13-2.よぉく覚えていますよ
あの、腕を……と言えば、思い出したようにパッと離された。
もう少し長く掴まれていたらじんましんが出ていたかもしれないから、危うく痒みで澪ちゃんの踊りに集中できなくなってしまうところだった。
「ごめん、大丈夫?」
「少し驚いただけですから」
なので、できれば引き剥がさず美女との熱い抱擁を堪能させてもらいたかったです。
ともあれ場が落ち着いたので、改めて夫妻に挨拶と招待のお礼を伝えて、お礼を兼ねた京都土産を渡した。金平糖は定番過ぎるかなーと思ったけど、老舗でパッケージも可愛いし、小さい子のいるお家だから選んだ品だ。
すると紙袋から覗く包装紙を見た雪城夫人が「可愛いっ!」と顔を綻ばせたので一安心。そのままニコニコとご機嫌で手を取られ、あれよあれよと会場である大ホールへと連れていかれた。
誘導されるまま席について周りを見回せば、もうそれなりの人数が集まっている。見たところ習っている子の家族の他に、友達に招待されましたといった雰囲気の子もいた。身内でもないのに来ているのが、私だけではないと分かってホッとした。
「終わったら澪を連れてくるから、会ってあげてくれる?」
「喜んで。そういえば今日は颯真くんは……?」
「颯真は家に残ってるの。なんだか、今日ステージに上がる子のなかに苦手な女の子がいるらしくてね。行きたくないって」
「あら~颯真くんは昔から女の子に人気でしたからねぇ」
雪城社長がやたらとゴツくて高画質そうなビデオカメラをセットする姿を見ないフリをしながら、上機嫌な雪城夫人といくつか話をしているうちに会場が暗くなり、バレエ教室関係者の挨拶が始まった。そして幕が上がり、ゆるやかに音楽が流れ出す。
アリスが一人で軽やかに踊るところに、白うさぎが現れ消えていく。そこから場面がころころ変わり、可愛らしいバレリーナ達が舞い踊り、ストーリーが進んでいった。
そして私の大本命、アリスが花畑に迷いこむシーン。喋る花は厳密には鏡の国のアリスの登場キャラクターだけど、すべての生徒に役名を与えたいとバレエ教室の先生達がシナリオに手を加えたそうだ。
アリスを囲んで踊る澪ちゃん達お花は色とりどりで、本当に愛らしい。スマホでの写真撮影が許されていたなら連写していただろう。
ああ、澪ちゃんは天使ではなくお花の妖精さんだったのねぇ……。それはそれで尊い存在だわ。
シーンによって色彩が明るくも暗くもなる舞台。個性豊かなキャラクター。
ルイス・キャロルの世界観をバレエにするこんなにもポップで、コミカルで、それでいてちょっと不気味になるのか。
小さな子達が演じているから当然たどたどしいけれど、それもまた可愛らしくて、頑張ってと応援したい気持ちになって、幕が降りるまではあっという間だった。
「はあ~楽しかった……!」
幕が降り、拍手が鳴り止んだ会場を出たところでふうと一息ついた。
子どものバレエ発表会は初めて招待されたけど、身内でもない私もついつい保護者目線になってしまう。楽しいけど、失敗しないかヒヤヒヤしてちょっとだけ疲れてしまった。
「それじゃあ、私は裏で着替えや片付けを手伝ってくるわ。桜子さん、澪を連れてくるから少しだけ待っていてね」
そう言って雪城夫人は一人、優雅な足取りでどこかへと向かっていく。雪城夫人以外にもステージママらしき雰囲気の女性が何人も同じ方へ消えていくから、きっと舞台裏の控え室がその先にあるのだろう。
となると私は、あまり距離を縮めたくない雪城くんと、これまで挨拶ぐらいでろくに会話をしたことがない雪城社長と残されるわけで……。
なんだか置いてけぼりを食らった気分だ。どうしたものかと顔には出さず悩んでいると、雪城社長が、同じバレエ教室に娘を通わせている父親らしき男性数名に声をかけられた。
おっ、これは身内ではない私は離れていた方が良さそうだ。
「雪城くん、私は離れておきますね」
「えっ?でも……」
「ちょうど喉が乾いているので、あそこの自動販売機の近くにいます」
離れたところに見える自動販売機と休憩用のソファーを指差して、雪城くんに小声で伝える。そして雪城社長と男性達に軽く頭を下げてから、見た目は穏やかに、しかし心のなかでは脱兎の如く大急ぎでその場を離れた。
ちらりと後ろを見ると、雪城社長が男性達に雪城くんを紹介するような動きをしていたから、離れて正解だったようだ。
あ、そうだ。澪ちゃんに会う前に身なりを整えておこう。可愛い澪ちゃんには綺麗なお姉さんに見られたい。
飲み物を買うの前に女子トイレへ行くと、トイレ内に併設されたパウダールームには私と同い年ぐらいの先客が三人いた。
