11-2.楽しみにしておくよ




「さ、さっちゃん?!」


「どうした?」


「ご、ごめん、ちょっと驚いちゃって……」



 つい防衛本能から投げてしまったスマホを拾えば、相変わらず震えているし、雪城透也と表示されている。

 なぜこのタイミングで電話?例の春休み中に出掛けるって話なら、もうメッセージアプリで断りの文章送ったじゃん!返事するにしても文章でいいじゃん!なぜ電話?!そしてなぜこのタイミング?!

 えっ、もしかして噂を払拭するためにフランス美女との関係を売ったのがバレたの?千里眼でも持っているのかあの男は?!……えっ、やだ、怖すぎる。メリーさんからの電話が可愛く思えるぐらいに怖い。



「電話出ないの?」


「いや、えっと……その……」



 出たくない。出たくないけど……今の時点で雪城くんの私に対する信頼がゼロらしいので、二回電話がかかってきて二回とも出ないっていうのは印象がさらに悪くなる。敵じゃないです、秋人達の邪魔はしませんアピールのために、印象はよくあるべきだ。

 仕方がない。出よう。



「……ごめん。ちょっと出てくるから、ゲームは好きに続けておいて」



 足早にリビングから玄関ホールに出て、深呼吸をひとつ。

 応答ボタンをスライドして、耳に当てた。



「も、もしもし……」


「あっ!桜子お姉ちゃん!」



 ん?この愛くるしい幼女ボイスは……まさか……。



「澪ちゃん?」


「うん!澪です、こんばんは!」


「こ、こんばんは?えっと、これって澪ちゃんのお兄ちゃんの電話よね?どうしたの?」


「僕が宝生寺さんに電話するって言ったら、澪が自分がするって言ったんだ」



 うおっ、びっくりした!澪ちゃんだと思っていたから完全に油断していたけど、持ち主の雪城くんが喋るのは当然か。

 というか、澪ちゃんの大変可愛らしい無邪気な笑い声がはっきり聞こえてくるんですけど、もしかしてスピーカーフォンにしてます?



「驚かせてごめんね。今って大丈夫?」


「はい。大丈夫ですけど……」


「今、京都にいるんだよね?いつ頃こっちに戻る予定なのかな?」



 ……おい、なぜそれを聞くんだ。

 今その横には澪ちゃんがいるんでしょう? 婚約者もしくは恋人がいる兄が、デートとのたまわって違う女の腹を探ろうとしているなんてことを、幼気な妹に教えるつもりか。



「急な呼び出しだったもので、予定ははっきりと決まっていなくて……。もしかしたら残りの春休みはこっちで過ごすことになるかもしれません」


「え~桜子お姉ちゃん、来れないの?」


「こら澪、今はお兄ちゃんがお話ししてるんだから、シー!」



 声が増えた。

 この顔を見なくても絶世の美女だと分かるお声は雪城くんの母親?

 まさか、家族団らんの場で電話をかけてる?



「あの、えっと、澪ちゃん?来れないというのは……?」


「僕が説明するよ。実はこの前の懇親パーティーから、澪が宝生寺さんに会いたがってるんだ。それでちょうど来週の土曜に澪が通ってるバレエ教室で発表会があって、もし宝生寺さんの都合がつけば招待しようって思ってたんだけど……。どうかな?」


「あのね、不思議の国のアリスやるの!年長さんはみんなお花の役でね、澪は白いバラの役なの!」



 な、なんだってー!澪ちゃん、私に会いたがっているだってぇ?!

 しかも白バラ役ってことは、真っ白いチュチュを着て踊るってことじゃないか。なにそれ、絶対に可愛い。すっごく見たい。お姉さんにお写真撮らせて~~!



「そういうことでしたら、ぜひ伺わせてください」


「大丈夫なの?」


「はい。一週間後なら東京に戻れると思いますし、なにより澪ちゃんのお誘いですから。でも、部外者の私が参加して問題はありませんか?」


「それは大丈夫だよ。心配なら会場の外で僕が待ってるから、家族と一緒ならすんなり入れると思う」


「桜子お姉ちゃん、本当に来てくれるの?!」


「ええ。必ず行くから、澪ちゃんも頑張ってね」


「うん!」



 やったー!と喜ぶ澪ちゃんの声が遠くなり、「パパー!そーちゃーん!桜子お姉ちゃん来てくれるってー!」という元気な発言がうっすらと聞こえた。雪城父と弟の颯真くんまでいたのか……。

 この電話に私が出なかったら澪ちゃん拗ねるか怒るかしちゃってたかなぁ。出て良かったと思っていると、そこそこ近くから「透也。少し桜子さんのお話ししてもいい?」という声が聞こえた。スピーカーフォンなので丸聞こえですよ、奥様。



「こんばんは、桜子さん。澪のワガママを聞いてもらってありがとう。でも本当に大丈夫?」



 雪城夫人とは、澪ちゃんが生まれてすぐの頃はそれなりに会う機会があったけれど、ここ数年は学園関連の集まりで挨拶をするだけだ。あの美の女神の如き美しさを思い出し、自然と背筋が伸びた。



「私の方こそ、本当に伺ってもよろしいのでしょうか?ああいった会は、ご家族だけで楽しまれるものですし……」


「うちはなんにも問題はないわ。澪も桜子さんが来てくれるなら、いつも以上に頑張るはずだから。最近いつも透也にくっついて、次桜子お姉ちゃんに会えるのいつ?って言ってるのよ」


「まあ」



 はわわっ!何ですかその情報~。

 たった一晩会っただけでそんなに懐いてくれるなんて、やっぱり澪ちゃんは天界からうっかり落っこちてきた天使なのでは?

