12-3.どうにでもなるの




 めげない、しょげない、泣いちゃだめ。

 かの偉大なるピンクの恐竜の女の子が、愚かな人間が世界を穢すだけ穢して後始末せず呆気なく滅んだ絶望しか残されていない世界でそう歌っていた。

 真夜中にそれを思い出した私は、逞しい彼女を見習うことにした。


 やっちまったことは仕方がねぇ!後ろを振り返ったって戻ることはできない。立ち止まるか前へ進むかの二択なら、私は前へ進む!オッケー切り替えてこうぜ!今世はトラック事故を回避するのに集中して、幸せになるのは来世に期待しょう!出来ればお金持ちの家のマンチカンに生まれ変わってチヤホヤされたいな!そのために今世は徳をつんでおきましょうね!ガンバ、ガンバ!


 そう陽気に納得して眠りについたのは深夜三時。翌朝にそれを思い出した私は、深夜のテンションの恐ろしさに頭を抱えた。

 しかし、いつまでもどうしようと悩んでいても、これまでにやってきた事のせいで知っている少女漫画のストーリーとは違ってしまっているのは紛れもない事実。マンチカンはともかく、切り替えていくことにしよう。



 どうせストーリーが変わってしまったのなら、徹底的に変えてしまおう。

 第二部で物語が動き始める切っ掛けは、千夏ちゃんと秋人のデートを宝生寺桜子が目撃して、それを壱之宮夫妻に報告することだ。

 でも私は壱之宮夫妻……特に泉おば様に報告するつもりは微塵もないから、秋人がヘマをしない限り、千夏ちゃんの存在を知られることはない。

 そうなれば泉おば様が二人を破局させようと動くことはないし、動かなければ私を婚約者に仕立て上げたことを理由に千夏ちゃんに「息子と別れろ」と詰め寄ることもない。

 それに前にも考えたけど、トラックにひかれて重体となる運命は、私が道路に飛び出さなければいいだけのこと。暴走車に巻き込まれでもしない限り、この運命を変えるのは一番簡単なはずだ。







 京都滞在三日目の月曜。長引く二日酔いと泣いたせいでむくんだ顔のゆりちゃんに付き合い、十代組も遊びには行かないで屋敷の庭でバドミントンをした。

 私対伊蕗の試合は白熱して、私が思いきり打ったシャトルは庭で一番立派な松の木に引っ掛かってしまい、伊蕗が登って取ろうとしたら庭師のおじいさんに見つかって雷を落とされた。


 四日目の火曜は、ゆりちゃんが一足先に東京へ帰っていった。なんでも、溜まりに溜まった有給休暇を消費するついでに来ていたらしい。

 「傷心旅行はゆりちゃんだったかぁ」と呟いた花梨の頭を私と伊蕗が引っぱたき、低いエンジン音を轟かせて走る真っ赤なスポーツカーを見送った。


 五日目の水曜は、お祖父様に連れられて買い物に行った。

 私と花梨には贔屓の呉服屋で和装一式、伊蕗にはテーラーで三つ揃えスーツや小物一式。着物もスーツもたくさんあるのにね、と言い合ったけど、お祖父様が楽しそうなので黙って着せ替え人形に徹した。仕立てた品は東京の家に届けてくれるらしい。

 ついでに三人とも両親や友達へのお土産も買ったので、帰りの車は紙袋だらけになった。


 六日目の木曜は、東京へ帰る伊蕗と花梨を京都駅まで見送りに行った。

 本当なら私も一緒に帰ろうかと思ったけれど、帰省のピークなのか新幹線のチケットが取れなかったので一日ずらすことにした。

 見送り後は、お祖父様も宝生寺グループの関係の用事で外出してしまったので、私は一人で観光客の減った京都市内をぶらつく。

 すると三条大橋を渡っている時に、鴨川河川敷名物・等間隔カップルを目の当たりにして思わず「うわ~相変わらず等間隔」と呟くと、同時にすぐ横から「うっわ、マジで等間隔」と舌打ち混じりの言葉が聞こえた。

 思わず横を見れば、同い年ぐらいの女の子と目が合う。意気投合しないわけがなかった。

 話をすれば私と同い年で、四月から高校二年生。東京から友達と観光に来たんだけど、ちょっと一人でホテル周辺を散歩していたら迷子になってしまった。手ぶらで来たので道を調べることも、友達と連絡を取ることもできず、困っている最中だったらしい。

 ホテルの名前を聞けば、私の知っているホテルだったので、自然な流れで道案内をすることになった。



「この辺に詳しいんだね?元々こっちに住んでたの?」


「ううん。祖父がこっちに住んでて、小さい頃から何度も来てるの。それに市内の通りは格子状になっているから、方角と通りの名前さえ覚えていれば迷ってもどうにでもなるの」


