20-2.行こう


 お参りを済ませてからは、のんびり優雅にお花見だ。

 他の子達はスマホのカメラで藤を撮ったり、藤を背景に自撮りをしたり。お花を見て笑い合う女の子達が可愛くないわけがなく、そんな楽しそうな光景を、私は藤棚の下のベンチに座ってほっこりと眺めた。

 春の日差しが眩しいので、ここから見るがちょうどいい。でもさすがに暇だなぁ〜。



「真琴……は、今の時間は部活だっけ。瑠美と璃美なら相手してくれるかな」



 私は上着のポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを開く。その時、ざっと砂利を踏む音が聞こえ、顔を上げた先には緑川さんがいた。



「お隣、よろしいですか?」



 ホアッ?!

 まさか向こうから接触してくるとは予想外だ。



「ええ、もちろん。どうぞおかけになって」



 自分のテリトリーでもないのにそんな言い方をするのはおかしい気もするけれど、とりあえず微笑んでそう答えた。

 ベンチの真ん中に座っていた私は、座れるスペースを作るために横へずれる。すると緑川さんは日陰に入ってきて、空けたそこに腰を下ろした。



「すごく綺麗ですね、藤」


「ええ。お天気もいいし、お花を見るにはいい日ですね」



 こんな時にお天気の話題しか出せない、私のコミュニケーション能力の低さよ……。

 だいたいこの緑川さんという子は、間違いなく京都で会った子だ。そしてたぶん私と同じで、本当の性格はお嬢様なんかじゃないのに猫を被っている。


 さっきはお互いにそれを隠して初対面のフリをしたのに、どうして話しかけてきたんだろう?


 一度は仲良くなれそうと思った子。それに彼女には本当の性格は知られているし、ちょうど今は近くに誰もいないんだ。いっそのこと被った猫を取って、私から声をかけてしまおうか。

