16.想像もしていなかった



 四月十三日金曜日。今日は私、宝生寺桜子の十七歳の誕生日だ。

 十七歳は、運命の歳。少女漫画の宝生寺桜子が、幼馴染みに執着することで破滅する歳。トラックにはねられて重傷を負うかもしれない十七歳に、ついに私はなってしまった。

 しかも十三日の金曜日。海外では不吉な日とされ、ホッケーマスクと鉈を装備した殺人鬼が現れる日だ。人の恋路の邪魔をして破滅する女の誕生日がそこと重なるなんて不穏すぎる。



 ――――――なーんてねっ!

 ちょっと前までの私ならそんな感じに無駄に重々しく考えて朝っぱらシリアスムードになっていただろうけど、それは昨日で終わった。

 なにせ、ついに昨日、私の疑いが晴れた。悪役令嬢・宝生寺桜子の設定の一つ『影で雪城透也と冷戦状態』が消失したのである。


 もともと私は秋人と千夏ちゃんの破局なんて目論んでいないから、雪城くんが勝手に私を疑って、勝手に腹を探ってきていただけだ。言うなれば誤解。私は無実だった。

 それがついに雪城くんに伝わり、私が本来の宝生寺桜子からさらに遠ざかったのだからシリアスなんてやってられるか。世界的アニメーション映画のプリンセス達のように、歌いながら両手を広げてくるくる回り、森の動物と戯れたいぐらいにご機嫌だ。


 壱之宮家に千夏ちゃんの存在がバレない限りない、少女漫画の第二部のストーリーは始まらない。始まらない限り、私は平和な日常を送ることができる。



「フッ、感動のあまり朝日が目に染みるわ……」


『おはようございます桜子さん。ドライアイですか?』


「起き抜けに乾くってどんな眼球よ。ていうかミーティス、あなたアップデートしたらめちゃめちゃしゃべるようになったわね」


『はい。新機能も十三ほど追加していただきました』



 私が京都に行っている間にメンテナンスに出されていたため、ますますハイスペックになったミーティス。所有者の情報として知らない間に私の誕生日も登録してあったらしく、私が制服に着替える間に「ハッピバースデートゥユー」と歌ってくれた。

 まさかAIに誕生日を祝われる日がくるとは……。

 そのあとは両親やお手伝いさん達に「おめでとう」の言葉をもらって、いつも通り車で学校へ。疑いが晴れたわけだから徹底的に避ける作戦は終わったけれど、朝の挨拶大名行列の対策としてちょっと早めに登校して、ホームルームまでは図書室で過ごすのは継続することにした。

 するとそろそろ校内に人が増え始めるだろうなと思いながら小説を立ち読みしていると、背後から両脇にずぼっと腕を突っ込まれ抱き締められた。



「あらっ」



 これでお腹に回った腕が男のものだったら、例え顔見知りだろうと問答無用。即座に相手の脇腹に肘を叩き込み、振り返りざまにアッパーカット、そして締めの急所に膝蹴りのトリプルコンボをキメてだろう。

