15-3.本音って、どこまでが?
「知らなかったよ。宝生寺さん、逃げ足速いんだね」
普段の私だったら、素早く血統書付きの美猫を三匹ほど被って「逃げ足?なんのことかしら。うふふっ」とか言えただろう。しかし今はその美猫達は手の届かない遠くへ逃げ出してしまい、手元にいるのは逃げ遅れたどんくさいマンチカンだけ。
掴まれた手首といつもの胡散臭いアルカイックスマイルを、あわあわと交互に見ることしかできなかった。
「まさかここまで徹底的に避けられるとは思わなかったよ」
「わ、私は別に避けてなんか……。気のせいでは?」
「そう?ま、宝生寺さんがそう言うなら、そういうことにしとこうか。とりあえずは」
「と、とりあえず……」
私の心のマンチカンが、ごめん寝ポーズで降伏を宣言した。
お前それでもこの宝生寺桜子の心の猫か。百獣の王ライオンと同じ猫科なら根性をみせなさいよ。この無力な短足愛玩動物め。
「えっと、それで……私に何か……?」
隙をついて逃げようにも手首を掴まれている限り不可能だ。せめてこれだけでもどうにかできないかと軽く手を引くけれど、残念ながらぴくりともしなかった。
相変わらずの綺麗な顔したゴリラっぷり。掴まれて痛くないのにここまでがっちり掴むって器用すぎて逆に怖い。いっそこの手を利用して背負い投げで華麗に一本取ってやろうか。
悔しさと居心地の悪さに奥歯を噛み締めていると、掴む手の力が弱まった。しかし離れることなく、雪城くんの指がするりと肌を滑り、今度は指先を握られる。
エスコートでもするように。私が手を引けば簡単に離れそうなぐらい、軽く。
「あ、の……雪城くん?」
「……少し、座って話そうか」
「えぇっ?!」
くいっと手を引かれて、さっきまで私がいたフェンスの方へと誘導される。
そう、私が千夏ちゃんと春原くんが微笑ましく話している様子を見ていた方へと。私が二人に見つかるのが嫌で離れた、その場所へと。
「ちょっ、ちょっと!ちょっと待ってくださいっ!」
下にいる二人、千夏ちゃんと春原くんからはギリギリ見えないであろう位置で慌てて足を止める。たぶん秋人も合流しているだろうけど、アイツはどうでもいいので数に入れない。
ちなみに引かれる手を引き離すことはできなかった。掴むのが手首から指先になっただけで、器用なゴリラはやっぱり器用なゴリラだった。痛くないのにびくともしやがらねぇ!!
「どうかした?」
「どうって、えっと、その」
「二人でいるの、秋人に見られたくない?」
「え?」
「それとも……」
私から視線を外し、雪城くんはフェンスの向こう側を見る。私よりもフェンスに近いうえに身長の高い彼には、下の様子が見えているのだろう。
この腹黒、さては分かってて連れていこうとしたな!
「ええ、そうですよ!だって嫌じゃありませんか。校内では二人で会うなと指示したくせに、自分は平然と人様の恋人と会話をしているような女、絶対に良いようには思われていません。それなのに今度は春原くんと一緒にいるのを秋人に告げ口じみたことをしたと知られてしまったら……。同じクラスなのにどんな顔で会えばいいのか……!」
前に春原くんが、私と千夏ちゃんは似ているから仲良くなれると言ってくれたけれど、やっぱり付き合いたての彼氏の近くをうろつく女は不愉快だろう。焼きもちを焼く千夏ちゃんもとっても可愛いだろうけど、それはそれ、これはこれ。
前世から見守ってきた千夏ちゃんとお友だちになれないどころか、嫌われるなんて私は耐えられない。硬度二のメンタルは爆裂四散する。
一部本音を隠しつつも「白状したんですから引っ張らないでくださいっ!」と断固拒否する。すると下にいる三人を見ていたであろう目が、いつの間にか私を見ていた。心なしか普段より見開かれているような……。
「な、なんですか?」
「……」
「無言はやめてください!」
「ああ、ごめん、ごめん。……うん、そうだよね。宝生寺さんはそういう子だよね」
「勝手に意味深に納得するのもやめていただいてよろしいですか?!」
なにやら満足げな微笑みにいい予感がしないのは、本来の私達はろくに会話もしないで冷戦を繰り広げるヒーローの親友と悪役令嬢だからだろうか。
あっ、二の腕がかゆくなってきた。絶対にまたじんましん出てる。近い内の病院でアレルギー検査してもらおうかな……。
「そういうことなら、見られないように反対側に座ろっか」
「手は離してくれないんですね」
「離したら逃げそうだからね」
「……逃げませんよ」
「僕の目を見てもう一回言ってくれたら信じてあげる」
くっ、逃げられない!