 いやぁ、でもさっきは初対面のふりをされたからなぁ……。いきなり核心はつかないで、軽くジャブをうって反応を見て決めるとするかな……。



「あの……」


「あの!」



 二人の声が、重なった。

 驚いて正面へ向けていた顔を横に向ければ、丸く見開いた目と視線がぶつかる。

 そして苦笑した緑川さんの「やっぱ、そうだよね?」という言葉に、私は頷いた。



「えっと……久しぶりって言うのは、ちょっと変?」



 猫を被るもの同士、お互いに周囲の目を気にして笑いは控えめ。

 でも完全に我慢することはできなくて、私も緑川さんもプルプルと肩を震わせた。



「まさかあの時の子が、天下の宝生寺家のお嬢様だったなんて……。ふふふっ、別人じゃない」


「それは緑川さんもでしょう?なによ、お隣よろしいですか?って。鴨川のカップルに舌打ちしてたくせに」


「芽衣でいいよ」


「え?」


「呼び方。どうせ素の性格バレてるし、緑川さんなんて堅苦しいじゃない」


「え、っと、じゃあ芽衣……ちゃん」



 私にとって同級生を苗字で呼ぶことは普通のことで、少し戸惑う。

 せっかく呼び捨てでいいと言ってくれたのに、いきなりそうすることになんとも言い難い違和感があって、結局一拍遅れて『ちゃん』を付けてしまった。

 すると緑川さん改め芽衣ちゃんは「そういうところは育ちの良いお嬢様だね」と笑った。



「それなら私も、桜子ちゃんって呼んだ方がいい?」


「あ、ううん。芽衣ちゃんが呼びやすい呼び方でいいよ」


「じゃあ桜子で。呼び捨てでも四文字なのに、ちゃん付けしたらもっと長くなるし」



 なんだろう。背中がもぞもぞする。

 私は昔から名前で呼ばれることが多いけど、家柄や成瑛学園の特殊な環境のせいで「桜子様」と呼ばれることが圧倒的に多かった。

 そんななかで私を呼び捨てにするのは、身内と赤ん坊の頃からの付き合いのある秋人を除けば、真琴だけ。

 桜子という四文字が長いと言ったのは、私を「さくら」と呼ぶ瑠美と璃美以来だ。

 たった二回の会話だけど芽衣ちゃんが良い子だと分かっていて、呼び捨てにされるのが嫌なわけでもない。だけど少し、背中がくすぐったい気がした。



「あ!連絡先聞いていい?あとこの後って暇?暇ならランチしよ、ランチ!」


「…………うん、いいよ」


「なに今の間!?」



 ダメだった?、と申し訳なさそうな表情で首を傾げる芽衣ちゃんに、私は慌てて首を左右に振った。



「全然ダメじゃない!連絡先の交換して、お昼ご飯も食べに行こ!」


「大丈夫?」


「うん。私も京都で会った時に名前と連絡先聞いておけばよかったなぁって思ったし、この後もなにも予定入ってないもん」


「いや、そっちじゃなくてね……」



 今度は私が首を傾げる番だった。

 そんな私を見て、芽衣ちゃんは「うーん」と渋い顔で唸る。そして少し視線を彷徨わせてから、何かを決意したような目を改めて私に向けた。



「ごめん!やっぱ今のナシ!」


「ええっ?!」



 なしって、それってつまり連絡先の交換も、ランチのお誘いもなかったことにするってこと?!

 なんで?!



「仕切り直し!」



 そう言うなり、芽衣ちゃんは立ち上がる。

 そのままザッザッと砂利を力強く踏み鳴らしながら藤棚の陰の外まで出て、少し離れたと思ったらくるりと振り返って戻ってきた。

 ……え、何事なの?私はいったい何を見せられているの?わけがわからないよ?



「あの、芽衣ちゃん……?」


「ヨシッ!」


「何が?!」



 何が「ヨシッ」なの?!

 さっきから説明不足もいいところだよ?!圧倒的な言葉足らずだよ?!

 今すぐあなたの取り扱い説明書がほしい!



「え、ちょ、芽衣ちゃん?本当にどうしたの?」


「いや、なんかちょっとテンションが上がりすぎてたから、落ち着きたくて」


「はあ??」



 これはあれかな?日本語によく似た違う言語でおしゃべりしているのかな?

 さっきまでの会話のどこにテンションが上がるところがあって、仮にあったとしても歩き回る理由が分からない。

 思わず言葉を失っていると、芽衣ちゃんは苦笑いを浮かべて、もう一度ベンチに腰を下ろした。



「あのね、笑わないで聞いてほしいんだけど……。実は私、こうやって素の状態で話せる子って桜子が初めてなんだ」



 学校はお嬢様ばかりの雅が丘女学院だから、終始猫を被っていること。

 友達はいて、その子達のことは嫌いではないけれど、でもたまに疲れてしまって一人になりたくなること。だから友達との京都旅行でも一人でいたこと。

 芽衣ちゃんは遠くではしゃぐ子達……たぶん雅が丘の生徒であろう子達を、すっと細めた目で眺めながら言った。



「だから取り繕わなくていい相手が見つかってちょっとテンション上がっちゃって、グイグイいきすぎちゃって……。ごめん、桜子のペースを考えなかった」



 ────違う。この子は、同じじゃない。

 私とよく似ているけれど、同じではないんだ。

 私には親友と胸を張って言える真琴と瑠美と璃美のように、学校内だろうと素に近い状態で接することのできる人達がいる。いるからこそ、例え少なくても、いてくれるからいいやと諦めていた私とは同じではない。



「……芽衣ちゃんは、謝らなきゃいけないような事してないよ」


「ううん。一方的すぎた」


「大丈夫。さっきのは……なんて言うか、私がこういうのに慣れてなくて、ちょっと驚いただけ。本当に、嫌だなんてこれっぽっちも思ってないの」



 私は小さい頃から、様付けで呼ばれて、距離を置かれることが多かった。

 それは大手企業の創業者一族の娘で、学内でも特殊な立場なので仕方がないと諦めていた。でもやっぱり心の中では、「もうちょっとフランクな関係がいいのに。真琴達みたいに接してくれる人が、増えればいいのに」と距離を置かれることに寂しさも感じていた。

