14-1.そう、同じクラスならね



 テレビのなかの美人女子アナが「今日が始業式の学校も多いですね」と笑う。二週間ぶりに制服に身を包んだ私は、朝食後のハーブティーを飲みながら思わず顔をしかめた。

 成瑛学園の春休みは昨日で終わった。つまり今日から私は高校二年生、『ひまわりを君に』の第二部が始まるのだ。

 これを憂鬱と言わずなんと言う。



「お嬢様、そろそろ出られませんと遅刻してしまいますよ」


「そうね……」



 ぎりぎりまでソファーで粘っていたけれど、お手伝いさんに空のティーカップを回収されてしまった。

 さすがにもう出ないとまずいか……。いっそ休みたいけれど高二の成績や生活態度は進路選択に影響するので、なるべく休みたくない。

 ああ、でも私は今年交通事故にあって重傷を負うことになっているんだから、別に欠席が一日多いぐらい――――ハッ!待って、今すごい良くないことを考えてしまった!私はいままでそれを回避するために頑張ってきたんだから、自分の頑張りを自分で否定しちゃダメだ!

 ポジティブ……ポジティブになれ、宝生寺桜子。私はこれまで幼馴染みの恋に全面協力してきたじゃないか。

 私は宝生寺桜子であって、宝生寺桜子ではない!


 そう自己暗示をしながらブレザーに腕を通す。なんかちょっと二の腕のあたりがキツいのは、カーディガンを着ているせいだ。たった二週間でそこまで太るわけがない、絶対にそうだ。そこも自己暗示しておく。

 私はカバンを肩にかけ、待っていてくれた運転手に「また一年間よろしく」と言ってから車に乗り込んだ。

 車内からぼんやりと流れていく風景を眺めていると、カバンからメッセージアプリの軽快な着信音が聞こえた。スマホを確認すればそれは私と真琴と諸星姉妹のグループトークで、瑠美からの「やばーい寝坊したー」というメッセージと璃美からの焦り顔の犬のスタンプが画面に表示されている。



「ふふっ」



 平和すぎて思わず笑ってしまった。二人にはとりあえずチア風の衣装を着た猫のスタンプを送って、応援しておいた。

 その時、車がカーブを曲がったせいで指が滑り、画面を切り替えてしまった。表示されたのはトーク履歴。四人のグループのすぐ下にある名前に、ギクリと顔がひきつった。


 一昨日の土曜日のことを思い出すと、自然と――――体が恐怖で震える。


 春休み前に約束だとか言われた時から「あっ第二部の直前だし腹を探りたいのかな~?」と思っていたし覚悟もしていたけれど、まさかあんな堂々と「腹を探るために呼び出しました」って敵視宣言されるとは思わないじゃん?!やるならもっと遠回しかと思うじゃん?!

 なに?!私の何を知りたいの?!

 確かに私は宝生寺桜子だけど、中身は来世はお金持ちの家のマンチカンになってその家の子どもが健やかに成長していく尊い姿を見守りたいだけの善良な女だよ!

 人様の恋路、ましてや前世から応援していた千夏ちゃんの恋路の邪魔をするわけないじゃん!あんなプライドエベレストな俺様お坊ちゃんと婚約したいと思うわけないじゃん!

 秋人には千夏ちゃん!千夏ちゃんには秋人!それがこの世界の真理なの!大ファンだった私がそれを壊すわけないでしょう?!

 何度だって二人……というか秋人に協力してきたのを見ているはずだし、二人が進展する度に「これで良かったの?」と聞かれてイエスと答え続けてきた。それなのにどうしてこんなに疑われるのか、本当に訳がわからない。


 なにより、あの時の会話の何があの男の怒りに触れたのか。

 でもあの壁ドンならぬ自動販売機ドンは、少女漫画でよく見る甘酸っぱい雰囲気のドンじゃなかった。うるさい奴を黙らせる方のドンだった。おまけに声はドン引きするぐらいのガチギレのトーン。

 どこにキレられたのかさっぱり分からないけれど、とにかくあの瞬間、私は死を覚悟した。本当に恐ろしいものの前では悲鳴すら出なくなるのだ。

 私の硬度二のメンタルはフルボッコだドン!



