17-1.隠していたわけではありません



 朝っぱらから百本のバラというパンチの効いた贈り物をされた私は、周囲の強いすすめで保健室へ行き、朝のホームルームと一時間目の授業は欠席した。

 一時間目は大嫌いな数学だったので、サボれてちょっとラッキー。


 そしてどうやらあの時あの場にいた人達の絶叫の影響で、教室内での出来事はあっという間に高等部全体に駆け巡ったらしい。

 保健室にいる私のもとに学年主任と教頭先生が青ざめた顔でやってきて、「敷地中の防犯カメラを確認して、花束を置いた犯人を探したら相応の処罰を下すので、どうぞ穏便に」と言われた。人選から察するに学園側は、この件で天下の宝生寺家令嬢が気分を害されたとして騒ぎ立てるとでも思ったようだ。

 宝生寺家の影響力を考えれば不安に思うのも納得できるけど、正直に言って私にそんな気はまったくないので安心してほしい。



「犯人探しは止してください。贈り主に悪意はないでしょうし……なにより、何度も話を蒸し返されていつまでも忘れられない方が苦痛ですので」



 私はお嬢様らしく頬に手を当て、憂いのため息をつく。すると先生方は慌てて「ごもっともです」と頷いて保健室を出ていった。

 おかしい。生徒と教師の上下関係が完全に逆転している。この学園の暴君は秋人のはずなんだけなぁ……。





 そんなこんなで少しだけ休んだ私は、二時間目の授業に出席するために教室に戻ることにした。

 事情を知った養護教諭はまだ休んでもいいと言ってくれたけど、実は私は心身ともにピンピンしているのだ。

 確かに花束には驚いたけれど、恐怖はすぐに消えて、この世にバラを百本贈る人って実在するんだな、いくらしたんだろうと名も知れぬ贈り主に感心してしまった。かつて幼女にハアハアするタイプの誘拐犯を目潰しと右ストレートで撃退したことのある私にとって、机に花を置かれたぐらいどうということはない。


