20-1.悪い噂でなければいいの



 小鳥のさえずりを聞きながら、お茶を楽しむ土曜日の朝。



「お嬢様の休日って、本来はこうだよねぇ」



 腹を探ろうと決めたのは先週の金曜。やっぱやーめた、となったのは月曜。

 我ながら飽きっぽいと言うか、変わり身が早いと思う。でもあのまま探ろうと思い続けても、多分うまくいっていなかっただろう。


 だって、私と雪城くんって、もともとそんなに一緒にいることないもん。


 朝、私は大名行列の発生を阻止するために少し早めに登校して図書室へ。一方で雪城くんは私より遅く登校して、日によってはホームルーム後に教室に現れる。

 授業中は当然、席が離れているので話さない。

 休み時間は、雪城くんが集まるファンから逃げるように教室を出て行くこともあるし、逆に彼が出ていかない場合は南原さん達が鑑賞会を始めてしまい、暇になった私が真琴や諸星姉妹のところに遊びに行くもある。

 お昼休みは、私が二階席を使うのは紫瑛会の誰かに誘われた時だけで、誘われなければ一階席で真琴と諸星姉妹の四人で食べている。

 同じクラスなので顔を合わせることはあるし、軽く挨拶を交わすことだって当然ある。でも、それだけ。普通のクラスメイトのやりとりだ。


 去年一年間は、秋人と千夏ちゃんの関係で一緒にいることも多かった。そうは言っても、多いと言っても週に一回か二回、秋人込みの三人で放課後や休日に作戦会議をすることがあっただけ。毎日一緒にいたわけではない。

 つまり、今の距離感が普通。高二になり会話が減ったのではなく、中三までの距離感に戻ったのだ。

 春休みの直前からなんか急に距離を詰められた時は「気でも狂ったか!?じんましん出るからやめろ!」と思ったけど、新年度になり二週間が過ぎた今、それは終わったようだ。

 おかえり、私の平穏な日常。会いたかったわ。



「秋人達の邪魔するつもりはないって信じてもらえて、疑いも晴れたわけだし。山も谷もない、代わり映えのない日常サイッコー!」



 秋人から恋愛相談で呼び出されることもない。

 雪城くんから疑われることもない。

 なにより壱之宮夫妻に千夏ちゃんの存在を知られていないから、少女漫画のストーリーが始まることもない。

 求め続けていた平穏がようやく手に入り、私はとても穏やかな気持ちで毎日を過ごすことができた。



「唯一面倒なことって言えば、教室に集まるファンクラブの子達ぐらいか……」



 初等部の頃から数えて十一回目のクラス分け。

 同じクラスになったのは初めてだから、休み時間になると鑑賞会をするために集まる雪城ファンクラブの正確な人数は知らなかった。それを改めて観察してみると、ファンクラブ内でも派閥があるのが分かった。


 『雪城様はみんなのもの』をモットーとし、あくまで鑑賞用と思っている抜けがけ禁止の愛好家勢。

 『好きあらばお近づきに』をモットーとし、恋愛対象として見てて近づくために協力し合う肉食獣勢。

 そしてその二つの中間で、恋愛対象として見ているけど近づく勇気がなくて鑑賞に徹しているピュア勢。

 南原さん達に詳しく聞くと、秋人のファンクラブにも同じような派閥があり、さらに秋人と雪城くんをまとめて愛でる派閥などもあるそうなので改めて二大巨頭の人気に脱帽だ。

 しかし派閥間で争いは生まれないらしい。鑑賞会をする彼女達を観察してみたけれど、



「昨日よりもアンニュイな感じが増してるわ」


「雪城様は輝いているお姿が一番だと思っていたけど、これはこれで……」


「あの遠くを見つめる目……。ああ、お労しいや……!」


「慰めてさしあげたい!でもこんなレアなお姿を見納めにするのは、まだ早いわ!」



 物憂げと言って盛り上がった月曜に始まり、日をおうごとに憂いが増ているという雪城くんの姿に興奮度を増していた。派閥があるのか疑問に思うぐらい、みんなで仲良くキャーキャーハアハアとボルテージを上げていた。

 ストーカーコンビの片割れである傘崎さんなんかは「新しい扉が開きそうです」と言って、スマホで雪城くんの写真を撮っていた。

 その扉は開けちゃダメなやつだし、盗撮は犯罪だからやめようね?


