15-2.繋ぎ止める努力をしなさい




 からん、と。遥先輩と世良先輩の手から落ちたカトラリーが床を転がる。



「あら大変。新しい物と交換していただかないと」



 給仕のスタッフを呼ぼうと片手を上げると、その手をガッと遥先輩に掴まれた。そしてそりゃあもう力強く、ぎゅっと握られる。

 遥先輩の手はスベスベしてるし、爪の形とってもきれい。指も細いしまさに白魚のようだ。

 でもなんで私、遥先輩に手を握られているんだろう。新しいカトラリー持ってきてもらわないと食事の続きが……。



「ちょっと桜子様、どういうこと?!」


「お見合いってどういうこと、桜子ちゃん?!」



 遥先輩だけでなく、世良先輩まで小声で詰め寄ってきた。



「え?どう、とは……?」


「いつ?!」


「誰と?!」



 うわぁ、息ぴったり。

 でもこの成瑛学園に初等部から通うレベルの家柄の人にとって、お見合いとか婚約者とかはごく普通のことなのに、どうしてこんなにも食いつき方がすごいんだろう?

 てっきりホテル王の娘の遥先輩も、政治家一族の世良先輩も、高三ならその手の話題は親からされているかと思っていたけど……。

 もしかして神田家と世良家は自由恋愛派なんだろうか。

 つまりそれは家の都合で二人が引き離される可能性はゼロということだ。心からお祝い申し上げます。結婚式にはぜひ呼んでください。



「十八歳の誕生日以降なので、ちょうど一年後の今頃ですね。相手は決まっていませんけど、その頃には始めると祖父から言われているんです」


「一年後ってすぐじゃない……学生でお見合いなんて……」


「さすがは宝生寺家……」



 前のめりになっていた先輩達は、またも息ぴったりに椅子の背に深く持たれる。そして遥先輩は私から手を離して両手で顔を覆い、世良先輩はこめかみを揉み始めた。

 あらら、自由恋愛派の二人に、お祖父様の決めた相手とお見合いを強制されるなんて話は刺激が強かったか。なんだか申し訳ない。

 申し訳ないので、今のうちにスタッフに新しいカトラリーをお願いして、二人が食事を続けられるようにしておく。ついでに遥先輩用にデザートと、世良先輩用に食後のコーヒーを注文しておこう。



「……桜子ちゃんはそれでいいわけ?」


「宝生寺の娘に生まれた以上、結婚は義務ですし、そこにはどうしても家の意見が反映されるでしょう。それに家が選んだ相手なら、悪い方ではないはずです。問題ありません」



 世良先輩はこめかみを揉む手を止めない。

 顔色悪いけど大丈夫ですか?先輩って頭痛持ちでしたっけ?



「えっと、宝生寺家の事情に、他人の私達が口を出すには筋違いなのは分かってるわ。分かっているんだけど……その……」



 顔を覆っていた手を外して、遥先輩はしどろもどろになりつつ私を見る。麗しいお顔が心なしか青ざめているように思えた。

 うん、ちょっと待とうか。私の死んだ恋愛観とお見合いの話題で、遥先輩が憂えるなどあってはならない。あってはならないんだけど、なぜそんなにも深刻そうな顔をされているのかがまったく分からない。

 自由恋愛……お見合い……深刻………あっ!



「あの、申し訳ありません。お二人共、なにか誤解をされていませんか?お見合いはしますが、会った相手と強制的に結婚させられるわけではありませんよ?」


「……」


「……」


「祖父が少々心配性なもので、『お前を生涯守り抜いてくれる男を見つけてやるからなー』と言っているだけであって、最終的な決定権は私にあります。なのでお見合いをしても、私がこの人は嫌だと言えばそこでお話は消えますよ?」


