも言えばいいのか。珍しく慌てた様子でこちらへ走って来る秋人の姿に、ぐるぐると考えていたことが遠くへ吹き飛ぶ。

 後ろへよろけそうになるのを、かかとにグッと力を入れて耐えた。


 あ、危なかった……。秋人が来るのがもう少し遅かったら、キャパオーバーで「今考え事してっから黙ってろ!シャラップ!」と被った猫を引っぺがしてブチギレていただろう。

 ほっと胸を撫で下ろしていれば、雪城くんが大きく息を吐き出して脱力するのが横目に見えた。



「秋人、お前ぇ……」


「遅かったじゃない。今まで何をしていたの」


「文句は後で聞く!とりあえずヤベェから逃げるぞ!」


「え?逃げるってぇええちょ、なに?!」



 言い切る前に、秋人に腕を引っ張られた。

 そのままずるずると引きずられるように、クラゲコーナーの出口へと歩かされる。



「どういうこと?!」


「当然納得のいく説明をしてくれるんだよな。なあ、秋人?」


「ダァーッ!めんどくせぇなあ!稲村がいるんだよ、あっちの水槽の前に!」



 私はぎょっと目を見開き、雪城くんは片眉をあげた。



「稲村って、まさかあの稲村穂高か?」


「ああ。たぶんすぐにここに来る」


「よ、よく似たそっくりさんではなくて……?」


「俺があの胸くそ悪りぃ野郎の顔を見間違えると思うか?」


「嘘でしょう?!」


「なんでよりによって……」



 稲村穂高。そう、あの春休みの懇親パーティーの日に、乙女の聖域たるパウダールームから出て来る私を待ち伏せしやがったうえに、会場に戻ろうとした私の腕を掴みやがったあの七光りクソ野郎である。

 それが、ここにいる……だと……?



「ど、どうしましょう?!」


「だからあいつらに見られる前に逃げるんだよ。お前が見つかると一番めんどくせぇんだ、きびきび歩け」



 あ、そっか。そりゃそうだ。ここは逃げる一択に決まってる。

 今こそ唸れ!野生動物並みの逃げ足の速さ!

 しかし、私が走り出そうと決意したのと同時に、雪城くんが「待った」と口を挟んだ。



「下手に先を行って、追いつかれる方がまずい。どこかに隠れてやり過ごそう」



 どこかってどこよ。水族館に隠れられる場所なんてある?

 そう反論する前に秋人が同意してしまい、私はクラゲコーナーを出てすぐの物陰にぽいっと放り込まれた。

 大人が大股で三歩も進めば突き当たってしまう、非常口と緑の誘導標識がある以外は何もない狭いスペース。クラゲコーナーよりも暗いそこは、隠れるには向いているかもしれない。

 そんなところに、そりゃあもうぽいっと、空き缶をゴミ箱に捨てるが如く放り込まれた。確かに私が見つかるのが一番面倒なのだが、さすがに扱いが雑すぎる。

 しかし私にはもう、文句を言う元気なんて残っていなかった。



「もうイヤ……」



 壁に寄りかかって、ずるずると膝を抱えてしゃがみこむ。

 初めはただ、水族館の招待券を渡して、どれだけ足掻こうと漫画の通りになってしまうのか確かめたいだけだった。

 それなのに下見に行くことになって。

 百歩譲って修正力なんてものがあってもやることは変わらないと覚悟を決めたら、思い出さないようにしていた前世の記憶を引きずり出されて。

 前世の記憶と想いに区切りをつけて、変えるために自分の悪いところを変えていこうと思ったら、正しいだの救われただの真逆の理論を並べ立てられて。

 挙げ句の果てには二度と会うことはないと思っていた稲村穂高がいる?