「へえ~」


「ホテルがあるのは四条通りの近くだから、あっちに行けばすぐなんだけど……。普通に歩道を行く、あえて川沿いを行くの、どっちがいい?」



 彼女は一瞬きょとんとしたけれど、すぐにニヒルに笑って川沿いのルートを選ぶ。

 そして私達は土手へ降りると、



「ねぇ知ってる?ここって昔は処刑場だったんだてぇ~」


「え~うっそ~!」


「女子供も関係なく処刑して、見せしめに生首を並べてたんだってぇ~」


「やば~い!」



 と、女子高生らしきそこそこ大きめな声で喋りながら等間隔に並んでいちゃつくカップル達の後ろを通った。ちらっと後ろを見るとそそくさと去っていくカップルの背中。彼女は高笑いをした。

 そうしてホテルの近くまで到着。彼女にずいぶんとお礼を言われたので、気分よくお別れすることができた。

 ただしばらく歩いて、お互いに名前も名乗らなかったことに気がついた。

 仲良くなれそうだったし、東京在住同士で同い年なら名前と連絡先を聞けばよかった。残念。またどこかで会えるといいなぁ。

 そう思いながら私は、自分用のお土産である生八つ橋を買いに向かった。




 そんなこんなで京都滞在最終日。私は午前中の新幹線で東京へ帰ることになっているので、車で京都駅まで送ってもらった。

 六日目に大量に買ったお土産は昨日の時点で宅配をお願いしたので、荷物は行きとほとんど変わらず、前日に買った生八つ橋の紙袋が増えただけだった。



「向こうで何かあったらすぐに連絡しなさい」


「はい。お祖父様もお体には気をつけてくださいね。お酒の飲み過ぎはいけませんからね」


「撫子と同じことを言ってくれるな」


「あらまあ。お祖母様にも言われていたのなら、いっそ断酒なさればよろしいのに」



 改札前で亡き祖母、撫子お祖母様との思い出話を聞かされたのを最後に、私は新幹線で京都を後にした。

 二時間ほどで東京駅に到着。駅前で待ってくれていた宝生寺家の車に乗ると、家には帰らず、両親ともども贔屓にしている花屋さんに向かってもらう。

 明日の土曜は、澪ちゃんに招待されたバレエ発表会。兄にはなるべく会いたくないけれど、全ては天使のように可愛い澪ちゃんの笑顔を守るためだ。約束通り観に行くので、プレゼント用の品を買うために寄り道をする。

 お店に入って欲しい物のイメージを伝えると、仕事のできる店長さんは想定以上に澪ちゃんにピッタリの商品を紹介してくれた。その白い花を使ったボックスフラワーを即決で買って、私はルンルンで家路についた。



「おかえりなさい、桜子ちゃん。お祖父様はお元気だった?」


「ええ、相変わらずのご様子でしたよ。夏休みの時期には東京に行くかもしれないって」



 お母様を追うようにリビングに入れば、お父様はソファーに座ってテレビを観ていた。



「ただいま帰りました、お父様」


「おかえり。楽しかったか?」


「はい。伊蕗と花梨も来ていて、とても楽しかったです。でも急に京都へ行くなんて言ってごめんなさい」


「桜子が春休みを楽しく過ごせたのなら、それでいいさ」


「私達もね、二人きりでディナーに行ったり夜桜を見に行ったりしていたのよ」



 ニコニコと幸せそうな笑顔を浮かべるお母様に、嫌な予感がした。

 即座に「そうですか良かったですねでは私は部屋に」と早口で言って逃げようとしたけれど、お手伝いさんが幸せな家族団らんの空気とでも思ったのか、三人分のお茶を運んできたので完全に逃げるタイミングを失った。

 鴨川の赤の他人のカップルにすら苦笑いする私が、実の両親の甘ったるい話を聞かされてまともな精神状態でいられるわけがない。心のなかで素数を数えることでなんとか耐え忍んだ。


 ああ、どうして私の周りの人達は、揃いも揃って恋愛を謳歌しているんだろうか。

 結婚二十年にして隙あらば新婚のような空気を醸し出す両親にはじまり、幼馴染みには恋人ができて初デートをミッションコンプリート。もう一人の幼馴染みは、フランスに美しい婚約者だか恋人だかがいるくせにしょっちゅう告白されている。

 従弟の伊蕗だってどうやら好きな子がいるようだったし、四股されたゆりちゃんだって、なんだかんだ言って全て男性側からのアピールが交際のきっかけ。彼女は男運はないのにモテるという謎の才能があるのだ。

 なぜだ。なぜ周りの人達は揃いも揃ってこうなのか。

 彼氏がほしいわけではないけれど、なんだかすごく腹立たしい。これが「リア充爆発しろ」という感情なのか。



「ハア~~~~むなしいわ~。やっぱりマンチカンになってチヤホヤされた~い」



 一週間ぶりの自室に入るなり、ベッドに倒れ込んで叫ぶ。声はオーダーメイドの低反発枕が吸収してくれた。

 彼氏がほしいわけでも結婚願望があるわけでもない。ただなんとなくチヤホヤされたい。だからあの猫らしからぬ短い脚で何をしたって可愛いと持て囃されるマンチカンになりたい。

