18-3.笑っていてくれるなら



「朝倉さんに応援や祝福の言葉を言えたのは、それだけ彼女のことが好きだからではありませんか?」



 私はいったい、何を言っているんだろう。



「自分の気持ちを押し付ければ彼女が困ると分かっていて、困らせてしまうぐらいだったらと気持ちを飲み込んで……」



 彼にそんなことをさせた原因の一端は、秋人の味方をした私にあるのに。



「彼女が幸せそうにしているのを壊したくなくて、守りたくて、笑っていてくれるならそれでいいと思ったから言えた」



 それだけの想いだと知っていたのに、前世の記憶を頼りに彼の恋が実らないルートへと周囲を誘導したのは、私なのに。



「好きではなくなったから言えたのではなくて、今も変わらず好きだからこそ、言えた言葉だったのだと私は思います」



 誰のことも『そういう意味』で好きになったことのない私が、いったい何を言っているんだろう。


 口から滑り出る言葉の数々は、すべて矛盾している。私のせいで春原くんがこんな風に思うようになってしまったんじゃないと思いたい、自己欺瞞の言葉だ。

 我ながらバカバカしいし、情けない。春原くんが傷つくと分かっていた上で秋人に協力したのに、いざその姿を目にしたらこんな事を言い出すなんて、本当に情けない。

 ラスボス宝生寺桜子に生まれ変わった時点で、色々な人から恨まれる覚悟ができていたはずなのに。

 その程度だったのは春原くんの想いではなく、私の覚悟だ。



「……ごめんなさい。こんなの、私が言っていいことではありませんよね……」


「えっ、なんで宝生寺が謝んの?」


「なんでって……。だって私は、朝倉さんとのことで秋人の肩を持っていたわけで、つまり春原くんにとっては都合の悪い存在ということになりますよ」


「なるの?」


「え?なりません?」



 お互いに顔を見合わせて、首をかしげる。


 あれ?そういうことになるよね?

 だって春原くんは去年、千夏ちゃんを巡って秋人と火花を散らしていた。そして私は秋人に乙女心のなんたるかを説明させられたり、時には漫画のストーリー通りになるよう首を突っ込んだり、今回は傍観者に徹していようと思ったら巻き込まれたりした。

 そんな私の行動はすべて、秋人が千夏ちゃんとうまくいくようにと考えてのものだった。

 裏を返せばそれは、春原くんが千夏ちゃんとうまくいかないようにする行動だったのだ。

 だから春原くんにとって私は────



「俺たちのことに、宝生寺は関係ないじゃないか?」


「……え?」


「あ〜。関係ないって言うか、朝倉と壱之宮が付き合うことになったのは、二人が選んだことだろう?だから朝倉を好きになったのは壱之宮の意思で、俺をフって壱之宮を選んだのは朝倉の意思で……えっと、つまり……」



 春原くんは言葉選びに迷っているのか、頭をかく。



「宝生寺が味方をしなくても、朝倉と壱之宮は付き合ってた!だから宝生寺は悪くない!と、俺は思う!」



 それは腑に落ちると言うよりは、そこにあるのが当たり前すぎて視界に入らなかったものを改めて見た、と言ったほうが正しかった。


 私が手を貸さなくても、秋人と千夏ちゃんはうまくいっていた。

 ああ、そうだ、その通りだ。私は、何を思い上がっていたんだろう。


 少女漫画の第一部で、宝生寺桜子の出番はとても少なかった。

 時おり登場しても、秋人の恋路に協力なんてしていなかった。それでも秋人は千夏ちゃんを好きになり、千夏ちゃんは春原くんではなく秋人を選び、春原くんは千夏ちゃんにフラれて潔く身を引いた。

 三人の恋がそんな決着を迎えることは……そこに宝生寺桜子は不要だということは、漫画という形で見届けてきた私が一番よく知っていたじゃないか。

 それなのにどうして私は、秋人と千夏ちゃんが付き合ったのは自分のおかげ、春原くんがフラれたのは自分のせいなどと思い上がっていたんだろう。


 確かに私は、少女漫画のストーリーの通りになるように動いた。

 でも私の言動はあくまできっかけで、彼ら三人がお互いにどういう感情を抱いて、どう行動するかは、それぞれが自分で決めることだ。



「……ああぁ……そうだった……」



 少女漫画の第一部。壱之宮秋人、朝倉千夏、春原駿の三角関係に、宝生寺桜子は関係なかったんだ。

 私がいなくても、こうなっていたんだ。

 未来を知っていて、近くで見届けていたせいでいつの間にか感情移入して、とんでもない錯覚をしてしまっていたらしい。

 なんだか恥ずかしくなってきて、思わず両手で顔を覆う。すると真っ暗な視界の中で、春原くんの戸惑ったような声が聞こえた。



「悪い、俺なんか変なこと言った?!」


「いいえ。そんなことはありません」



 顔を覆う手を外し、その顔を見る。

 私の推しはキラキラトーンの似合う素晴らしい顔面造形をしていて、そこにはさっき見た諦めた様な陰りはない。ちょっと眉を寄せて、飼い主にいたずらがバレた犬のような顔をしていた。

