22-2.毎回こういうことになるんだよ
カフェテリアの二階席は、広いわりには席数の多くない。
中央には一定以上の距離を開けて、真っ白いクロスのかかった丸テーブルとイス。こっちは基本的に食事用で、昼休みにはほぼ満席になる。
壁際や窓辺には、それぞれデザインの違うテーブルとソファー。こっちは休憩用だったり談話スペースだったり、多目的に使われていて、利用者がいたりいなかったりだ。
しかし階段を上りきりそこを見渡しても誰の姿もなく、代わりに一番隅のソファー席を隠すように、普段は畳まれている透し彫りのパーテーションが広げられていた。
「あらまあ」
カフェテリアの二階席は、紫瑛会の人間……つまりは学園内でもトップクラスの家柄の生徒のみが使用できて、二階の様子は下からは全く分からない構造になっている。しかし中にはその程度では満足しない、例え同じ二階席利用者からであろうと干渉されるのを嫌う気位の高い者もいるのだ。
そこで活躍するのが、パーテーション。二階席専属のコンシェルジュに頼めば、窓際の席にパーテーションを立てて、周囲から見えにくくしてくれるのである。
在校生の中で、もっともパーテーションシステムを使っているのは秋人だ。
あいつは千夏ちゃん絡みの相談を学校でする時、必ずあの一番隅の席にパーテーションを立てる。あの席があの状態ということは、パーテーションの向こう側にいるお坊ちゃんはずいぶんと切羽詰まったご様子のようだ。
私は万が一の間違いがあっては困るので、コンシェルジュに秋人がいることを確認してからそこを覗いた。
「遅い」
お前マジで一回ぶん殴ってやろうか。
急な呼び出しにも応じてくれる、心優しい幼馴染み様を出迎える第一声がそれってどうかと思う。
「私にも都合というものがあると、いつも言っているでしょう。それで?今日の用件は?」
「おい、透也はどうした?」
先に質問したのは私なんですけど。
「雪城くんなら、少し用があるから後で来るそうよ」
「用?なんの?」
「さあ?言いにくそうにしていたから聞かなかったわ。大したことじゃないからすぐに済むとは言っていたけれど」
「言いにくい……あー、いつものか。タイミングの悪りぃ奴」
「タイミングが悪いって、秋人あなたねぇ、なんでも自分の都合がいいように事が運ぶという考え方はやめた方がいいわよ」
「クラス分けを変えようとしたお前が言うな」
「あなただってその気になってたじゃない。自分だけ仲間外れにされて寂しいくせに」
ふふんと鼻で笑えば、秋人は眉間にくっきりとシワを寄せて睨んできた。でも図星をつかれて反論はできないようだ。
単細胞直情バカが、口げんかで私に勝てると思うなよ。
「ところで呼んだ理由は?パーテーションまで立てたってことは、そういうことなんでしょう?」
私は言いながら定位置である窓辺のソファーに座った。
木目がきれいなチョコレート色の長テーブルを中心に、コの字型に配置された三つの席。
俗に言うお誕生日席である上座に置かれた、背もたれが大きくて座り心地のいい一人掛けソファーが、秋人の席。窓に背を向けるように置いてある三人掛けの猫足ソファーが私で、その向かいが雪城くんだ。
話し合って決めたわけでもなく、秋人に呼び出されることの多かった去年一年間で自然と決まった定位置だった。
「ロサンゼルスとパリとシドニー。お前ならどこ行く?」
お茶とスイーツを頼もうと、メニューを眺めていた顔を上げる。
秋人の顔は、やけに真剣さがあった。
「……夏休みの旅行の行き先を相談したくて呼んだわけ?」
いつも以上に突飛な質問に、私は混乱しつつも煎茶とカステラを注文する。今日は和の気分だ。
「ちげぇよ。ゴールデンウィークの旅行先だ」
「今決めるのは遅すぎではないかしら」
「いいからさっさと答えろ」
うわぁ〜横暴〜。腹立つ〜。
そんなこと聞くために呼んだわけ?
待つと言った雪城くんには悪いけど、カステラを食べ終わったらさっさと水族館の招待券渡して帰ろうかな。
「じゃあ……シドニー?」
「理由は?」
「時差が少ないし、牡蠣とロブスターが美味しい。あとコアラが抱っこできる」
「コアラか……」
えっ、そこ?!
いつもだった「参考になんねぇ」とかなんとか言って舌打ちしそうなのに、まさかのコアラ?
抱っこしたいの?昔から死ぬほど動物に嫌われる体質のくせに?
