17-2.考えていること



 話したいことってなんだろう、と考えながら、古典の授業なんかそっちのけで数学のノートを写す作業をする。

 最初は、次の休み時間には済むことだからあまり気にしないようにしようと思ったけれど、目の前に広がる自分のものではない文字に、どうしてもなんだろうと考えてしまう。


 私と雪城くんの定番のやり取りといえば、秋人と千夏ちゃんの関係についての「これでいいの?」からの「はい」だ。

 でもそれは、いつか私が二人の邪魔をするんじゃないかと雪城くんが勝手に勘違いしたが故のやり取りであって、昨日の昼休みに解決したばかり。雪城くんだって「思い違いがあるのに気づいた」と言っていたんだから、そこは解決している。

 話したいこととは、それではないだろう。



「ん?」



 どこかにヒントはないかと昨日の会話を思い出して、ふと『違い』という単語が頭に引っ掛かった。

 思わず顔を上げて、少し離れた席に座る背中を見る。


 昨日の屋上での会話。

 彼は最初は『思い違い』と言っていたけれど、その『思い違い』を正すために確認すると言っていくつか質問した後に、こう言わなかっただろうか。

 『計算違い』をしていたのが分かった、と。



 『思い違い』と『計算違い』。似たような字面だけど、意味は違うはず。

 私は教科書中の古語を調べるために用意していた電子辞書を操作し、その二つの単語の検索した。

 『思い違い』とは、勘違いとほぼ同じ意味で、事実や意味を取り違えること。間違っていることを事実だと思い込むことと表示された。

 次いで『計算違い』は単語として登録はされていなかったので、計算で検索し直す。すると計算とは数値を求めることの他に、事前に結果を予測することと表示された。近い言葉として、打算や逆算とある。

 つまり『計算違い』とは、事前に予測していたこととは違う結果が出たという意味になる。


 最初は『思い違い』と言ったのに、なぜ私に質問をしてからは『計算違い』と言ったのだろうか。

 これではまるで雪城くんは何かを計画していて、でも私の言った質問の答えによってその計画が失敗しているのが分かったと言ったように思える。

 計画とは何?

 どういう結果を予測していた?

 そこに私の答えがどう関わっている?

 それとも、単語の一つの違いに私が勝手に深読みをしているだけで、本人に他意はないのか?



「――……さま、あの、桜子様?」



 躊躇いがちにかけられる声に、はっとした。

 また顔を上げると、南原さんと棟方さんが困ったような顔をしている。そんな二人を見て初めて、授業が終わっていることに気がついた。



「次は化学の授業で、視聴覚室でDVDを見るそうです」


「まだ気分が優れないのであれば、保健室でお休みになられたほうが……」



 し、しまった。考えても考えても答えが分からないことを延々と考えていたせいで、完全に周りが見えなくなっていた。

 しかし手元を見ると、数学のノートは写し終え、古典のノートにもきちんと板書が書き写してあった。無意識に手だけは動かしていたらしい。



「いいえ、大丈夫。少し考え事をしていただけだから」



 ゆるりと首を振って微笑めば、二人は分かりやすくホッと表情を和らげた。

 バラの件は本当に気にしていないし、いっそ『違い』の違いについて考えている間は完全に忘れていたぐらいだ。



「あら、そちらは雪城様のノートですか?」


「ええ。一時間目は欠席してしまったから、写させてもらっていたの」


「まあっ!」



 二人の目が、雪城くんのノートに釘付けになる。

 つい好奇心で「触っとく?」という意味を込めてスッと近づける。すると二人は「え、うそ、やだ」「どうする?触っとく?触っとく?」と言いたげな目をして、面白いぐらい狼狽えた。

 ともあれ授業が終わったのなら、さっきの話の続きをすることになる。

 さっさとお礼とお詫びを言ってバラの件は終わりにしたいし、向こうが何を話したいのかも気になる。それに『違い』の違いについても、モヤモヤするから聞いておきたい。

 私は自分の数学のノートと、古典の教科書類を机の中に入れながら教室内を見回した。



「あれ……?」



 いない。

 雪城くんの姿が、教室内のどこにもなかった。



「ゆ、優奈さん、写真!写真撮って!」


「ええ!撮るわよ……はい、チーズ。次、私も!」


「もちろんよ!ほら早くスマホ貸して!」



 雪城くんのノートに震える人差し指でそっと触れ、写真を取り合う南原さんと棟方さんのやり取りをBGMにしながら廊下の方も見る。

 ファンの女子生徒が集まっていないからなんとなく察していたけど、そこにも雪城くんはいなかった。



「ねぇ二人共。雪城くんがどこへ行ったかご存じ?」


「雪城様ですか?授業が終わってすぐに、教室を出ていかれましたわ」


「一組の方へ行かれましたので、壱之宮様のもとへ向かわれたのかと」


「そう、一組へ……」



 後でと言っておきながら消えるとは何事か。

 一組なら璃美もいるから、心配して保健室に連れていってくれたお礼を改めて言うついでに行ってみようかな……。



「あっ、お二人とも教室にはいらっしゃらないようですわ」



 唐突に、南原さんがスマホ画面を見ながらそう言った。



「円香さんの報告によると、雪城様が壱之宮様のもとへ向かわれたのは確かですが、その後揃ってどこかへ向かわれたそうですわ」


「北園さんの……報告……?」



 嫌な予感がして恐る恐る問うと、南原さんはスマホの画面を見せてくれた。

 表示されているのはメッセージアプリを使った、北園さんとのやり取り。その肝心の内容は、雪城くんが秋人のいる一組の教室へ向かったところから始まり、二人で教室を出ていくまでの実況だった。