 ちなみにその後は、怖すぎて黙っていたところに澪ちゃんが「あー!桜子お姉ちゃんやっと見つけたー!」と愛くるしい笑顔で駆け寄ってきてくれて、解放された私は用意していたボックスフラワーを澪ちゃんにプレゼントしてすぐに帰った。

 雪城夫人からランチに誘われたけれど、あんな恐怖体験の相手と一緒に食事ができるわけもなく、この後に予定があるのでと嘘をついてお断りさせていただいた。澪ちゃんがずいぶんと不機嫌になってしまったので、慌てて「今度一緒に甘いもの食べに行きましょう?」とちゃっかり約束して百点満点の幼女スマイルを守ることに成功したのは我ながらあっぱれ。

 そして雪城くんとは最後まで会話はなく、視線も合わなかった。怖くて合わせられなかったとも言える。

 お陰で今日からどんな顔で会えばいいのか分からない。



「はあ~憂鬱だわ……」



 私は宝生寺桜子で、いろいろ誤差はあっても去年一年間は少女漫画第一部のストーリーと同じ結末になったから、第二部開始となる現時点で雪城透也に疑われるのはストーリーとして受け入れられる。覚悟もしていた。


 でも、ショックじゃないと言えば嘘になる。


 一年間ずっと「この女そのうち手のひら返して邪魔するようになるんじゃ……」と思われていそうだとは薄々思っていたけれど、いざ面と向かって……じゃなくて背後からその事実を突きつけられると、私の硬度二のメンタルに大きな亀裂が走った。

 そして疑われていると分かっている一方で、仲良くもないけど悪いわけではないはずとちょっと期待して心を許しかけていた自分が恥ずかしい。

 一人でいるのは不用心と言われたのだって、見かけても無視した後に私に何かあっては寝覚めが悪いとか何とかそういう感じだろう。私でもそうする。それを勝手にいい方にとった私はとんだ勘違いおバカさんだ。


 根本的な所から考え直すと、宝生寺桜子と雪城透也が親しい間柄になることはない。なるとすれば影での冷戦、腹の探り合いだ。

 となれば、いくら邪魔をしないアピールをしても信用してくれない相手に関わるべきではない。

 秋人と千夏ちゃんが無事にゴールインしたんだから、去年みたいに二人をくっ付けるために連携する必要はないんだ。初心にかえって、同じ高校の生徒として最低限の関わりにしよう。


 どうせ二年のクラス分けは、ラスボスキャラである私は、千夏ちゃんや秋人といったメインキャラクター達とは違うクラスになる。前世の記憶でそれを知っている。

 現実的に考えても学園側がクラス内のパワーバランスを考慮して、紫瑛会上位の生徒が同じクラスにすることはない。つまり秋人とも雪城くんとも同じクラスになることは十中八九ありえないのだ。

 学園側の配慮に感謝して、この一年は、少女漫画のメインキャラクター達を関わらないに過ごそうではないか。






 そう思った十五分後。学園に到着し生徒用玄関横の掲示板に張り出された新しいクラス名簿を見た私は、開いた口がふさがらなかった。


 二年三組という文字のすぐ下、出席番号一番に朝倉千夏。

 そこからずっと下がって二十三番に宝生寺桜子、私の名前がある。二年三組二十三番って数字の並びきれいだな、なんてことは今はどうだっていい。

 だって、千夏ちゃんと同じクラスというのもかなりの衝撃だし良くないと言えば良くないんだけど、それ以上に良くないことが起こっているのだから。


 二十三番の私の少し下。二十八番に、雪城透也と書かれているではないか。

 …………はて?同姓同名さんかな?



