13-3.ただそれだけ



「と、透也様!」



 さっきまで私に好戦的な態度だったくせに、綾崎さんは驚きに目を見開きながらも、ピンクのチークを塗りたくったように頬を赤くして胸元できゅっと手を握った。

 高宮さんと椎名さんも同じような表情で、私の後ろにいる人物を見つめている。その変わり身の早さはカメレオン以上だ。


 というか、透也様って……。

 成瑛の雪城ファンクラブでも、名前で呼ぶのは無礼というルールがあるらしく『雪城様』呼びなのに、他校の子が名前で呼んでいると知ったら間違いなく闇討ち案件だ。聞いたのが私で良かったね?―――――って、ちっともよくなぁああああい!!!!

 ただでさえ雅が丘では嘘八百で迷惑極まりない噂が流れているのに、休日に一緒にいるのを見られたら、噂が真実だと思われてしまうではないか!

 さっきまで父親と一緒にいたのに、どうしてこのタイミングで声かけてきたの?バカなの?乙女の会話に野郎が首突っ込むんじゃないわよ!散れ!今すぐ霧散しやがれください!



「飲み物、なに買うか決まった?」



 ヒィーッ!当たり前のように横に並ぶな!



「……いえ、懐かしい友人に会えてつい話し込んでしまったので」


「友人?そうだったんだ、邪魔しちゃってごめんね?」



 邪魔しちゃってごめんねぇ????そんなことが言えるなら最初から来ないでいただけませんかねぇ?!さてはテメーわざとか?

 見上げた先のアルカイックスマイルにアイアンクローをお見舞いしたい気持ちを我慢して、「いいえ」とそつなく答えておく。

 すると王子の微笑みに見惚れていたのか固まっていた綾崎さんが、アピールするように一歩前で出た。



「あ、あの、透也様っ!わたくし綾崎姫乃です、お久しぶりですわ」



 その顔を見て、察した。

 輝く瞳に、桃色の頬。祈るように握られた手にかすかに力がこもっているのに気づけるのは、同じ女だからだろう。

 綾崎さんは雪城くんが好きなようだ。他校の噂のイケメンへの憧れではなく、恋愛的な意味での好き。

 なんだ、元ワガママドリルプリンセスも可愛らしい一面があるじゃないか。恋する乙女は存在そのものが輝いていて、私はとっても好き。応援したくなる。

 しかもどうやら想い人の登場に、さっきのなぜ私がこの場にいるのかという疑問は頭から抜け落ちたようだ。むしろ私の存在そのものを忘れているように見える。恋は人を盲目にも難聴にもするらしい。



「……お久しぶりです。宝生寺さんとお知り合いだったんですね」


「えっ?あ、はい。宝生寺様とは、幼い頃同じバレエ教室に通っていた間柄ですわ」


「そうだったんですか。今日は……ああ、椎名さんの妹さんのために?」


「ええ、そうなんですの!紗英さんが誘ってくださって。ねえ、紗英さん?」


「お久しぶりです、透也様。妹が姫乃様に憧れていて、絶対に招待してと頼まれてしまったんです」


「憧れなんて、やめてちょうだい紗英さん。恥ずかしいわ。でもこうして透也様にお会いできるなんて、とっても嬉しいですわっ」



 わぁお、雪城くんもこの三人と顔見知りだったのか。

 どうして綾崎さん達がここにいるのかと疑問に思っていたけど、椎名さんの妹が澪ちゃんと同じバレエ教室だったのか。妹がいることすら知らなかったから、まさかそんな偶然が重なるなんて思ってみなかった。世間は狭いなぁ。

