19-1.言ったら最後




 女子更衣室という場所は、乙女にとっては秘密基地のようなもの。だから外ではできないような話題も、声のボリュームも落とさずに話してしまう子が多かった。

 私はブラウスのボタンを外しながら、なんとなく周囲の声を聞く。

 月曜に体育なんて最悪だと不満を言っている子もいれば、放課後にどこどこへ行こうよと楽しそうに寄り道の計画をたてている子もいる。体育の授業は二クラス合同なので、広い更衣室には三組と四組の女子、三十人ぐらいしかいないはずなのにずいぶんと賑やかだ。

 しかし誰かが「なんだか今日、壱之宮様と雪城様のご様子が普段と違ったわね」と言った途端、更衣室中の話題がそれに変わった。



「壱之宮様はお疲れのように見えましたわ」


「雪城様もどこか物憂げのご様子で」


「休日の間に何かあったのかしら?」


「でも、憂いを帯びた表情のお二人もまた……ねえ?」


「そうねぇ……」



 ちらりと様子をうかがうと、思い出すように宙を見てうっとりする子やうんうんと頷く子、頬に手を当てほうっと吐息を漏らす子などがいた。

 あの二人だって生き物なんだから、月曜を憂鬱に思うことだってあるだろう。

 だがそこはさすが心の強いファンの皆さんだ。あの二人がどんな表情であろうと、萌えという名の生きる原動力とする。実にたくましい。

 ちなみに私は、推しには常に日の当たる場所で幸せいっぱいの笑顔でいてほしいタイプです。



「桜子様、何かご存知ですか?」


「えっ私?!」



 まさかのフリ。

 思わず着替えの手を止めて周囲を見ると、ほとんどの子が期待の眼差しで私を見ていた。

 ご存知も何も、私は二人が普段と違うなんて今初めて知ったんだけどなぁ……。



「ごめんなさい、私も分からないわ」



 小首を傾げて苦笑い。分かりやすく聞かれても困りますアピールすれば、周りの子達はそれ以上の質問しないで、ただ残念そうに肩を落とした。

 秋人と雪城くんのファンクラブにはいくつか掟があり、ファンの子達はそれを忠実に守っている。私も詳しくは知らないけれど、その大前提はとにかく『迷惑をかけるな』というものだ。

 校内でストーキングをしている時点でそれを守れているのかは果たして疑問だけど、とにかくそっと見守るのが基本スタイルらしい。


 しかしながら少しでも二人の情報が欲しいからか、ファンの子達は時折私に情報提供を求めてくる。そして貴重な情報源である私のことをありがたく思って、親切にしてくれる子もそこそこいる。

 うーん、ここはそれに報いるべき?期待の目を向けてきた何人かには、先週誕生日プレゼントをもらってしまったし……。



「もしかしたら、また休日に二人でどこかへ行って、その疲れが取れていないんじゃないかしら」


「まあ!お二人で!」


「どこへ行かれたのでしょう?!」


「さて、どこかしらねぇ。ああ、どちらかの家というのも考えられるわね。あの二人、昔からお互いの家を行き来することも多いから」


「家ッ!」


「あ、あの、お二人はその時どういったことを……?」


「さあ?そこは男の子の領域だもの、女の私にはそこまでのことは分からないわ」



 にこやかに話しながらもさっさと着替えを済まし、適当に「お茶でもしているんじゃないかしら」と言葉を締めると同時にロッカーも閉めた。



「それじゃあ私はお先に失礼するわね。おしゃべりに花を咲かせるのもいいけれど、遅刻しない程度にね」



 飢えた肉食獣達にエサやりを終えた私はそそくさとロッカーを離れ、更衣室に併設されている鏡台へと向かう。

 先に着替え終えて待っていてくれた真琴と合流する頃には、ロッカーの向こう側からなにやらずいぶんと熱っぽいうめき声が聞こえた。



「桜子、やり過ぎ。あの薄い情報だといくらでも料理されるわよ」


「ファンサービスは大事って今朝学んだの。それに嘘は言ってないもの。どう解釈するかはあの子達の自由よ」


「つまり二人が休みの日に出かけたり、家に行き来してるの知ってるってことは、そこに桜子は……」


「…………いるわね、十回に一回ぐらいは」


「二人か三人かで料理のされ方、かなり変わると思うんだけど」


「私一人が丸焼きにされて打ち捨てられる未来が見えるわ」



 ハハハ、と乾いた笑いをこぼしながら、手首につけていたヘアゴムでポニーテールに結って更衣室を出る。その時、鏡ごしに千夏ちゃんと目が合ったけれど、気づかなかったフリをした。

 ごめんね、千夏ちゃん。あなたのことが嫌いなわけじゃないの!

