19-2.聞かない


 どれのことを、言っているんだろう。

 秋人と千夏ちゃんが付き合っていて、そこに私も関わっていたこと?

 ストレス発散にバッティングセンターに行っていること?

 来年、お見合いをすることが決まっていること?

 それとも、前世の記憶があって、少し先の未来を知っていること?

 真琴に打ち明けていないことは、たくさんある。そのどれかについて、気づいているんだろうか。



「……まるで、私が何かを隠しているとわかっているような言い方ね」


「だって桜子、昔から他人に考えを読ませないし、口が堅くて秘密主義なところあるじゃない」


「そんなことないわよ。体重とBMI、真琴とかになら言えるもの」


「いやいや、だからそういうの軽いやつじゃなくてだねぇ……」



 話題をそらしたくて、茶化すようなことをわざと言う。しかし真琴は正面を向いたまま、当たり前のように言葉を続けた。



「二年になってから、ちょっと様子がおかしいって言うか……ずっと何かに悩んで困ってる感じに見えたんだよね。聞いたって言わないだろうから聞かなかったけど」



 二年になってから、か……。

 高校二年生は宝生寺桜子である私にとって運命の一年になる。ポジティブに考えるようにして、さらに顔に出さないようにしていたけれど、親友には気づかれていたのか。

 そして隠していることとは、私が思い浮かべた四つのことではなかった。ただ私が何かを悩んで、それを隠していると察していただけのようだ。

 焦る一方で、少しほっとした。



「ごめんなさい、気を遣わせたわね……」


「いいわよ、別に。だいたい誰にも言えない秘密なんて、みんな一つぐらいはあるもんよ。言いたくなったら言えばいいだけ。無理やり聞いたりなんかしない」


「……私、真琴のそういうさっぱりしたところ、昔から好きよ」



 もう一度ごめんと言うのは間違いな気がしてそう言えば、真琴もそれ以上何も言わなかった。


 バッティングセンター通いとかお見合いとか、言っていないことはいくつかある。でもそれはなんとなく言う機会がなかっただけで、隠していたわけではない。

 それに今この瞬間に打ち明けても、たぶん驚かれるだろうけど「そうなんだ」と真琴は笑って受け入れてくれる程度のことだ。

 でも、私の秘密はそれだけじゃない。私史上最大の、今まで誰にも打ち明けることはなかった秘密が一つある。


 ────それこそが、前世の記憶があるという秘密。


 この秘密はたぶん……いや、間違いなく言ったら最後、頭がおかしいと思われて、関係が壊れそうな秘密だ。

 だから秘密があると確信めいた目で見られて、どきりとして身構えてしまった。しかし真琴がそんな突飛な話を信じているわけもなく、すべて私の考えすぎだったようだ。


 とは言えど、前世関連については親しい親しくないは関係なく、世界中の誰にも明かすことのない秘密だ。隠すことは私にとって当たり前すぎて、疲れも苦痛も感じていない。

 やっぱり、真琴の言っていることを完全に納得することはできない。



「言ったら最後で、苦しくても隠したいこと、ね……」



 まだ生徒が揃ってもいなければ先生も来ていない体育館では、男子も女子も整列せず、数人ごとにグループを作って自由におしゃべりを楽しんでいる。

 私は真琴と一緒にステージの縁に両手をついて、よっこいしょと飛び乗って腰掛ける。

 ぐんと高くなった目線でその様子を眺めて、ここが複数ある体育館のうちの第二体育館だと気づいた途端、そういえばと思った。


 この第二体育館は、秋人と春原くんがバスケ対決をした場所だ。

 あの出来事を境に、秋人と千夏ちゃんの関係は良い方向へ転がり始めて、反対に春原くんの想いは実らないこととなった。


 昨日見た、天井を見上げる春原くんの素晴らしい造形美の横顔が脳裏に浮かぶ。交わした会話が蘇る。

 好きだからこそ、相手を困らせないために自分の気持ちを押し殺す。

 そう彼に言ったのは私自身で、真琴の言っていることは、たぶんこれと同じだ。

 普段一緒にいて、その関係を壊したくないぐらい大事に思っている相手だから、隠し事をする。ツラくて、苦しくて、しんどいけれど、相手の幸せを壊すことになるぐらいなら我慢する。



