18-1.この運命的な出会い




 少女漫画の第二部でもあった、壱之宮コンツェルンの企業パーティー。

 その回は『ひまわりを君に』において、とても重要なターニングポイントだ。


 それまで影で手駒を操り秋人と千夏ちゃんの破局工作をしていたラスボス宝生寺桜子が、壱之宮夫妻を唆して婚約の話を進め、そのパーティーの最中に婚約を電撃発表させるのである。

 事前に何も知らされていなかった秋人は当然反対。しかし壱之宮の御曹司と宝生寺の御令嬢というビッグカップルの誕生に、その情報はあっという間に上流階級に広まり、そういう家柄の子弟の集まる成瑛学園内にも広まり、千夏ちゃんの耳にも入ることとなる。

 そしてそれと同時に、秋人が宝生寺桜子との婚約に反対する理由は、千夏ちゃんという恋人がいるからだと学園中にバレてしまう。


 これが私が覚えている、『ひまわりを君に』の最終章の導入。

 ここから、完結に向けて物語が進んでいくのだ。


 ────そう、最終章。


 第二部が始まったばかりの今のタイミングで起きることではなく、もっと先、具体的には年明けの冬休み終盤に起きる展開だった。

 それまでは秋人と千夏ちゃんはゴールデンウィークに水族館で初デートしたり、一緒にテスト勉強したり。体育祭、夏休み、修学旅行、文化祭というイベント目白押しな少女漫画らしい甘酸っぱい日常が続く。

 といっても、初デートの帰りに仲良く手を繋ぐ二人の姿を目撃した宝生寺桜子が、手駒達に二人がどういう関係か調べさせ、付き合っていると分かってからはあれこれ妨害をさせていたのだが……。

 それでも宝生寺桜子が壱之宮夫妻を唆して婚約の話を進めるのは、手駒を使っての妨害行為は効果がないと思い、最終手段としてだ。



「二人の初デートのタイミングが早まったけど……まさか、漫画の重要な回が繰り上げになってる?……いやぁ、でもそれだとなぁー……」



 あの婚約電撃発表回は、それまでの伏線を回収する形で宝生寺桜子が物語のラスボスだと、読者に明かす回でもあった。

 でも私には宝生寺桜子のような手駒はいないし、その手駒を使っての妨害行為だってしていない。壱之宮夫妻にも千夏ちゃんのことは教えていない。

 夫妻に……泉おば様に千夏ちゃんことを知られていない今、二人を破局させるために私を婚約者に仕立て上げるなんてことはあり得ない。

 私はそこに至るまでプロセスを、何も踏んでいないんだ。仮に繰り上げ現象が起きていたとしても、来年の冬の出来事が、それ以前の出来事を全部すっ飛ばして起きるわけがないだろう。


 壱之宮家関連のパーティーだって、これまで一年に数回あった。時期的に第二部が始まっているとは言えど、来月のパーティーを婚約電撃発表回と考えるのは安直すぎるだ。



「それでも欠席するのが一番安全だけど、これ貰っちゃったからなぁ……。ああ〜、先手打たれた」



 はあ、とため息をついて、テーブルの上の黒い箱を見下ろす。

 泉おば様から誕生日プレゼントとして高価そうな万年筆を貰ってしまった手前、名指しで招待されたパーティーに欠席することはできない。お父様にも欠席の希望を臭わせたら、案の定却下され、家族三人で出席すると返事を出されてしまった。

 もう一度ため息をついて、璃美がくれたティーグラスに淹れた、瑠美がくれた茶葉の紅茶を飲む。真琴がくれたキャラメルガナッシュ入りのチョコレートを食べてみても、いまいち気分が晴れない。