あちゃ~、ずいぶんと話が盛り上がっていて楽しそうだし、邪魔をするのは悪いかな……?まあ、私は少しチェックがしたいだけだから、トイレの洗面台の鏡で充分だろう。
シロツメクサと四つ葉のクローバーがモチーフになってるお気に入りのイヤリングを軽く直し、ついでに鞄のなかに京都で頂いたお守りがちゃんと入っているのを確認してから、私はさっさとトイレを出て自動販売機へと向かった。
「なににしよっかなぁ」
人目がなければコーラかレモンスカッシュを買うけれど、今はお嬢様モードなのでお茶か水かな。それに誘われた身分で一人だけ休憩してるって失礼だし、雪城親子にもコーヒーでも買って渡した方がいいかも。
……いや、同い年の雪城くんはともかく、温厚かつ大人の色気のある雪城社長に女子高校生が缶コーヒーを渡すのは…………うん、やめておこう。
「ああ。ほら、やっぱりそうよ。お久しぶりですわ、宝生寺様」
自動販売機の前で脳内会議をしていると、横から丁寧な様でいてずいぶんと強気で自信たっぷりな声をかけられた。
首は動かさず目だけで相手を確認すると、ゆるやかな茶色の巻き髪につり目という派手なお嬢様キャラのテンプレみたいな子が、声色の通りな強気な目で私を見ていた。その後ろには、大人しそうなボブカットの子と、おしゃべりが好きそうなポニーテールの子がいる。髪型と服の色から察すると、さっきパウダールームにいた三人だ。
――――――えっ、誰?
見たところ同い年ぐらいだし、私を宝生寺様って呼んだということは、成瑛学園の関係者?それともどこかのパーティーで会った子?
でもなんだか妙に、ケンカを売られているような雰囲気だ。
宝生寺家の令嬢にケンカを売るチキンレース参加者なんて、一度会っていれば覚えているはずだけど……。ダメだ、全く思い出せない。
「昔とちっともお変わりないご様子だったもので、すぐに宝生寺様だと分かりましたわぁ」
テンプレっ子は私を頭のてっぺんから足の爪の先までじっくりと観察してくると、最後にフフッと後ろの二人を顔を見合わせて笑った。嘲笑である。
おっと~?どうやら小さな頃に会った事があるらしいけど、これは女子特有のマウンティング。完全にケンカを売っていますね?
今の言葉を意訳すると『どこもかしこも成長してないし、服もダッサ!超ウケる~!』といったところだろう。
私を笑うということは、宝生寺家を笑うということ。いい度胸してるじゃないの。私は事なかれ主義だけど、私のせいで家をバカにされて黙っているほど大人しい性格ではない。
どこのどなたか全く思い出せないけど、そっちがその気ならばこのケンカ、買ってあげましょう。
私はあえてヒールをかつんと踏み鳴らし、テンプレっ子と相対する。そして時間とお金をかけて作られた黒く艶めくストレートヘアーをさらりと揺らすように小首を傾げ、穏やかに微笑んだ。
「ごめんなさい。どこかでお会いしました?」
意訳『え~ごっめ~ん!あんたみたいな十把一絡げの有象無象、全然興味ないから覚えてな~い!てへぺろ☆』
その瞬間、私とテンプレっ子の間でカーンッ!とゴングが打ち鳴らされた。
「あ、あらごめんなさぁい。小学生の時に会って以来ですものねぇ。覚えていらっしゃらなくても仕方がありませんわ」
意訳『この私を覚えていないなんて、お前の脳みそはノミ以下か?』
「小学生の時以来?そんなに前なのに覚えていて頂いて光栄だわ」
意訳『そんな昔の相手に絡むなんて暇なの?いいから早よ名乗らんかい』
「わたくし、以前宝生寺様と同じバレエ教室に通っておりました、
バレエ教室……綾崎……テンプレお嬢様……あーっ!思い出した!小学三年まで通っていたバレエ教室で、やたらと絡んできた同い年の綾崎さんだ!
あの頃は染めたゆるい巻き髪ではなく、染めていない自然な髪色で巻きの強いドリル髪と呼ばれる縦ロール。一人称も「姫」だった。それがすっかり変わっているから、ピンとこなかったわけだ。
レッスン中に体の軟らかい私に張り合って、無理に開脚した結果こむら返りを起こして床をのたうち回った綾崎さん。
休憩時間になる度に私のところにやって来て、親に何を買ってもらっただの、休みの日にどこへ連れていってもらっただの自慢話をして、私の反応が薄いとレッスン室の外へ出て地団駄を踏んでいた綾崎さん。
生徒同士で揉めると毎回「お父様に言いつけてやる!」と真っ赤な顔でドリルを振り回していた、あのプライドが高くて高慢ちきな、悪役令嬢の王道条件を完璧に満たしていた綾崎姫乃さんか!