 どうしてこうなった。わけがわからない。怒涛の展開すぎて心も体もついていけない。しんどい。お家帰りたい。マンチカンになってちやほやされたい。



「今すぐ隕石落っこちて地球滅びないかしら……」


「あーあ、完全にぶっ壊れやがった。透也、お前こいつになに言った?」


「なにを?あの狙ったとしか思えない天才的なタイミングで邪魔されてなにを言ったと?なにを言えたと?逆になにを言ったと思うか聞きたいぐらいだな」


「……わりぃ」



 ため息が三つ、重なった。



「まぁいいわ。嘆いたってどうにもならないもの」


「お前のその切り替えの早さだけは、昔から心底すげぇと思う」


「言っておくけど秋人、今回の件は高くつくわよ。招待券を譲って、下見に付き合って、稲村先輩と会いそうになったんだから、いつもの三倍は貰わないと気が済まない」



 私と秋人の間のルール『千夏ちゃん絡みの案件に協力したら甘味を献上せよ』を持ち出しながらどうにか立ち上がれば、秋人はげんなりとしながら頷いた。

 なんだその顔は。元はと言えば、あんたが下見なんて言い出すからこんなことになったんだからな。



「ところで、あなたさっき『あいつら』と言わなかった?あの人、こんなところに誰と来ているの?」


「さあ?俺は見覚えのない女だったな」


「女の子と一緒だったの?!ちょっと見せて!」


「バカッ、あんま顔出すな」



 いつも通り秋人を盾にしつつも、物陰から顔を出してクラゲコーナーを覗く。

 暗い中に二人組が見えた。シルエットからして男女で間違いない。そしてそのままじっと目を凝らして観察すると、二人がライトアップされた水槽に近づいた。

 照らされたその顔、男の方は秋人の言う通り稲村だった。いつの間にか一緒になって観察をしていたらしい雪城くんの「……へえ、あの人もずいぶんと切り替えが早いようで」と冷ややかな言葉が後ろから聞こえる。

 けれど私はそれよりも、一緒にいる女の子の顔から目が離せなかった。



「えっ、あの子、もしかして……」



 私は慌ててカバンからスマートフォンを出すと、画像フォルダから一枚の写真を選び表示させた。



「どうした?」


「まさか知り合い?」


「知り合い……と言ってもいいのかしら。この前の休みにちょっとした集まりがあって、そこで少し話をした子にすごく似ている気がするんです」



 画面に表示させた写真は、先日の華道教室の集まりでの一枚。

 芽衣ちゃんを中継して送られてきたそれには、私のほか二、三人写っているけれど……。そのうちの一人、内巻きセミロングが清楚で可愛い上条さんの顔を拡大表示して、稲村と一緒にいる子と見比べた。



「やっぱり上条さんだわ。あ、しかもよく見れば雅が丘女学院の制服じゃない。学校帰りにそのまま来たということかしら」


「お前、雅が丘に知り合いなんていたのかよ」


「なによ、その言い方。私にだって他校に友人ぐらいいるわよ」



 まあ、胸を張って友達だって言えるのは芽衣ちゃんぐらいだけど。

 でも華道教室仲間の渡さんとか、元バレエ教室仲間の綾崎さん達を含めれば、雅が丘女学院に顔見知りはたくさんいる。友達が雪城くんしかいないあんたと一緒にするな!



「そういえば上条さん、私に成瑛のことを聞いてきたわね。でも稲村先輩のことは一言も言われなかったし、どうして一緒に……」



 うーんと考え、ハッとした。



「まさか私がされたみたいに、腕を掴まれて無理やり……!」



 芽衣ちゃんとみたいに次に会う約束をするぐらい親しくなったわけではないけれど、唯一の成瑛生だった私におっとりとした口調で声をかけてくれた。

 しかも私が話しやすいよう、成瑛の高等部についての質問をして、興味深そうにうんうんと頷いて聞いていた可愛らしい子だ。

 そんないかにも箱入り娘な上条さんを、無理やり暗闇に連れ込むなど言語道断!打ち首にしてくれる!いや、その程度では足りぬ!今までの恨みも含めて、生まれてきたことを後悔するまで────と、そこまで考えて、私は首を傾げた。



「なんだか……親密?」


「すごく楽しそうだね、彼女」


「無理やり感ゼロだな」



 暗いクラゲコーナーから出てきた二人は、とても親密さがあった。

 無理やりどころか、上条さんはとても楽しそうな、幸せそうな微笑みを浮かべていたのだ。しかも水槽よりも稲村の顔を見る時間の方が長いのでは、と思うぐらい少し水槽を見ては稲村に話しかけている。