しかし手を引かれて反対側のフェンスに誘導され、清掃業者さんがきっちり掃除してくれているお陰で汚れていないコンクリートに座る頃には、あっけなく手は離れた。
おや、と思いながら当たり前のように横に座るその顔を見れば、満足げと言うよりは得意げなしたり顔。この野郎、やっぱり私が困ると分かってて全部わざとやってるな?!
なにより避けまくった負い目と、先日の自動販売機ドンの恐怖も思い出されて、今だかつてないレベルの居心地の悪さだ。
だいたい、この人なんで私が屋上にいるって知ってたんだろう。誰にも言ってない…………言ったわぁ~ついさっきこの人の親友に電話で教えたわぁ~。
私がカフェテリアを出る時も二人仲良く一緒に昼食をとっていたんだから、私との電話の最中も一緒にいた可能性が高い。あとで秋人に文句言ってやろう。
いや、でも知ったからといって屋上に来る理由にはならないのでは?
えっ、まさか私に用があった?なんで?話があったから?話って何?えっ、やだ何言われるの怖い。超逃げたい。
「怒ってる?」
そっぽを向いていろいろと考えていたら、そんな言葉とともに顔を覗きこまれた。
「……なぜ、そんな風に?」
「ここ何日かのことを考えると、そうとしか思えないからね。……土曜のこともあるし」
疑問形だったくせに、声のトーンは確信しているように聞こえる。でも残念ながらそこじゃないですね。
とは言えど、私が本来の人間関係を思い出し避けまくるようになったきっかけは、あの悪夢のような土曜日の自動販売機ドンなのは事実だ。あれがなければそこそこ信用されていると慢心して、同級生として普通に会話をしていただろう。
土曜というワードに自然と肩がぴくりと揺れ、さらに膨れ上がる居心地の悪さに視線を明後日の方へ向けた。
「やっぱり怒ってるよね」
「別に、怒ってなど……」
たしかにフランス美女と綾崎さんを蔑ろにしたことには、ちょっとだけ腹は立っていた。でも避けることにした理由は怒っているからではなく、突然のガチギレ自動販売機ドン怖かったからです。怯えているんですよ、私は!
心のマンチカンはごめん寝ポーズのままぷるぷる震えている。
「怒ってなくても、嫌な思いをさせたのは間違いないはずだ。ごめんね」
さっきまでの強引さはどこへやら。しおらしさすら感じる声に思わず隣を見て、そして後悔した。
初めて見る雪城くんのしょぼんとした顔に、懇親パーティーで兄の後ろに隠れる澪ちゃんの姿が重なって見えたのだ。
んぐぅ、目を覚ますんだ私!こいつは妖精のように愛らしい小一女児ではなく、自動販売機ドンをかます高二の野郎!同じ血が流れていようと染色体にYが含まれている時点で守備範囲外!絆されるものか!
そもそも私の異性の好みは、春原くんのような青空と炭酸水と白いシャツが似合う爽やかワンコ系男子。少女漫画的な表現なら明るいキラキラトーンが似合う人であり、登場するたびに背景にバラが描かれているような男ではない。
執念で妖精の幻覚を消し去り大輪のバラを思い描くと、自然と心がスン……と落ち着いた。心のマンチカンの震えも止まった。
「あの、雪城くん」
「うん」
「えっと、どうして雪城くんが私に謝るんですか?」
「…………え?」
「い、いえ、綾崎さんのお誘いを断るダシに使うなと私が言ったから、なんとなくそれかなぁ~とは思っていますよ?でもそれで雪城くんが私に謝罪する理由が分からなくて……」
自動販売機ドンするほどガチギレさせたのなら、これは私が謝って、さらに秋人と千夏ちゃんの邪魔をするつもりはないと改めて伝えるべきだろう。でも邪魔しませんアピールは今まで何度もしてきたのに無駄だったと分かって、じゃあもういいやと諦めて避けるようになった。
それがどうして雪城くんが謝ることになる?