 ちなみに私から言わせると、雪城くんがどう弱っていっているのはこれっぽっちも分からなかった。

 近くで見れば分かるかなーと思って廊下ですれ違う時に挨拶がてら軽く観察してみても、いつものアルカイックスマイルが見れるだけで、どこがどうアンニュイなのかまったく見抜けなかった。ハイレベルな脳トレでももうちょっと分かりやすいもんだぞ。

 それを見抜けるファンの子達ってすご過ぎじゃない?特殊な訓練でも受けているの?

 よく分からないけど、ファン曰くアンニュイだという雪城くんには「生きろ、そなたは美しい」という言葉を贈りたい。



『桜子さん、出発予定時刻になりました』


「うわっ、もうそんな時間?!教えてくれてありがとう、ミーティス」



 私はクマのぬいぐるみ姿のAIスピーカー、ミーティスの頭をポンと撫でて立ち上がる。

 そして姿見で身だしなみの最終チェックをして、カバン片手に部屋を出た。



「桜子、もう出るのか?気をつけるんだぞ」


「いってらっしゃい。先生によろしくお伝えしてね」


「はーい。いってきまーす」



 朝っぱらからリビングでいちゃつく両親に返事をして、私は待機していてくれた車に乗り込んだ。


 今日は長年通っている華道教室の集まりで、藤の花を観に行くのだ。

 同じく流派の先生同士が連絡を取り合い、各教室の十代の子に横の繋がりを作らせるのが目的で計画されたもの。

 要するに、お花を嗜むお嬢様の優雅な顔寄せである。


 正直に言うと、せっかくの休日に猫を被ってお嬢様を演じるのは億劫だ。

 しかし藤の花は、宝生寺家の腫れ物である藤乃伯母様を連想するせいで、小さい頃から観に行かせてもらえなかった。だから華道教室の集まりという大義名分で、堂々と観に行けるのは嬉しい。

 私は藤乃伯母様は少し苦手だけど、植物の藤は好きだ。あの棚から垂れ下がる優しい青紫色は、実は私は舞い散る桜を眺めるより趣を感じる。


 上機嫌で車に揺られ、目的地である藤まつり開催中の神社の近くに到着。

 降りる前にスモークのかかった窓から外の様子を確認すれば、品のいい和装の年配女性と、見るからに十代なのにキャピキャピしていない女の子という不思議な組み合わせ団体が鳥居の足元に見えた。騒いでいないのに不思議と目立っている。

 今日は解散するまで血統書付きの猫をフル装備しての完全お嬢様モードなので、運転手が開けてくれたドアからスッと流れるように降り、鳥居まで姿勢良くゆったりと歩いた。



「おはようございます」


「よく来てくれたわねぇ、桜子さん。ちょうど今、皆さんと噂をしていたのよ」


「まあ。悪い噂でなければいいのですが」


「あなたは昔から時間に正確な子だから、そろそろ来るはずというお話よ」



 私が通う教室の先生は、ころころ笑う。

 この方は私のお世辞にも品がいいとは言えないアーティスティックな出来の花を個性だと褒め、「これは世界中であなたにしか表現できない世界観よ」と子どものように目を輝かせる。おべっかではない真っ直ぐなその言葉があるから、私はすぐに辞めたバレエと違い、華道は長年続けていた。

 同門の子や、他所の教室の先生と生徒さんに「宝生寺桜子と申します」と微笑んで挨拶を交わしていれば、私のあとにも何人かが到着する。

 その中に一人、見覚えのある顔があった。



「もしかして……」



 肩に少しかかる程度の軽やかなミディアムヘアに、意志の強そうな目。────春休みに京都で会った女の子だ。


 えっ、こんな偶然ってある?この集まりに参加してるってことは、あの子もそういった家柄のお嬢様ってことになるよね?