 なので私は、温かいお茶を淹れてくれた若くて美人な養護教諭にお礼を言って保健室を出…………ようと思ったら、保健室の戸ががらりと勢いよく開いた。

 驚いて伸ばしかけた手を引っ込め、開けた相手を確認する。



「な、なんだぁ、今日は秋人か……。驚かさないでちょうだい」


「は?今日は?」


「こっちの話よ。気にしないで」



 昨日あなたの親友に、これと似たようなことをやられたんですよ。

 とは言えど保健室の引き戸と屋上の開き戸、それもかなり勢いのついた外開きでは、圧倒的に昨日の方がタチが悪い。うっかり打つかっていたらどうなっていたことやら。



「思ったより大丈夫そうじゃねぇか」


「ああ、今朝の話を聞いたのね。平気よ。私がこういうことに耐性があるのは知ってるでしょう?」


「まあな。平気なら戻るぞ」


「え?」


「あらお迎え?また体調が悪くなるようだったら連れてきてあげてね」



 養護教諭の言葉に、秋人は会釈と頷きをまぜたように頭を上下させてから保健室に背を向けた。

 呆気に取られてその背中を見送ろうとすれば、秋人は立ち止まり、どうした?と言いたげな顔で振り返る。


 ……うーん、昔から気まぐれにこういうことをするから、暴君だろうとプライドエベレスト男だろうと嫌いになれないんだよなぁ。

 本来の宝生寺桜子にも、こういうことをしていたんだろうか。だったら初恋を拗らせても仕方がない。まったく罪な男だこと。

 まあ、私は嫌いになれないだけで惚れるわけではないけれど。


 私は改めて養護教諭にお礼を言ってから保健室を出て、秋人に歩み寄った。



「ありがとう」


「別に」



 お互い主語もなく会話とは言えないそれを合図に、歩き出す。



「バラ百本も贈る奴って実在したんだな」


「ふっ、やっぱりそう思うわよね。ああいう物って、いくらぐらいするのかしら」


「高くても五万ぐらいだってよ」


「まさか調べたの?」


「俺じゃねぇよ。クラスの奴が調べたのがたまたま聞こえた」



 保健室のある棟は静かだけど、渡り廊下を通って各学年の教室が棟に入ると賑やかな話し声が聞こえてくる。

 盗み聞くと、宝生寺様やバラ、保健室と言った単語が聞こえた。覚悟はしていたけど、今日一日の話題の中心は私になってしまいそうだ。

 しかし面白いもので、保健室にいるはずの私が秋人と歩いているのを見た瞬間、誰も彼もが口をつぐむ。



「鬼の居ぬ間に、というやつかしら」


「……俺は鬼はお前じゃなくて透也だと思うけどな」


「雪城くんの通り名は学園の王子様でしょう」



 雅が丘女学院ではアルブレヒトと呼ばれていることを思い出してしまい、つい笑う。

 そういえば花梨とゆりちゃん、高宮さん達は三角関係の噂を消すために動いてくれたんだろうか。今日の夜にでも花梨に電話して聞いてみようかな。



「鬼でも王子でもいいけど、お前、あとで透也に一言いっとけ」


「どうして?」


「例のバラ、誰も触ろうとしなかったのを透也が捨てに行ったらしい。……焼却炉に」


「燃やしたの?まさか五万を焼却炉で燃やしたというの??」


「焚き付けるからそういうことになるんだろ」


「いや私、焼却炉の場所なんて知らないわよ」



 それ以前に、私は成瑛に焼却炉があるなんて初耳だし、当然マッチやライターだって持ってない。

 ずっと保健室にいたというアリバイもあるんだから、焼却炉でお焚き上げすることはできない。



「あれに触れるなんて鬼のようなメンタルね」


「……なんでもいいから声かけとけ」


「そうね。私もどう処理しようか悩んでいたから、お礼は言っておくわ」



 焼却炉があると分かっていたら、化学室からマッチを拝借して自分で燃やしに行ったのに、なんだか面倒をかけてしまったようだ。昨日までさんざん避けたともあって気まずいけれど、そういうことならお礼と謝罪は伝えるべきだろう。


 休み時間中で廊下に人は多いけど、秋人と一緒のせいでズザザッと逃げるように避けられるので歩きはスムーズ。誰かに呼び止められることもなく、三組の教室まで帰ってくることができた。

 しかしその入り口に、たった今話していた王子改め鬼と一緒に、この場にいるはずのない人の姿があった。



「遥先輩?」


「あっ、桜子様!朝から大変だったそうね。大丈夫?」



 駆け寄ってきてくれた遥先輩は、チェックするように私の髪や肩をぺたぺたと触る。



「登校したら私のクラスの子が、桜子様がバラの花束は持ったストーカーに跪いてプロポーズされたショックで倒れて保健室に運ばれたって言っていて。私、心配で」



 うっわ、すごい尾ひれが付いてる。



「ご心配お掛けしてしまい申し訳ありません。ですが花束が机に置かれていただけで、保健室にも自分の足で行って帰ってこれていますので、どうか噂の訂正を……」


「そうみたいね。ちょうど今、話が誇張されていると雪城様に教えていただいたわ。もう休んでいなくて大丈夫なの?」


「はい。この通りとっても元気です」


「ねえ桜子ちゃん、俺もいるんだけど見えてる?」


「おはようございます、世良先輩」


「はい、おはよう」



 どうして二年の教室にいるのかを聞けば、遥先輩と世良先輩はとんでもない変化をとげた噂を聞いて、心配してわざわざ来てくれていたそうだ。優しさが胸に染みる。



「もともと桜子ちゃんに用があったんだけど、話を聞いてちょっと気になってね。とりあえず元気そうでよかったよ」


「私にご用ですか?」


「昨日、将臣が不躾に……ええっと、その、いろいろ聞いたでしょう?そのことでお詫びがしたくて」



 そういう遥先輩の視線は、私から逸れる。そっとその視線の先を確認すると、秋人と雪城くんを見ていた。

 ああ、なるほどね。昨日の昼休みに話したお見合いの件について言いたいだけど、二人がいるから言葉を濁したのか。

 せっかく気を遣ってもらっているところ申し訳ないけれど、二人共すでに聞いて知っている。その事を遥先輩に伝えると、なぜか世良先輩が「へえ、知ってるんだ」と呟いて二人を見た。