「ゴールデンウィークは海外で過ごすの?」
「お前もだろう」
「私は金沢よ。お父様が仕事の関係で行くから、それにお母様とついて行くの」
「能登牛が目当てか」
「……違うわ」
鋭い指摘を、すぐに運ばれてきたお茶を飲んで誤魔化した。
私の金沢旅行の目当てが能登牛と海鮮丼と金箔ソフトなのはさて置いて、秋人は海外の予定なのか……。そうなると、渡すつもりだった水族館の招待券をどうしようか。
海外旅行を予定している相手に「ゴールデンウィークに朝倉さんと行ってくれば?」と渡すのは、少し不自然だ。でも修正力についての推理が正しいのかどうかを確かめる手段は、これしか思いつかない。
────いや、待てよ。
逆に考えるんだ、渡す状況にならないと。
修正力が存在する場合、私『宝生寺桜子』に秋人と千夏ちゃんのデートを『目撃』させるために、水族館の招待券はなんやかんやで秋人の手に渡るはず。
しかしその肝心の秋人は、ゴールデンウィークは千夏ちゃんとデートどころか日本にいない。
つまり、秋人に招待券を渡さない=千夏ちゃんとデートをしない=私は『目撃』しない=修正力は存在しない、ということになるはず!やった!運命に勝った!
内心ほくそ笑んでカステラを味わっていると、ちょうど雪城くんがやってきた。
「なんでお前は毎回毎回、そうタイミングが悪りぃだよ」
秋人は何を思ってか、雪城くんの顔を見るなりそう言って、定位置である私の向かいの席に座った彼のスネを蹴る。
今日の暴君、ご機嫌ななめすぎじゃない?
「……その話は後で聞く」
「全部門前払いすりゃあいいもんを。中途半端なことするから、毎回こういうことになるんだよ。いい加減学べ」
「後で聞くって言ってるだろう」
言いながらちらりと私を見る雪城くんの目は、明らかに都合が悪そうだ。
これはもしかして私が邪魔に思われている?後でって、私がいなくなってからって意味?
そういうことなら、招待券を渡す必要なくなったわけだし、カステラを食べ終わり次第さっさと消えるとしよう。
急に蚊帳の外へ追いやられた私は、黙々と底にザラメが付いたしっとりカステラを食べ、舌に残るハチミツとたまごの風味をお茶でリセットする作業に集中した。
「で、用件は?」
「ロサンゼルスとシドニーとパリ。お前ならどこ行く?」
「……宝生寺さん、通訳を頼めるかな?」
「ゴールデンウィークの旅行先の相談がしたいようです」
「……」
訳がわからんという目で見られても、私だって訳がわからんのだからこれ以上の通訳は無理。
一口サイズに切ったカステラを食べながら、私は首を左右に振った。
「よく分からないけど、僕はパリ……というかフランスに行く予定になってる」
「あー、母親の実家があるのか」
「そういうこと。まさかそれだけのことを聞くために呼んだのか?」
「朝倉のやつ誘って、どっか行ってこようと思ってな。お前とうっかり向こうで会いたくねぇし、シドニーでいいか」
一秒、二秒、三秒。
壁に掛けられたアンティークの振り子時計は、言葉を失い固まる私達をあざ笑うように時を刻み続ける。
「バカなの?」
口に詰まったカステラを飲み込み、そう返すのが私の精一杯だった。
すると当然ながら単細胞直情バカは「んだと?!」と突っかかってくるわけだけど、それに言い返す気力すらない。
もうやだ、このお坊ちゃん。去年一年間、好きって一言が言えなくて散々人を振り回していたくせに、いざ付き合うようになったら海外旅行に誘おうとするなんて……。こいつの羞恥心の設定どうなってんの?
額に手を当て嘆いていれば、雪城くんもこめかみを揉みながらため息をついた。
「……一応確認させてもらうけど、行き先はともかく旅行に行くこと自体は、事前に彼女と話していたことなのか?」
「はあ?そんなことしたらサプライズになんねぇだろ」
もうやだ!本当にもうやだコイツ!!
さては朝に突然千夏ちゃんの家に行って「シドニー行くぞ!」って言って空港に連れて行くつもりだったな?!