 うっかり撫で回しそうになるぐらい超絶可愛いから自重してほしい。



「盲点といいますか……とんでもない思い上がりをしていたのに気づいて、情けなくなっただけですので大丈夫です」



 ん?似たような会話をどこかで聞いた気がするけど……まぁいいか、どこだって。

 すぐに思い出せない程度のぼやっとした記憶よりも、目の前にいる推しの方が大事だ。



「ありがとうございます、春原くん。春原くんのおかげで、間違いに気づくことができました」



 例え知っている未来へ向かうように周りを誘導しても、他人の感情までは操れない。

 もしも感情まで漫画の通りになるよう操れていたら、宝生寺桜子である私と春原くんがこうやって会話をすることはなかったはずだ。

 私という異物が混ざってしまったせいで、本来のストーリーや人間関係とは違う部分は確かにある。でも誰が誰を好きになって、誰が誰を嫌うかなんて、他人に決められることではない。

 それを私のおかげや私のせいと思うなんて、秋人に、千夏ちゃんに、春原くんに失礼だ。


 思い上がりを気づかせてくれた。同時に、抱え続けていた罪悪感から救ってくれた。

 もともと私の中で春原くんの好感度パラメーターはマックスだったけれど、今この瞬間にそんな枠をぶっ壊して天井知らずとなった。

 ありがとう、来世でマンチカンになっても推し続けます。



「いや、俺の方こそありがと。さっき宝生寺が言ったこと、考えてみたらドンピシャだった」


「私が言ったこと?」


「まだ好きだから言えたってやつ。付き合ってるって壱之宮が言った時の朝倉の顔がさ、なんて言うか、俺じゃあんな顔はさせらんない顔だった。それ見たら自然と言えたんだよ」



 朝倉が幸せそうに笑ってるならそれでいいかって思ったんだよ、と語る春原くんの顔は、とても晴れ晴れとしていた。



「あのさ。他に付き合ってる奴がいる子のことが好きなのってアリだと思う?」


「誰を好きになるかは、自分で決めることだと思います」


「さっき人の恋の邪魔するとトラックにはねられるって言ってなかったか?」


「春原くんは自分の感情を相手に押し付けて、その人の今の幸せを壊してまで幸せになりたい人ではないでしょう。想うだけなら自由ですよ」



 ひとりの人をひたむきに愛するのは、宝生寺桜子も春原駿も同じだ。でも愛情の表し方が真逆で、相手の幸せを想って自分を押し殺すことができなかったから本来の宝生寺桜子は破滅した。

 好きな人に振り向いてもらえないのが、当て馬キャラの宿命。そこは変わらない。

 それでも春原くんは他人の幸せを素直に祝福できる人なのだから、幸せになってほしい。いつかきっとその誠実さに報いる人が現れるはずだから、そのままでいてほしい。



「……正直に言うと、春原くんとこうやってお話しをすることになるなんて思ってもいませんでしたし、別にそれでいいと思っていました」


「ん?あーまぁ、朝倉と壱之宮のことがなかったら俺ら共通点ゼロだもんな」


「ええ。でも私、春原くんの他人の幸せを祝福できるところや、自分の気持ちを真っ直ぐに言えるところ、ずっと前からすごくかっこいいと思っていましたよ」



 この世界が、主人公がハッピーエンドを迎える物語の中ならば。どうか、自分の気持ちを殺してまで他人の幸せを願える人に、優しい世界でありますように。


 瞬きすら忘れたようにキョトンとした春原くんの顔がおかしくて、自然とふっと笑みがこぼれた。きっと生粋のお嬢様である本来の宝生寺桜子なら浮かべない、私が私だからこどの笑みだろう。

 私はそのまま立ち上がり、「失礼します」とだけ言ってた足早にバッティングセンターを後にした。 前回言い逃げされたお返しだ。









 翌日。月曜日って響きは人を憂鬱にさせるなぁと思いながらも、私は朝の大名行列を回避するために他の生徒よりもほんの少し早く登校して、ホームルームまでの時間を図書室で過ごしていた。

