21-2.まだ分かりません



 私がカバンから取り出した物を見て、世良先輩は面食らったようにパチリと瞬きをした。



「あれ?それって……」


「世良先輩。やっぱり、先輩のお知恵を貸していただきたいことがあります」


「うーん無視かぁ。で、何かな?」


「先輩はミステリー小説がお好きと耳にしたのですが、作家買いはされますか?」



 私がカバンから出したのは、一冊の文庫本。ブックカバーを付けてどんな本か分からない様にしてあるけれど、中身は文学賞の受賞経験もある有名小説家のミステリー小説だ。

 表紙を開いて、中扉に書かれた著者名を指差す。すると世良先輩からは「ああ、それ文庫版出てたんだ」と読書家らしい発言が返ってきた。



「その人の作品なら一通り読んだことあるけど、それがどうかした?」


「では、これまで王道ミステリーしか書かなかったこの方がSF要素を取り入れたと話題になった『四十九回目の木曜日』は?」


「あるよ」



 よし、それなら話は通じるな。



「実は私、SF作品はあまり得意ではなくて、『四十九回目の木曜日』はあらすじしか知らないんです。その上でお聞きしたいのですが……」



 『四十九回目の木曜日』は、 SF要素のあるミステリー小説。

 ある木曜日の夜、主人公“僕”の元に恋人が交通事故で亡くなったという連絡が届くいた。

 慌てて病院に向かえば、そこにはすでに冷たくなった恋人。“僕”は現実を受け入れることができずにいると、どこからか現れた少年にやり直したいのかと声を掛けられた。

 “僕”の答えは当然イエス。迷いなく頷いた。すると次の瞬間、病院にいたはずの“僕”は自分の家にいて、日付は恋人が死ぬ一週間前に金曜日になっていた。

 その日から“僕”は、恋人の死を回避──未来を変えるために同じ一週間を繰り返す。

 何度もループして、失敗するたびに恋人が死ぬ根本的な原因を調べ、四十九回目にしてようやく恋人と二人で金曜日を向かえるという物語だ。



「主人公の“僕”は、どうやって恋人の死を回避して、未来を変えたんですか?」



 “僕”は四十八回も失敗したけれど、四十九回目があったから結果的にはハッピーエンドを迎えることができた。

 でも私は、今のこの一回しかない。失敗できないから、自分の未来を変えるためのヒントを一つでも多く得ていたい。



「それってつまり、ネタバレしてほしいってこと?」


「はい。覚えている範囲で出来るだけ詳しく教えていただきたいです」


「え〜。ネタバレはミステリー好きの御法度だからなぁ〜」


「そ、それはそうですが……」



 私も普段だったら、気になっていたミステリー小説のネタバレをされたらブチ切れる。ハードカバー本の角でぶん殴る。でも今はそんなこと気にしている場合ではない。

 ぐうと呻いていると、世良先輩はからかうように笑みを深めた。しかし頰杖をついていた手を外し、私が脇に置いておいたブックカバー付きの文庫本を指差す。



「桜子ちゃん、これはどこまで読んだ?」


「これはもう読み終えて、今は五週目です」


「読み込むねぇ」


「好きな作品は何度も読み返したいたちなもので」



 好きな作品の読み返しは、前世からのくせだ。

 でもそのおかげで、大好きな少女漫画であった『ひまわりを君に』の細かい内容を覚えておくことができて、今の行動に活かされている。もしも覚えていなかったら、今頃私の立場はかなり危うくなっていたはずだ。

 いや、まあ、覚えているからこそ、今がけっこう危ういことになっていると気付いてしまったわけだけど……。



「この作品がなにか?」


「いやね、『四十九回目の木曜日』のネタバレはしたくないから、こっちの『冷泉館殺人事件』の話をしようかなって」


「なるほど。話題をすげ替え、後輩の悩みを聞いてくれないと」


「まさか、聞いてあげるよ。要するに桜子ちゃんは、このままだとどうやっても自分の都合の悪い状況になるから、どうにかしたくて悩んでるんだろう。だからループものの小説で例えた。違う?」



 うっわ、鋭い。

 普段は愉快犯で軟派野郎なのに、人や周囲のことをよく見ている人だから侮れないんだよなぁ。



「……正確には、都合の悪い状況になる可能性があると気付いただけです。確信はなくて、その通りになるかはまだ分かりません」


「だったらなおさら、こっちの『冷泉館殺人事件』の方が例えとして向いているかな」



 私の現在の愛読書『冷泉館殺人事件』は、名家として有名な冷泉家の娘が山中の別荘で死亡するシーンから始まる。

 状況的に警察は自殺と判断。しかしそれに不信感を抱いた冷泉夫妻が、娘の死の真相を解き明かしてほしいと、主人公である私立探偵に依頼するのだ。

 探偵は冷泉家の関係者……主に冷泉家の使用人や娘の友人と婚約者に話を聞き、真相に迫っていく。

 その探偵の助手を語り部とした、ミステリー小説の王道だ。



「この娘の死は結局、娘に一方的に好意を寄せていた冷泉家の使用人の男が、娘に婚約者がいると知って『自分のものにならないなら』と思って凶行に走った。……と見せかけた?」