そりゃあ驚くよ。サプライズ大成功だよ。でもその後にくるのは困惑。四十秒で支度はできないし軽い拉致だよ。お巡りさん呼ばれてしまえ。
ああ、こんな奴との恋を応援してしまって、千夏ちゃんへの罪悪感が凄まじい。こんなことだったら春原くんの味方をすればよかった。
あっ、ダメだわ。秋人がフリーになったら、その婚約者の座に私が座らせられる確率が高まるんだった。
だから私のやるべきことは、この羞恥心の設定がおかしい規格外ドバカお坊ちゃんを、千夏ちゃんから愛想を尽かされないイイ男に仕立て上げることだ。
私はフゥーッと大きく息を吐き精神統一をして、顔を上げた。
「いいこと秋人、今から私の言うことをよく聞いてちょうだい」
耳の穴かっぽじってよーく聞け。
「これまで何度も言ってきたけど、朝倉さんは一般家庭のお嬢さん。それにお友達もとっても多い方よ」
「はあ?そんなことが今さらなんなんだよ」
「黙って聞きなさい」
睨みながらのお口チャック命令に、秋人は黙った。
秋人の唯一の長所、それは『素直』。
「まとまった休みのたびに、誰でも遠出ができるわけではない。ましてや海外旅行は、一般家庭の方からすれば特別なイベントなの。何日も……いいえ、何ヶ月も前から家族や友人とあそこへ行きたい、これをやりたいと計画をたてて、準備の過程も楽しんだ上で行くものなのよ。実際にあなた、朝倉さんとどこへ行くか考えていた今の時間は楽しかったでしょう」
違う?、と言えば、秋人は黙ったまま。無言は肯定である。
「それに海外となればパスポートが必須。彼女が持っているか確認した?」
「あっ」
「してないんだな。まあ、そんなことだろうと思ったけど。というわけで、旅行は諦めるんだな」
さっきスネを蹴られたことを根に持っているのか、雪城くんの冷ややかに言った。
もともと秋人の扱いは雑だし、たまに黒い発言が出ることはあるけど、今日は二割り増しで塩対応なようだ。
「チッ、国内で手を打つか」
「ねえ、私の話ちゃんと聞いてた?行き先はどこだろうと、彼女の都合も考えずにいきなり誘うのはやめなさいと言っているのよ」
私にはあんたが断られたショックで、腑抜けモードになる未来しか見えないのだけれど。
「もうゴールデンウィークの直前よ。ご家族と旅行へ行ったり、中学時代のお友達と久しぶりに遊んだりすると決まっている可能性が高い。それに彼女はアルバイトもしているんだから、その都合も考えると……ね?分かるでしょう?」
「お前の入る余地はないってことだ、秋人」
せっかく私が言葉を濁したのに、雪城くんがトドメを刺した。今日は二割りではなく、五割り増しで塩らしい。
おかげで秋人はぐうの音も出ず、きゅっと口を真一文字に閉ざして黙り込んでしまった。
これが可愛い幼女だったら頭撫でてしこたま甘やかして慰めるけれど、あいにく私に同い年の幼馴染み野郎の頭を撫でる趣味はない。
私は最後のカステラの欠片を胃に収めてから、やれやれとため息をつきながらカバンに手を伸ばした。
「つまり秋人は、朝倉さんとどこかへ遊びに行きたいのよね。そういうことならコレをあげるわ」
言いながらカバンのファスナーを開け、中のそれに指先が触れた瞬間。はたと我に返り、スムーズな事の流れに引っ掛かりを覚えた。
「コレってなんだよ?」
「……あ、えっと、水族館の招待券。一枚で五人まで入館できるから、真琴達を誘おうと思っていたけど。そういうことならあなたにあげる」
私は水族館の招待券が入っている白い封筒をテーブルに置き、スッと滑らせ秋人に差し出す。
「水族館……」
「有効期限は来月末までだから、ゴールデンウィークは無理でも、五月の週末でいつが空いているか彼女に聞いて誘えばいいわ」
「グループ招待券か。よくこんなモン持ってたな」
「私も詳しくは知らないけど、そこの期間限定イベントの企画にうちの子会社が関係しているみたいなの。だから『感想を聞かせてください』っていう意味でお父様が渡されて、それが私に回ってきたのよ」
昼休み、私は修正力についての推理の材料にするためにお父様に連絡していた。
そこで得た情報を言えば、封筒を手に取って中身を確認していた秋人は「ふうん」と頷く。
「ここ、夜も七時までやってんのか……」
言いながら壁の時計をちらりと見て、次いで私と雪城くんを見る。猛烈に嫌な予感がした。
こういう場合は先手必勝。私は「じゃあ私はこれで失礼」と早口で言って逃げ……ようとした瞬間、ソファーに置いていたカバンを横から引ったくられた。
三人しかいない状況で、そんなことができるのはただ一人。
「なんのつもり秋人。私は帰るの。返してちょうだい」
「まだ話は済んでねぇ」
「いいえ、済んだわ。あなたはその招待券を使って、朝倉さんと水族館デートをする。以上。おしまい。だからカバンを返しなさい、今すぐに」
「お前、今日この後ヒマだよな」
「……嫌よ」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「どうせ下見に行くとか言うつもりなんでしょう。あなたの考えそうなことぐらい簡単に分かるわ。私は行かない」
「分かってんなら話が早いな。行くぞ」
「行かないと言っているでしょうっ!」
やっぱりそういう魂胆か!だから逃げようと思ったのに!