「そ、それを先に言ってよぉ~!」


「あ~マジで焦ったぁ~……どエラい闇を見たかと思った……」


「闇だなんてそんな……」



 二人はまたまた揃って大きなため息をつくと、私が頼んで用意しておいたカトラリーを持って食事を再開してくれた。

 どうやら二人は、私が政略結婚させられると勘違いしていたようだ。

 宝生寺家は、お祖父様とお祖母様が時代に反して恋愛結婚だったこともあり自由恋愛派だ。そうでなければ叔母であるゆりちゃんは四股されることなく、とうの昔に結婚している。

 私のお父様だって長男で跡取りだったから、宝生寺の嫁に相応しい家柄の人と出会うために手っ取り早くお見合いという方法をとっただけだ。そしてお母様と出会い、その後数年恋人期間を過ごして結婚している。

 私だけ政略結婚させられるわけがなく、だからこそ恋愛脳なお母様は私が幼馴染みである秋人と結ばれることに夢見ているのだ。


 ……まあ、このお見合いの話だって、この先私が少女漫画の宝生寺桜子のように交通事故にあって重傷を負えば、どうなるか分からないけど。


 良かった良かったと安心しきった顔の二人を見て、いい先輩を持ったなとしみじみ思った。

 そんな二人に誤解を招くような言い方をしてしまったことを謝れば、遥先輩は「こっちこそデリケートなことを話題にしてしまってごめんなさい」と世良先輩の頭をひっぱたく。しっかり者の妻とその尻に敷かれる夫のような姿に、私は特にコメントせず、どうとでも受け取れる微笑みでやり過ごした。

 そして二人が食事を終えるのを見計らって、私は運ばれてきたデザートとコーヒーを誤解を与えたお詫びとし、あとはお二人でごゆっくりと告げてカフェテリアを後にした。




 昼休みとあって少し賑やかな廊下を、誰かに呼び止められるどころかスッと道を譲られながら突き進む。

 目指すは屋上。人がいない所ならどこだって良かったけれど、ついでに外の空気を吸いたいから屋上でいいだろう。

 屋上の扉を開け、人がいないか屋上中を見て回り、最後に貯水タンクの影まで確認してようやく一息つく。

 そしてブレザーのポケットに入れていた物を……お見合いをすると言ってからブルブル震え続けていたスマートフォンを取り出して、画面に表示された相手の名前を見て心底嫌気がした。


 三十を越すメッセージアプリの通知は、すべて秋人からだ。

 渋々内容を確認すれば『どういうことだ』『聞いてねーぞ』『説明しろ』などなど、主語のない文句らしきものがズラズラと並んでいる。そして私がメッセージを確認したのを向こうも気づいたらしく、勝手に着信画面に切り替わり、マナーモード設定のスマートフォンがブルブル震えた。うっわ、めんどくさっ。

 とは言えど、ここで無視をすると私が出るまでストーカーでももっと遠慮するぞと言いたくなるような鬼電をされるし、最悪の場合帰りのホームルームが終わったと同時に三組の教室に乗り込んできそうだ。

 それはもっと面倒なので、仕方がなく、嫌々、渋々、義務感で応答ボタンをスライドさせてスマホを耳に当てた。



「どういうことだ」



 もしもし、ぐらい言えないのか。

 恐怖の電話のメリーさんですら「もしもし?私メリー」と丁寧に名乗ってくれるぞ。



「なんのことかしら?」


「誤魔化すな。さっきのことに決まってんだろ」


「ここ数日私はあなたと会話をしていないのだから、さっきも何もないわ」


「誤魔化すなって言ってんだろ。お前、さっき世良将臣達と話してただろ。見合いがどうのうって」


「他人の会話、それも食事中の会話を盗み聞きするなんてマナー違反じゃないかしら」



 まあ、こっちの会話が聞こえるか聞こえないかギリギリの距離にいると分かっていたからこそ、お見合いなんていうデリケートな話題を声のトーンを落とすことなく口に出したわけだけど。