「やったわ!私、三組よ!」


「えっ?!桜子様と雪城様と同じクラスじゃない!」


「いいなぁ~。でもまさか、あのお二人が同じクラスなんてねぇ。高等部は、紫瑛会の方はクラスに一人というのは嘘だったのかしら?」


「私達の学年に紫瑛会の方は十一人いらっしゃるもの。十クラスしかないのだから、どうしてもどこかのクラスに二人以上いることになるわ。だからほら、去年はあんなことに……」


「ああ、そうだったわね。でもでも、その二人が雪城様達だなんて奇跡のようじゃない?」


「ああ、どうしましょう。修学旅行のある二年で同じクラスになれるなんて、きっと私は今年の運を全部使ってしまったわ!」



 学園の王子様と同じクラスになれてそんなに嬉しいのか。頬を赤らめはしゃぐ子を中心にきゃあきゃあ笑い合う女子生徒達の会話に、私は膝から崩れ落ちそうなのを必死にこらえた。

 そうですよね、雪城透也なんて名前の人はこの学園に一人しかいませんよね。



「……ありえない……」



 同学年の紫瑛会メンバーは十一人。クラスは十個。そんな条件で私と雪城くんが同じクラスになる確率がどれだけ低いか。

 確かに私は絶対にありえないではなく、十中八九ありえないと考えた。でもあんなの言葉のあやだ。

 スクールカースト二位と三位が同じクラスになるわけがないと誰だって考えるだろう。それなのにその残りの二か一を引き当ててしまうなんて、私はどれだけ運がないんだ。

 関わらないにしようと思った相手と毎日顔を会わせるなんて地獄か。絶望。この世に神などいない。

 まさか私の厄は、一度のご祈祷では落ちきれないほどなのだろうか。



「おお、桜子。お前クラスどこだった?」



 思わずよろめいていたが、その声が後ろから聞こえた瞬間にぐるんと振り返り、相手に詰め寄った。



「秋人!クラス交換して!」


「はあ?」



 本当は胸ぐらを掴みたいけれど、人目があるのでネクタイを握りしめるだけでとどめる。すると秋人は訳がわからんと顔をしかめるので、空いた左手で掲示板を指差し小声でまくしたてた。



「三組の名簿見て!朝倉さんと雪城くんが揃ってる!一人寂しく一組の秋人は、私と交換すれば恋人と親友と同じクラスになれる!今すぐ私と交換しましょう!」


「こっ?!お前なに言って……」


「分からないの?!三組になれば朝から放課後まで朝倉さんと同じ空間で過ごすことができる!それに教室の席は五十音順、つまり朝倉と壱之宮なら席は前後!真剣に授業を受ける朝倉さんの姿を合法的にすぐ後ろで眺めていられる!さらに言えば二年には高校生活最大のイベント、修学旅行があるのよ?!同じクラスなら一緒に観光ができる!合法的に朝倉さんと海外旅行ができる!雪城くんもいれば、授業で先生にペアを作れと言われても腫れ物扱いされることはない!体育祭も学園祭も、今日から一年間のスクールライフを恋人と親友と楽しむことができる!合法的に!そう、同じクラスならね!」


「桜子、お前…………天才かよ!」


「もっと褒めてくれていいのよ!私は三組だけは嫌!秋人は三組なれば良いことずくめ!つまりこの交換は?」


「Win-Win!」


「Yes!」



 壱之宮と宝生寺の力をもってすれば、全ての物事は赤子の手を捻るも同然。学園側は名簿の作成者がミスをしたと言うしかない。

 意思の統一ができたのなら、職員室へいざ参らん!



「はい、そこまで」



 心臓がドッと跳ね上がった。



「うおっ?!……なんだ透也かよ。後ろからいきなり肩掴むんじゃねーよ」


「言葉だけじゃ止まらないから掴んだんだよ。新学期早々、宝生寺さんを巻き込んで何するつもりだったんだ?」


「職員室行ってクラス分けに文句言ってくるんだよ。だいたい言い出したのは桜子だ、俺じゃねーよ」


「クラス分け?」


「わ、私そろそろ真琴達と合流しないと!失礼しますっ!」



 秋人と違って私は肩を掴まれていなかったので、ただ秋人のネクタイから手を離して小走りで逃げ出した。

 後ろにいるその人の顔を見ることができなかったのは、あの時と同じだ。



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