23-1.なにも知らないから




 はてさて。プライドがエベレスト級に高いくせに一途な純情ボーイである我が幼馴染みの要望により、私は知り合いに目撃されたらややこしい事にしかならないハイリスク・ノーリターンを我慢して水族館に来た上に楽しいデートプランを考えることになったわけなのですが……。



「で、どうしましょうね。さすがの私もデートプランなんてものはまったく分からないわ」


「初手から丸投げかよ」


「でも実際、水族館なら順路の通りに見ていけばいいだけじゃないか」



 私の発言に秋人は威張るなと呆れ、雪城くんはそんな秋人を見ながら「そもそも下見って発想がよく分からないんだけど」とため息まじりに言った。

 ほんとそれな。でも嫌がる私をここに強制連行したのはあんただからね。そこのところ忘れないでもらいたい。

 修正力の有無を調べるために水族館の招待券を渡したのに、なんでこんなことになってるんだろう。自分の恋愛事は興味もなければ縁もない私がデートプランなんて分かるわけがないのに。

 ひとまず立ち止まっていても仕方ないので、順路の通りに進んで水槽を見ていく。けれど千夏ちゃんがどういうものが好みか、前世の少女漫画知識を引っ張り出してみても分からなかった。



「水族館で、デートらしいことねぇ」



 これも千夏ちゃんのためだと思って知恵を振り絞ろう!

 ……と言いたいところだけど、カラッカラに干からびた雑巾を絞っても水は出てこないと思うんだよね〜。どうしようかな。



「そもそも朝倉さんの好みは、恋愛対象の好み以外はなにも知らないから……」



 漫画という形で、千夏ちゃんの性格や交友関係は知っている。でもそれは漫画の朝倉千夏であって、生きた朝倉千夏ちゃんのことはなんにも知らない。

 話したことも、挨拶を交わしたこともない、同じクラスの女の子。幼馴染みの恋人の女の子。近いようでとても、とてもとても遠い存在だ。

 周囲の人に踏み込まない程度に歩み寄ってみようと思ったけれど、千夏ちゃんとの関係はそれ以前の問題だ。

 でもそういう関係にしたのは私。

 彼女は同じクラスになってから、チラチラと私を見ては話しかけるタイミングを伺っている素振りをしていた。それに気づいていたのに、私は内部生と外部生の違いとか、選民派から恨まれないようにとか、千夏ちゃんを守るという大義名分を立ててタイミングを掴ませなかった。

 ……本当は、ただ私が踏み込まれたくなくて、逃げていただけなのに。



「桜子」



 不意に呼ばれて、水槽の中を自由に泳ぎ回る名前の分からないオレンジ色の熱帯魚から、秋人の方を見る。



「お前、たまにこういうところ来るだろ。なに目的で来てんだ?」


「私に聞いてどうするの。あなたが考えるべきは朝倉さんの好みでしょう」


「お前ら似てる部分があんだよ。参考ぐらいにはなるだろ」


「似てるって……」



 春原くんにもそんなようなことを言われたけど、主人公と悪役令嬢が似てるとは思えないんだよなぁ。



「似てる似てないはともかく、女の子の意見は参考になると思うよ。どこか見たいところある?」



 館内図が載ったパンフレットを雪城くんから受け取って、眺めてみる。

 入ってすぐが日本の淡水魚で、日本近海の生き物と続き、日本から遠く離れた暖かい南の海の生き物のコーナーが現在地だ。



「真琴達と来た時も、普通にのんびり水槽を見て、時間になったらイルカショーを……あっ!」



 パンフレットを見ながらの自分の言葉に、ハッとした。

 私としたことが、イルカのことをすっかり忘れていた!大失態だ!