 あ、母親が女神なら、娘が天使なのは自然なことか。

 長男?そんなものは知りません。突然変異種かなにかでは?



「それにパーティーでのこと、透也に聞いたわ。澪を説得してくれたんですってね。あれから澪ったら、初等部の入学式が楽しみで仕方がないみたいで、カレンダーに大きく花丸を書いたぐらいなの。本当にありがとう、助かったわ」


「いいえ、あれは私が澪ちゃんに成瑛に通ってほしくて言っただけですから。ですがカレンダーに花丸を……。あの後どうなったか気がかりで、それを聞けて安心しました」


「届いた制服を着たと思ったら、桜子お姉ちゃんも同じの着てた?って言ってね~。一日でお兄ちゃんって透也を呼ぶより、桜子お姉ちゃんって言う回数の方が多いのよ」



 くすくすと笑う雪城夫人の声が直接耳に入ってきて、耳が幸せだ。



「あの子、年上が相手だと人見知りなところがあるから、あんなに懐いていて私も夫も驚いてるのよ。やっぱり赤ちゃんの時に会っているから、なんとなく覚えているのかしら?」


「もしそうでしたら、とっても嬉しいです」


「それにあの子、食べられない野菜が多いんだけど、食べないと桜子お姉ちゃんみたいになれないよって言ったら好き嫌いしなくなったの。うちでは桜子お姉ちゃんは魔法の言葉なのよ」


「母さん、そろそろ……」


「あらケチね、もうちょっといいじゃない。透也に文句言われちゃったから、私は離れるわね。それじゃあ今度会う時に改めてお礼をさせてね。会えるのを楽しみにしてるわ!」



 返事をする前に、雪城夫人の声が遠くなっていった。

 スゴいな。私も長年の猫かぶりが体に染み付いているから口下手ではないんだけど、後半はほとんど相槌ぐらいしかできなかった。フランスの人はおしゃべりで、言いたいことははっきり言うタイプって聞いたことがあるけれど、あながち嘘ではないのかもしれない。



「あの人、一度スイッチが入ると止まらなくなるんだ……。澪のことといい本当にごめんね。迷惑じゃなかった?」


「まさか!私も澪ちゃん達とお話しできるのは楽しいので、迷惑だなんて思っていませんよ」



 天使に続き女神とお話しできて大変満足です。

 自然と緩む頬を擦っていると、ふいにリビングから花梨が顔を出した。



「さっちゃーん!お兄ちゃんが三つ子産んだからご祝儀一万五千ドルもらうよー?あとさっちゃん、さっき石油堀当てたけどまた交通事故にあって骨折したよ」



 おいいいい!バカ花梨!バ花梨!電話してるからゲームは好きに続けてて言ったでしょう!お祝い事なんだからいくらでも持っていきなさい。というか交通事故二回目って縁起悪っ!

 ハンドサインだけで花梨を追っ払うと、電話の向こうの人物がかすかに笑っているのが聞こえた。



「い、今の聞こえました?」


「うん。親戚の子?」


「従妹です。今ボードゲームで遊んでる最中で……」


「楽しそうだね」


「ええ、まあ……」



 さっき私とあなたと秋人に関わるとんでもない噂話を教えられて、全身鳥肌たってましたけどね。

 それよりも石油堀当てて交通事故っていうのも問題発言だけど、花梨のさっちゃん呼びを聞かれたのはマズいな。あれは身内の前限定の呼び方で、パーティーのような第三者がいる場面では花梨も猫を被って「桜子お姉様」と呼ぶのに……。いや、でも花梨と雪城くんが会うことなんてないだろうから問題はないか。


 相変わらず聞こえる押し殺した笑い声に無言になっていると、雪城くんは来週土曜のバレエ発表会の場所と日程を教えてくれた。場所は私も知っている、大きなステージのある文化センターらしい。家からそこそこ離れているから、あとで宝生寺家の運転手に送迎を頼んでおかなくては。



「でも本当に大丈夫?無理しなくても、澪には僕から言って聞かせるよ?」


「いいえ。本当にその頃には戻れると思うので大丈夫です。それに私、約束は守る主義ですから」



 もともと帰りの予定は決まってなかったし、澪ちゃんの頼みなら絶対に帰る。例えお祖父様に引き留められても、ふりきって帰ってやりますとも。

 全ては澪ちゃんの真っ白いチュチュ姿を拝むためです。



「へえ、そっか……。じゃあ僕との約束も守ってくれるんだね」


「ん?」


「楽しみにしておくよ。親戚で集まってるのに電話してごめんね。それじゃあおやすみ」



 ブツッ、ツーツーツー、と。聞こえるのは単調な電子音だけ。



「あ……ああ……」



 ああああああああああっ!!やってしまったあああああっ!!!!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る