デートの下見ってなによ!?水族館に下見しておかなければならない所なんてないでしょ!?
「あのね秋人、放課後に、私と、水族館なんかに行ったと泉おば様に知られたらどうするつもり?今までの努力がすべて水の泡になってもいいって言うの?」
まずいのは秋人の母親である泉おば様だけじゃない。恋に恋する大きな女の子、脳内お花畑な私のお母様にも知られたら、母親コンビに嬉々として婚約の話を進められてしまう。
可能性がゼロではないどころか、知られたら最後九十八パーセントの確率で起こるであろう大問題を突きつけると、秋人の顔はかすかに嫌そうに歪んだ。
しかしまだカバンを返す気にはならないらしい。どんだけ下見に行きたいんだお前は。
「透也も一緒なら大丈夫だろ。あとババアなら今は日本にいねぇ。今がチャンスだ!」
「秋人?なんで当たり前のように僕が行くことになってるんだ?」
「おば様本人はいらっしゃらなくても、どこからか話が漏れ伝わるかもしれないでしょう。とにかく私は行かない、雪城くんと二人で行って!」
「宝生寺さん?押し付けないでくれるかな?」
面倒は勘弁だと雪城くんは首を左右に振るけれど、こうなった秋人の頑固さはよく分かっているはず。ここは尊い犠牲になってもらおうじゃないか。大丈夫、ファンの皆さんの妄想の糧になるだけだから。
私は秋人からカバンを取り返すふりをして、もう一方の手に握られていた白い封筒……水族館の招待券入りの封筒を奪った。
「これを使い物にされたくなかったら、今すぐカバンを返しなさい」
「お前!?卑怯だぞ!」
「卑怯?人のカバンを奪っておいてよく言えたものね」
いつでも中身ごと引き裂けるように、封筒を両手で持つ。
「前にあなたが自分からデートに誘いたかったと嘆いていたから、せっかく私が気を利かせて誘う口実を作ってあげたというのに……。厚意を仇で返すというのね。へえ、そうなの、残念だわぁ。だったらこれは、なかったことにしましょうか」
言いながらにっこり微笑み、封筒をほんの少しだけ破ってみせる。すると秋人が「ちょ、待て待て待て」と慌てて立ち上がった。
と同時に、雪城くんが秋人の手から、私のカバンをさっと取ったではないか。思わず「あっ」と声が出る。
「はい、ストップ。これ以上騒ぐと、下にいる人に聞かれるよ」
有無も言わせぬ微笑みに、私も秋人もきゅっと口を閉ざした。
「宝生寺さんもそれ渡して。どうせ本気で破くつもりなんてないんだろう?」
「まさか。秋人が折れなければ本当に破くつもりでしたよ。背に腹はかえられませんからね」
修正力の存在を確かめるのも大事だけど、そのせいで秋人との婚約ルートに突入するなんてごめんだ。
とは言えど、囚われていた私のカバンは、私同様デートの下見なんて真っ平ごめんな雪城くんによって無事に魔の手を逃れた。これで雪城くんを中継して、カバンと封筒を交換すればすべてが解決。私は帰ることができる。
はあ〜よかった。そう思いながら差し出された手に封筒を乗せ、空いた手をカバンへと伸ばす。
しかしその手は、スカッと空ぶった。
「え……?」
雪城くんが、私からカバンを遠ざけたのだ。
「秋人」
封筒はノールックで秋人へと投げ渡す。受け取った秋人の勝ち誇った顔の、なんと腹立たしいことか。
そして空いた手に、カバンへと伸ばしていた腕を軽く掴まれた。
瞬間、私は悟った。掴まれたのではない、捕まったのだ。
「た、謀りましたね?!」
「人聞きが悪いなぁ。受け取ってどうするか、僕は一言も言ってないよ」
「さっきはあんなに嫌そうにして行かないと仰っていたではありませんか!」
「そうなんだけど、よく考えたら今日は秋人に借りがあるから。ごめんね」
向けられた人畜無害そうな微笑みに、いつぞやと同じように心の猫達がブワッと毛を逆立てた。しかしもうすでに腕を掴まれているので、逃げることはできない。
「諦めて行こうか、水族館」
「裏切り者ぉ!!」
私の愛してやまない平穏な日常は、わずか一週間という儚く短い命だった。
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