21-1.気がつくのに遅れて
朝。踏み込まない程度に歩み寄るって実はけっこう難しいのでは?、と考えながら玄関で靴を履いていると、お父様に呼び止められた。
「これを」
差し出されたのは、洒落っ気のない白い封筒。
少し前にお母様から壱之宮コンツェルンのパーティーの招待状を手渡された記憶がよぎり、思わず身構える。そして渋々受け取ったそれを裏返してみると、そこに書かれた文字にぎょっとした。
「……どうしてこんなものを?」
「土曜に頂いたんだ。友達の都合がつくようなら、誘って行ってくるといい」
そういえば土曜日の夜、お父様はお母様を連れて出かけていたな。
私は日中に華道の集まりがあったから不参加だったけど、確か宝生寺グループの子会社関係の集まりとかなんとか言っていたっけ。
ふむ。入手経路はどうであれ、四月下旬というタイミングで、これが私の手元にくるとは……。
これは歩み寄りについては、一度保留にした方が良さそうだ。
「そういうことなら頂きます。……行くかは、分からないけど」
私は封筒をカバンの奥底に押し込めて、お父様に「いってきます」と言って車に乗り込み学校へと向かった。
まだ人の少ない学園内を一人でさっさと歩いて、図書室に滑り込むように入る。ここまではいつも通りだけど、今日は暇つぶしの本を探しに書架の方へは行かず、窓辺の閲覧テーブルへとついた。
「さてと」
カバンを開けて、お父様から受け取った封筒を引っ張り出す。
その封筒に書かれているのは水族館の名前。中身を確認すれば、五人まで利用できる招待券が一枚入っていた。利用期限は来月末のようだ。
「水族館、五月……」
水族館と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、少女漫画の第二部で最初に起きるイベントだ。
秋人と千夏ちゃんの、本来の初デートの行き先。秋人から誘って、二人はゴールデンウィークに水族館へ行くことになる。
それに繋がるものを、本来はこのデートを目撃したことで二人の交際と知り、邪魔をするようになる宝生寺桜子が入手した。
さて、これをどう考えるべきか。偶然か、必然か──それとも、世界の修正力というやつか。
「私がいなくても、二人は付き合うようになっていた……か」
春原くんはその言葉を、自分がフられたことに責任を感じる必要はないという意味で言ってくれたんだと思う。実際それを聞いて私は救われた。
おかげで推しの神格化が止まりません。この世に存在してくれるだけでありがたや。
ちなみに先日もらったぬいぐるみは、尊すぎて未だに開封できてません。大気と日光に晒されて劣化するのがもったいないのです。
おっと、思考が逸れた。
今考えるべきなのは、ぬいぐるみの開封式の日取りではなく、自分自身の運命についてだ。
少女漫画は、基本的に主人公である千夏ちゃんの視点で描かれていた。当然その相手役である秋人視点の回もあったけれど、それでも千夏ちゃんを振り向かせ、繋ぎ止めるためにどういう努力をしていたかなんて描写はなかった。
あいつは俺様系のクールイケメンとして、五割り増しに美化されて描かれていたのだ。
前世の記憶がある私は、去年一年間何度も漫画と現実の違いに頭を抱え、何度も「めんどくせぇ!好きなら好きってさっさと告ってこい!このドヘタレ初恋拗らせ野郎が!」とその黙っていれば綺麗な顔に往復ビンタを食らわせたくなった。
私はそんな外面だけはいいプライドエベレスト男の恋に協力していたわけだけど、本来の少女漫画のストーリーでは、宝生寺桜子が協力しなくても秋人は千夏ちゃんと付き合うようになっていた。
春に出会って、夏に意識し始め、秋にすれ違って、冬に距離を縮めて、そして春に結ばれていた。
「…………まずい」
私は、秋人達が春休み中に初デートをしたり、春原くんが二人の交際を知るのが早まったりしたのは、『私』という異物が第一部のストーリーに関わってしまったせいだと思っていた。去年一年間で生じた歪みが、今に影響し始めたと思っていた。
しかし春原くんの「宝生寺は関係ない」発言を聞いて、私は気がついた。
私という異物が混入しても『秋人と千夏ちゃんが付き合い、春原くんは失恋する』という、少女漫画のストーリーの通りになったという事実に。
「……これは、まずい……」
つまり何がまずいかというと────私が本来の宝生寺桜子とは違う行動をしようと、この世界は少女漫画のストーリーの通りになるよう軌道修正される可能性がある、ということだ。
まずい。まずいまずいまずい!
これは非常〜〜〜〜に!!まずいッ!!!!