 それに誰に聞かれようと、どうせ一年後には知られることだから隠してすらいなかった。言う機会がなければ、言う必要すらないから今まで言わなかっただけのことだ。


 秋人に聞こえたということは、雪城くんにも聞こえているはず。

 まさか遥先輩達に政略結婚と誤解されるとは思わなかったけど、それでもお見合いを嫌がっていないことを教えることはできた。つまりあれは秋人との結婚を狙っていないアピール、そんなに警戒しなくても秋人と千夏ちゃんの恋路を邪魔するつもりは一ミリもありませんアピールだ。

 一か八かだったけど、無事に聞き取ってくれたようで何よりだわ。



「そもそも私のお見合いは、あなたには関係のないことでしょう。宝生寺家の問題に口を挟まないでちょうだい」



 突き放すように言えば、電話の向こうで秋人が言葉を詰まらせる気配がした。



「……関係……は、あるに決まってんだろ」


「ないわ」


「その見合い相手、俺になるかもしれねぇだろ」


「それこそあり得ないことだわ」



 なんでわざわざ電話までしてくるのかと思っていたら、そんなことを気にしていたのか……。



「あのね秋人、あなたとのことはお母様と泉おば様が勝手にその気になっているだけで、宝生寺家としては壱之宮家と縁組むつもりはない。そっちだって同じでしょう?」


「それは、まあ……」



 とても単純な話だ。

 私も秋人も、資産家の一族に生まれた。しかも揃ってひとりっ子。つまり一族の名前と血筋を絶やさないように、いずれ私は婿を、秋人は嫁を取ることを家に要求されるはずだ。

 私が壱之宮になることも、秋人が宝生寺になることも、あり得ない。婚約の話は父親達の冗談を真に受けた母親達が勝手にその気になっているだけで、それはどちらかの家を潰しかねないことだ。

 とは言え、宝生寺の一族には伊蕗の他にも何人か男がいるから、仮に私がどこかへ嫁いでも宝生寺の名前はこの世の残るけど……。それでもあのお祖父様の性格を考えると、初孫にして亡き最愛の妻と瓜二つだという私を嫁に出すなんて、私がよっぽど立派な男性を連れていかないと許可しないだろう。

 少女漫画には描かれていなかったことだけど、本来の宝生寺桜子はこの件をどう考えていたんだろうか。お祖父様に反発してまで、幼馴染みと結ばれたかったのだろうか。

 しかしそれをいくら考えたところで、宝生寺桜子ではあるが彼女ではない今の私には分からないことだった。



「だいたいね、私はあなたの方が心配なのよ。秋人」


「はあ?」


「朝倉さんとのことよ。この先も彼女と一緒に居続けたいのなら、いずれ必ず壱之宮家本体とぶつかることになる。その時に周囲を納得させられなければ、あなたは彼女と引き離され、壱之宮家が見繕ったどこかのご令嬢と問答無用で政略結婚させられるわよ」


「おまっ……!今どこにいるんだよ?!」


「南館の屋上。誰もいないからこんな話をしているに決まってるじゃない」



 言いながらフェンスに寄りかかる。

 下を見ると、見慣れた二人が木陰のベンチで楽しげに話しているのが見えた。

 なんて平和で穏やかな光景か。さながら聖域のようだ。



「……桜子、お前、本当にそれでいいのか?今どき親が連れてきた相手と見合いなんて……」


「平気よ。もうずっと前から覚悟していたことだもの」



 誰かに恋愛感情を抱いたことのない……自分が誰かをそういう意味で好きになるとは思えない私にとって、実は平気どころか、そういう相手と引き合わせてくれるのはありがたく思えている。

 お見合い相手とは彼氏ではなく、それより先の相手ということ。好きという感情で選ぶ学生時代の彼氏と、最初から生涯一緒にいれる人かどうかと基準に選ぶお見合い相手では、そもそもかける天秤が違う。