 そんなことよりも、綾崎さんの目には雪城くんしか見えておらず、私の存在は忘れ去れているようでちょうどいい。

 私はそのまま気配を消して、そろりそろりと同じくかやの外になっている高宮さんに近づいて小声で話しかけた。



「高宮さん、少しよろしいかしら」


「ひぃっ、な、なんでしょうか?!」



 ひぃって……。そんなに怯えなくても取って食ったりしないよ。

 私が動いたことに雪城くんと椎名さんは気づいたようだけど、あっちは綾崎さんのペースなので止めてこない。好都合なので、高宮さんの腕を引いて三人から少しだけ離れた。



「ほ、宝生寺様、私になにか……」


「急にごめんなさい。私どうしても、雅が丘の高等科に通う方にお話ししておきたいことがあったの。高宮さんは、雅が丘で流れてる私や雪城くん関係の噂ってご存じかしら?」



 その瞬間、高宮さんはさあっと青ざめ、慌てて三人の方を見た。そして綾崎さんが相変わらず雪城くんだけを見て話しかけているのを見ると、ほっとため息を吐く。

 どうしたの?



「えっと、宝生寺様と透也様と、壱之宮家の秋人様の噂のことですよね。はい、知っています。雅が丘では有名な噂ですので……」


「そうなのね。実はあの噂は事実無根でね、どうしてそんな噂が流れてしまっているのか不思議に思っていたの」


「事実無根、ですか」


「ええ。別に私は他校でどんな噂をされようと気にしないのだけれど、その噂だと、壱之宮家と雪城家の方を笑い話の種にするということでしょう?真実を広めるならともかく、嘘の情報を真実のように広めるのは、ちょっとオススメできないと思っていてねぇ……」



 個人ではなく家の名前を出せば、高宮さんはあからさまに狼狽えた。



「それで高宮さんにお願いがあって、あなたの周りの方々だけでもいいから、噂は嘘と伝えてあげてほしいの。それにほら、どうも綾崎さんは彼のことがお好きのようだから……想い人が他の方に片想いしているなんてこと否定してほしいでしょう?」


「あ、あの、姫乃様は、ご存じではないんです!」


「えっ?」


「姫乃様は、三年ほど前から透也様のことをお慕いしているんです。だから私と紗英さんの二人で、あの噂を姫乃様のお耳に入らないようにしてきたんです」



 ああ、だからさっき綾崎さんの様子を確認したのか。

 一人納得していると、高宮さんは「それに……」と言葉を続けた。



「もともとあの噂に透也様は関係なくって、最初は宝生寺様と秋人様が婚約するという噂だったので……」


「はあ?」


「ヒッ!あ、え、その」


「高宮さん、詳しく教えてくださるかしら?」



 宝生寺桜子的に聞き捨てならない単語が聞こえ、にっこり笑ってお願いする。すると高宮さんは赤べこのようにこくこくと頷いて丁寧に教えてくれた。


 私達に関係する噂は、はじめは『壱之宮の御曹司と宝生寺の令嬢が婚約する』という内容だったそうだ。

 しかし上流階級のコミュニティーによってその情報がすぐに間違いだと分かり、噂の内容はなぜか『壱之宮の御曹司と宝生寺の令嬢が付き合っている』に変化。それが間違いだと分かれば今度は『壱之宮の御曹司と宝生寺の令嬢がお互いに片想い中』となり、否定と変化を繰り返していく過程でさらに尾ひれがついて、最終的になぜか雪城くんの名が加わりあの拗れた三角関係の噂に落ち着いたそうだ。