 ああ、そっかぁ……。

 私は春原くんみたいに、ひとりの人を唯一だと想って、恋をしたことは一度たりともないもんなぁ。そりゃあ一般論として理解はできても、共感できないわけだ。



 昨日は春原くんにいろいろ言って、彼もドンピシャと言ったけれど、あれは覚えていた少女漫画の知識。薄っぺらい紙の上で絵と文字として表現された春原くんの心情を、私はそっくりそのまま言っただけだ。

 つまりあれは心の整理中だった春原くんが、整理後に自分で見つける彼の答えということ。

 私がやったのは、その答えにたどり着くまでの時間を短縮しただけだあって、あの時の言葉は私のものではない。そもそも漫画という予備知識がなかったら、たぶん私は彼にこう言っていただろう。


「そんなにツラいなら、好きでいるのをやめてしまえばいいのに」、と。


 我ながら身も蓋もない、誰かを恋愛感情を抱いたことのない私らしい発想だと思う。

 でも諦めなければいけない事は、必ずある。欲しいものがすべて手に入るほど、この世界は甘くない。

 本来の宝生寺桜子はそれに気付けなくて、最初は純粋だった秋人への『恋』が歪んで、『執着』に変わってしまった。そして泥沼にはまり、はまっても足掻き、破滅した。

 春原くんにはそうなってほしくないから言おうとも思ったけど……。彼の場合は、想いは純粋なまま終わると知っていたから、結局は言わなかった。

 この世界は甘くはないけれど、想いを綺麗な形のままで留めておける人には優しいものであるはずだ。────そうであってほしい。



「真琴は?言ったら最後の笑えないレベルの隠し事はあるの?」


「あるわねー」


「どういう感じのやつ?」


「言ったら、桜子が友達やめるって言いそうなやつ」


「そんな言い方されると逆に気になるわね……」


「絶対に言わないからね?」


「聞かない。私、真琴と友達やめたくないもの」



 初等部からの縁を切りたくなるような秘密は、気になると言えば気になる。でも私は、親友がそこまでして隠したいことを、無理やり暴くようなことはしたくない。


 私と友達でい続けたいと思って隠していることを暴くのは、真琴のその気持ちを踏みにじる行為だ。

 真琴が今の関係を続けたいから隠すのと同じように。私も今の関係を続けたいから、無理やり暴くことも、越えられたくない一線の向こう側に踏み込んだりはしない。

 だって、私にも言えないことがある。自分は明かさないのに、一方的に暴くようなアンフェアなことはしたくない。



「──あっ」


「ん?どうかした?」


「ううん、なんでもない。ちょっと関係ないこと思い出しただけ」



 雪城くんの腹を探ると決めたのに、どうしてうまく実行に移せないのかが分かった。


 ずっと前から、雪城くんとの間に微妙な距離があるのは分かっていた。これ以上は近付かれたくないという境界線を引かれているのは、ずっと前から気づいていた。

 でもその距離を縮め、一線を踏み越えようとは一度も思わなかった。

 その理由は、『本来の私達が冷戦を繰り広げる関係だからなるべく関わりたくない』というのが最も大きかったけど、でも、それだけじゃない。


 私も、彼に言えないことがあるから。

 腹を探られ「これでよかったの?」と問われるたびに、前世の記憶を元に秋人が千夏ちゃんとうまくいくように行動していると知られるわけにはいかないと思って、素知らぬ顔で頷いていたからだ。