綾崎さんとのことにイラついたのは、雅が丘に流れる三角関係の噂を払拭したい私の邪魔をするからであり、さらに私をダシにするのは綾崎さんとフランス美女さんに不誠実だからだ。噂のことは雪城くんは知らないのだから最初から謝罪なんか求めていない。謝る相手は私ではなく二人だろう。
なにより私は…………
「私は虫除けや防波堤に使われるのは慣れていますから、今さらあれしきのことで嫌な気持ちにはなりません。雪城くんも、私がパーティーなどで秋人の虫除けをやってあげているのご存知ですよね?」
むしろ秋人が肉食女子達に囲まれていても、彼女達に睨まれたくなくて見て見ぬふりをしている私に出動要請してきたのは、この男だ。
「他人の恋愛に巻き込まれるのは秋人でうんざりしていて、そのせいでちょっと八つ当たりみたいに本音を言ってしまいましたけど。でも、それでどうして雪城くんが謝るのか……」
話が噛み合わないというか、認識の違いがある気がするというか……。
「…………本音って、どこまでが?」
「えっ、全部ですよ?秋人達の邪魔をしたくないのも、雪城くんがどういう恋愛をしようと興味がないのも、他人の恋愛に巻き込まれるのにうんざりしているのも、全部本音です。もともと私は人様の恋路に横やりを入れる悪趣味な人間ではないので、どうぞ安心してください!」
そこからは無言だった。せっかく改めて秋人達の邪魔をしないアピールをしたのに、ヒュウッと吹いた風に校舎周辺の木々が揺れる音しか聞こえなかった。
あ、あれぇ~?なんだろう、この空気。私なにか間違えた?
いやいや、そんなバカな。私がこの数日避けまくったのは、綾崎さんのランチの誘いを断るダシに使われて怒ってるからだと勘違いしているようだから、その誤解を解いただけだ。なにも間違えていない……よね?
あまりにも応答がなくて不安になっていると、隣からため息が、それはそれは深く重いため息が聞こえた。
何事かと思ってそらしていた目を再び向けると、雪城くんは手で口を覆ってうつ向いて、まるでロダンの考える人みたいになっていた。
え、やだ怖い。地獄の門でも見つけたの?そこ通るためには全ての希望を捨てなきゃならないけど大丈夫?深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているんだよ?
早まらないで。希望を持って生きていこうよ。
「えっと、雪城くん?」
「……大丈夫。ちょっといろいろ思い違いがあるのに気付いただけだから……」
「思い違い?」
やっぱり何か認識の違いがあったらしい。でも私の言葉で、いったい何に気付いたんだろうか。
私は、虫除けや防波堤、断りたい誘いを断るダシに使われても気にしていない、秋人と千夏ちゃんの邪魔をするどころか人様の恋愛に興味がないと言った。それが雪城くんの誤解を解いた。つまり雪城くんは逆のことを思っていたというわけで……。
逆、逆と考えて、ハッとした。
それって、私が少女漫画の宝生寺桜子と同じで「そのうち秋人達を別れさせようとするかもしれない」という疑いが晴れたということなのでは?!
ついにやったぞ!長い戦いがついに終わった!
