12-2.守りたいのなら
その日の夜、泥酔しても記憶が残るタイプのゆりちゃんに土下座をされる勢いで謝罪をされ、「ゆりちゃんも大変だったね。四股男のことなんかさっさと忘れて、次にいこ?ゆりちゃんの良さを気づいてくれる人は必ずどこかにいるよ」と頭を撫でると泣きつかれて服がびしょ濡れになったので、一番風呂をもらった。
しかし問題はここからであった。
お風呂から上がって部屋に戻ると、スマホに鬼のような数の着信があったのである。
すべて秋人から。充電がごっそり減っているスマホを見て、「うわぁ……」と呟いても許される出来事だろう。
「くるだろうとは思ってたけど、もうちょっとさぁ……」
遠慮ってものを知らないのかしら、あのお坊っちゃんは。
秋人は千夏ちゃんとの間になにかあると、毎回必ず私に電話をしてくる。一番最近では先日の初デートについての相談で、その前はバレンタインデーの夜だっただろうか。
友達は雪城くんしかいないけれど、あのプライドエベレスト男が親友と恋バナなんてするわけがないので、必然的に話し相手は私になる。
毎回延々と話を聞かされ、満足したら一方的に通話を切られる。それでも最後まで聞いてあげる私は本当に優しいと思う。
まあ、そのおかげで今が少女漫画のストーリーのどの辺りかが分かって、二人をくっ付けるために先回りして裏工作ができていたわけだけど。
今日の電話は初デートを終えた報告というか自慢話だろう。面倒くさいけど聞いてやらないと明日も電話がかかってきそうなので、次に着信があったら出てやろう。
そう思いながら化粧水と乳液でお肌のケアをしていると、秋人から着信があった。スピーカーフォンに設定して応対する。
「お前なぁ!何回かけ直させる気だ?!」
「私にだって都合があるの。用があるなら私がかけ直すのを待つか、メッセージを送ってといつも言っているでしょう。それで?今日は朝倉さんと出掛けたんでしょう。どうだったの?」
顔のケアが終わったので、今度は体。お気に入りのカモミールとリンゴがほのかに香るボディクリームを塗りながら、スマホから聞こえる秋人の声に相づちを打つ。
春の祭りのくせに桜は近くの神社に一本あるだけだった。
屋台があると聞いてニューヨークのベンターみたいなものかと思っていたら、クリスマスマーケットを質素にしたみたいだった。
射的をやったらよく分からない光るボールに当たって、貰った。
などなど、話を聞く感じでは千夏ちゃんと揉めることもなく、楽しいだけの初デートになったようだ。はいはい、よろしゅうございました。
「お祭りのあとはどうしたの?」
「あいつがアルバイトしてるらしい店に行った。そんなことしてる奴、本当にいるんだな」
学業とアルバイトを両立させている世界中の学生に謝れ。
「成瑛では珍しいでしょうね。内部生は当然だけど、外部生は学業か部活動に専念して、そういったことをする余裕はないでしょうから」
そう考えると、アルバイトをしながら特待生として学年トップクラスの成績をおさめる千夏ちゃんってスゴすぎる。もしもアルバイトをしないで勉強に専念したら文句なしの万年首席なのでは?
「ところで、出掛けている最中に成瑛の生徒には会わなかった?」
「さあな?お前が周りにバレねぇようにしろって言ったから一応気を付けたけど、俺も朝倉も顔見知りには会わなかったぞ」
「そう、それなら良かった。いい秋人、朝倉さんを守りたいのなら周囲の目に注意なさい。成瑛の生徒と泉おば様には特にね」
「分かってるから何度も言うな。ババアだけにはバレねぇようにする。……あん時みたいなことにはさせねーよ」
いや、だから成瑛生にも注意しろって。成瑛の生徒から噂が広がって、あのゴリゴリの選民思想な母親の耳に入るかもしれないのだから。
秋人も、千夏ちゃんとのことが母親である泉おば様に知られるのはまずいと思っている。
なぜなら泉おば様は秋人が小学生だった頃、秋人が同じスイミングスクールに通う一般家庭の男の子と仲良くなると、「うちの息子に悪影響だから、おたくのお子さんを近づけさせないでちょうだい」と男の子の母親に言い、違うスイミングスクールに通うように命令……おすすめしたのだ。
そんなことが他にも何度かあり、秋人は泉おば様を嫌い、同じ選民思想の人を毛嫌いするようになった。
私は前世の記憶で少女漫画のストーリーを知っているから、千夏ちゃんのことを知った泉おば様がどういう反応をするか知っている。だが秋人はそんなものがなくても、自分の母親のやりそうなことぐらい簡単に想像できるのだろう。
「ともあれ楽しい一日になってよかったじゃない。朝倉さんも楽しんでいたんでしょう?」
「それは……まあ……。俺がああいう場所にいるのは似合わないって笑ってた」
「良かったわね」
「ふざけんな。良くねぇよ」
言葉のわりには拗ねたような、ふて腐れたような声。