「秋人、イルカよ!朝倉さんと来た時はイルカショーの時間を確認しておかないとダメだからね」


「イルカショー?」


「何よその薄い反応!イルカショーを見ない水族館なんて、イチゴの乗っていないショートケーキと同じよ!」



 ちょっと面倒くさそうな顔をする秋人の腕を、パンフレットでべしっと叩く。

 横で雪城くんが「やっとエンジンかかったね」と愉快そうに呟いたのは無視しておく。人を整備不良の中古車みたいに言うな。



「今日は夕方でもうショーはないから仕方ないけど、水族館に来たら絶対に外しちゃいけないイベントなんだからね」


「あれ水飛んでくるだろ」


「イルカを見てはしゃぐ朝倉さんの姿、見たくないの?」


「どこで時間の確認できんだよ」



 うわ……私の幼馴染み、チョロすぎ……。



「チケットの購入窓口の上に、電光掲示板があったでしょう?あそこにその日のイベントの状況が出てるから、入る前に確認して、朝倉さんが見たいと言ったら行くといいわ」



 私が渡した招待券は、千夏ちゃんと来た時用。今日は普通に自分達で入館チケットを買っているので、その時の光景を思い出させる。

 すると秋人は「ああ、あれか」と呟き頷いた。



「イベントならイルカ以外にもあるみたいだよ」



 雪城くんはそう言うと、私の手からパンフレットをそっと取って裏返す。

 ほらココ、と指をさす部分を見ると、この水族館でやっているイベントやパフォーマンスの紹介が載っていた。



「ペンギンのお散歩に、アシカのパフォーマンス……。あらまあ大変!秋人、ペリカンのえさやり体験があるわ!」


「……行かねぇからな」


「ペリカンと戯れる朝倉さんの姿、見たくないの?」


「そ、それとこれは話が別だ」



 今度は秋人はしかめっ面で断固拒否する。

 それでも私が「いいじゃない、絶対に楽しいわよ」とニヤニヤ笑いながらしつこく勧めれば、雪城くんが首を傾げた。



「ペリカンのえさやりなんてどこでもできるわけじゃないんだし、僕もいいと思うけど」


「絶対に!嫌だ!」


「なんでそんな頑ななんだよ」


「雪城くん、雪城くん。実はですね、秋人は昔……」


「桜子!」


「ペリカンに丸呑みされそうになって大泣きしたことがあるんです。それ以来ペリカンは、見るのも嫌なぐらいトラウマになっているんですよ。ぷふー」


「ああああ桜子テメェ!!」



 あれはまだ私が前世を思い出す前。我ながら純真無垢で可愛いお嬢様系幼稚園児だった頃のことだ。

 当時はまだ我が家と壱之宮家が家族ぐるみの付き合いが盛んに行われていて、幼稚園の冬休みに一緒にバリ島旅行をした。そして島内には大きなバートパークがあって、そこでもペリカンのえさやり体験をやっていたのだ。