 たまに生徒が本の返却に来るけれど、朝から無駄に広く圧倒的な蔵書量を誇る図書室に入り浸る生徒は私だけ。一人で静かに過ごせる時間はけっこうお気に入りだ。

 少し空気がひんやりしている書架の間を歩いて、なんとなく目に付いた本をタイトルも確認せず引き抜く。しかしそれは『嵐が丘』だった。



「おっとこれは……」



 これは昔、恋愛小説の名作って聞くし読んでみようと思って読んだら、とんでもないフレーズ詐欺にあった小説だ。

 しかもヒースクリフの重た過ぎる愛情の拗らせっぷりが、本来の宝生寺桜子に近い部分があり読んでいて頭を抱えた。こうはならん、こうはならんぞ私は……と自戒の意味を込めて読破した記憶もある。

 読み物と割り切ればすごく面白かったけれど、一週間の始まりの朝に愛憎劇はムリ。同じイギリス人女性作家の恋愛小説なら『高慢と偏見』にしておこう。泥沼愛憎劇よりドタバタラブコメだ。


 本を入れ替え立ち読みしていると、ふとこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。

 また遥先輩か諸星姉妹かな?

 顔を上げて、足音の聞こえる方に視線を向ける。



「あ、ホントにいた」



 私の予想はまるでハズレ。

 書架の陰から現れたのは春原くんで、彼は私と目が会うなり「おはよ」と当たり前のように言葉を続けた。


 え、待って。待って待ってお願い本当に待って。世界にタイムアウトを申請します。

 春の柔い朝日を浴びながら微笑む推し。あまりにも尊い。顔が良すぎる。宗教画かな?ステンドグラスとかにして後世まで残した方がいいんじゃない?出資しようか?



「…………おはようございます」



 状況が飲み込めなくて、反応するまでに変な間ができてしまった。

 しかし春原くんはそれに気づいていないのか、気にしていないのか、どちらにせよ不審には思われなかったらしく平然としている。



「朝から図書室にいるって宝生寺マジメだな。うわ、しかもなんか難しそうなの読んでる」


「えっ……と、いいえ、これはタイトルはこうでも内容は恋愛小説ですから」



 いやいや、今言うことはそれじゃあないでしょう。

 気にするべきなのは、どうして春原くんがここにいるのか。そしてどうして私に声をかけているのかだ。



「そう言う春原くんも、朝から図書室に来ているではありませんか」


「俺は初めてだよ、朝からなんて。というか図書室自体、テスト前に部活の勉強会で来るだけだし」


「私は図書室で勉強会なんてやったことありませんよ」



 また、違うことを言ってしまった。思っていることが、うまく言葉となって出てきてくれない。

 どうしてだろう。昨日言い逃げをした負い目?

 疑問に思いながらも、本を元の場所に戻しながら令嬢スイッチを入れる。すると簡単に「それで、私になにかご用が?」と言うことができた。



「あ、そうそう。これ渡そうと思ってさ」



 春原くんは手に持っていたコンビニのレジ袋をひょいと掲げる。

 もしかして昨日バッティングセンターに忘れ物でもしたかな、と差し出された袋を受け取れば、また私の予想は外れた。

 袋の中身は私がコンプリートを決めようと思った、ホームラン賞の景品である小さなぬいぐるみ。四つの箱にはそれぞれミケ猫、ウサギ、パンダ、ヒツジの絵がそれぞれ描いてあった。



「これは……!」


「昨日宝生寺が帰った後に打って、ホームラン出したんだよ。でも俺、あそこ行き過ぎてて欲しいもんなくてさ。そしたら良治さんに、宝生寺……じゃなくて桜田がコレ集めてるからあげたら?って言われたんだよ」


「えっ、貰ってしまっていいんですか?!」


「返されたら逆に困る」



 ぬいぐるみだし、と春原くんは照れ臭そうに頬をかく。

 ハレルヤーッ!そういうところだぞ春原駿!!可愛い!!!好き!!!!永久に推せる!!!!!どうか幸せになってくれ!!!!!!

 ていうか推しから贈り物って……。口座番号教えてくれたら私が貢ぎたいぐらいなのに、その逆だなんて。下賜じゃん。過度なファンサービスはお控えください、温度差で死んでしまいます。