 あれは以前見た、雪城くんを見る綾崎さんと同じ顔。好きな人を前にした恋する乙女の顔だ。



「え、えぇ〜まさか上条さん、ああいうのが好みだったの……?」


「蓼食う虫も好き好きって言うしな」


「趣味は人それぞれだよ」


「えぇ〜」



 さらに物影から観察を続ければ、稲村も満更でもない様子で上条さんの言葉に応えている。

 なにを話しているかは分からないけれど、あれではどう見たって円満な十代カップルだ。一瞬でも助けた方がいいと思ってしまって、申し訳なく思える。



「ん〜まあ、そうよねぇ。成瑛でも稲村先輩はそこそこ人気があったみたいだし、中身はどうであれ見目はいいものねぇ……」



 出口方向へと進む二人の背を見ながら呟いた瞬間、新種の生物でも見つけたようなすっとんきょうな声が前後から同時に聞こえた。



「おい桜子……お前まさか、ああいうのが好みとか言わねぇよな?」


「好み?」



 一瞬、秋人がなにを言っているのかが分からなかった。

 しかし理解できた瞬間、生理的な拒絶反応で「はあ?!」と大きな声が出た。



「そんなわけないでしょう!一般論よ、一般論!十人が見たら六人は良いと言うであろう見た目という話!そもそも私の好みはす──」



 春原くんみたいな青空と炭酸水と白いシャツが似合うワンコ系男子、といつもの感じで言いかけて我に返った。

 今、私の前にいるのは壱之宮秋人。千夏ちゃんを巡って春原くんとバチバチ火花を散らしていた、あの壱之宮秋人だ。このタイミングで恋敵の名前を出すのはよろしくない。

 私はぎゅっときつく口を閉ざし、続く言葉を飲み込んだ。



「とにかく、稲村先輩は多少見目が良かろうと私の好みではないし、仮に好みだったとしても中身があの様では論外よ」



 上条さんはいいお嬢さんだけど、異性の趣味だけは絶対に合わないようだし、合わせようとも思わない。

 そうはっきりと言い切ると、



「続きは?」



 ポンと肩に手が乗った。



「えっ?」



 思わず顔だけ振り返れば、にっこりと、うわ〜人間ってこんなにも胡散臭い笑顔を浮かべることできるんだ〜と感心してしまう様な笑みがそこにあった。



「えっじゃなくて、す。その続きは?」


「続きって、え、いや、あの」



 おいおい嘘でしょ。食いつくのは前の奴ではなく後ろの奴だったなんて、私聞いてないよ。

 心の猫達が一斉に逃げ出し、残ったのは相変わらずどんくさいマンチカンだけ。またお前か。ガタガタ震えてないで仕事をしなさい。



「べっ、別にどうでもいいじゃありませんか、私の好みなんて」


「さすがにこれぐらいは聞いておかないと、割に合わないと思うんだよね」


「割ってなんですか?!」



 ひいい!圧が、笑顔の圧がすごい……!

 とっさに秋人の腕をひっ掴んで助けろと見上げても、諦めろと首を左右に振られる。



「そいつ今かなりキてるから、さっさと白状しとけ。その方が罪が軽くなる」


「黙秘権は?」


「あると思うか?この状況で」



 これは違法な取り調べだ!不当逮捕だ!弁護士を呼べぇ!



「宝生寺さん」


「ヒエッ」



 ああもうっ!だからこの男に背後を取られたくないんだ!毎回毎回ろくなことにならない!

 逃げたくても、今この物陰から出れば稲村と上条さんに見つかってしまう。そうかと言って話をそらせる空気でもない。

 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことだ。


 だいたいさっき私、言いたくないことをズケズケしつこく聞いてくる人は嫌って言ったよね?人の話聞いてた?耳に水でも入っていたんじゃない?