 前世の記憶があって、少し先の未来を知っていると知られたくないから、私も無意識のうちに一線を引いていた。

 その一線を踏み越えられたくないから、私はこれまた無意識のうちに他人の一線を踏み越えようとはしなかったのだ。

 大人が小さい子に言い聞かせる常套句。『自分がやられて嫌なことはやっちゃダメ』を、無意識のうちに実践していたわけだ。

 全部に合点がいって、自然とため息が出たと思ったら、次いで笑みがこぼれた。

 納得と決断、それからほんの少しの自嘲の笑い。



「今度はなに?」


「目線が変わると、普段と違うものが見えるなぁって思って」


「本当にどうしたの?!」



 やっぱ最近ちょっと変だよ?!、と目を覚ませとばかりに肩を掴まれ揺さぶられる。

 酔う酔う、脳が揺れて酔っちゃうからやめて。



「真琴の話を聞いて考えてみたの。そしたら私もね、今の関係を続けたいから、親しい相手だからこそ絶対に言えないことがあったの。疲れないし苦しくもないけど、いろいろとあったみたい」


「ずっと考えてたの?」


「うん。無意識でやってたみたい。自分の感情って、意外と自分では分からないものね」



 恋愛偏差値ゼロのくせにプライドの高さがエベレスト級な、ドバカボンボン幼馴染みを嫌いになれないのと同じ。

 接点を持たないのが本来の関係だと分かっているのに、ついつい千夏ちゃんや春原くんを気にかけて目で追ってしまうのと同じ。

 腹黒とか胡散臭いとか、心の中ではいろいろと罵ってきた。時おり向けられる探るような目も、正直に言って怖いからやめてほしい。

 でも縁を切りたいと心から思ったことは、一度もない。


 ────なんだかんだで私は、雪城くんのことは好ましく思っているのだ。


 だから私は、あの戦慄の自動販売機ドンの後、突き付けられた敵視宣言にショックだと思ったのだ。

 あれは雪城くんの勘違いで、もう解決しているわけだけど。それでも最初から彼を嫌っていれば、傷ついたりなんかしない。


 結局のところ、秋人の幼馴染みと親友というちょっと変わった距離感で過ごした十年は、私にとってそれなりに居心地のいい場所を作ってしまっていたんだろう。


 今までの仕返しに腹を探り返してやろうと思っていたけれど、やっぱり、やらないことにしよう。

 探られて白状してきたことは、私にとっては一線の外にある秘密未満の本音。知られて困ることではないから、聞かれるたびに素直に答えていたんだ。


 雪城くんが踏み越えてこないのに、私が踏み越えようと片足を突っ込んで、何かが変わってしまうのは少し怖い。

 あの探るような視線に苦手意識を持っていたのだって、一線を踏み越えられ、今の関係が壊れてしまうのが嫌だと自覚なく思っていたからだろう。

 私はそれと同じことを、彼にやろうとしていた。でも自分が嫌だと思うことを誰かにするのに抵抗感があって、うまく実行できなかったんだろう。

 やめておこう。今の関係、今まで距離感を、維持できるようにしよう。



「本当に急にどうしちゃったの?頭打った?」


「失礼ねぇ。私はただ今の人間関係を維持して、何年後かにみんなの結婚式と披露宴の招待状を貰ったり、結婚報告のハガキを貰ったりするのが夢なだけよ」


「あ、いつも通りね」


「友人代表のスピーチやらせてね?」


「結婚するチャンスがあったらね」



 授業開始時刻を知らせるチャイムが鳴り、体育館に入ってきた教師が整列を促す。私はそれに従い、トンッと軽やかにステージから降りた。

 普段より少し高くなっていた目線は、いつも通りに戻った。


 さてと、今日の体育は新年度になって第一回目。やるのはスポーツテストだ。

 肉食獣を手懐けるエサに使ったことを秋人と雪城くんにバレたら、間違いなく死ぬ。ドラム缶にコンクリート詰めにされて海に捨てられる。

 そんなもしもの時に備えて、逃げきれるだけの身体能力があるか把握するとしましょうか。持久力なら二十メートルシャトルランだけど、どれくらいの記録なら逃げきれるんだろう?

 でも思わぬところでモヤモヤが解消してくれて、いい記録が出せそうだ。


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