「茜さんの報告によると、お二人が本館に入られたところまでは追えたそうですが、残念ながら見失ってしまったそうです……」


「傘崎さんの……報告……?」



 またも嫌な予感がして恐る恐る問うと、棟方さんがスマホの画面を見せてくれた。表示されているのがメッセージアプリというのは南原さんと同じだけど、こっちのやり取りの相手は傘崎さん。

 秋人と雪城くんがどこかへ行くのを追ったはいいけど見失い、今は本館中を探しているが見つからないという旨の文章が届いていた。


 なんで四人組が欠けているのかと思ってはいたけど、どうやら北園さんと傘崎さんは、学園の王様と王子様のストーキングに勤しんでいたらしい。怖いの一言に尽きる。

 そしてストーカーコンビの報告を当たり前のように受け入れている、南原さんと棟方さんも怖い。

 これが成瑛の常識なの?壱之宮ファンクラブと雪城ファンクラブでは当たり前のことなの?同じ内部生女子であるにもかかわらず、ドン引きしている私の方がおかしいの?



「と、とりあえず雪城くんは秋人とどこかへ行ったのね。教えてくれてありがとう。ノートを返すのはまた後でにするわ」



 まさか学園内にファンクラブだけではなくストーカーまでいるとは思わなかった。たかがノート一冊とは言えど、机の上に無造作に置いておいたら盗難にでもあいそうな雰囲気だ。

 直接手渡した方がいいだろうと判断した私は、雪城くんのノートを自分の机の中にそっと入れた。



「では視聴覚室へ参りましょう」


「傘崎さんと北園さんを待たなくていいの?」


「二人なら教科書を持って行ったので、視聴覚室に直接来るはずですわ」


「そ、そう……」



 つまり最初から授業時間ギリギリまでストーカーするつもりだったのか。

 用意のいいことで……。



「そういうことなら、移動しましょうか」



 私が勝手に次の休み時間で済むと思っていただけで、「後で」が具体的にいつとは言われていない。それに本館は職員室とかもあるから、なにか急ぎの用事があったのかもしれない。

 話があるというなら向こうから話しかけてくるだろうから、私はわざわざ探しには行かず、南原さんと棟方さんと一緒に視聴覚室へ向かった。


 結局、雪城くんが視聴覚室に来たのはチャイムが鳴るのとほぼ同時だった。

 その後に少し遅れ駆け込んできたストーカーコンビの報告によると、秋人と本館へ行った時は手ぶらだったから、いずれ教科書と筆記用具を持ちに戻るはずだと思い三組の教室で待っていたそうだ。

 しかしすれ違いになったらしく、二人は休む時間中に発見できなかったと悔しがる一方で「さすが雪城様。神出鬼没だわ」「何をお考えになっているか分からないわ。でもそんなところも素敵!」と化学が何を学ぶ学問なのかを解説するDVDそっちのけで楽しそうに言う。



「何を考えているか分からない……。確かにその通りよね」


「桜子様でもそのようにお感じに?」


「もちろん。彼の考えていることなんて、一度も分かったことはないわ」



 傘崎さんの言葉に、私は当然だと言わんばかりに力強く頷いた。


 本当に何を考えているか分からない。

 なぜこれまでしつこいぐらいに、秋人と千夏ちゃんの関係について確認してきたのか。

 なぜ自動販売機ドンをするほどガチギレしていたのに、私が怒っただの嫌な思いをさせただのを勘違いをしたのか。

 そしてなぜ『思い違い』と『計算違い』という言葉の使い分けをしたのか。

 もしもその使い分けに意味があったとして、何を計画していたのか。

 あれも分からなければ、これも分からない。分からないことばかりだ。


 前から感じ取っていたことだけど、私が分からないことばかりなのは、雪城くんが私に理解されようとしていなからだろう。

 唯一分かっているのは、踏み込ませない一線があるということだけ。私の疑問の答えはその一線の向こう側にあるから、永遠に解決しない。



「小賢しい……いえ、卑怯ね」



 これまで私は少女漫画の宝生寺桜子と同じになりたくないから、腹を探られるだけで探りはしなかった。探り合いはしなかった。

 でも向こうは手の内を明かさないのに、こっちの腹だけ探るなんて卑怯ではないだろうか。


 あ、なんだか腹が立ってきた。

 昨日は怒ってないって言ったけど、色々考えたらすごく腹が立ってきた。

 こっちは分からないことばかりなのに、一方的に探られて何かを納得されるなんて理不尽。フェアじゃない。

 それに今日のバラの件だって、誕生日を理由に副委員長を押し付けられた情報が広まったのが原因の一つだ。

 クラス委員決めの時に雪城くんが「大丈夫だと思うよ?」と余計な一言を吐いたせいで、私は逃げられなくなった。あの一言がなければ副委員長にはならず、誕生日情報も広まらず、バラの花束を置かれることもなかったと言っても過言じゃない。

 めちゃくちゃ腹が立つ。八つ当たりな感じがしなくもないけれど、そういうことにしておく!


 …………よしっ、決めた!


 宝生寺桜子、十七歳。

 数多くの疑問を解決させるべく、雪城透也の腹を探ってやろうと思います!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る