 そしてその諦めと寂しさに慣れきってしまっているから、誰かに歩み寄られた時に戸惑ってしまうのだ。


 誕生日の朝に、私が教室に来るのをわざわざ待ってお祝いをしてくれた女の子達。

 外部生の男子は私をこれでもかと避けるのに、わざわざ私が図書館にいると聞いて探しにきてくれた春原くん。

 そして一度は初対面のふりをしたのに、こうして隣に座ってくれる芽衣ちゃん。

 私が宝生寺桜子だと知っていても、そんなの関係ないよとばかりに歩み寄ってきてくれる人のことを、嫌だと思うわけがない。驚きはしたけれど、心から嬉しかった。



「私はどうしても『宝生寺家の桜子様』として見られるから、なるべくそのイメージを壊さないようにしてるの。私になにか問題があると、家や会社のイメージが悪くなっちゃうから」


「あー、分かる。だから私も外だと猫被ってんだよね」


「お互い苦労するね。……ってそうじゃなくて、えっと、私はイメージを守るために、自分から素の状態で他人に近づくことってやったことがないんだよ。でも芽衣ちゃんはそれができてすごいなぁって思って、だから変に間があいただけなの」



 なんだか話すにつれて、どんどん本当に言いたいことと逸れていってしまっている気がする。

 私は、私を宝生寺桜子と知っているが、ほぼ初対面の相手と素で話す。それも誰に聞かれるか分からない外で話すのは初めてで、胸の中にある本音がうまく言葉になって出てきてくれない。

 えーっと、落ち着け、クールになれ私。いったん自分が宝生寺桜子っていうことを忘れてみろ。横にひょいっと置いておこうぜ。

 そうすれば、出てくるはずだ。これは間違いなく、私自身の気持ちなんだから。



「そういうわけで……芽衣ちゃん、私と連絡先の交換をしませんか?あと、ここの近くに私のお気に入りのカフェがあるから、この後一緒に行きませんか?」



 あ、待って、これめちゃくちゃ恥ずかしい。さっき芽衣ちゃんはサラッと言ったのに。高校二年になって「お友達になってください」と言うのは恥ずかしいと思って真似したのに。

 引いた一線の中に踏み込まれたくなくて、踏み込みたくなくて、歩み寄られることにも慣れていないコミュニケーション能力の低い私には、ものすごく恥ずかしい!

 しょうがないじゃん、友達の作り方って学校で教えてくれないんだから!

 ああっ!穴があったらさらに深く掘って入りたい!


 恥ずかしさから逃げるように、私は芽衣ちゃんの顔からゆっくり視線を逸らす。

 すると次の瞬間、ガッと勢いよく肩を掴まれた。小さく「ヒエッ」と悲鳴が出てしまうぐらいの勢いだった。



「本当に?!」


「え……?」


「私に気ぃ遣ってそう言ってるんじゃないわよね?!」


「う、うん、さっき言ったでしょう?私も京都で会った時に名前聞いておきたかったって」



 本音だよと伝えると、肩を掴む芽衣ちゃんの手の力が弱まった。



「はあ〜良かったぁ〜。交換ね、うん、今すぐしよ。桜子の気が変わらないうちに交換しよ」


「変わらないってば」



 膝の上に置いたままだったスマホを見せつけるように持ち上げれば、芽衣ちゃんもいそいそとカバンからスマホを取り出した。

 出すものを出したら、あとは中身の交換だ。

 私達は揃って使い慣れた端末のはずなのに、少したどたどしい手つきで連絡先を交換する。するとお互いのメッセージアプリの友だち欄に、名前が一つ増えた。



「緑川さーん」



 手の中の新しい繋がりをまじまじと眺めていると、そんな声と共に、軽快に砂利を踏む音が近づいてきた。

 顔を上げると、渡さんをはじめとする雅が丘女学院の子達がこちらへ向かってきている。



「あ、やっば。桜子に具合悪いのか聞いてくるってことになってたんだった」


「え?どういうこと?」


「桜子がずっとここに座ってるから、調子悪いのかもって話になってたの」



 言いながら芽衣ちゃんは立ち上がり、日陰を出て渡さん達と合流する。

 何を話しているかは分からないけれど、数人が気遣わしげな目をチラチラと向けてきた。

 あちゃー。猫を被り続けるのに疲れて少し休憩していただけなのに、まさかそんな風に思わせてしまっていたなんて。

 安心してください。私は世間でインフルエンザが流行しようと、ノロウイルスが流行しようと、元気いっぱいに三食きっちり食べる女です。学級閉鎖で休みになれば、一日中ぐうたらできてラッキーと思ってる女です。


