22-1.いつもと違うことばかり



 放課後までは、いつもと変わらずに過ごす。しかし帰りのホームルームが終わると、私は一秒でも早く秋人に水族館の招待券を渡すべく手早く荷物をまとめていた。

 するとその時、カバンの外ポケットに差し込んでいたスマホが、メッセージの受信を教えてくれた。

 確認すればそれはちょうど秋人から。内容はたった一言、『話があるから来い』とのこと。


 うわ〜久しぶりにきたなぁ〜。


 放課後にこの手の呼び出しがくるのは、初めてではない。むしろ去年一年間は週に一回ぐらいのペースであった。

 そう、つまりこの呼び出しは、千夏ちゃん絡みの話がしたいということ。

 そして私に召還命令が下ったということは……。

 私はちらりと離れた席にいる雪城くんを見る。案の定、彼もスマホを見ていた。

 その顔は笑えるぐらいの無。あれは絶対に「めんどくさっ」と思っている顔だな。心中お察しします。



「雪城くん」



 荷物を持って、その背中に歩み寄る。

 しかし声をかけた瞬間、ビクッと、わざとかと言いたくなるぐらい大きく肩が揺れた。そして振り向いた顔は、少しだけ動揺しているように見える。

 え、なに?そんなに気配しなかった?もしかして私って影薄い?



「えっと、ごめんなさい、そんなに驚かせるつもりはなかったのですが……」


「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてて、ぼんやりしてただけだから。それで、どうかしたの?」



 首を傾げて微笑む姿に、近くにいた女の子がキャッと小さく黄色い声を上げる。さっきの動揺っぷりは、学園の王子様のパブリックイメージ的に忘れてあげた方がよさそうだ。

 私はまだ教室内に千夏ちゃんがいるのを確認してから、周りに聞こえないよう小さな声で言った。



「久しぶりに、いつものアレが始まりましたね」


「あ、うん、やっぱり宝生寺さんにもきてたんだね」



 秋人とのやりとりが表示されたスマホ画面を見せれば、具体的なことを言わなくても通じる。

 でも、なんだろう、雪城くんの返事の歯切れが悪い……ような気がする。



「えっ……と、また場所はカフェテリアですよね。行きませんか?」



 去年にも秋人に呼ばれた時、教室からカフェテリアに向かっている途中で会って、一緒に行くことがあった。むしろ私が面倒くさがってコソコソととんずらしようとしたら、にっこりとイイ笑顔の雪城くんに待ち伏せされ、秋人のところまでドナドナと強制連行されたことの方が多い。

 コソコソからのドナドナはある意味で様式美。単純な逃げ足の速さなら私の圧勝なのに、待ち伏せされるとどうしても勝てなかった。

 どうせ逃げても、また生徒用玄関で待ち伏せされて捕まる。だったら同じクラスだし、最初から一緒に行って愚痴でも聞いてもらうかと思っていたけど、なんだか都合が悪そうだ。



「……ごめん、実は、ちょっと用があって……」


「用事、ですか?」


「うん。ちょっとね……」



 歯切れの悪さは、気のせいなんかじゃない。

 私から目をそらす様子は、これ以上言いたくないという空気がにじみ出ていた。


 もともと私は、用事があれば秋人にも雪城くんにも話しかける。でも芽衣ちゃんと会って、自分からも色々な人に歩み寄ってみようかと思った。

 この場合、たぶん芽衣ちゃんだったら「用事って何?」と聞くのかもしれない。お手本にするならそう聞くべきだろうけど、でも、やっぱりこの様子は本当に言いたくなさそうだ。

 私は踏み込んで暴きたいわけではない。ここは今まで通り、大人しく引き下がった方がいいだろう。



「そうでしたか。そういうことでしたら、どうぞそちらを優先してください。急に呼び出す秋人の方がいけないんですから」



 ……ん?でもそれだと、私一人で秋人の話を聞くことになるのでは?

 今日は水族館の招待券を渡して、私の人生がかかる推理を確かめなければならない。だから例え一人でも行くけど、もし秋人の要件が厄介なものだとしたらちょっと面倒だな。

 まあ、こればかりは仕方のないことか。



「じゃあ、私は行きますね」



 また明日、と。言いながら離れて、教室を出る。

 どう話を切り出せば、秋人へ自然に招待券を渡せるか。脳内でシミュレーションしながら廊下を歩けば、内部生の女の子二人に「ごきげんよう」と挨拶をされた。

 この二人は、誕生日の朝にプレゼントをくれた子だ。クラスや委員会が同じになったこともない、接点らしい接点はあの日だけ。自己紹介をし会ったこともないし、連絡先も知らない。