 新学期になり何度かこういう事が起きているけれど、今もロッカーの向こうに肉食獣達がいることを考えるとこうするのが最善なのだ。もしも話をして、しかもそれが秋人絡みだった場合、誰かに聞かれでもしたら確実に面倒なことになってしまう。


 っていうか、ジャージ姿の千夏ちゃん可愛過ぎじゃない?体育の授業用に髪を二つ縛りにしてて、いつもより幼く見える。すごい可愛い。

 これぞ同じクラスの特権。秋人に自慢したらさぞかし羨ましがられて、特大の舌打ちをされそうだ。



「それにしても、あの二人って今日機嫌が悪かったのね。朝ちょっと話したけど、全然気づかなかったわ」


「話したんだ」


「本当にちょっとだけね。先週のお礼を言いたくて」


「ああ、バラの件ね……」



 真琴と並んで体育館へと向かいながら、今朝のことを思い出す。


 今朝、尊いの権化である春原くんからのハッピーサプライズ下賜に震え、四月生まれ仲間の志村くんとオトモダチになった後のこと。あのまま話しの流れで三人で教室に向かおうとしたけれど、ふと生徒用玄関がざわついているのが気がついた。

 目を向ければ女子生徒が多くて、ああ秋人と雪城くんが登校したのかと私は察した。



「行かなくていいの?」



 視線を戻すと、春原くんは生徒用玄関の方を指差していた。



「壱之宮と雪城、来たんじゃない?」


「きっとそうでしょうけど、行きませんよ。用事もありませんから」


「あれ?そうなの?」


「はい」



 なぜ私が登校した二人のところへ行くと思ったのか。女子ならみんなそうするとでも思ったのだろうか。

 私が首を傾げれば、春原くんも首を傾げた。

 首を傾げる推し、ベリーキュート。存在してくれるだけでありがたや。来世でマンチカンになっても推せる。


 とにかく、私は元々用事がなければ二人に近づかない。仮に用事があっても、半径五メートルの距離を維持しながら四方八方をぐるりと囲む肉食獣達に掻き分けて声をかける度胸はない。むしろこのまま階段の前にいたら他の生徒の通行の邪魔になるので、さっさと教室に行きたいぐらいだった。

 そんな私の雰囲気を感じ取ったのか、はたまた自分が恋敵である秋人と顔を合わせにくいのか、春原くんの「じゃあ、上行くか」との言葉に頷いた。

 私と距離を取りたい志村くんはさっさと階段を上がるけれど、春原くんは私の隣をのんびりと上がる。他愛ない話をしながら、バスケで活躍するぐらい長身の春原くんと同じ目線になるには、私は何段先に上がらなければならないんだろう。彼ぐらいの身長があれば、私には見えない遠くのものもよく見えるんだろうな、とくだらない事を考えた。

 そうして教室についた時……教室の扉を開けて自分の席を見た時、あっと思った。



「用事はあったわ……」



 金曜にあったバラの件について、雪城くんにお礼とお詫びを言おうと思っていたんだった。

 それを思い出した私は自分の机にカバンを置いて、ついさっき春原くんと上がった階段を下った。

 途中で鉢合わせすれば良いなと思う一方で、きっと朝のホームルームをサボる秋人に付き合っているんだろうと考えた私は迷うことなくカフェテリアに向かう。すると案の定、カフェテリアの二階席に二人ともいた。



「やっぱりここにいた」



 そう声をかけた時、私は二人が普段と違うなんてこれっぽっちも思わなかった。

 なにせ不意打ちの私の登場に二人は目を丸くしたけれど、挨拶を交わす頃にはいつも通りの女子をキャーキャー言わせるすまし顔だったから。



「珍しいな、お前が朝こっちに来るなんて。図書室通いは飽きたのか?」


「図書室にはさっきまでいたわ。でも今日は雪城くんに用があったから」



 いつも通り、二人掛けのソファーを占領するように座る秋人。疲れているどころか、その手に持ったスマホで千夏ちゃんと朝の会話を楽しんでいる最中だったらしく、普段より少し機嫌が良さそうに見えた。



「雪城くん、金曜日はいろいろとありがとうございました。とっても助かりました」



 花とかノートとか、と自分の言ったことに補足をすれば、雪城くんは合点がいった様に「ああ」と呟く。そうしてふわりと浮かべられた笑みも、物憂げとは程遠いものだったと思う。