「まあっ!本当にあの綾崎さん?お久しぶりね、お元気でした?」
私はバレエ教室を小学三年で辞めたから、会うのはそれ以来だ。
やだもぉ、綾崎さんなら最初からそう名乗ってよ。あの頃の綾崎さんの言動は、好きじゃないのに通わされたバレエ教室での唯一の楽しみ。私の癒しだったんだから~。
――――が、しかし、昔は昔。今は今。
綾崎さんが絡んできたあの頃は私もすでに前世の記憶があったから、彼女が何を言ってこようと「子どもの言うことだしね」と受け流していたけれど、今は彼女も高校生。やって良いことと悪いこと、突っかかっていい相手とダメな相手が分かるはずの年齢だ。
それにも関わらずあの頃と同じ様にマウンティングを仕掛けてきたのなら、ただで帰すわけにはいかない。
「ふふっ、あの頃は童話のお姫様みたいで可愛らしいという印象だったのに、とってもお綺麗になられたのね。私ったら全く気がつきませんでしたわ」
意訳『めっちゃイメチェンしたね?ていうか化粧濃すぎじゃない?詐欺メイクってやつ?』
ヘアサロンのおかげでサラツヤなストレートヘアーを耳にかけ、すっぴんでも余裕で外出できるがマナーとして薄く化粧をした清楚系フェイスを見せつけてそう言えば、綾崎さんは口元を引きつらせた。そして悔しげな声で「宝生寺様にその様に仰っていただけて光栄ですわ」と言う。
フッ、他愛ない。宝生寺家の財力と私の日々の手入れ、そして少女漫画作者のキャラクターデザインセンスによって作り上げられた、本物の悪役令嬢・宝生寺桜子の容姿を舐めるなよ!
さて、綾崎さんを無力化できたから、次に移るとしましょう。
「綾崎さんとご一緒ということは、後ろのお二人はもしかして
にっこり笑って綾崎さんの後ろの二人……ボブカットの高宮さんとポニーテールの椎名さんに目を向けると、二人はびくりと肩を跳ね上げた。
この二人も同じバレエ教室の生徒だったけれど、あの頃から綾崎さんを「姫乃様」と呼んで一緒に行動していた。
確か、綾崎さんの祖父だか父親だかが院長を務める病院に、高宮さんと椎名さんの父親が医師として勤務しているという縁だっただろうか。
そんな事情ゆえか、二人は意外と大人の事情を理解していて、綾崎さんが私に絡む時は黙って後ろにいるだけど、近くに私がいない時だけ綾崎さんに同調して私の悪口を言っていた。父親の上司の子どもであるワガママドリルプリンセス綾崎さんに従いつつ、世間の絶対的権力者である宝生寺家の娘である私の怒りを買わないように行動していたのだ。
私は当時、綾崎さんのことは甘やかされて育った愛すべきおバカさんと思っていたけれど、状況によって態度を変えて甘い蜜を啜る、まるで上流階級の縮図のような二人があまり好きではなかった。しかし一方で、幼いながら親の都合でそんな風にふるまわなくてはいけない二人に同情もしていた。
そして私と綾崎さんの会話に加わってこなかったのを見ると、二人はあの頃のままのようだ。
「お久しぶりね、高宮さん、椎名さん。お二人のことも、よぉく覚えていますよ。お変わりないようで何よりだわ」
意訳『お前らが裏で私をなんて言っていたか全部覚えているからな』
もともと私の怒りを買わないようにしていた二人だ。ちくりと釘を指すと、じゃっかん青ざめた顔で「お久しぶりです、宝生寺様」と頭を下げた。
あら、懸命な判断ですこと。では今日このぐらいにしてあげましょう。…………と思ったら、綾崎さんは転んでもただでは起きない打たれ強いお嬢さんだった。
「ところで宝生寺様?たった小学三年でバレエをお辞めになったあなたが、なぜこの場にいらっしゃるのかしら。しかもお一人で」
ぽつぽつ皮肉が混ざっているけど、その疑問は、私がバレエ教室で不真面目だったのを知っていれば思うことだろう。
いちいちやり返すのも面倒だから、普通に答えておこう。
「私は知人の妹さんがこちらのバレエ教室に通われていて、今日はその子が出演するからとご招待いただきました」
「知人の妹……?」
いったい誰だと言いたげに綾崎さんは眉根を寄せ、高宮さんと椎名さんも後ろで顔を見合わせている。私に幼女の知り合いがいるのがそんなの想像できないのか……。
あれ?ちょっと待てよ?この三人って、雅が丘女学院の初等科に通っていなかった?えっ、じゃあもしかして今も雅が丘……?
ひいいいいヤバい!雅が丘の高等科ということは、花梨に教えてもらった例の噂を知っている可能性がある!そんな人達に今日の招待が雪城家からだと知られ、ましてやアルブレヒトと一緒にいるのを見られでもしたら……!
「僕の妹だよ」
神は死んだ。
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