マンチカンを置き去りにしていた薄情な血統書付き美猫達が、『勝訴』だの『無罪確定』だのと書かれた紙を咥えて駆け戻ってくる光景が脳内に浮かんだ。
「……宝生寺さん」
「はい、なんでしょう」
帰ってきた猫をフル装備して考える人に応じる。
「前に僕が、お互いのことをよく知らないって言ったことは覚えてる?」
前も何も、土曜日にも言ってたことじゃないか。あれだけの恐怖を植え付けられれば、忘れたくても忘れられない。
私は黙って頷いた。
「たぶん今、僕が宝生寺さんのことを理解できていないせいで色々と勘違いが生まれてると思う。それでいくつか確認したいんだけど、いいかな?」
「ええ。私も誤解されたままでは嫌なので、どうぞなんでも聞いてください」
誤解を正し、長かった戦いが完全に終わるのであれば、いくらでもなんでも聞いてくれて構わない。
「秋人と朝倉さんの関係のことは、これでいいんだよね?」
「またその質問ですか!答えはいつもと同じです!」
「じゃあさっき世良先輩達と話してたこと……来年お見合いするって、本当?」
「本当ですよ。今はあくまで予定ですが、相手にあてがつけば会うことになるでしょうね」
「……それでいいの?」
「会うだけなら構いません。私は両親がお見合いで出会っての結婚なので、お見合いという出会い方に悪いイメージはありませんからね」
「…………もしも僕が誰かを好きだとしたら、秋人にしたみたいに話を聞いてたり、手を貸したりする?」
「雪城くんに私が必要とは思えませんけど……そうですねぇ、頼まれたら話ぐらいいくらでも聞きますし、手も貸しますよ」
秋人だろうと雪城くんだろうと、いっそ千夏ちゃんや春原くん、真琴や諸星姉妹だろうと、私は頼られたらいくらでも手を貸す。
事なかれ主義な私は面倒ごとには巻き込まれたくないけど、それでも長い付き合いの友人達や、親しくなくても応援したいと思っている人を突き放すことなんてできない。
というか、雪城くんってもうすでにフランス美女の婚約者だか恋人だかがいるんだから、秋人みたいにゴールインの手伝いなんて不要だ。
その質問にいったいなんの意味があるんだろう? もしもって言ってるし、なにかの例え?
「……なるほどね、だいたい分かったよ」
「もういいんですか?」
「うん。おかげで最初から計算違いをしていたのがよく分かったよ」
「そうですか。誤解が解けたようで良かったです」
考える人から復活して、にっこりと微笑むのなら納得できたのだろう。私も疑いが晴れて本当に良かったので、思わずにっこり。
その時、昼休み終了十分前を報せるチャイムが鳴り響いた。
「あっ」
「もうそんな時間だったのか……。戻ろっか」
「そうですね」
戻る教室は同じなんだから自然と一緒に行くことになる。でも疑いが晴れたのなら、もうわざわざ神経をすり減らして避ける必要はなくなったので特に気にも留めない。
立ち上がってスカートのしわを伸ばしてから、さっき近づいた時は危うく激突しそうになった扉に向かう。
「雪城くん。さっきは言いませんでしたが、あの勢いで扉を開けるのは危ないのでやめた方がいいですよ。あれに対しては少しだけ怒っています」
「あれは本当にごめん。ちょっと急いでたから」
「急いで?」
「もう一分遅かったら、また宝生寺さんを捕まえ損ねるところだったからね。すれ違いにならなくて良かったよ」
校舎内に入り、疑いが晴れた喜びで自然と軽快に階段を下りていた足が、ぴたりと止まる。おそるおそる振り返ると、扉を閉めて階段を下りてくるその人は微笑んでいた。
心の猫達がぶわっと全身の毛を逆立てる。意味ありげな笑みにいい予感がしないのは、やっぱり私が宝生寺桜子で、彼が雪城透也だろう。
「あそこまで露骨に避けられると、正直かなり傷つくから、もう二度とやらないでくれるかな?」
「避けてもなければ逃げてなんかもいません。気のせいです」
「うん。そういうことにしておくよ」
「とりあえずは?」
「とりあえずは。というか、後ろ向きに階段下りるのは危ないよ。ちゃんと前見て」
「また背後に立たれるのはちょっと……」
「……やっぱり土曜のこと怒ってる?」
「怒ってません」
怯えているんです。
「雪城くん」
「なに?」
「どうやら私、逃げ足が速いみたいです」
「そうだね。びっくりするほど速くて、捕まえるのに苦労したよ」
「そうですか、お褒めいただき光栄です。では失礼ッ!!」
「あっ!?」
深窓の令嬢である宝生寺桜子的に校舎内を走るわけにはいかない。しかし今は周囲に他の人の気配がない。それをいいことに私は素早く身を翻し、階段を自己最速のスピードで駆け下りた。
後ろから「言ったそばから」とか「認めた」とかなんとか聞こえたけど構うものか。そもそもこれは敗走ではない。戦略的撤退だ。
それでも行き先は同じ二年三組の教室で、逃げたところでいずれ追いつかれちゃうんだけどねぇ……。
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