「わざわざ言いに来てくれたんだ。あれは僕が勝手に判断してやったことだし、金曜に連絡ももらってたから、気にしなくて良かったのに」


「いいえ、こういったことはきちんと口で伝えるべきだと思ったので」


「宝生寺さんも、たいがい律儀だよね」


「それともう一つ。私に話があると言っていましたが、どういうお話ですか?」


「エッ……あー、そうだね、言ったね……」



 すっと視線をそらされ、一拍置くように雪城くんは手に持っていたカップに口をつけた。

 朝っぱらから野郎二人で茶ァしばいている暇があるならホームルームに出席しろよ。学生の本分を果たせ。なんてことを思いつつ、言葉の続きを待つ。

 すると聞こえたのは、あっけないものだった。



「大したことじゃないから、気にしないで。それにあの後、秋人と話したら解決したから大丈夫だよ」



 ああ、そういえばあの日は私に話があると言った後に、休み時間も放課後も秋人と一緒にいたっけ。だったらそういうことにもなるか。

 なにより本人に話すつもりがないのなら、しつこく聞くのはあまりいい事ではない。

 私が「そうですか」と引き下がれば、雪城くんはいつものアルカイックスマイルで頷いた。

 本当は、そのまま『思い違い』と『計算違い』という言葉選びの違いについても聞こうと思った。けれどホームルームの始まる時間が迫っていたため、二人と違ってサボると問答無用で欠席扱いにされる私は教室に戻ることを選んだ。

 同じクラスなら雪城くんと一緒に戻ることになるし、そのついでに聞けるかな?、と思ったけど、彼は立つ気配もなく、私は諦めて「では、そういうことで」と一人で足早に教室へと戻った。


 ────ということを一通り思い出して、改めてどうだったか考えても、やっぱり普段とどこが違うのかが分からなかった。

 分かったのは、人の腹を探るのは話題の切り出し方とタイミングの見つけ方がけっこう難しいということだけだ。



「ファンの目ってすごいわね」



 バラ事件後に保健室から教室に戻った時は、妙に口数も少なくて「もしかして機嫌悪い?」と思ったりもしたけれど、今日はまったく分からなかった。



「好きな人のことなら、ちょっとの違いにも気づけるものでしょ」


「え、真琴、そういう人いるのっ?!」



 更衣室から体育館まではあっという間だ。渡り廊下を通って体育館に入り、上履きから体育館履きに履き替えながら言われた言葉にギョッとする。

 親友に好きな人がいるなんて初耳。

 いったいどこの馬の骨だ。ろくでもない奴だったら私の黄金の右ストレートをお見舞いするぞ!

 いい人だったらリボンつけてプレゼントするぞ!結婚式には友人代表のスピーチ任せてください!



「そういう意味じゃなくて。親とか友だちとか、いつも近くで様子を見てる相手の変化ならちょっとのことでも気づけるってこと。桜子だって、私や双子が前髪切るとすぐに気づくでしょう?」


「ああ、なるほどね。三人のことならちょっとのことでもすぐに気づける自信あるわ、私!」


「まぁそれとは真逆で、いつも一緒にいる相手だからこそ隠すって場合もあるけどね」


「それは、なるほどとはならないわね。いつも一緒にいるなら、気を許してる相手ってことじゃない。気を許してる相手に意識的に隠し事をするなんて、普通以上に疲れそう」



 自分から精神的に疲れることをするなんてマゾなのか。

 真琴の言いたいことが一ミリも理解できないわけではないけれど、その言葉をまるっと飲み込んで共感することもできない。



「私は両親や真琴達になら体重とかBMI指数とか言えるけど、その逆は思いつかないわねぇ」



 親しいからこそ隠して、そうじゃない人には隠さないこと。

 考えてみたけれどピンとこなかった。



「体重とBMIって……。隠し事のレベル低すぎ」


「じゃあ先週の身体測定の結果、教えて?」


「えっ。んん〜、ごめん、ムリ。言えない」


「ほらぁ、レベル低くないじゃない」



 乙女にとって体型に関することはトップシークレット。銀行の預金金額並みの秘密だ。

 でも私は、真琴と諸星姉妹が言いふらすタイプの子ではないと知っているから打ち明けることができる。そして三人が体重を教えてくれた場合、絶対に誰にも言わないと誓える。



「いや、そういうのじゃなくて、なんかもっとこう……。言ったら最後、相手を傷付けて、今の関係にヒビがはいるから絶対に秘密にしておこう!、みたいな笑えないレベルのやつよ」


「関係が壊れる……?」


「そう。平和な『今』を壊すぐらいなら、疲れるし苦しいけど隠し通そうみたいな秘密。桜子にだって私や双子に秘密にしてること、あるでしょう?」



 急に確信を持っているような親友の声色に、目に、言葉が詰まった。



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