「さんざん自分を所有物扱いしたあげく、好きでもない相手と婚約させた両親に嫌気がさしていた娘の、使用人の凶行を利用した間接的な自殺ですね」


「そう。自殺に見せかけた他殺の謎を解くっていうミステリーの定番を逆手に取った、叙述ミステリー。まあ、娘の考えはどうであれ、使用人による殺人事件であることは違いないんだけどね」



 序盤の何気ない台詞や地の文が、終盤になって娘の両親が毒親だと納得させる要因になる。読み終わった後、もう一度最初から読み返したくなる作品だ。

 で、この作品がいったいどう私の悩みに関係しているというんだろう。



「この探偵はさ、娘の部屋で日記を見つけたことで両親の本質を知る。でも高校生の娘が親に反発するのは珍しいことではないと思って、鵜呑みにはしないで、日記の存在を隠して両親にカマをかけた。娘さんに反発されたことはありますか、と」


「それでどんどんとボロが出て、娘が両親を嫌い、使用人に襲われても抵抗せず死を選んだのだと決定づけましたよね」


「桜子ちゃんは今、娘の日記を見つけた探偵と同じ状態だと思うんだよ」


「はい?」



 えっ、どこが?

 世良先輩は当たり前のように言うけれど、私のどこを見聞きして探偵と同じだなんて思ったんだ?



「さっき桜子ちゃん自身が言ったんだよ。可能性があると気付いただけで、確信はないって」


「言いました、けど……?」


「探偵は、日記っていう謎解きの手がかりを得たことで、両親が毒親の可能性があると気付いた。でもあくまで可能性だから、本当にそうかと確かめた。桜子ちゃんも確かめるために動けばいいと思うよ。もしかしたら思い違いの可能性もあるからね」



 最後「考えるより行動。正面から猪突猛進するのが、最善の策ということもあるんだよ」と言って、世良先輩は私から視線を外す。その視線の先を追えば、とある書架の前で遥先輩が右往左往していた。

 ああ、そういえば遥先輩は世良先輩のおすすめのミステリー小説を読むことにハマっていて、よく図書室に借りに来ているんだっけ。あの様子では、お目当ての本が見つからないんだろう。

 その後ろ姿は、控えめに言っても超可愛い。あれじゃあ世良先輩も大事にするよ。



「先輩。わざわざここを利用させず、ご自分の本を貸して差し上げればよろしいではありませんか」


「そう言ってるんだけどねぇ。ついでに自力で好みの作品を見つけたいんだってさ」


「……先日、遥先輩がタイトルに聞き覚えがあるからと『羊たちの沈黙』を手に取ろうとしたのを、私は慌てて止めましたよ」


「あ〜……それは止めてくれてありがとう……」



 あれは名作だけど、私ですら読んでいてウグッとなることがあるんだ。ミステリーを読み慣れていない遥先輩にサイコスリラーは無理だろう。

 またエグい描写のある本を手に取る前に、世良先輩には遥先輩の元に戻ってもらおう。



「私の方こそありがとうございました。先輩の意見を聞いて、私の悩みも解決しそうです」


「それなら良かった。じゃあ、俺は行くけど、何かあったらいつでも連絡しておいで」


「はい」


「いいお返事だけど、その笑顔は絶対に連絡してこないやつだね」



 私はまたねと軽く手を振る世良先輩の、真っ直ぐに遥先輩の元へと向かう背中を黙って見送った。

 そしてふうっと一つ息を吐いて、再びカバンから封筒を出す。



「謎を解く手がかり……」



 この世界には修正力というものがあるかもと気付く前だったら、きっと私は「あっラッキー☆」と思い、漫画の初デート回を再現させようと適当な理由をつけて秋人に渡していただろう。

 しかし気付いた今、水族館の招待券が私の手元に来たことが不気味に思えてならない。

 まるで私が秋人に渡すと分かって、何らかの力が働いているようだ。


 ────いやいやいや!それはさすがに考えすぎだよ!


 SFやミステリーを例えにして話をしたから、ついつい思考が不穏な方へ進んでしまう。

 けれどここは身分差の恋をテーマにした学園物語の世界。同じ一週間をループすることもなければ、学園内で殺人事件が起きることもないんだ。


 そもそも私には、唯一にして絶対的な長所がある。

 それはポジティブ。メンタルの硬度は二でも、回復速度が速いポジティブさこそ私の強み。そんなポジティブ女たる者、いつまでもぐずぐずとマイナス方向に考えているなんてナンセンスだ。

 修正力の可能性に気づいた私、超優秀!冴えてる!危険察知能力が高い!生存本能が強い!

 気付けたのなら、次に活かしていこーぜ!オッケー!ガンバ、ガンバ!