 しかしブレザーから覗く手は、私より少しだけ小さい。肩越しに後ろを確認すれば、見慣れたツインテール。



「どっちでしょーか!」



 楽しそうに笑って見上げてくるのは、間違いなく……



「おはよう、璃美」



 背後から不意打ちは卑怯じゃない?、と笑いかけると、璃美は悪びれるどころか瑠美と間違えられなかったことで嬉しそうに笑みを深めた。



「だってぇ、不意打ちだったらさくらも間違えるかな~って思って」


「そんなに間違えてほしいなら、 次から分かっても逆を答えるようにするわ」


「え~やだぁ~!」



 璃美は私の背中にくっついたまま、やだやだと駄々をこねる。

 私も、璃美が本気で間違えてほしいと思っていないことぐらい分かってる。でも璃美と瑠美だって、私が間違えないと分かっていて毎回問いかけてくる。

 ちょっとした定番のじゃれあいだ。



「瑠美もいるんでしょう?いつまで隠れてるの?」


「あれ、こっちもバレてたぁ?」



 背中にくっついているのと同じ顔が、本棚の影からひょっこり出てきた。

 そして嬉しそうに駆け寄ってきた瑠美に正面から抱きつかれたら、諸星サンドの完成。お腹と背中がぬくぬくだ。



「二人とも、今日は早いのね。いつもはもう少し遅いじゃない」


「だって最近さくらが早いから」


「早く行かないと一番におめでとうって言えないから」


「お誕生日おめでとう、さくらっ!」



 瑠美が言って、璃美が言って、最後に二人が声を揃えるのはいつもと同じ。でもその言葉は一年に一度、今日しか聞けない言葉だった。



「ありがとう、二人とも」


「ねぇねぇ一番?」


「先に誰かに言われちゃった?」


「家の人を除いたら、二人が一番よ。それに二人は0時ぴったりに連絡くれたじゃない」


「直接言いたかったのぉ!」


「プレゼントも一番に渡したかったのぉ!」



 そう言って二人はするりと私から離れると、揃って肩にかけていたカバンから小さめの紙袋を出して差し出してきた。どちらも同じ紅茶専門店のロゴがプリントされているけれど、持ち手のリボンは白と黒で色違いになっていた。

 お礼を言って受け取れば、瑠美の方は茶葉とデザインシュガー、璃美の方はティーグラスと紅茶クッキーだった。



「さくらが好きそうなのいっぱいあって、どれがいいか悩んでね」


「決まらないから二人で違うのにしちゃった」



 二人がお店であれが良いこれが良いと楽しそうに選ぶ姿が、簡単に脳裏に浮かぶ。大切な親友からの贈り物なら当然嬉しいけど、私の好みを知っていてくれたことが何より嬉しい。

 二人にはもう一度お礼を言って、私達は教室に向かうことにした。すると図書室を出てすぐ、真琴と鉢合わせした。



「なによ、今年も今日だけは早く来るのね」



 真琴は私の左右にいる双子を見て、呆れたように笑う。



「おはよう、真琴。二人は私に一番にお祝いしたくて来てくれたみたいなの」


「まこちゃん遅ーい!」


「璃美達の方が早かったねぇ」


「毎年よくやるわねぇ……。まぁとりあえず、お誕生日おめでとう桜子。ハイこれ」


「あっ、チョコレート!ありがとう」



 真琴に差し出されたのは、私が好きなチョコレート専門店の紙袋。

 これは家に帰ったら、瑠美のくれた紅茶を、璃美のくれたグラスに淹れて、真琴のくれたチョコレートを頂く流れで決まりだな。

 まるで打ち合わせでもしたような完璧さ。さすがは親友達だ、本当に私の好みをよく分かっている。


 そのあとは当然四人でしゃべりながら教室に向かう。

 ちょうど登校時間のピークだったせいで廊下に人は多いけれど、私が歩けば人混みが勝手に割れるので歩くペースは変わらない。しかも、入学したばかりで成瑛の空気に慣れていないはずの一年の外部生達も会釈をしながら端に避けるので、どうやら触らぬ紫瑛会に祟りなしがすでに浸透しているらしい。

 遠くから微かに聞こえる「あれが例の?」「あれが例の」という会話が何よりも証拠だ。


 ごきげんよう、例のスクールカースト二位の女です。噛みついたりしないから、そんなに怯えないでいただけると嬉しいわ。


 そんな感じで、二年に進級しようと変わらぬツラさを味わいながら二年の教室があるエリアにつくと、なにやら三組の教室の前が騒がしかった。何かを探すような素振りの女子生徒が集まっている。

 もともと秋人や雪城くんがいる教室周辺は、それぞれのファンが鑑賞会をしていて人が多いけれど、今日はそれとは少し違うように見えた。



「なにかしら?」



 三人と顔を見合わせながらも、とりあえず野次馬に加わろうと足を動かす。

 その時、野次馬の群れが動いた。



「あっ、いらっしゃったわ!」



 誰かの声に、視線がこちらへ向かう。

 はて?私の後ろに秋人か雪城くんでもいるんだろうか。しかし振り向いて確認しても、どちらの姿もない。



「桜子様っ!」



 え、私?!

 ぱたぱたと駆け寄ってきたのは、始業式の日に声をかけてくれた四人組を中心とした同じクラスの内部生女子。しかしその顔ぶれをよく見ると違うクラスの、去年同じクラスだった子や親しいとまでは言えないが何度か話したことのある子もいる。

 普段遠巻きにされることはあっても取り囲まれることはない私は、訳がわからず瞬きを繰り返す。



「本日四月十三日は桜子様のお誕生日と伺いまして、わたくし達、僭越ながらお祝いしたくて!」



 まるで代表するかのような四人組の一人である南原さんの言葉に、周りの子達もうんうんと頷く。そして口々に「おめでとうございます」と言って、それぞれ手にしていた可愛らしいラッピングが施してあるものを差し出してきた。


 ん?え?んん?