 お茶もチョコもすごく美味しいけど、この手のストレスは食では解消できないのは、すでに経験済みだ。



「ミーティス、お気に入り登録してあるバスの次の発着時間を教えて」


『はい』



 グラスやチョコレートを片付けながら問いかけると、ミーティスは三十分後にバスが来ることを教えてくれた。



「ヨシッ!かっ飛ばしに行きますか!」



 私は動きやすいパンツスタイルに高速で着替えると、最低限の荷物を持ってバッティングセンターへ向かった。

 春休み中に来た時は平日だったため貸切状態だったけど、今日は日曜日ということもあってちらほらとお客さんがいた。



「いらっしゃい、桜田ちゃん。今バット持ってくるからちょっと待っててねー」



 高橋さんはカウンターの奥からピンクの金属バットを持ってきてくれた。



「高橋さん。高橋さんを経験豊富な大人と見込んで相談があるんですけど」


「経験ってどういうタイプの経験?桜田ちゃんには俺がどんな奴に見えてるの?答えによってはおじさん立ち直れない」


「飲み会に誘われる経験」


「あ、そういうのね、よかった……いや、よくないね。桜田ちゃん高校生だよね?」



 飲み会なんてダメだよと高橋さんは言うけど、そこは勘違いなので「飲み会は例えです」とマイバットを受け取りながら言う。



「要するに、参加したくない集まりに強制的に参加させられことになりまして。角を立てずにドタキャンするうまい方法ってないですかね?」


「シンプルに体調不良でいいんじゃない?」


「私が学校でインフルエンザが大流行してもピンピンしてる超健康優良児だって知られているんです」


「家族の不幸とか?」


「家族もその集まりに出席するんですよ」


「……桜田ちゃん、おじさんは諦めて行くに一票だよ」


「やっぱりそうですよねぇ〜」



 私はカウンターに寄りかかって項垂れる。

 妙案に期待して相談してみたけれど、やっぱり出席するしかなさそうだ。


 あー嫌だなぁ。例え婚約電撃発表回のパーティーではなくても、壱之宮家関連のパーティーにはあまり行きたくない。しかも今回は泉おば様が私のエスコートを秋人にやらせると言ったせいで、お母様がいつも以上に気合いを入れているのだ。

 きっとパーティー衣装を買いに行った時は私を着せ替え人形にして、「とっても似合うわ桜子ちゃん。きっと秋人くんも似合うと言ってくれるわ」とかなんとか言うのだろう。

 うわぁ〜なにそれすっごい簡単に想像できる。



「はあ……とりあえず打ってきます」



 高橋さんに見送られ、私は百二十キロのブースに入った。普段は目と肩を慣らすのために八十キロか九十キロで打ってからだけど、今日は先客がいるので仕方がない。

 少年野球の仲間なのか、坊主頭の少年達が頑張っているのを邪魔するわけにはいかない。

 料金を入れ、まっすぐ飛んでくる百二十キロのボールを黙って打ち返し、カーンと快音を響かせる。しかし普段のルーチンをやらなかったせいか、ホームランボードに当たるどころか時々空振りをしてしまう。



「やっぱりいきなり百二十キロだと当てるので精一杯だなぁ……」



 高く上がるがホームランボードとは見当違いの場所に飛んでいくボールを見て、ちょっとムッとする。一回分が終わってしまったので、小銭を入れて再チャレンジだ。

 さっきカウンターで高橋さんと話している途中、横目で『今月のホームラン打者』と書かれたホワイトボードを見た。そこには今月もSさんの名前があり、ホームランを出した球速は百六十キロとあった。

 高橋さん曰くSさんは男子高校生だけど、学校では野球部に所属していないらしい。それなのに百六十キロでホームラン賞を取って、二百キロでヒットを出すなんて身体能力お化けだ。

 私なんて、この前ようやくまぐれで百四十キロでホームランを出せだけなのに……。



「動体視力良すぎでしょう……がっ!」



 喋りながら打ったボールは高く上がり、引き寄せられるようにホームランボードに当たった。



「あっ」



 チャラチャラと流れる音楽に、自然と周囲の視線が集中する。見られることには慣れて入るけれど、坊主頭の少年達が「スゲーッ!」と言っているのが聞こえて、少しだけ居た堪れない気持ちになった。

 とりあえず残りの料金分のボールを打ち終え、私は少年達の視線から逃げるようにそそくさとカウンターへ向かった。



「高橋さーん」


「はいはいホームラン賞ね。今月からちょっと趣向を変えて、球速によって貰える賞品が変わって、いろいろ選べるようにしたから」



 そう言って高橋さんがカウンターの上に置いたのは、ラミネート加工がされた表だった。

 何かと思って見てみれば、今月のホームラン賞と題され、野球用品やぬいぐるみ、一ゲーム無料券などの画像が載っていた。



「選べるのは面白いけど、どうしてぬいぐるみ?」


「最近は桜田ちゃんみたいに女の子も来るし、彼女にいいところ見せたい彼氏もいるんだよ」


「ああ、お祭りの射的で彼女の欲しい物を取ってあげるみたいなやつですか」


「それそれ」



 そういえば秋人が、千夏ちゃんとの初デートで射的をやったって言ってたな。もしかして千夏ちゃんの欲しい物でも取ってあげようとしたんだろうか。

 なんてベタな野郎だ。ああいうのは大物商品ほど取れないように細工してあるというのに、そうとは知らずカモになる図が思い浮かぶ。結果として取れたのが光るボールだったらしいので面白すぎる。



「じゃあせっかくなので、女の子用のぬいぐるみください」


「ぬいぐるみって言っても手のひらサイズのやつだけどね。はい、この中から一個選んでね」



 差し出されたバスケットの中には、柴犬や三毛猫、ウサギ、ヒツジなど、可愛いを具現化した十種類のお手玉サイズのぬいぐるみがみっちり詰まっていた。

 触らなくても分かる。これ絶対モチモチしてるマシュマロ系ぬいぐるみだ……!



「か、かわ……!」


「こういうの好きなの?」


「はい!」



 つぶらな目でじっと見てくるぬいぐるみ達に、つい「はわわ」と声が出そうになるのをぐっとこらえる。

 私は昔からこの手の可愛いものに弱い。この中から一個しか選べないなんて苦行だ。



「これって今あるだけですか?」


「いや、あと三セットあるよ。余れば来月の賞品にする予定だったし」


「余らなければこの運命的な出会いは今月だけということですね。私ちょっと九回ほどホームラン出してきます」



 一つを選べないならコンプリートあるのみ。

 ここの最低球速である六十五キロなら、九回ぐらい頑張ればすぐに出せるはずだ。



「悪いけどこれ、百キロ以上でホームラン出した場合の賞品だよ」


「んなっ?!」


「おじさん、ちゃんと球速で賞品変わるって言ったよ」


「搾取だ!」


「商売だから仕方がない」



 汚い!これが大人の手口か!