 飼いたいのではない、なりたいのだ。だいたい私は猫も好きだけど犬派。飼うのなら犬がいい。

 とにかく誰でもいいから私を敬え、崇めろ、褒め称えろ。



「あーダメだぁ……」



 我ながら完全に疲れておかしくなっている。

 春休みになった途端に色々なことがあって、東京を離れれば静かになると思ったらとんでもない爆弾を投下されて、休まるどころか疲れ果てた。

 澪ちゃんに会う理由があってよかった。きっとあの無垢な笑顔で桜子お姉ちゃんと呼ばれたら、私の生命力は一気に回復する。あわよくばお写真を撮らせてもらって、今後も疲れた時の癒しに使わせていただきたい。



「あ、そうだ、明日なに着ていこう」



 私も小学生の頃にバレエを習っていたし、プロのバレエ団の公演を観に行ったこともあるから、ああいった場の雰囲気は分かる。でも子どもの習い事の発表会にお呼ばれしたのは初めてだ。

 ある程度フォーマルさは必須だけど、やり過ぎもよくないし……。



「ミーティス。“バレエ発表会 服装”で画像検索して」


『“バレエ発表会 服装”で画像検索します。検索結果を表示します』



 相棒のAIスピーカー、ミーティスに声をかけてから同期してあるスマホを見れば、ずらっとフォーマルな服装の女性の画像が表示されている。

 一通り確認した感想は、入学式の保護者と同じ服装だな、だった。


 うーん、私の年齢と立場を考えると、ここまでのフォーマルさはかえって浮いてしまう。もう少しカジュアル寄りで、でも色はモノトーンのような落ち着いたものがいい。

 重たい体に鞭を打ってベッドから降りて、衣裳部屋でクローゼットの中身をじっくり眺める。そしてふと、紺色の小花柄スカートが目についた。

 おっ、これでいいんじゃないの? 膝丈のフレアスカートだから、きちんと感はあるけど重たすぎることもない。これに襟に刺繍があるお気に入りのブラウスを合わせて、さらにカーディガンを羽織れば王道お呼ばれスタイルの完成だろう。

 ブラウスとスカートを体に当てて姿見で確認していると、部屋の扉がノックされ、返事をすればベテランお手伝いさんの臼井さんが入ってきた。



「お嬢様。京都で買われた品が届きましたので、お持ちしましたよ」


「ありがとう臼井さん。冷蔵庫に入れておいてほしい物があるから、今すぐ開けちゃうわ」


「でしたらコチラをお使いください」



 服を置いてペン立ての中のカッターを取りに行こうと思ったら、臼井さんがエプロンのポケットからさっとカッターを出した。さすが勤続四五十年の大ベテラン。

 ありがたくカッターを借りて、二つの段ボールから両親用とたくさんいるお手伝いさん達用のお土産を出した。



「まあまあ!私達にも買ってきてくださったんですか?」


「当たり前でしょう、毎日お世話になっているんですから。でも一人一人の好みが分からないから、食べ物とかコスメとか色々買っちゃったの。みんなで好きに選んでもらってくれる?」


「ありがとうございます。後ほどお嬢様からと言って配っておきましょう」



 私は前世では一般庶民だったから、家事全般や送迎、庭の手入れ、果ては郵便物の受け取りなどなど。この家で快適に生活するためにたくさんの人が働いてくれていることに感謝しかない。日頃からお礼を言っているけれど、お土産という形でも感謝を伝えたかった。



「あ、ねえ臼井さん、ついでにこの服装どう思う?」



 ベッドの上に放置していた服をもう一度体に当てて、臼井さんに見せる。



「春らしさもあり、宝生寺のご令嬢である桜子お嬢様に相応しい大変可愛らしい装いかと。その様なことを確認なさるなど、まさかお嬢様、デートですか?」



 その言葉に、ふと、ちょうど一週間前に雪城くんに言われた言葉が思い起こされた。

 曰く、デートとは、好意を持った相手とのお出かけのことをいう言葉らしい。



「そうね、デートね」


「まあっ!どこの男性ですか?!まさか壱之宮家の……?」


「私のことを桜子お姉ちゃんと呼んでくれる、この春に小学一年生になる可愛い女の子よ」



 旦那様にご報告を!、と焦る臼井さんが面白くて、ニンマリ笑ってそう答える。

 すると臼井さんはしばらくぱちぱちと瞬きを繰り返すと、苦笑いを浮かべて「年寄りをからかうのはおやめください」と言った。

 私は可愛い澪ちゃんのことが好きだし、澪ちゃんだって私をお姉ちゃんと呼んでくれるぐらいには好んでくれている。相思相愛なら間違いなくデートだから、からかってなんかないのに。




 もうじき春休みが終わって、二年に進級。つまり少女漫画の第二部が始まって、運命を変える戦いが本格的に始まるということだ。

 京都で厄払いと厄除けは済ませた。お守りだってある。

 これで明日、澪ちゃんに癒されて体力を回復すれば、怖いものなんてない!!

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