 どうしよう。こういう場合って声かけるべき?

 いやいや、向こうはこっちのこと覚えていない可能性だってある。それにこの世には自分と同じ顔が三人いるって言うし、そっくりさんの可能性もある。

 そもそも私はあの時、猫も被らず、令嬢スイッチはオフ。鴨川名物の等間隔カップルに処刑場だの生首だの言っていた。

 完全お嬢様モード中の今、あの子に声をかけられ京都での話をされたら、他の人達に「えっ、あの宝生寺家の令嬢がそんなことを……」と今まで築き上げてきたイメージが総崩れだ。


 よしっ、悪いがここはしらを切ろう。

 もしも京都で会った子なら仲良くなれそうと思ったけれど、あれはバッティングセンターに行く成金娘の桜田。私ではない。


 女の子は、おそらく同門なのであろう子達と挨拶を交わす。その姿を遠巻きに見ながら思い至っている、くるりと女の子が振り返った。



「えっ……」



 私と目が合った瞬間、女の子が声を漏らした。


 おっと、この感じはそっくりさんではなく、しかも向こうも私を覚えている感じだ。

 だが私は慌てない。体に染み付いた猫被り技術を惜しみなく発揮し、小首を傾げてにこりと微笑み、京都で会ったのは別人だと思わせるほどの良家の令嬢オーラを放った。

 すると私と女の子の無言のやりとりに、私の隣にいた同門の渡さんが気がついてしまった。



「宝生寺様、緑川さんとはお知り合いですか?」


「いいえ、初めてお会いするわ。緑川さんとおっしゃるのね」


「はい!実は私、学校で彼女と同じクラスなんです。よろしければ、ご紹介させてくださいませんか?」



 ゲッ、嘘でしょ!?

 話すきっかけを作らせないよう無言で微笑んで距離を置いたのに、挨拶なんかして向こうが京都のことを言ってきたら元も子もない。勘弁して!



「まあ、そうなの。ぜひご挨拶させてくださる?」



 宝生寺の娘たる者、人間関係は円滑なものであれ。

 紹介させてという提案を断るのは、社交のマナー的にアウト。嫌でも愛想笑いで対応するのが鉄則だ。

 完全お嬢様モードの今、断ることなんてできない。

 女の子改め緑川さんの元へと駆けていく渡さんを微笑んで見送るながら、私はノーと言えない日本人の性を憎み、奥歯きつく噛み締めた。



「ほら、行きましょう」


「あ、ちょ、渡さん、私は……」


「とってもいい方なんですもの。せっかくの機会を無駄にしてはもったいありませんよ」



 渡さんに腕を引かれてやってきた緑川さんは、やっぱり春休みに京都で会った子だ。近くで見て確信した。

 しかし気になることに、緑川さんの顔は心なしか引きつっているように見える。

 まさか向こうも、私と距離を置きたいと思ってる……?



「ご紹介いたします。こちら、私と同じ雅が丘女学院に通われている……」



 自分から名乗れと言うように、渡さんは緑川さんの背中を軽く押した。

 さて、どう出るか。相手がなんと言ってくるかで私の返事も変わる。

 微笑みながらも身構えていると、



「はじめまして、緑川芽衣と申します」



 にっこりと良家の娘らしい微笑みを向けられた。


 …………んん!?

 はじめまして?いま私、はじめましてって言われた?

 確実にお互いに京都で会ってると認識しているのに。二度目ましてなのに、はじめましてって言われた?