 でも手渡してくれたプレゼントに、名前が書かれていた。

 えっと、たしか……ああ、そうだ。



「ごきげんよう、岩下さん、前野さん」



 歩きながら、にっこりと微笑む。

 芽衣ちゃんみたいに連絡先を聞いたりするのは、猫は被っても素のコミュニケーション能力が低い私には難しい。ハードルが高すぎる。

 でも親しみを込めて呼ぶぐらいの歩み寄りなら、今の私にもできるだろう。

 そう考えやってみたけれど、やった瞬間に後悔した。



「へあっ?!」


「えっ?!」



 二人は目を大きく開いて、パチパチと瞬きをした。

 特に岩下さんの方はひどい。今にも後ろにひっくり返りそうだ。


 ……あ〜うん、そりゃあ驚くよね。今まで挨拶を返すだけで、名前までは呼んでなかったもんね。さっき呼び慣れているはずの雪城くん相手にも失敗したし、慣れないことするもんじゃないな。


 恥ずかしいやら情けないやら。でもこれは今までの自分の人との距離の取り方が、そっくりそのまま返ってきたってこと。当然の報いだ。

 私は自嘲の笑いをぐっとこらえながら、さっきまでより早い歩調で二人の前を通り過ぎた。



「あ、あの!」


「桜子様っ!」


「ヒッ」



 不意打ちの背後からの大声に、つい悲鳴が出た。

 その拍子にうっかり剥がれてしまった猫を、慌てて捕まえて被り直す。



「なにかしら?」



 なんとか微笑んで振り返ると、岩下さんと前野さんが緊張しながらも意を決したような目をしていた。



「実は私達、茶道部に所属しているのですが……えっと、部では定期的に中庭で野点を催していて……その……」


「五月にも予定しておりまして、もしご都合がよろしければお越しいただけませんでしょうか!」


「……中庭で……野点?」


「はい!」



 緊張して時々声が裏返る岩下さん。その言葉の続きを、まるで魔王に挑む勇者のような勢いで言う前野さん。

 二人の言葉を理解するのに、ほんの少し、時間がかかった。



「日付は、もう決まっているの?」


「あ、いいえ、それはまだ……」


「じゃあ決まったら教えてくださる?実は去年、皆さんが何度か催されているのを見かけていて、とっても楽しそうだと思っていたの」



 去年の春と秋、茶道部の子達がわざわざ和装で野点をやってるの見かけていた。それがすごく楽しそうで、でも部外者の私には縁のないことだと思ってただ眺めるだけだった。

 それがまさか二年になった今、誘ってもらえるなんて。



「ご迷惑でなければ、ぜひ参加させて」



 私が答えると、二人は何度もこくこくと頷き「決まり次第ご連絡いたします」と言ってくれた。

 その顔にはもう緊張はなくて、代わりに嬉しそうな、可愛らしい笑顔があった。



「それじゃあ、また明日」



 お嬢様らしくごきげんようと言って二人と別れて、改めてカフェテリアへ向かう。



「こういうことで、よかったんだ……」



 誰もいない階段を下りながら、口を軽く手で押さえて、これ以上呟きがこぼれないようにする。


 もっとフランクでいいのに、対等な友人関係でいいのに。そう思っていながら、それをさせなかったのは私だった。

 ひいた一線の内側に踏み込まれたくなくて、踏み込んでこないと分かっている安心できる相手だけを選んで、それ以外は全部一歩下がって逃げていたんだろう。

 それが間違いだって、もっと早くに気づけば良かった。気づいて、直していれば、きっと今とは違う人間関係……本来の宝生寺桜子とは百八十度違う人間関係を気づけていたはずだ。

 でも、今とも、本来とも違うって?

 それって、今とどこまで違うんだろう?大好きだった『ひまわりを君に』とどこまで違うんだろう?

 誰と、どういう関係に────



「宝生寺さん!」


「ヒョワッ?!?!」



 再びの背後からの大声に、悲鳴だけでなく、危うく階段から足を踏み外しそうになった。

 手すりを掴んでどうにか耐え、階段の上を見上げて相手を確認する。



「……ああ、もう……なんだぁ、雪城くんでしたか。驚かさないでください……」



 おのれぇ、私の背後に立つなと前にも言ったであろう。

 私は昔から、後ろからの大きな音や、いきなり触られるのが苦手なのだ。くっつくのが好きな諸星姉妹のおかげで親しい同性や小さい子が相手なら平気になったけど、それ以外にやられるとどうしても心臓が口から飛び出しそうになる。