 私が可愛い幼女らしくお父様にやりたいとおねだりしたので、秋人もついでにやることに。

 係員の危ないから投げて渡せとの指示に従って、私はポイポイとペリカンに魚を投げ渡した。しかし秋人は自分より大きな鳥の大群にビビり、なかなか魚を投げなかった。

 それが幼気な美少年に悲劇を呼ぶ。

 いつまで待っても魚がもらえないことにペリカンがブチギレて、くちばしを大きく広げ、魚ごと秋人に噛みついたのだ。

 秋人は火がついたように泣き出して、その絶叫に驚いたペリカン達はパニックを起こし辺りは阿鼻叫喚となったのである。


 そのことをかい摘んで話せば、雪城くんは「へえ、そんなことがねぇ」と秋人を見て笑む。当然ながら意地の悪い嘲笑の笑みだ。



「いい思い出になりそうだし、絶対にやるべきだと思うな。ペリカンのえさやり」


「ね?そう思うでしょう?ちなみにその時の映像はばっちりビデオ撮影して、DVDに保存してあるんですよ」


「それって見せてもらえる?」


「構いませんとも」


「俺が構うッ!」



 幼少期の恥ずかしい話を暴露されたプライドエベレスト男は、ぎりっと歯をくいしばる。



「他だ、他!他の見たいもん言え!」


「ペリカン」


「他って言ってんだろ」


「えー、それじゃあ……」



 わざわざ私に見たいものを聞くのは、たぶん秋人なりに無理矢理付き合わせたお詫びだろう。

 この男はなまじ育ちがいい分、身内認定した相手には律儀というか義理堅い部分がある。態度がでかいから分かりにくいけど。


 まあ、そんなことは横に置いておいて、ショーやイベントはもう終わってしまっているし、ゴールデンウィークの直前の平日なので特別展示もない。

 見たいといえばペンギンやアザラシだけど、それはもっと後半だ。それ以前のものをすっ飛ばして、いきなり出口に近いところに行くのはもったいない気がする。

 何かあったかなぁ。うーんと考えて、無意識に口元へ当てていた右手の存在に、ある事を思い出した。

 思い出して、しまった。



「……ハリセンボン」


「は?ハリセンボン?」


「急にピンポイントだね。ここに来るまでにはいなかったと思うけど、いるのかな?」


「あ……い、いえ、ペリカン繋がりで昔のことを思い出しただけなので、絶対に見たいわけではありませんから」



 調べようとパンフレットを裏返し、館内図を見る雪城くんを慌てて止める。



「ええっと、朝倉さんが楽しめそうな場所っていうと……ああっ、クラゲコーナーはどう?見ていて癒されると、最近女の子にとっても人気なのよ」



 さっきパンフレットを見た時に名前があったクラゲコーナーを勧めて、私は行きましょうと二人の返事も聞かずに通路を進んだ。


 ああ、嫌だな。なんで今さら、そんなことを……。

 もう何年も思い出すことなんてなかったのに。

 せっかく改めて、今後について覚悟を決めたのに。

 些細なことで揺らぐ自分の弱さが、嫌になる。


 ちらりと見ることもなくいくつかの水槽の前を通り過ぎると、ひときわ開けた場所に出た。色も大きさも様々な熱帯魚が、サメやエイと一緒に泳ぐ大水槽だった。

 そういえばこれがこの水族館の一番の目玉だったなと思いながら、鮮やかな青い光は目にしみて、自然を細める。

 その時ふと、その大水槽の前に大学生だろうか、目の前の光景に楽しそうに笑い合う女性客四人が目に入った。



「……っ」



 途端に溢れ出そうになった感情を、ぐっと唇を噛んでこらえる。そして止まりかけていた足を動かして、逃げるようにすぐ先のクラゲコーナーに進んだ。

 そこは、どこよりも暗かった。両の壁には窓のような水槽、壁と壁の間には円柱の水槽がいくつも立っていて、そのすべてが赤や青、緑、黄色といった色とりどりのLEDライトに照らされている。光はそれしかなかった。

 淡い青のライトに照らされた、ミズクラゲがふわふわと漂う水槽に歩み寄る。



「……今さら、だなぁ……」



 ポジティブが売りな私だけど、この件に関しては、すぐに前向きには考えられない。

 平日の夕方で、しかも目玉の大水槽の後だからなのか、他に人はいない貸し切り状態。足音が響いてしまうぐらい静かで、自然と詰めていた息を肩を使って吐き出す。

 頭を冷やそうと水槽にゴンと額を当てても、あまり冷たくなかった。

 クラゲは意外と、温かい水の中が好きな生き物なのかもしれない。



「宝生寺さん」



 呼ばれて、ああそういえば一人で来ているんじゃなかったと我に返った。

 前髪を直してから振り返る。するとそこには雪城くんしかおらず、秋人はどうしたのか聞けば大水槽を見てから来るつもりらしいとのこと。

 あのペリカントラウマ野郎、人がせっかく千夏ちゃんの喜びそうな場所を考えてやっているのに何をやっていやがる。いや、でも大水槽も見応えがあるし、そっちも大事か。



「大丈夫?」



 ふうとため息をつくと同時に、脈略のない問いかけ。



「なにがですか?」



 猫をかぶって、心では違うことを思いながらも笑うことは、もうすっかり体に染み付いた技術だ。息をするのと同じぐらい簡単にできる。

 しかし私がおっとりと微笑み首を傾げれば、雪城くんの顔がかすかに歪んだ。



「顔色、あんまり良くないよ」


「水槽の明かりのせいでしょう」


「なにか、嫌なこと、思い出したんじゃないの?」



 ────あ……。

 笑って誤魔化して、それ以上踏み込もうとするなと拒んだのに。今まではそれで済んでいたのに、どうして今になって急に……。

 確信をもった目をしながら、確かめるような言い方をしている。多分ここで私が一歩下がれば、それ以上は何も言わないつもりだろう。

 私は無意識のうちに、片足を後ろに引く。

 でも、もう一方の足は動かなかった。

 逃げたいと思う私の他にもう一人、嫌な思い出という言葉を否定したいと思う私がいて、それをさせてはくれなかった。



「……いいえ、逆……なんです」



 クラゲに視線を戻せば、どうにか否定の言葉が出た。



「すごく楽しかったことです。楽しくて、大事で……忘れたくないけど、思い出すとかえって寂しくて、悲しくなるから……」



 だから、思い出さないようにしていた。


 とても大事な思い出。

 もうあの頃には戻れない、全部が過去のことなんだと思い知らされるから、心の奥底に押し込んで見ないフリを続けてきた思い出。

 私であって、宝生寺桜子わたしではない。宝生寺桜子わたしになる前の、かつての私の思い出。


 それを誰かに語るのは、これが初めてだ。



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