 秋人と婚約という噂が早い段階で否定されたのは良かったけれど、どうして三角関係なんていう最悪な着地をしたのか。頭が痛い。



「最初からデマだったのに、広まる間に尾ひれがついて収集がつかなくなったのね。嘆かわしいこと」


「あの、宝生寺様?最初からということは、宝生寺様は秋人様のことは……」


「幼馴染み以上に思ったことは一度だってないわ」


「そうですか」



 ほっ、と。高宮さんは息を吐いた。どうやら高宮さんは秋人派らしい。

 でもごめんなさいね、あの男にはもう千夏ちゃんという運命の人がいるのよ。恋する乙女は好きだけど、こればかりは応援できないわ。



「ではどうして本日は、透也様とご一緒に?さきほど知人の妹と仰っていたような……」


「雪城くんの妹さんとご縁があって、それで招待されたの。ただそれだけ。高宮さんが考えているような関係ではありませんよ、断じて」



 私が会いたかったのは天使あらためお花の妖精さんな澪ちゃん。兄の方は会いたくないどころか、信頼関係ゼロで絶賛腹を探られ中だ。

 なのでそこだけは強く否定させていただく。



「ついでだからもう一つお聞きするけれど、噂の発生源と流れ始めた時期ってご存じ?」


「発生源はちょっと……ああ、ですがおそらく同学年の誰かです。二、三年のお姉様方や中等科の子達に広がる頃には、噂は三角関係の形になってしましたから。時期は確か、夏休み明けの頃だったかと」



 中等科である花梨が同級生から話を聞いたのは秋だと言っていた。そこまで広がるタイムラグを考えれば、発生時期が夏休み明けというのは間違いなさそうだ。

 おまけに花梨も知らなかった発生源。特定まではできなくても、捜査範囲を絞れたのはできたのはラッキーだ。



「貴重な情報どうもありがとう。とっても助かったわ。高宮さんも、周りの方々に噂は嘘だと教えてさしあげてね。壱之宮家と雪城家に知られてからでは遅いから」


「はい、もちろんですっ!すぐに紗英さんにも伝えて、二人で手分けして周りに伝えます。ご忠告ありがとうございました」



 ペコーッと深々頭を下げる高宮さんを解放してあげれば、彼女は素早く椎名さんの元へと向かい、綾崎さんに気付かれないように耳打ちし始めた。仕事が早い。

 ともあれ、京都でゆりちゃんが外側から否定情報を流すことを約束してくれたし、半内側である花梨も協力してくれて、これで高宮さんという完全に内側の人間に情報を流すことができた。近い内に迷惑極まりない噂は完全消滅するだろう。

 どうやらまだ神は死んでもいないし、私を見放したわけでもなさそうだ。

 少しだけ軽くなった足で、自動販売機の前に戻って飲み物選びを再開した…………まさにその時だった、背後から爆弾を落とされたのは。



「透也様。もしよろしければこの後、わたくし達とお食事に参りませんか?」


「ああ、すみません。せっかくのお誘いですが、あいにくこの後は彼女と二人で過ごす約束なので。ね、宝生寺さん」



 時が、止まった。

 あれ?自動販売機の稼働音って、こんなに大きな音だったっけ?おかしいなぁ、さっきまで全然気にならなかったのに。音量上げた?

 そう思わざるを得ないぐらいの重い沈黙を破ったのは、靴音。ふらっと後ろへよろけた綾崎さんのヒールの音だった。

 ま、まずい、絶対に勘違いしてる……!



「雪城くん、それでは語弊がありますよ。私は今日、澪ちゃんに、妹の澪ちゃんに会いに来たわけであって、あなたと約束をした覚えはありませんよ」



 くるりと振り返って、絶句している雅が丘の三人に誤解しないでとアピールする。特に高宮さんは「さっきはそういう関係じゃないって言ったじゃん!」みたいな顔をしているので、なるべく小さく、しかし全力で首を振って違うと主張する。

 お願い、本当に違うの。私は澪ちゃんに招待されて今日ここにいるの。信じて!



「覚えはないって、やっぱり忘れてるね。前に約束したじゃないか、お互いのことあんまり知らないから今度二人きりで出掛けようって」


「ちょっ!?」


「約束は守る主義なんだよね?」


「ちょっと黙ってください!」



 こうなってはもうなりふり構っていられない。

 私は飲み物を買うために手にしていた長財布を、空気を読まない男の脇腹にドスッと押し付けた。力いっぱい、まるでサスペンスドラマの殺人犯がターゲットにナイフを突き刺すように。

 しかし口封じをするのが、遅すぎたらしい。綾崎さんはまたもふらっと後退し、胸元で祈るように握られた手はプルプルと震えていた。



「……そんな……わたくし……」


「綾崎さん、あの、ちが――」


「し、失礼いたしますっ!」


「あっ!」


「姫乃様?!」



 弁解する暇もなく、綾崎さんは駆けていってしまった。

 うわ~やばいやばいやばい!絶対に勘違いされた!失恋したと思ってる!