 それをこう何度もやられると、そのきれいな顔に平手打ちを食らわせて「二度とすんな!」と文句の一つでも言ってやりたいところだけど……。



「ごめん、大丈夫?!」



 申し訳なさそうな顔で、階段を一段飛ばしで駆け下りてくる人にはさすがに言えないよなぁ。

 ノミの心臓な私がいけないだけだし。



「大丈夫です、私も少し考え事をしていただけですので。さっきのとおあいこですよ」



 教室で言われたことを真似て、「それで、どうかされましたか?」と呼んだ理由を聞く。



「ご用事があるのなら、早く帰らないと。秋人の方は私が適当に相手をしておきますので、大丈夫ですよ」


「やっぱりそう思ってたんだね。違うんだ」


「違う?」


「用っていうのは……校内で済むことだから、終われば僕も行くよ」


「あら、そうだったんですか」



 なんだ、そうだったのか。一人で秋人の相談に乗るのは面倒だなぁって思っていたから、少しホッとした。

 ──ん?え?そうだとしても、用事が済んでから来ればいいだけじゃないか。なのにこの人、わざわざそんなことを言うためだけに来たの?それで私、うっかり階段から落ちそうになったの?

 あんなに言いにくそうにしていたから引き下がったのに、そのせいですっ転びそうになるなんて。冷静に考えると間抜けすぎて、ふはっと笑いが出てしまった。



「こんなこと、ふふっ、ほんと……」


「えっ、今の笑うところあった?」


「ごめんなさい、あなたを笑っているんじゃないんです。ただ、ちょっと、んふふふ」



 困惑している雪城くんの顔を見て、さらに笑えた。



「久しぶりに挨拶以外で話をしたと思ったら、ちっとも噛み合ってないし、雪城くんは珍しく慌てているし。いつもと違うことをすると、いつもと違うことばかり起きるんだなと思ったら、なんだかおかしくて」


「……話が噛み合わないのは、今に始まったことじゃないよ。あと結局僕を笑ってるね」


「あら本当だわ。ふふっ、ごめんなさい、バカにしているわけではないんですよ」



 言いにくそうしていたから聞かなかったけど、聞いていればこんなことにはならなかった。

 人間関係が円滑であるようにと引き際を弁えていたつもりだったけど、それが見事に逆効果。そんな自分の間抜けっぷりが一番バカバカしくして、どうしようもなく笑える。



「宝生寺さん」



 あ、ヤベ。笑いすぎたか。

 静かな声にハッと我に返り、慌てて心の猫達を集合させる。



「失礼、もう笑いません」


「そこはもういいよ」



 続けて小さな声で「焦ってた自覚あるし」と言う。心の猫達を集合させていなかったら、また笑っていたかもしれない。



「用事って言っても大したことじゃないから、すぐに済ませてくるよ。だから……先に行って、待っててくれる?」


「先に……。いつもとは、逆ですね」


「いつもって、ああ、それは宝生寺さんが僕に秋人を押し付けて帰ろうとするから。まさか今日も帰るつもりだった?」


「いいえ、今日は行くつもりでしたよ。でもそう言われると、なんだか帰りたくなってきましたね。迎えの車、呼ぼうかしら」



 押すなよ、絶対に押すなよ、と言われると、逆にその背中を押したくなるのが人の性だろう。

 今日は秋人に用があるから帰るつもりなんてないけれど、冗談でそう言えば、雪城くんも冗談だと分かっているらしく「またそうやって」とだけ言って苦笑した。



「ちゃんと後で来るんですよね?」


「うん」


「分かりました。そういうことなら、先に行って待っていますよ。秋人の話を一人で聞くのは疲れるので、なるべく早く来ていただけるとありがたいです」


「うん」



 私の言葉を確かめるように律儀に小さく頷いて、最終的にほっと肩の力を抜く。

 雪城くんのそんな反応を見るのは初めてで、ついうっかり、なんか小さい子みたいでちょっと可愛いかもと思ってしまった。

 まぁそうは思っても、うっかりで、ちょっとで、かもで、自分より図体のでかい同い年の野郎を可愛がる趣味はないので、そんな感想は一瞬で消えるわけなのだが。

 前世からの最推し春原くんですら、アイドルやスポーツ選手を応援するような感じだ。可愛がるとは、少し違う。



「遅くなると秋人がうるさいので、先に行っていますね」



 さっきは「また明日」と言ったけど、今度は「また後で」と言いながら離れる。

 とんとんとん、と階段を一段ずつ降りる。しばらしくて後ろからも足音が聞こえて、軽く後ろを見るともうそこに雪城くんの姿はなかった。



「……変なの」



 わざわざ言いに来なくても、用が済んでからカフェテリアに来ればいいだけのことなのに。

 後で行くと言う、ただそれだけのために来ていたのか。

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