これまで私は秋人の恋路に協力する一方で、宝生寺桜子の設定から遠ざかるための努力もしてきた。
本来の宝生寺桜子は、いつも取り巻きに囲まれていた。そしてその取り巻き達は、第二部で千夏ちゃんに嫌がらせをしたり、根も葉もない噂を流して、秋人との関係が悪化するように動いていたと記憶している。
だから私は、取り巻き予備軍である朝の大名行列を回避したり、顔と名前を覚えている取り巻きキャラ達と接点を作らないようにしてきた。
秋人の恋路の協力だって、宝生寺桜子はたまに乙女心の説明をしていただけだけど、私は休日返上で協力してあげた。
雪城くんから疑われたりもしたけれど、つい最近ようやく誤解を解くことができた。
会話をするシーンなんて一回もなかった春原くんとは、もう三回も話していて、しかも春原くんは私を「宝生寺」と気軽に呼んでくれるようになった。
千夏ちゃんとはたまに目が合うけれど、相変わらず会話は一度もしていない。でも春原くんの証言で、私に対して悪いイメージは持ってはいないと分かっている。
本来の宝生寺桜子とは、まったく違う人間関係を築き上げている。
しかしもしも、この世界が漫画の通りになるようになんらかの力が働いているとしたら……。
そんなものは全部ぶち壊しになる。大事にしたいと思っている人間関係は崩壊して、私はトラックにはねられて雑に強制退場させられる。
「ンンン〜〜〜〜〜〜」
どれだけ足掻こうと、必ず同じ結末を迎える。ループもののSF作品でよくあるやつじゃん……。
私はあまりSF作品はあまり好みではないけれど、ああいった作品の主人公は何度も何度もループして、でも毎回同じ結末を迎えていた。そしてそれが自分にとって回避したい結末で、何をしても結末を変えられないことに絶望していたはずだ。
い、嫌だ!私は交通事故で重症という結末を変えたくて、これまで生きてきたのに!
今世では五体満足で高校卒業して、親しくしているみんなの結婚式に出るっていう夢があるのに!
来世で可愛い幼女のいるお金持ちの家のマンチカンになれるよう、長生きして徳を積むって決めてるのに!
全部叶わないなんて現実、今さら受け入れられるわけがない!!
「どうしよう……」
「どうしよっかねぇ〜」
「そんな茶化すような返答は求めて……ん?」
ぐるぐると考えすぎて、いつのまにかテーブルの木目を睨むように俯いていた顔をバッと上げる。
そこにいたのは、世良先輩。にこにこと楽しげな笑みを浮かべて、頬杖をついて向かいの席に座っていた。
「…………お、おはようございます」
「どんな状況でも真っ先に挨拶が言えるのって、桜子ちゃんの良い所の一つだよね。おはよう」
「いつからそこに……?」
「桜子ちゃんがせっかくの可愛い顔を歪めて、この世の終わりみたいな声出して頭抱えたあたりかな」
要するに、ついさっき座ったということか。
まずいまずいとブツブツ言っている頃ではなかったのはいいけれど、物音一つ立てずに座られていたことに少し引く。
あと、朝っぱらから後輩を可愛いとのたまう軟派精神にも引く。
「……そうでしたか。気がつくのに遅れてしまい申し訳ありません」
姿勢を正し、さらに手に持っていた水族館の招待券入り封筒をカバンに入れながら言えば、世良先輩はくすりと笑った。
世良先輩の軟派発言も、こういう愉快犯じみたところも、今に始まったことではない。
そもそもこの人は私相手にはわりと頻繁に軟派発言をするけれど、勘違いをさせてしまいそうな相手の前ではただのフェミニスト。それすら勘違いする危険性がある相手だと、口数が減る人だ。
つまり相手を選んだ上でこの言動。私が選ばれたのは、遥先輩と親しくて、二人が幼馴染み以上恋人未満の両片想い状態だと知っているからである。
「遥から聞いたけど、桜子ちゃん、毎朝一人でここにいるの?」
「はい」
「待ち合わせとかでもなく?」
「偶然どなたかと会うこともありますが、意図的に待っているわけではありませんよ」
「へえ、そう……。それで?朝から何をそんなに悩んでたのかな?」
世良先輩は私ではなく、貸し出しカウンターの方を横目で見ながら言った。
つられてそちらを見ると、そこには遥先輩の姿があり、本の返却手続きをしているようだ。
なるほど。遥先輩にくっついて図書室に来てみたら、なにやら普通ではない様子の私を発見。後輩として可愛がる私がそんな風になっていると気付いたら遥先輩は心配するから、気に病ませる前に自分で解決させてしまおうという魂胆か。
愛されてるなぁ、遥先輩。
「大したことではありませんので、お気持ちだけ受け取らせていただきます」
「俺としては可愛い後輩の悩みを聞くぐらい、いくらでもするのに。男には言い難いこと?」
「そういうわけでは……」
いや、ちょっと待てよ?
そういえば前に遥先輩から、世良先輩は軟派野郎にもかかわらず読書家。それもミステリー好きと聞いていたな。
遥先輩の姿を見てそれを思い出した私は、「やはり一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」と言いながらカバンからある物を取り出した。
せっかくのチャンスを、無駄にはしない。
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