 そもそも恋愛感情が分からない私に、感情で誰か一人を選ぶのは難しいのだ。

 だったら天秤は一つでいい。感情が冷めればいつでも別れることになる彼氏ではなく、結婚という契約で繋がる相手を選ぶ天秤だけでいい。



「そうじゃなくってだなぁ……。その、あれだ、マジでいないのか?」


「いないって何が?ああ、心配しなくても屋上には私しかいないわよ」


「そうじゃねぇって言ってんだろ」



 電話越しにため息を吐かれたのが分かった。

 どうして私があんたにため息吐かれないといけないんだ。腹が立つからちょっといじめてやるか。



「よくわからないけど、私からあなたに教えておきたいことがあるの。良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」


「はあ?……じゃあ、良いニュース」


「南館の裏に大きいクスノキあるでしょう?今あれの下のベンチに、朝倉さんがいるわ。校舎からは他の植木の影になっているから、今なら一緒にいても誰かに見られる確率は低いわよ」


「……ふうん」



 明らかに良いことを聞いたという反応だ。しめしめ。



「悪いニュースは、朝倉さんの隣に春原くんが座ってるわ。あらあら、とっても楽しそ~。端から見るとあの二人ってお似合いなのねぇ~」


「んなっ!?」


「人のことに首を突っ込んでいる暇があるなら、彼女を繋ぎ止める努力をしなさい。あんまり余裕かましてると、そのうち横からかっ攫われるわよぉ~」



 ケラケラ笑ってからかえば、特大の舌打ちをかまされ一方的に通話を切られた。今頃大慌てで千夏ちゃんのいるベンチへ向かっているはずだ。

 いくら相手が春原くんと言えど、千夏ちゃんが浮気をするわけがない。でも私がそう思えるのは少女漫画という形で千夏ちゃんの心を知っているからであって、そうではない秋人は千夏ちゃんが春原くんになびくんじゃないかと焦るだろう。

 本当はどんな妨害をされようと千夏ちゃんは秋人の隣を譲らず、深ぁく愛されているわけだけれど、付き合いたての今はちょっと余裕がないぐらいがちょうど良いだろう。

 ケッケッケッ秋人め、せいぜい焦るがいいわ。



「さぁてと、見つかる前に消えないと」



 秋人にどう思われよう構わないけれど、千夏ちゃんと春原くんに屋上から微笑ましい会話を盗み見る女だとは思われたくない。昼休みが終わるまでにはまだ少し時間があるけれど、見つかる前に退散しよう。

 春の少し冷たい風に煽られ乱れる髪を押さえながら、校舎内に戻るため扉へと向かう。そしてあと数歩でノブに手が届くというところで――――分厚く重い扉がブォンと勢いよく開き、目の前を横切った。



「ヒッ?!」



 私があと半歩前に出ているか、私の胸がもう二サイズ大きかったら、確実にぶつかっていた。それぐらい至近距離でのことに思わず仰け反り後ろへよろけるが、伸びてきた手に手首を掴まれたことで倒れずに済んだ。

 だがしかし、そのいきなり扉を開けたうえに手首を掴んでいる相手の顔を見た瞬間、また「ヒッ」と小さな悲鳴が口から飛び出した。



「ゆ、雪城くん……どうしてここに……」



 意味もなく屋上に来るタイプじゃないのに、と思いながら呟けば、雪城くんは私の手を掴んだまま屋上の扉を閉めた。

 もう一度、かつ正確に言おう。屋上にいる私の手をがっちり掴んだまま、扉をくぐり、さらに後ろ手にしっかりと閉めた。しかも終始無言で。

 やばい、これ絶対にやばいやつ。私の生存本能が赤いランプをつけて撤退せよと叫ぶけど、手首を掴まれているし、私と扉の間には雪城くんがいる。

 屋外でありながら脱出不可能な密室という斬新な状況の完成だ。


 思わず硬直していると、相変わらず私の手首をがっちり掴む雪城くんはそれはそれは甘く、ファンの子なら一瞬で茹でダコになって撃沈するであろう笑みを浮かべ――――



「つかまえた」



 本日三度目の「ヒッ」が出た。

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