 でも宝生寺桜子のイメージ的にそれを言うわけにはいかないので、とりあえず元気だと伝えるためにニッコリ笑っておく。

 すると芽衣ちゃんがくるりと振り返り、私のそばへと戻ってきた。



「参道の方に、飴細工の屋台が来てるんだって」


「へぇ〜、飴細工なんて珍しい〜。いってらっしゃい」


「は?何言ってんの?」


「誘われたんでしょう?行ってくればいいじゃない」


「……私が今、桜子のこと誘ってるんだけど」


「えっ」


「ほら、行こう。どうせ猫被るのに疲れただけで、具合なんて悪くないんでしょう」



 芽衣ちゃんは自分のだけではなく、私のカバンまで持ってすたこらさっさと渡さん達の方へと行ってしまった。

 コラコラコラ〜!あなたさっき、グイグイいき過ぎたとか一方的だったとか言って反省してたじゃないの。また私のペースを考えずに突っ走ってますよ。まずはあなたの取り扱い説明書を寄越しなさい!

 なんてことを心の中で叫びながら、私は小走りで芽衣ちゃんの背中を追う。合流すれば、真っ先に渡さんに声をかけられた。



「桜子様、気分はいかがですか?」



 うわ、本当に体調不良だと思われていたのか。申し訳ない。



「少し日差しが眩しくて、休憩をしていただけなの。心配させてしまってごめんなさい」



 もともと超健康優良児の私には、体調不良なんて無縁なのだ。

 大丈夫よと微笑めば、渡さんや他の子達は表情を和らげ、飴細工の屋台が来ているから一緒に行きましょうと誘ってくれた。



「……そうね、私も一緒に行くわ」



 頷いて、芽衣ちゃんからカバンを返してもらいながらみんなと一緒になって参道の方へと向かった。

 座っていた間に雲が増えたのか、さっきよりも眩しさは感じなかった。




 その日の夜。私は両親の不在をいいことにリビングのソファーに寝転がって、スマホの画面に指を滑らせていた。

 表示されているのは、すべて今日撮った写真。芽衣ちゃんと渡さんを中継して、今日会った子達から私が誰かと写っている写真が送られてくるので、それを保存する作業に追われていた。


 テーブルの上には、白いウサギの飴細工がガラスコップに立ててある。

 全員同じではつまらないから、それぞれ違う物を作ってもらおうと芽衣ちゃんが提案して私は飛び跳ねるウサギになった。

 本当はこっそり芽衣ちゃんと「龍とかすごくない?見てあの細工の細かさ」「鳳凰もやばい。どうせ縁起物なら思いっきりいきたいよね」なんて言っていたけれど、お互いに猫を被ったお嬢様モードなので可愛らしい小動物を作ってもらった。可愛いのでこれはこれで大満足である。

 その後お花見は解散になって、約束通り芽衣ちゃんとランチを楽しみ帰宅した。



「あ、また芽衣ちゃんからだ」



 ピロンと鳴ると同時に画面に表示された芽衣ちゃんの名前。メッセージアプリを開いて内容を確認すれば、「また遊ぼ。次は私のお気に入りのお店連れてく。おっきいパフェがあるところ」というお誘いだった。


 私は体に染み付いた猫被り技術のおかげで、口下手ではないし、顔見知りも多い。自分から誰かに声をかけることだって、当然できる。だからメッセージアプリに登録されている人数はそこそこ多かった。

 でも登録されている人数が、友達の多さを表すわけではない。交換してすぐに少しやり取りをしただけで、もう何ヶ月の連絡を取っていない人だってたくさんいる。

 そんな中で今日増えた一人は、自分から歩み寄ったことで増えた一人だ。意味も価値も違う。



「大事にしたいなぁ……」



 今の人間関係を壊したくないから、引いた一線の内側に踏み込まれたくないし、相手の一線の内側に踏み込みたくもない。

 でも、踏み込まない程度に歩み寄ることぐらいなら、私からもしてみてもいいのかな……。


 私は宙をさまよっていた指を画面に戻し、「なにそれすごい気になる。次っていつ空いてる?」と返信した。





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