 あ、水。そうだ、ここは水族館なんだ、すの付く場所に来ているんだからそう誤魔化せば…………いやいやいや、水族館じゃ誤魔化せない。水族館みたいな人とか意味が分からないもん。

 えーっと、水族館以外のす……す……。



「す……」


「す?」



 なんでもいいからしぼり出せ、すから始まる言葉を!



「スベスベマンジュウガニ食べても死ななそうな人!」



 ────説明しよう!

 スベスベマンジュウガニとは、漢字で書くと滑滑饅頭蟹。名前の通りスベスベした丸いおまんじゅうみたいなフォルムの可愛い小さなカニだ!

 しかしその見た目に騙されることなかれ。奴の体の中は、フブ毒で有名なテトロドトキシンや貝毒で有名なサキシトキシンなどなど猛毒のバーゲンセール!

 アホみたいな名前のくせに、食べたら三途の川を渡る可能性もある激ヤバ有毒生物なのだ!

 日本の太平洋側の海にもいるけど、磯遊び中に捕まえても食べちゃダメだぞ!キャッチアンドリリース!


 脳内に陽気なお魚博士が勝手に現れ、勝手に解説をして去っていく。



「……」


「……」


「……」



 なにが正解かは、分からない。

 けれどこういった状況において、スベスベマンジュウガニだけは絶対に間違っている。

 痛々しいまでの沈黙のなか、私はそう思ったのであった。



「……誤魔化すにしても、もうちょっとなんか違うこと言えよ」



 そうね!スベスベマンジュウガニはさすがになかったわ!

 沈黙を破った秋人に、心の中で大きく頷いた。



「こ、言葉のあやよ。それぐらい、その、頼りがいのある人という意味であって、フグ毒に耐性がある人という意味ではないわ。まぁあるに越したことはないけれど」


「フグ……フグかぁ……」


「やめろ透也。早まるな」



 そういえばハリセンボンはフグの仲間だっけ。でも毒は持っていないから食べられると、前世で調べたことをふと思い出す。

 ごくごく自然に、ああそういえばそうだったと思い出せるのは、もう私の中で区切りがついた証拠だろう。

 私は「今の人類はテトロドトキシンには勝てない」などと当たり前のことを言う秋人の横を逃げる様に通り抜け、物陰から出て周囲を確認した。

 右よし、左よし、オールクリア。



「もうあの二人は見当たらないし、早く帰りましょう。一刻も、早く」



 この空気に耐えられない。本音を隠さずに訴えれば、二人も物陰から出てきた。

 見たかったはずのペンギンとアザラシを、エサの魚と同じ生気の無い目でとりあえず眺めて。先に行かせた稲村と上条さんに追いついてしまわないよう気をつけながら、順路案内に従い展示エリアを出た。



「なんで水族館でこんな疲れなきゃなんねーんだよ……」


「八割くらいはお前のせいだろう……」


「だから私は嫌って言ったのよ……」



 館内に併設されたコーヒーショップの役割は、休憩しながら展示エリアの感想を言い合う時間の提要だろう。しかし私達は、三人で来たくせにそれぞれ別のテーブルについて、揃ってぐったりとため息を吐いた。