「よしっ!」



 自己暗示の時間は終わり。

 冷静かつ前向きに、自分の運命をどうやって変えるかを考えよう。


 私は宝生寺桜子であるにもかかわらず、去年一年間、まるでメインキャラクターの如く少女漫画の出来事に関わっている。秋人と春原くんのバスケ対決の時など、本来はそこにいない場面に混ざることが多かった。

 その結果、物語に歪みが生じたと思っていた。

 それぐらい、今の私……宝生寺桜子を取り巻く人間関係が漫画とは違うものになっている。


 とは言えど、修正力の可能性も否定しきれない。

 なぜなら去年一年間の出来事は、中身に私という異物が混ざっても、結果はすべて漫画の通りになっているからだ。

 私がそうなるように動いたから、というのも理由の一つだろうけど、未来を知っても人の感情は操れないのだから私の影響力なんてたかが知れている。

 それに冷静に考えてみると、今も漫画の通りになっていると言えないこともない。


 漫画の第二部は、春休み明けの始業式の日から始まる。

 開幕してすぐの数回は、いわば日常回。付き合い始めた秋人と千夏ちゃんが、昼休みや放課後にこっそり会っているという甘酸っぱさが描かれていた。

 その後に物語が動くきっかけになるのが、ゴールデンウィークの初デート。あれは二人が幸せの最高潮であると示すと同時に、宝生寺桜子という敵を動かすための回だった。

 次に物語が動くのが六月の体育祭の直前で、千夏ちゃんが春原くんに、秋人と交際を始めたと打ち明ける回だ。あれによって春原くんの失恋を確定させ、それでも春原くんが二人の恋路の味方だと読者に示した。


 その二つが、時期がズレてもうすでに起きた。

 しかし二人が初デートをして、宝生寺桜子がその事実を知って、さらに春原くんが二人の交際を知るという流れは、漫画の通りだ。


 これはつまり『私という異物が混ざってしまい時期はズレているが、出来事は順番通りに起きるよう修正力が働いている』と考えられる。



「うーん、問題はどうやって修正力の有無を確かめるかだよねぇ……」



 水族館は、二人の初デートの場所だ。

 しかし二人はすでに初デートを済ませている。

 仮に私が招待券を秋人に渡して、二人に水族館デートをさせても、それはもうすでに二度目のデートだ。しかも私も春原くんもすでに二人の関係を知っている。

 私から秋人に招待券を渡させることで、何を修正させようとしているんだろうか。



「ゴールデンウィークと水族館は、マクガフィンのはずだし……」



 初デート回で重要なのは、ゴールデンウィークという日時でもなければ、水族館という場所ではない。秋人と千夏ちゃんが二人で幸せな時間を過ごし、それを宝生寺桜子が目撃することだ。

 目撃しなければ宝生寺桜子が交際を知ることもない、知らなければ二人の破局を目論み動き出すこともない。宝生寺桜子を動かし、物語を動かすことが、初デート回の本当の意味のはず。

 だから初デートの日は、平日の放課後でも普通の土日でもいい。行き先だって、遊園地でも近所の公園でもいい。

 要するに、宝生寺桜子に二人が仲睦まじく一緒にいる光景を目撃させることが重要であって、デートの日時や場所は物語的に重要な要素ではないのだ。



「ん?目撃?」



 そういえば、私は二人が春休みに初デートをしたことは知っているけれど、目撃はしていない。秋人からの電話で聞いただけだ。

 これはもしかして、宝生寺桜子に『二人が恋人として一緒にいる姿を目撃』させるために、修正力が働いているのか?


 うん、その可能性はあるかもしれない。

 そしてその可能性を確かめる方法は、もうすでに私の手の中にある。


 秋人に、今持っている水族館の招待券を渡す。

 前に秋人は自分からデートに誘いたかったと嘆いていたから、「誕生日のマカロンのお返しにこれをあげるから、朝倉さんを誘って行って来なさい」とでも言えば受け取るはずだ。

 そうして水族館に行った二人の姿を、私が意図せず『目撃』するか否か。それによって修正力の有無を確かめることができるはずだ。


 おおっ冴えてる!今日の私、すっごい冴えてる!名探偵桜子だよ!来世はミステリー小説の世界に転生して、探偵事務所のマスコットなマンチカンになってもいいぐらいだよ!


 ああ、いけない、いけない。クールになるんだ私。

 名探偵の大先輩だって、自分の考えが正しいと確信できるまでは口に出さず、熟考すると言っていたじゃないか。

 まだ秋人に招待券を渡してすらいない。推理内容を確認する段階ですらないんだから、浮かれるのはまだ早いぞ。


 ちょうどその時、朝のホームルームが始まる十五分前のチャイムが鳴り響いた。

 朝なら秋人はカフェテリアにいるはずだけど、仕方がない、渡すのは放課後にしよう。それに朝の短い時間に考えをまとめることができただけ充分だろう。

 私はヨシッと気合を入れて図書室を出て、向かう。


 一人で廊下を進むと、黒縁眼鏡におさげ髪の女子生徒とすれ違った。上履きのゴムの色は黄色。一年生だ。

 私が宝生寺桜子だと気づいたその子は慌てて頭を下げたけれど、実は私は彼女の顔も名前も知っている。


 今まで接点を作らないようにしていたのに、二年になり、修正力の可能性に気付いた直後に、こうやって見かけるようになるなんて……。

 ぞくっと背中に冷たいものを感じて、私は思わず腕をさすった。


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