 知ってるというか、私が二人にも聞こえると分かっててしゃべったということは黙っておこう。



「もともとあの話は、隠していたわけではありませんので、そんなにお気になさらないでください」


「そうは言っても、むやみに聞いていいことではなかったもの。あの時もっときちんと将臣を止めるべきだったわ。言わせてしまってごめんなさい」


「それで昨日、誕生日を理由にクラス委員押し付けられたって言っていたから、ついでにお詫びになればと思って。誕生日プレゼント兼お詫びの品ってことで、俺と遥からだよ」



 どうぞと差し出されてしまえば、どうもと受け取ってしまうのが人の性であるわけで。世良先輩から自分の手に渡ったシックな紺の紙袋を見て、ぐるりと思考が巡った。

 紙袋の口はシールで止められていて、隙間から見える中身は包みが二つ。包装紙はどちらも紙袋と同じ紺色。

 そこから察するに、二人は昨日の放課後に一緒に買い物に行って、同じお店で一緒に会計をして一緒にラッピングを頼んだのだろう。それすなわちデートである。

 後輩の誕生日プレゼントを買うという大義名分のもとで、二人は放課後デートを楽しんだのだ。



「なんだか、かえって気を遣わせてしまって申し訳ありません。ですがありがとうございます。とっても嬉しいです」



 ええ、嬉しいですとも。私ごときの誕生日が、お二人の幸せな時間をつくるきっかけになって、本当に嬉しいですよ。

 家に帰って包みを開くのが楽しみだ。



「それにしても、まさかせっかくのお誕生日にあんな目にあうなんて、災難だったわね。いったい誰がどうやってバラの花束なんて持ち込んだのかしら」



 なんだか不気味だわ、と遥先輩はかすかに顔を歪めた。

 ああ、ごめんなさい。私ごときの誕生日が、麗しの遥先輩のご尊顔に陰りをもたらしてしまうなんて、本当に申し訳ない。

 するとあわあわする私をよその、世良先輩はあっけらかんとした態度で「もう大丈夫じゃない?」と言った。



「たぶんこんなことになったのは、ガードが緩んだ隙をつかれただけだろうから。でもこの様子じゃあ、もう無理だって置いた奴も学んだと思うよ。ね、桜子ちゃん?」


「はあ……」



 にっこりと楽しそうな笑みで言われても、よく分からなくてつい生返事になってしまう。

 そういえば昨日、世良先輩は普段私のガードが堅いと言っていたな。それが緩んだからバラの花束が置かれたということは、裏を返せば置いても大丈夫だと判断されたということだ。

 普通あんなものを差出人名もなく置かれたら、誰だって気持ちが悪いと思って受け取らない。それが私なら受け取ると思った。


 ……えっ、もしかして警戒心ゼロのアホだと思われたってこと?



「言われてみれば、少し気が緩んでいたかもしれません」



 私にとって高校二年生は、少女漫画の第二部のスタートであり、今後の運命を決める重要な期間だ。

 でも春休み中に秋人と千夏ちゃんの初デートが漫画のストーリーと変わったが無事に終わり、昨日なんか雪城くんからの疑いが晴れた喜びで放課後はそりゃあもう上機嫌だった。第二部のストーリーとも設定とも違う展開になって、気はゆっるゆるだった。