 静かな水族館ではなく、遊園地でジェットコースターとお化け屋敷を交互に何度も繰り返したような空気感と疲労感だ。

 いろいろと考えなきゃいけない気がするけれど、何をどう考えればいいのか、まったく頭が働かない。エネルギーが……糖が足りない。脳が糖分を欲している。

 私はテーブルに突っ伏していた顔を上げ、最後の力を振り絞ってカウンターへと向かった。



「すみません、ブレンドコーヒーを一つ……」



 あ、ダメだ。何を注文するか考える力も残っていない。甘いものが欲しいはずが、メニュー表の一番上にある文字をそのまま読み上げてしまった。

 しかし注文し直す気力もなく、そのまま料金を払い受け取った。

 紙コップ越し感じる温度は、ちょっと熱い。さらにコーヒー独特の香ばしさと酸味のある香りで、目が覚めてきた。



「ああ、そうだ、逆のことを言われて……」



 目は覚めても、力は湧かない。席に戻るのが面倒に感じた私は、カウンター近くの壁に寄りかかってひっそりと呟く。

 席に残ったままの二人を見れば、どうやら何かを話しているらしい。

 そういえば水族館に来る前に、後で話すとか聞くとか言っていたっけ。邪魔そうだからカステラ食べたら帰ろうと思っていたのに、なんでこんなことになっているんだろう。


 ここに来なければ、これまでが間違いだと思えたままだったのに。

 間違いだと思うことが間違いだと言われて、混乱することなんて、なかったのに。



「どうして、あんなこと……」



 頑固おやじにちゃぶ台をひっくり返されたか弱い奥さんと子どもの気持ちって、こういう感じなのかもしれない。

 まあ、ちゃぶ台返しをして「うるせぇちょっと黙ってろ」と怒鳴りたくなったのは、混乱がピークに達していた私の方なんだけど……。



 ────でも。

 ここに来なければ、十一年間頑なに思い出さないようにしていた前世の記憶を、引っ張り出されることはなかった。

 何かあったのかと聞かれなければ、前世の記憶と感情と向き合うことも、区切りをつけることも、できなかった。


 何より、これまで誰にも打ち明けてこなかった宝生寺桜子わたしじゃない私の話を、黙って聞いてくれる人がいる。その事実に、不思議と安心感があった。

 そのおかげでゆっくりと思い出して、それを声を震えることも泣くこともなく言葉に出すことができた。

 これがきっと、言えるようになるまで黙って待つ、言えるようになった聞くことで救われるというやつなんだろう。落ち着いて考えれば、充分理解ができる。



 ────だから。

 黙って聞いてもらった側として、彼の話を聞くべきなんだろう。

 あの時、秋人に遮られた言葉の続きを。

 ためらいも感じ取れたけれど、それでも本人に言おうという意思が確かにあったんだ。だったら一度場がリセットされても、こっちから聞いてみるのだってありだろう。

 むしろ人との距離感を、関わり方を変えてみると決めたのなら、聞くべきなんだろう。さっきは何を言いかけたんですか、と。



「──って思っても、聞けないのが私なんだよなぁ〜……」



 誰にも聞こえないよう、小さく呟いて、グビッと苦いコーヒーを煽った。


 一歩下がることが体に染み付いてしまっていて、変えようと思ったばかりで急にそんなことができるわけがない。


 私には無理だ────今は、まだ。


 聞けたらきっとそれは、もうゴールだろう。スタートラインに立つことを選んだだけで、踏み出してすらいない私には、遠い遠い場所にあるものだ。



「はあ……」



 もう何度目か分からないため息を吐く。その時ふとカップを包む手が……右の小指が目に入り、笑みがこぼれた。

 そういえば、あのハリセンボンの話。沖縄旅行に決着した後にも、もう一つ話題が飛んで盛り上がったっけ。


『約束の時に指切りするのってさ、遊女と客の心中立てが由来だっけ?』

『あ〜、あれでしょ。遊女が切り落とした小指を客に差し出して、その痛みに耐えられるぐらい愛してますってアピール。不変の愛の誓い』

『うぇえ〜めっちゃ重い、愛が重いよ。次のイベントに出す本が厚くなる〜』

『申し込んだんだ……』

『落とすに一票』

『ほぼ下書きで出すに一票』

『そもそも書類不備でスペースもらえないに一票』

『やめてぇええ!』


 ……あれ?おかしいな。思い出した内容が下らなすぎる。

 あの子が心中立てをネタとした本を発行できたのかも気になるけれど、会話が下らない。

 思い出が美化されていたのか、いざ区切りをつけてから思い出してみたら内容が薄っぺらすぎる。薄っぺらい本の話を水族館でするなんて、かつての私と親友達はなにをしていたんだろう。



「不変の愛の誓いが、アバサー汁とか……ふっふふっ」



 ぐったりと疲れ果てたけれど、こうやって思い出し笑いができるようになったのなら。それだけでも、今日この水族館へ来た価値はあったかもしれない。

 私は思い出し笑いを隠すため、温かいコーヒーを飲んだ。



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