 ああ、この子達は家に帰ったら部屋に祭壇作って丁重にお祀りせねば。



「ありがとうございます。あっ、なにかお礼をさせてください」


「いいよ別に。ただの景品だし」


「そういうわけには」


「あ、じゃあ、あれだ。昨日のお礼。宝生寺と話したら、ぐるぐる考えてたことがちょっとスッキリしたから」


「いいえ、昨日の件は私の方が……」


「ンンッ!」



 押し問答を続けていると、とわざとらしい咳払いが聞こえた。高い書架のせいで姿は見えないけれど、貸し出しカウンターにいる司書の先生だ。

 私と春原くんはきゅっと口をつぐむ。そして顔を見合わせて、少し笑った。



「出ましょうか」


「だな」



 二人してカウンターの前を通るついでに、司書に謝罪の意味を込めて軽く頭を下げて図書室を出た。



「そんなうるさかったか?」


「少しぐらいなら注意されないんですけどね」


「勉強会の時も注意されないから、無駄話するなってことか……」



 立ち話もどうかと思うので、教室へと向かって歩き始める。

 窓の外を見ると、生徒用玄関へと向かう生徒の数が多いことに気がついた。

 ちょうど登校のピークのようだけど、見える範囲で男女の比率は女子の方が圧倒的に多い。原因はたぶんそろそろ秋人と雪城くんが登校する時間だからだろう。

 あの二人は毎日ほぼ同じ時間に登校するから、朝からその姿を見たいファンが自然と集まるのだ。

 私は朝から春原くんのご尊顔を拝んだらあやうく昇天しかけたけれど、二大巨頭のファンは心が強いらしい。その心の硬度、とても羨ましい。



「そういえば、朝のあれってもうやんないの?」



 私につられて外を見ていた春原くんが、思い出したように言った。



「あれ?」


「大名行列」



 ウッ、久しぶりに聞くフレーズだ。



「春原くん……。やるも何も、私はあれが嫌で毎朝図書室に逃げているんですよ」


「え、あれって宝生寺がやらせてたんじゃ……?」


「違います!自然発生です!私をなんだと思っているんですか」


「でも前に志村が、宝生寺は一言で百人を動かすって言ってたしなぁ」



 志村?

 私の推しに変な情報を吹き込んだのはどこの志村だ。



「ああ、あと宝生寺に何かあるとモンペが湧くから関わるなって言ってたな」


「モンペ?」


「モンスターペアレント」



 言葉の意味はわかるけど、モンペが湧くってなんだ。

 あとそんなことを言う志村って本当に誰?



「私の両親は放任主義と言いますか、自分の言動に責任を持てるなら自由にしていいという考えの人なので、モンペではありませんよ」


「だよな?俺も、モンペっていうぐらいの親ならバッティングセンターなんか行かせないよなーって思ったんだよ」


「その志村さんはどなたですか?」


「三組の志村だよ。俺、去年同じクラスだったし、同じバスケ部だから結構仲いいんだよ。……あ、ちょうどいい所に」



 春原くんが指差す方を見ると、



「ああ、志村くんのことでしたか」



 年功序列で委員長を押し付けられた哀れな仔羊、志村くんがそこにいた。

 階段を上がろうとしていた彼は、私達の姿を見てピタリと動きを止める。



「はよー。志村のおかげで宝生寺に会えたわ」


「ちょ、お、おま、春原お前ぇええ!」



 志村くんはわなわなと震え、軽い調子で挨拶をする春原くんの腕をがしりと掴んだ。そしてそのまま二人揃って、私に背を向けるように壁際に寄る。



「バッカ野郎!昨日急に宝生寺様のこと聞いてきたと思ったら、なに普通に一緒に歩いてんだよ!処刑されてぇのか!?」


「用があったから……。てかお前なんでそんな宝生寺のこと怖がってんの?」


「様をつけろバカ!!あの人になんかあるとモンペが集まるんだよ!昨日教えたよなぁ?!」


「宝生寺の親、モンペじゃないってよ」


「ないってよって……は?誰に聞いたのそれ」


「本人。な、宝生寺?」



 首だけで振り向く春原くんに、私はそうですねと頷いた。



「私の両親はそういうタイプではありませんので、どうぞご安心を。あと全部聞こえていますよ」



 お祖父様についてはモンペを否定できないけれど、両親は学園にクレームを言うことはないし、一人で京都へ行くことを許してくれるぐらい放任主義だ。

 それに仮に学園に不満があったとしても、ニュースなどで聞く『学校に乗り込んで喚き散らす』とか『電話で延々自己中心的な意見を言う』とかなどはせず、学園への寄付をやめるか額を減らすことで間接的に不満をアピールするだろう。

 


「一言で大勢を操るだとか、モンペだとか、まさかクラスメイトにそんな風に思われていたなんて。残念だわぁ。志村くんとは仲良くしたいと思っていたのに」


「あ、そんな……畏れ多いんで……」


「仲良くすればいいじゃん。宝生寺ってイイ人だし話せばけっこう普通だよ」


「瀬川といい春原といい、なんで俺の周りには──」


「春原くんもこう言っていることですし、クラス委員を押し付けられた者同士、仲良くしましょう。ねぇ、志村くん?」



 なんとしてでも逃げようとする志村くんの言葉を遮り、ポンと軽く肩を叩く。

 その引きつる顔に、私はにっこりと慈悲深い微笑みを向けた。


 推しである春原くんに、訳の分からない私の情報を吹き込んだ罪は重いわよ?



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