 しかもこのスイッチを切り替えたような態度の違い。京都で鴨川の等間隔カップルに舌打ちをし、処刑場だの生首だのと言われてそそくさ去っていくカップルに高笑いをしていた子とは別人と思わせる技術。すごく身に覚えがある。


 まさかこの緑川芽衣って子、私と同類か?!

 もしもそうだとすれば、ここで私が取るべき行動はただ一つ。



「はじめまして、宝生寺桜子と申します」



 こっちも二度目ましてと分かっていながらも、知らぬ存ぜぬの初対面を演じるのみ!



「ぜひ仲良くしてくださると嬉しいわ」


「えっ」


「え?」



 朗らかに微笑みで返した瞬間、緑川さんは口元をかすかに引きつらせ「宝生寺ってまさか……」と呟く。



「成瑛のジュ──」


「ああああああ緑川さんっ!!あちらで上条さんがお呼びですわ!大変!さあ、どうぞお戻りになって!」


「え?あ、ええっと、そういうことですので、失礼します」



 渡さんが大声で遮ったけれど、残念ながら私の目には緑川さんの口の動きがはっきりと見えた。

 彼女は間違いなくこう言った。成瑛のジュリエット、と。

 私は、渡さんと、渡さんに背中をぐいぐい押されて離れていく緑川さんを微笑んで見送る。



「……が……」



 何がジュリエットだコンチクショー!相手もいないのに後追いなんてできないわ!!仮にいたとしてもしない!!!生きる!!!!私は生きるぞ!!!!!

 はあ〜〜今すぐカバンを地面に叩きつけて暴れてぇ〜〜〜〜。人目もはばからず大の字で寝転がって「変なあだ名つけんな!!!!」って叫びてぇ〜〜〜〜。



「ふう……」



 荒ぶる本音を、ため息という形で吐き出す。


 無邪気な豆柴のように可愛い従妹の花梨が言っていた。雅が丘女学院では他校の生徒の根も葉もない恋愛話で盛り上がっていると。


 普段は綺麗なのに酒が入るとポンコツになる叔母の百合ちゃんが言っていた。雅が丘女学院では他校の生徒を噂する時、バレエの登場人物の名前を隠語にしていると。


 春休みに偶然数年ぶりに再会した高宮さんが言っていた。あの身の毛もよだつ三角関係の噂は、私と同級である高等科の現二年生の間で発生した可能性が高いと。


 つまり私がこれまで知らなかっただけで、雅が丘女学院高等科二年生の間では、宝生寺桜子とジュリエットがイコールで繋がるほどに噂が浸透しきっているということだ。

 そして渦中の人物である私がこれまで噂を耳にしなかったのは、雅が丘の子達が徹底して隠していたからだろう。さっきの渡さんの慌て方が何よりの証拠だ。


 もうここまでくると、怒りとか恐怖とかは通り越して、雅が丘に通う子達の恋愛話に対する豊かな想像力に拍手を送りたくなる。

 この際だから、人のことを影でいろいろ噂するなとは言わないよ。成瑛の子達だって秋人と雪城くんのことをキャッキャキャッキャと楽しそうに話しているし、なんだったらそこに私が情報提供をしている。

 でもさぁ、お願いだからそういうのは本人の耳に入らないようにしてよ。情報管理を徹底してよ。

 私は花梨を経由して知ってしまったけど、お願いだから、リュシアンとアルブレヒトとその関係者の耳に入らないようにしてよ。

 そうしてくれないと、私の命が危なくなるの。



「……おうち帰りたい」



 私の心からの嘆きを拾う人はなく、先生の「全員集まったことですし、まずはお参りをしましょう」との声に学生達の返事が鳥居の下に響く。

 私は瞬時に猫を被り直し、にっこりと微笑み「はぁい」と明るく返事をした。


 今日の夜、きっと私の表情筋は筋肉痛を起こしていることだろう。

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