 ぬいぐるみの詰まったバスケットを高く掲げて笑う高橋さんに、私はギリギリと歯ぎしりをした。



「わかりました!百キロでホームランを出せばいいんですよね、やってやりますよ!」



 宝生寺家の令嬢である私の財力とバッティングスキルを甘く見るなよ!?


 ────と、その時、背後で店のガラス戸が開く音が聞こえた。


 振り向いたことに、意味なんてなかった。

 生き物が物音に反応するのは自然なこと。飼い慣らされて野生を失った猫だって、寝ている時に物音がすれば目を開けるのだ。それと同じで、無意識の確認作業だった。

 しかし振り向いたことを、心の底から後悔した。


 だってそこにいたのは、私の前世からの最推しな青空と炭酸水と白いシャツが似合う、太陽属性イケメン。

 報われない系スーパーダーリンこと、春原くんだったから。


 えっ、は?うそ、なんで、やばい。どれくらいやばいかって、やばいしか言えないことがやばいぐらいやばい。

 お金持ち学校内でもぶっちぎりのお嬢様が、バッティングセンターでピンクの金属バットを持ってホームラン賞を選んでいるところを見られたら…………死ぬ!社会的にも死ぬけど、推しに見られるなんて私のメンタルは死あるのみ!


 そう混乱した時間は、一秒にも満たなかった。

 幸い春原くんはそこそこ人がいて空きが少ないバッティングブースの方を見ていて、こちらには気づいていない。カウンターにたどり着くまでにもまだ距離がある。

 いける!今ならまだ逃げられる!諦めるな宝生寺桜子!



「高橋さん私やっぱり帰ります今すぐ帰りますバット返却します」


「えっ?どうしたの?あと九回ホームラン出してくるんじゃなかったの?」


「なんだか急に体調が悪くなってきましたのでまた来週にします」


「インフルもかからないんじゃ……?」


「祖父が!祖父が心臓発作で倒れている気配を受信したので帰ります!」



 いいから早くバット受け取って!

 早くしないと春原くんが来ちゃう!



「そういうことなら、とりあえずさっきの分のホームラン賞持ってく?」


「ああ〜犬!柴犬ください!」


「桜田ちゃんは犬派か。裏から持ってくるからちょっと待ってて」



 バスケットにみっちり詰まったぬいぐるみはまさかのサンプル。

 私からバットを受け取った高橋さんはカウンターの内にある扉の向こうに行くと、柴犬の絵が描かれた箱を持ってきた。早口でお礼を言いながら受け取ってカバンに突っ込む。



「じゃあ、また来週にでも来ま──」


「あっ!いた!」


「オイよっちゃーん、さっき百二十キロでホームラン打ってた姉ちゃん、まだいたぞ!」


「マジか!すいませーん、どうやったらあんなに速い球打てるようになるか教えてくださーい!」



 うおああああああああああさっきの野球少年達ぃいいい!!!!!



「いや、えっと、ごめんね、私ちょっと急用があってもう帰らないと……」



 とんでもないところに伏兵達がいやがった。

 そして群がってきた坊主頭の野球少年達から逃げようとじりじり後退した時、トンと、背中になにかがぶつかった。



「っと、すみません」



 あ、ああ、このお声は……。

 今度ばかりは振り返れない。わざわざ見なくたって、ぶつかった女の肩を支える彼氏力の高いジェントルマンが誰かなんて簡単に分かる。

 そんな硬直する私に気づかず、高橋さんは私のすぐ後ろにいる人を見て、笑った。



「おお、駿!お前も来たのか!」



 おっ?混乱のあまり幻聴かな?

 今、駿って呼んでないよね?バッティングセンターの店主が、お客さんをそんな親しげに呼ぶわけないよね?



「ちょうどいいところに来たな。その子、前にお前が気にしてた桜田ちゃんだぞ。お嬢様っぽい見た目のホームラン量産女子」


「え、マジで?」



 弾むような声が聞こえたと思ったら、ひょいと顔を覗き込まれた。

 ちょ、おま、軽率に身を屈めて硬直する女の顔を覗き込むとか。そういうところだぞ、ホント。無邪気かよ。可愛い。好き。顔がいい。推せる。

 なんて、いまだかつてないほどの至近距離でご尊顔を拝ませて頂けると有り難さに現実逃避をしてみたけれど、春原くんの顔はじわじわと驚愕の色に染まり、見開かれた目には私の顔がしっかりと映っていた。



「……宝生寺?」



 わぁ~い、推しに顔認知だけじゃなくて名前まで認知されてる~~やったぁ~~~~。


 …………ああ、やっぱり無理だ。これはちょっとポジティブになりきれない。

 控えめに言っても、今すぐ道路に飛び出してトラックにはねられてマンチカンに転生したい。


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