 その緩んだ空気が、アホだと思われ今朝のバラに繋がったのだろう。



「油断大敵でしたね。以後気を付けます」



 疑いが晴れ、第二部のストーリーと違う展開が起きていると言っても、壱之宮家が動き出せば今度どうなるか分からない。

 名も知らぬバラの贈り主のおかげで目が覚めた。アホだと思ったことは許さないけど、これに関しては感謝する。

 私の決意を聞いた遥先輩は「自衛は大事よ」と強く頷いた。



「顔が見れて安心したわ。それじゃあそろそろ授業の時間になるから、私達はもう行くわね」


「そうだな。これ以上は噛みつかれそうだ」


「将臣」


「はいはい」



 遥先輩は世良先輩の腕を掴み、引きずりながら去っていた。

 今度、プレゼントのお礼と心配してくれたお礼として何かお返ししなくては。一応あの二人は幼馴染み以上恋人未満の関係だから、お揃いの品とかはマズいかなぁ。

 もういっそ付き合っちゃえばいいのに。あれで熟年夫婦の雰囲気なのに付き合ってないって本当に不思議だ。



「宝生寺さん」



 遥先輩と世良先輩の背中が見えなくなった頃、上から声が降ってきた。



「体調はもう大丈夫なの?」


「はい。保健室へは、瑠美と璃美に強制的に連れていかれただけでしたから」



 最初から元気だということを伝えると、さっきまでうんともすんとも言わなかった雪城くんは「そっか」とだけ言う。



「数学のノート貸そうか?」


「え、ああ、そうですね、貸していただけるとありがたいです」


「じゃあ今持ってくるよ」



 見慣れたアルカイックスマイル。

 ノートを持ちに自分の席へ向かうのを横目で見ながら、私は秋人に声をかけた。



「ねえ、秋人」


「なんだよ」


「もしかして雪城くん、機嫌悪い?」


「さあ?とりあえず後で礼でもなんでも言っとけ」



 ちょうど予鈴が鳴り、秋人は面倒くさいと言いたげな顔で自分のクラスへと戻っていく。それをなんとなく見届けてから教室に入れば、私の席にあったプレゼントの山は消え、代わりに教室の後ろにある棚に見慣れない段ボール箱があった。

 駆け寄ってきてくれた南原さん達の話によれば、私が諸星姉妹に連れられて保健室に行ったあと、残った真琴が職員室から貰った段ボール箱にプレゼントを放り込んだらしい。しかも南原さん達クラスメイトも手伝って、丁寧に差出人名がある物と無い物を分別してくれたそうだ。

 その間とうの本人は、数学サボれてラッキーとか思って、のんきにお茶を飲んでいたとは口が裂けても言えない。


 花束については、ほぼ秋人が言っていた通りだった。

 プレゼントは片付けたものの、教室内に恐怖をもたらした百本のバラを誰も触ることができずにいたところ、雪城くんが登校。周囲から事情を聞いた彼は少し考えてから、「これだけは処分しよう」と言って花束をどこかへ持っていったらしい。

 そうしてプレゼントのなかで唯一、あの花束は消失……いや、焼失した。



「不謹慎ながら、バラの花束をお持ちになる雪城様はそれはそれは絵になるお姿でしたわぁ……」



 四人組の一人、傘崎さんはうっとりとした顔でそう言った。近くにいた女の子達は全員うんうんと頷くから、かなりインパクトのある光景だったのだろう。

 私も雪城くんにバラは似合うと思う。なにしろあの人、少女漫画の初登場シーンで背景にバラが描かれていた男だもん。似合うどころか、しっくりくるだろう。


 何はともあれ、誰も触れなかった異物を処理してくれたお礼と、面倒をかけたお詫びをするべきだ。

 私は女の子達にお礼とお詫びを言ってから、今回の功労者のもとへと向かう。まさか昨日まで散々避けた相手に自分から話しかけることになるとは……。

 しかしそれまでにあちこちで長話をしていたせいで私が「あの」と声をかけたと同時に、先生が来て着席を促されてしまった。



「……僕も少し話したいことがあるから、また後でにしよう」



 数学のノートを渡されながらそう言われてしまえば、大人しく席に座るしかなかった。


 話したいことってなんだろう……?

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