 誕生日……確かに私は今日が誕生日だけど、でも、これはいったいどういうこと?どうしてこれだけの子達が私の誕生日を知っていて、さらにプレゼント携えてお祝いしてくれているんだろう。

 すると理解が追いつかずぽかんとしている私の肩を、真琴が軽く叩いた。



「桜子、誕生日のせいでクラスの副委員長になったでしょ?その話……というか桜子の誕生日が今日って情報がちょっと広まってるのよ」



 こ、個人情報ダダ漏れぇ……。

 でも紫瑛会の人間が雑務の多いクラス委員なんてやるなんて、かなり珍しいことだから仕方がないのかもしれない。



「ええっと、じゃあ皆さんはそれを知ってわざわざ?」


「はい!」


「あの、ご迷惑でしたでしょうか……?」



 さっきまでニコニコ微笑んでいたのに、女子生徒達は急に申し訳なさそうに表情を曇らせた。

 うっ、背後に耳と尻尾をしょんぼりと下げる子犬の幻覚が見える。



「い、いいえ、迷惑だなんてとんでもないわ!ただ少し驚いてしまって。朝からこんなにたくさんの方にお祝いしてもらえるなんて、想像もしていなかったから」



 今までは家族や親戚、真琴や諸星姉妹のように親しくしている子達に祝われるだけで大満足で、こんなにたくさんのおめでとうの言葉をもらったことはない。想像もしていなかったことに驚いてしまっただけだ。

 誕生日をお祝いされて、悪い気分になるわけがない。むしろ嬉しくてだらしなくゆるんでしまう頬を誤魔化そうとしても、自然とふふっと笑いが漏れてしまうぐらいだった。

 お礼を言って差し出されたものを受け取れば、女子生徒達は笑顔を取り戻し、すぐにきゃっきゃきゃっきゃと小走りにそれぞれ自分の教室へと消えていった。

 教室前の賑わいがおさまり、代わりに私の手元に残ったのは大量のプレゼント。通り魔にでもあった気分だ。



「まさかクラス委員を押し付けられたら、誕生日を祝われるなんてね……」


「瑠美達はそんなの関係ないもん」


「去年もその前もおめでとうって言ってるもん」


「あんた達なにに張り合ってるのよ。一番に祝えたんならいいじゃない」



 ブスッと膨れっ面の双子に、真琴と顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。


 ここまでは良かった。

 ここまでは、たくさんの人にお祝いされる幸せな誕生日だった。

 双子をなだめながら、増えた荷物を早く置こうと教室の扉を開けて、自分の席を見るまでは。



「…………はあ?」



 自分の席の有り様を目にした瞬間、人前、しかもクラスメイトの前であるにも関わらず素が出た。

 見間違いかもしれない。うん、そうだ、見間違いだろう。

 そう思って扉をゆっくり閉め、もう一度開いて私の席であるはずの机を――――机の上にできあがっているプレゼントの山を、二度見した。



「また席替えをしたのかしら?」



 思わず扉の近くにいた男子に問いかければ、ぶんぶんと首を横に振られた。

 そうだよね。月曜に席替えしたばっかりだもんね、するわけないよね。現実逃避するにしても、もうちょっとマトモな逃げ方をするべきだったよね。

 可愛らしく包装された箱や袋に紛れて置かれた真っ赤なバラの花束の香りが、ここまで香ってくる。視覚だけではなく嗅覚までもが、現実を受け入れろと告げてくる。



「あの、わたくし達が登校した時にはすでにあのようになっていて……」


「きっと桜子様に直接お渡しするのはおこがましいと思った方々が置いていったのかと……」



 近くにいた四人組のうちの二人、棟方さんと北園さんが歯切れは悪いが教えてくれた。



「そ、そう、そうなの……」



 教室内や廊下にいる人々から固唾をのんで見守るといった視線を受けながら、私は恐る恐る教室に足を踏み入れ、誰も近づこうとしない席に近づく。

 そして、放置されたプレゼントに中でひときわ存在感を放つバラの花束の全容を見た瞬間、ひくりと喉が引きつった。足が自然と後退する。ふらりと傾いた体を、心配してついて来てくれていた真琴と諸星姉妹が慌てて支えてくれた。



「さくら!」


「桜子しっかり!」


「だ、大丈夫……ううん、大丈夫じゃないわ……だってこれ、これ……」



 このバラ、たぶん百本ある。


 私がそう震える唇で呟いた瞬間、周囲一帯が水を打った様に静まり返ったのち、一拍遅れて悲鳴が響き渡った。




 これが後に成瑛学園高等部で語り継がれこととなる『二年三組赤薔薇事件』である。

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