「高宮さん、椎名さん!綾崎さんのフォローを!」


「は、はい、お任せください!」


「お待ちください姫乃様ぁ~!」



 高宮さんと椎名さんは律儀に「失礼いたします!」と頭を下げてから、綾崎さんを追って走り去っていった。本当は私も追って誤解だと伝えたいけれど、ただでさえ敵視されている私の言葉なんて火に油を注ぐだけだろう。ここは二人に任せるしかない。

 だいたい何食わぬ顔で彼女達が駆けていった方を見ている男に問題がある。

 確かに婚約者だか恋人だかがいるのだから、他の異性からの誘いを断るのは理解ができる。真っ当とも言える。

 でも自分に好意を抱いてる相手に、ああいう断り方はあんまりだ。



「普段どんな方に誘われようと、もっと誠意がありつつ穏便な断り方をされていたと記憶していましたけど、どうも私の記憶違いのようでしたね」


「事実を伝えただけだよ」


「秋人と朝倉さんの邪魔をしないために距離をおく約束と、私が約束を守る主義というのは事実ですけど、今日のこの後については何の約束もしていません」



 そりゃあ私は婚約者だか恋人だかの存在は知っているし、それを隠したがっていることも知っている。おまけにデートだのなんだの言っても変な勘違いをしない私は、綾崎さんの誘いを断るダシに使うのは都合が良かったのかもしれない。

 でもそれは、婚約者だか恋人だかのフランス美女にも綾崎さんにも失礼だ。

 フランス美女の存在は明かさなくても、決まった人がいるからと正々堂々断ればいいのに、なぜ私を使うという誰も得しない方法を選んだ。

 普段だったらダシに使われるぐらい気にしないけど、名も知らぬフランス美女を蔑ろにし、綾崎さんに誤解を与え、逃げ出すほどに傷つけてしまったこの状況は許し難い。



「あなたがどんな恋愛をしようと、私には興味も関係もないことです。巻き込むのはよしてください」



 はっきり言ってやって、ちょっとだけ溜飲が下がった。でもちょっとだけだ。

 さっきまでは紅茶の気分だったけど、やっぱりコーヒーにしよう。それもブラックだ。今は苦味で怒りを上書きしないとやっていられない。

 チッと舌打ちをしたい気持ちを抑えて自動販売機に向き直り、ずっと持っていたお財布から小銭を出す。十円玉が一枚しかないので仕方がないので二百円を突っ込んで、ブラックコーヒーのボタンを押そうと手を伸ばす。──────けれど、押せなかった。



「本当に、なにも分かってないんだね」



 頬をかすめる様に後ろから伸びてきた手に、ボタンを覆い隠されてしまったから。

 …………は?え、なに?邪魔なんですけど。というかこの体勢って俗に言うアレなのでは?



「あれは僕が宝生寺さんのことが知りたくて……知る時間が欲しくて、持ちかけたんだ。秋人達のための約束なんて、僕はした覚えはないよ」


「……それ、は……」


「前に言ったことと逆だって言いたい?確かに君みたいな人相手にああいう言い方をした僕が悪かったと思うし、後悔もしてるよ。でも言ったはずだよ、誘った理由はいくつかあるって」



 声が近い。

 わざわざ後ろを見なくたって、背中に感じる体温と自動販売機の灯りがなければ手元が暗くなっていたであろう状況に、どれくらい近くにいるかなんて簡単に分かる。



「覚えておいて。僕にだって、譲れないものがあるんだよ」






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