はいはい、その時の千夏ちゃんの笑顔が可愛かったんですね。可愛いから許しちゃったんですね。あーはいはい、よろしゅうございました。
その後も、今日一日の出来事や千夏ちゃんと交わした会話を延々と聞かされ、私の生乾きの髪がすっかり冷たくなった頃にようやく秋人は満足した。通話が終わり、画面に表示された通話時間は最長記録だった。
「春休みに、初デートね……」
今にも力尽きそうなスマホを充電器にセットしながら、ふと呟く。
三日前の早朝に秋人からデートについて聞かされた時にも考えたけれど、これは本来の少女漫画『ひまわりを君に』にはない展開だ。
もしかしたらなんらかの理由で今日のデートが中止になって、五月のゴールデンウィークに初デートという少女漫画通りになるかもと期待していたが、そうはならなかった。
少女漫画では描かれなかった空白の期間である春休みの今、二人のなかが進展した。
これはいったい、どういうことだろう。
三日前にも考えたことだけど、どこから物語の歯車が狂ってしまったのだろうか。
入学してすぐの中間テストで一位になった千夏ちゃんに、言いがかりをつけて嫌がらせをする内部生を秋人が止め、そこから二人がお互いの存在を認知した、通称『出会い編』。
夏休み期間中のサマースクールで、期末試験で一位の座をめぐっていがみ合っていた二人が、離島に取り残されたことで距離を縮める、通称『サマースクール編』。
芽生え始めた気持ちが恋なのでは思い始めたが、「あんな俺様金持ちのことが好きなわけない!」と千夏ちゃんが秋人と距離を取るようになると、それまではそこそこ仲が良いだけだった春原くんが急接近した、通称『三角関係編』。
学園祭をきっかけに学園のアイドルが秋人に急接近し、それを見た千夏ちゃんがモヤモヤ。いったん距離が開いたことでお互いに恋をしているんだと自覚し、千夏ちゃんが春原くんではなく秋人を選んだ、通称『告白編』。
宝生寺桜子は第一部ではほぼ脇役だったから、第一部の期間中は基本的に何をしたって交通事故で強制退場は起こらないと分かっていた。だから私はこの一年間は自由に、かつ知っているストーリーの通りになるように行動した。
それが全て計画通り、漫画のストーリー通りになったなによりの証拠が、三学期の終わりに千夏ちゃんが秋人に告白して二人が付き合うようになったことだ。
でも、どこから?
いつからストーリーが変わってしまった……?
『出会い編』では、いつまでも動かない秋人のプライドをつついて内部生を止めさせた。結果、ストーリー通りに二人はお互いの存在を認識した。
『サマースクール編』では頃合いを見計らい、雪城くんに「秋人を見ませんでした?」と言って二人の行方不明を判明させて、その後チャーターしたボートで離島へ行って秋人と千夏ちゃんを回収した。
二学期になり秋人が千夏ちゃんのことを意識し始め、私に乙女心のなんたるかを説明させるようになったから、これもストーリー通り。
『三角関係編』では、千夏ちゃんが春原くんと一緒に廊下を歩く姿を私も何度か見かけたし、秋人もそんな二人を見てモヤモヤしていた。これもストーリー通り。
最後に『告白編』では、なぜか私が学園のアイドルさんに「壱之宮くんとはどういう関係?」とぶりっ子笑顔で聞かれたけれど、その後に秋人は付きまとう学園のアイドルさんにしつこいと一喝し事態は終息。ストーリー通りだ。
さらにその後もストーリー通り、秋人が春原くんにケンカを売って畏れ多くもバスケ対決をすることになった。なぜか私はその練習に付き合わされるという少女漫画にはない事態になったが、対決の結果がストーリー通りなるか気になったから付き合った。
ああ、そうそう。肝心の対決の終盤、負けそうになった秋人に千夏ちゃんが「負けるなっ!」って言ったの時は、少女漫画の大好きなシーンが目の前で再現されて思わず叫びそうになったっけ。
しかも千夏ちゃんの声は緊張していたのか上擦っていて、最高に可愛くて、最高に少女漫画の主人公だった。動画に残しておけば良かった……。
――――話を戻そう。
二人の対決に結果は、私の知るストーリーの通り引き分けになった。でも千夏ちゃんが秋人を応援した姿を見た春原くんは、敗北を悟る。
前世の記憶でそれを知っていた私は、腕で乱雑に汗を拭いながら千夏ちゃんから顔を背ける姿に、物凄く罪悪感を覚えた。なにしろ春原くんがどれだけ千夏ちゃんを想っているか知っていたのに、それを叶わせない道を選択したのだから。
前世から知っていたことだけど、紙の上の物語ではなく、目の前にいる生きた人間の感情を踏みにじる行為に何も感じるなという方が無理だ。
私はかける言葉が見つからなくて、秋人に渡すつもりだったスポーツドリンクを春原くんの荷物のそばにこっそりと置いておくのが精一杯だった。
後日、学園のトイレで偶然にも千夏ちゃんが親友の子に、春原くんに告白されたけどどうしようと相談しているのを聞いた。秋人への気持ちを自覚して、でも春原くんのことも好ましく思っていて、揺れているようだった。
それから数週間後の放課後、千夏ちゃんと春原くんが並んで校門を出ていくのを見た。千夏ちゃんが気持ちは嬉しいけど、好きな人がいますと春原くんに言い、春原くんが
「真剣に考えてくれてありがとう。好きな人って壱之宮だろう?ずっと見てたから分かるよ。頑張れよ、応援してる。……でも、ごめん、しばらくは好きでいさせて」
と微笑む名シーンが起きる日だと気づいた。
前世の私は、その回をコンビニで立ち読みし、愛しさと切なさと尊さに膝から崩れそうになった。単行本で改めて読んだ時は天を仰いで涙を流した。
さすが報われない系スーパーダーリン。もうほんと好き。推せる。
二人が両片想いと知った私は、秋人に積極的に千夏ちゃんへアピールするように言った。
だがプライドエベレスト男は腰が重たいらしくちっとも動こうとしなかった。
そこで『クリスマスイブの夜。友達とクリスマスパーティーを楽しんだ帰りの千夏ちゃんが男にしつこくナンパされて、それを偶然通りかかった秋人が助ける』というストーリーを思い出した私は、さりげなく秋人をその場に誘導し、無理矢理ストーリー通りのイベントを発生させた。結果は大成功。翌日のクリスマスに秋人に呼びつけられて、雪城くんも交えて前日の話を聞かされた。
そのクリスマスイブの件のお礼としてバレンタインデーの実質本命な義理チョコに繋がり、さらに告白に繋がるのだから、私はまさに二人の恋のキューピットだろう。
中身はどうであれ、結果的にはすべてストーリーの通りになった。
巻き込まれたり、裏で細工をしたりして、その様子をメインキャラクターのようなポジションで見てきたんだから間違いな――――……あれ?
「……それって、おかしくない……?」
これまでのことを全て思い返して、はたと気が付いた。
少女漫画の第一部では、宝生寺桜子は脇役だった。ひんぱんに登場したのは『出会い編』までで、その後はたまに登場しては秋人に乙女心について説明するだけで、『三角関係編』ぐらいになると名前もめったに出なくなるぐらい影が薄かった。
それなのに私は、『告白編』に入ってからも巻き込まれるような形で秋人と千夏ちゃんのそばにいて、最終的にはキューピット役。秋人から告白の報告まで受けている。
今の私達を漫画に描くとしたら、間違いなく私はメインキャラクター級の登場率。コミックスの登場人物紹介ページの常連だ。
――――――それは、おかしいことだ。
ああ、どうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。
違うと、おかしいと、違和感を抱いたのはこれが初めてではなかったじゃないか。
三日よりも前。もっと、ずっと前から思っていたじゃないか。
『巻き込まれるのは親友ポジションの雪城透也だけであって、宝生寺桜子まで引きずり込まれるのは全くの想定外』
『本来の宝生寺桜子と違う人生を歩んでいる』
『千夏ちゃんが宝生寺桜子と話したいと言うなんておかしい。ありえないこと、あってはいけないことだ』
『春原くんに嫌悪されているどころか、好感度がかなり高かった。どう考えてもおかしい。』
『私の知ってる、『ひまわりを君に』の人間関係と違っている』
高等部に入学してから今日までのことが、ぐるぐると頭の中をめぐる。
バラバラになっていたパズルのピースが合わさっていく音がする。
ああ、どうしよう。
これは全部、私のせいだ。
ストーリー通りになったなんて、そんなものは結果論だ。
結果に至るまでの中身に、宝生寺桜子という本来存在しない歯車が加わってしまっていた。
その異分子の影響が、巡りめぐって今のストーリー通りではない事態をつくってしまったのではないだろうか。
この先も、その影響が出続けるかもしれない。
もしそうだとしたら、ようやく結ばれた二人はどうなるんだろうか。
最悪の場合、壱之宮家に破局させられるなんてことにあるかもしれない。
そんなことになるぐらいだったら、私が本来の宝生寺桜子の役割に戻って知っているストーリーの通りに行動すれば中身も結果も少女漫画の通りになって、二人は幸せになる。……って、それだと私はトラックにひかれて強制退場だ。
それだけはイヤ。その運命を変えたくて今まで頑張ってきたのに、今さら方向転換して、自分が大怪我すると分かっている未来に進めるほど、私は強くない。
「欲張りすぎたのかなぁ……」
秋人と千夏ちゃん、春原くん、学園のアイドルさん、それ以外のサブキャラやモブキャラの皆さん。第一部の人達はストーリー通りにさせて、自分が関係する第二部のストーリーだけ変えるなんて、都合が良すぎたのかもしれない。
どうしよう。これからどうなるんだろう。
そんなことばかり考えてしまい、その夜はなかなか寝付くことができなかった。
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